黒い霧
死体を持ち帰ったエクセレンとリィンは、ユーゴとサラに情報を共有するためアシッド砦の指揮官室に出向いていた。
レブナント達の間で砦の正式名称を知る者が居なかったので、彼らはこの拠点を"アシッド砦"と呼んでいる。ユーゴが自分の使った切り札の名前を「アシッド」だと言ったからだ。
ユーゴが命名した由来は、前世で遊んでいたゲームでは敵の防御力を下げる魔法の多くに酸という名前がついていたからだ。プラーナを通して意味を解釈するレブナントの間では、アシッドという名前でありながら、鎧を錆びつかせる魔法として認知されている。
ユーゴ自身はあまりいい名前ではないと思っていたが、リィンから敵の名前を聞いて素っ頓狂な声を上げた。
「黒い霧ぃ?」
なんだそのネーミングセンスは。はっきりとそう言って笑ったのだが、エクセレン、サラ、リィンの女性陣が真顔を崩さなかったので、さすがにユーゴも背筋を伸ばして話を聞くことにした。
「粛清隊創設時から現場指揮官を務め続けているクラウド様が使う魔剣の能力が由来になります」
全員がリィンに集中していたので気付かなかったが、サラの耳がぴくりと跳ねた。
「あの方が剛剣を振るえば、相手は血も肉も砕かれて黒い霧になって散っていくことから、そう呼ばれています」
「なるほどね。しかし、そんなに怖がるほどの相手なのか?」
ユーゴの言葉には、言外に自信が満ちていた。もちろんそれに伴うだけの結果を出してきた彼だったが、リィンは首を横に振った。
「ユーゴ様、冒険者には位階というものがあります。私が組んでいたパーティーメンバーは第二位階でした。マリベルなどは第一位階のパーティーでしたが彼女だけは第二位階の実力があるでしょう」
今の時点でレブナントにしているメンバーはマリベルと同じ基準を満たしているので、ユーゴ達の戦力は第二位階のパーティーを複数抱えているのと同じであった。
「で、そのクラウドっていうやつの位階はいくつなんだ?」
「第四位階です。ちなみに第四位階の実力者は一人で第二位階のパーティーを潰せます」
つまり、クラウド一人でユーゴ達を全滅させられる可能性がある、とリィンは断言した。
息を飲んだユーゴだったが、リィンの追撃の手は緩まない。知っている限りの情報を話せというエクセレンの命令に従った彼女は、不利な情報を冷静に、冷酷に語る。
「クラウド様は百人長の権限を持っています。あの方がやってくる以上、最大で三桁の隊員が連れてこられるでしょう」
「三桁……マジかよ」
普通の冒険者は五・六人で編成されている。報酬の取り分なども影響しているが、一般人ではそれ以上の人間に的確な戦闘指揮を取ることが出来ないからだ。
この世界には軍事を教える学校も存在しなければ、戦術論なども進歩していない。
そんな世界にあって、百人からなる戦闘部隊を指揮できるということは、一流の才能がある証明に他ならなかった。
こちらの戦力も、向こうの戦力も、かつて粛清隊を倒した時とは段違いだ。
単純に比較は出来ず、改めて一から対粛清隊の作戦を立てなければならないだろう。
「ちょうど良いじゃないか。逃げずに、自分たちの居場所を守るためにこの砦を手に入れたんだ。あの粛清隊が更に強大になってやってくるってんなら、それなりのお出迎えはしないとな?」
ゆっくりと立ち上がったユーゴは地図を机の上に広げて睨み始める。
彼の唇に、いつもの笑顔は、浮かんでいない。
◆◆◆◆◆
腐れ谷の北に接しているラトナム山脈にあやかり、その国家はラトナムの名を名乗っていた。
この国は国土の大半が大陸最長最高峰を誇るラトナム山脈に占められており、狭く貧しい土地柄だった。農業などを営むには適さない国土故に、ラトナムは二つの方針で国力を伸ばしてきた。
一つは南方への国土拡張。
そしてもう一つは、神聖教会の国内派閥を強化して他国への発言力を強めること。
その両方の起点になっているのが、神聖教会内の実働部隊、粛清隊である。
国土の大半が腐れ谷と接しているために設立された対死属専門部隊の粛清隊は、ラトナムの教会支部にしか存在しない。
死属を大量に殲滅している彼らは教会内部でも高く評価されているが、それでも他国の支部に粛清隊に比肩しうる部隊が存在しないのは、ひとえにそれだけの戦闘集団を指揮できる指導者が存在しないからであった。
「クラウド。君には腐れ谷の大浄化を行ってもらいたい」
「了解致しました、リオン閣下」
首都ラトナムにそびえ立つ、三本尖塔の教会のうち、その中央塔の最上階で会話をするこの二人こそが、その貴重な指揮官達である。
一人は高級そうな執務机に座った若い男性。
長い金の髪は後ろで一つの尾にまとめあげられ、にこやかな笑みを浮かべるその顔の美しさと相まって、女性に間違われることも多い美男子である。
もう一人は床に膝をつき、頭を垂れている壮年の男性だ。
髪は既に総白髪であり、かなりの年齢だ。しかし、老いを感じさせないたくましい筋骨を備えた風貌から、一目見ただけで相当な実力者であることを分からせる戦士であった。
