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兆候

 腐れ谷は巨大な盆地であり、周囲の土地から巨大な河川が流れ込んでいる。水流は大きく三つ存在し、東西北に隣接する三国家からそれぞれ流れ込んでいた。

 北方は山岳国家ラトナム。

 西方は砂漠の国アーヴィアン。

 そして東方の大森林を領土とするシーリアである。ちなみに南は海に面している。


 言語も文化も違う三国家だが、腐れ谷に流れ込むその川の事を、どの国でも同じように神河(こうが)と呼んだ。

 それは国境を越えて存在する組織が名をつけたからであり、その組織とは神聖教会であった。


 かつて腐れ谷と呼ばれる前に栄えていた古代王国。

 そこに現れた悪神を打ち倒した救世主だったが、土地が荒れ果て死属が跋扈する国は立て直せなかった。救世主を信奉した人々は故郷を離れてそれぞれの国を作ったが、宗教組織だけは横のつながりを絶やしたことがなく、国家を超えて同じ教義を守っている。


 しかし、あくまでも神聖教会は宗教組織であり、国家間の争いが無くなるわけではなかった。

 ユーゴが異世界にやってくる少し前から、まさに一つの戦争が起きていた。

 アーヴィアンとラトナムが神河を挟んで小競り合いを起こして領土を奪い合っていたのだ。


 神河は対岸が見えないほど巨大なため、それぞれの国に複数の港とその領主が存在している。領主の仕事は港の管理と、隙あらばいざこざを起こして相手の領地を奪いに行く切っ掛けをつくることだった。

 領主たちは見事に火種を大火に変じさせ、血で血を洗う戦争は多くの死体を生産した。むろん、両国の人間たちは彼らの死を生産などとは捉えていない。神聖教会の教義に従って死者を弔い、死を嘆いた。

 『闘いによって魂を強化した死者を、来世に向けて清めるために死体を神河に流す』という教義が、腐れ谷のレブナント達に利しているなどとは、知るはずもなかった。



◆◆◆◆◆



 夜明け時の神河は白い霧が立ち込める。

 対岸どころか数メートル先さえ見えなくなってしまうので、神河を挟んだ戦争では昼前から夕刻までが交戦時間になり、霧が晴れるまでは基本的に攻撃を控える事が多い。

 だが、そんな朝靄の中に今日は2つの人影があった。


 一つの影はじっと川辺に立ち尽くし、もう一つの影はぎぃぎぃと軋む音を立てながら、小舟を漕いでもう一方の影に近づいていった。

 陸に立っている方の人影は、全身をすっぽりとローブに隠している。ゆとりのある袖口から太く短い音叉を取り出すと、独特のリズムで打ち鳴らす。

 その音が合図だったのだろう。小舟を漕いでいた中年男性はひょこっと頭を下げると、声をひそめて笑った。


「どーも、お客さん。今日もお世話になりやす」

「どーも、黄泉渡しさん。今日も大量ですね」


 器用に声を殺して笑いあい、二人は胸に十字を切った。挨拶の際に胸に十字を切るのは神聖教会の礼儀である。無論彼らは信徒ではないのだが、カモフラージュというのは常日頃からやっておくことに意味があった。


 黄泉渡し、というのはもちろん男の名前ではなく職業の名前だ。

 職務内容は極めて明快。川に流された死体を回収すること。

 多少の死者なら神河が勝手に死体を運ぶが、戦争で大量に死者が出ると死体が詰まってひどいことになる。そういった死者を無事来世のために流すという宗教的に大事なお仕事だ。


「今週もアッチは戦争で盛り上がってら。忙しくてたまらんぜぇ?」


 黄泉渡しは舟を漕いでいたパドルで、布を被せられた荷物をぺしぺしと叩いた。

 舟に飛び乗ったエクセレンが、布をめくり上げて鼻孔をふくらませる。


「ん~。新鮮で良いお肉ですねぇ~」


 語尾に音符でも舞っているかのような楽しげな様子に、黄泉渡しはげんなりしながら片手を差し出す。

 商品の数を数えたエクセレンは、銀貨と数枚の金貨を詰めた袋を投げて渡した。


「今回も内職ご苦労さまです」

「なぁに、どうせ腐れ谷にたどり着くんだ、それを途中で引き渡すならこっちも助かりますけぇ」


 黄泉渡しの男が言っているのは本音だ。多少の金額を稼いではいるが、他意も意義も彼は知らない。

 しかしエクセレンは神聖教会の裏の教えを知っている。穢れを浄化するためという理屈が隠している真相は一つ。戦闘でコアが鍛えられている人間は死属として目覚めやすいため、土葬したくないのだ。

 町中にゾンビが現れるような自体は、確かに避けたい"事故"だろう。そんな内情を知っているのはネクロマンサーのエクセレンくらいのものだったが、裏を返せばゾンビを作るのに適した戦士の死体が豊富に手に入るということだった。


 黄泉渡しから死体を回収する、という手法はユーゴの発案だったが、エクセレンは一も二も無く飛びついた。彼女は戦争の続いている西方の神河に網を張って、何人かの黄泉渡しから素材を"融通"してもらっているのだった。


 ユーゴ達が砦を奪ってから既に3ヶ月。戦争の恩恵に預かって順調に戦力を強化していたユーゴ達だったが、今日はいつものやり取りに変化があった。

 金貨袋の中身を改めた黄泉渡しは、いくらかを抜き取ると残りをエクセレンにつき返したのだ。


「どうしたんですか?」

「わりぃが、今日でアンタとの付き合いは手切れにさせてもらいてぇ」

「……理由をお聞きしても?」


 黄泉渡しはエクセレンから視線を外して北に向き直った。

 今は霧で見えないが、日が昇ればそこには水平線まで広がる巨大な河が広がっている。

 その先にある"対岸"に向かって、黄泉渡しはボソボソとつぶやき始めた。


「向こう側の"渡し"から聞いた噂ですがね、どーも教会が死体の行き先を気にしてるそうなんでさ」


 エクセレンは黙って水面を見つめる。

 情報を誰かに話したのではなく呟いたという形式をとるのは、魔法を使った『真偽審判』に対して非常に有効なお作法だった。

 つまり、この情報は魔法を使って審判を下す(犯人探しをする)部隊が関わっているということだ。


「割のいいバイトは惜しいけど、そろそろこっち側もきな臭くなってきたナァ」


 それでも、彼が呟いたという記憶は彼に残ってしまう。ひとしきりぼやいた黄泉渡しに、エクセレンは再び金貨袋を突っ返した。どうせ腐れ谷を探索しに来た冒険者の落としていったものだ。気前よく振舞っても損にはならない。


「それじゃ、そろそろ私は帰りますねー。おたっしゃで~」


 黄泉渡しを替えの舟に乗り移らせると、エクセレンは死体を積んだ舟に乗って下流へと進んでいく。

 道中で護衛にきていたリィンを回収して死体に冷却魔法をかけさせつつ、エクセレンはフードをより深く被ってため息を付いた。


「どうされたのですか、エクセレン」


 最近は少しだけ態度の柔らかくなったリィンだったが、口調だけは頑なに丁寧語のままだ。

 そんな彼女の様子をフードの端から覗きつつ、エクセレンは手元の金貨をこね回しながら推測を語った。


「教会が私達の動きに気づいてるみたい。といっても、一部だけっぽいけど」

「と、言いますと?」


 わかっていてとぼけているのだろうか。

 正直に知っていることを話すように命令を下して、エクセレンは話を続ける。


「死体を買い集めてたから、黄泉渡しの人達がいつもよりたくさん働いてたんだろうね。ラトナムで死体の行方を気にしてるんだってさ。でも、アーヴィアンではその動きはまだ起きてない。

 敵を逃さず周到に追い詰めるのは教会のお家芸だから、教会全体で話は通ってないと思うんだよ」


 リィンが少しだけムッとしてから、失礼、と頭を下げた。

 生前は教会の戦士だったのだ。ここで反感を覚えないほうが不自然だろう。

 だが、それ以上の反応は返ってこない。彼女は本当に何も知らないのだろうか。エクセレンに判断は下せないが、彼女の様子をユーゴに報告することは出来る。


「ラトナム固有の戦力で、それほど強力な特権を持つ部隊って言ったら粛清隊だけかな?」

「その通りです。とはいえ、粛清