リオンと呼ばれた主が若い男性であり、命を受けたクラウドという男が頭を垂れる壮年男性である。絵図面としては年齢が逆転しているが、それはリオンが貴族の出身であり、クラウドが元冒険者の平民出身であることが理由だ。
本来二人の間に意思の疎通はなく、命令の伝達だけがなされる間柄であるのが、普通の貴族と平民の関係だ。
しかし、この二人に至っては、硬い信頼が両者の間に横たわっていた。それは二人が粛清隊の実働隊長として、勇名を響かせるに至ったいくつもの戦火を共に潜り抜けてきたからである。
その経験の中では更に二人の関係は逆転し、師と弟子という思い出も混ざっている。
二人の間で速やかに命令は受諾されたが、そこに認識の齟齬はない。
だが、リオンはそれがやや不服であるように苦笑して言った。
「君はいつも素直すぎて、味気がないね?」
「閣下の黒い腹の中に巻き込まれるのは、御免ですので」
クラウドは立ち上がると、腕を組んで足を少し開いた。
儀式めいた命令の受領は終わり、ここからが本当の話し合いだった。
「南西のアーヴィアンとの戦争は長引きすぎている。得た領土と失った領土で国境線が乱れすぎたそうだ。私が直接赴いて、教会側から手を回せとのお達しを受けたよ」
「また、無茶苦茶なご命令ですな」
アーヴィアンは、神河を挟んで南岸にある砂漠の国だ。
わけあってラトナムは、東と北に領地を伸ばすことが出来ない。ゆえに、領土拡張の対象となるのは常に南の腐れ谷か、南西にある砂漠であった。
「今回の戦の原因は、向こう側にある。ただ、あちら側としても負けを認めて捕虜を釈放するわけにもいかず、引込みがつかなくなっているのさ。第三者である教会が調停して事態を収めないと、止まらないだろうね」
「閣下であれば、人脈・実力共に問題はないでしょうな。して、なぜそのタイミングで私に出撃のご命令を?」
クラウドはリオンが任務に失敗することなど想像すらしていない。
しかし、仮にも粛清隊のトップ二人が、同時に不在になるなど、組織としては中々に大胆な行動だ。
「恐らく国境線は以前とさほど変わらない形に落ち着くだろう。種火をうまくもみ消せなかったどころか利益も得られなかった叔父の失点を帳消しにするには、多少なりとも国土を広げないといけない」
「なるほど、例の第一区画ですか」
人間たちには位階という評価がある。その評価を運用するために、特定の強度のモンスターが存在するエリアを区画と呼ぶ。位階と区画の数字は対になる。第一位階の者は、第一区画に送り出すのが通常だ。
クラウドが例の第一区画と呼んだのは、ユーゴ達が占領していた地域のことである。ユーゴ達を強力な冒険者が襲わなかったのは、冒険者を送り出すギルドが調整していたためだった。
本来であれば、その第一区画に第四位階の人間を送り込むことは異常事態である。しかし、むしろ「ようやくか」と納得するほど、そのエリアは以前からきな臭かった。
かつて第一区画に送り込んだリィンの部隊は全滅した。最近は被害が収まっているそうだが、隣接する第二区画でも冒険者の被害率が上がっている。
「つい最近ですが、第三位階の冒険者が挑んで半壊して帰ってきたそうですな」
「知っていたか。私はその原因が、かつて君の部下を全滅させた"異常個体"だと思っている」
「第一区画で発生した異常個体が、第二区画で活動するほど力をつけてしまったと?」
「そうだ。私達は極端に被害が減ったことから、リィン達が相打ちをしたと考えていた。だがその異常個体が冒険者の数を調整していたとしたら」
「……一杯食わされたというわけですか」
このまま第二区画が荒らされ続ければ、第二位階の冒険者達は育たなくなってしまう。
それは第三位階以上の冒険者が死んだ時に補充がきかなくなり、同時に第一位階の中で小さなパイを取り合うことで、若手が育たないという三重の弊害を生む。
「内外の両面で教会の威信は強まり、冒険者ギルドへの貸しも出来る。叔父のポイント稼ぎもできれば一石三鳥だ」
「リスクを負うだけのメリットがある、ということですな」
元より粛清隊は武闘集団だ。
若い兵士への鍛錬にもなる。
「それでは、私の権限の許す限りの兵を動員して構いませんな?」
「だからこそ、君に頼んでいる」
「了解致しました。では、準備が出来次第、出発致します」
姿勢を正して胸に十字を切り、クラウドは退室した。
気をゆるめて笑顔を消したリオンは、ため息を付きながら椅子に深く沈み込んだ。
「……頼んだよ、本当に」
クラウドに頼んだ、ということは他の隊長では不安があったという事実の裏返しである。
出来ることならば、自分で部隊を率いているところだが、国家間の調整となるとリオンが動かざるを得ない。
賽は投げられた。
クラウドは数日で軍備を整えて出発するだろう。
リオンの出発はそれよりも早くなるはずであり、順調に事が進めば、アーヴィアンから帰ってくる頃には事が済んでいる予定だ。
「お互いに、長旅にならないと良いが」
一度任せると決めたのだ。しっかりと任せきるのも上司の勤めである。
不安をさっぱりと頭のなかから洗い流して、彼は外交の段取りを考え始めた。




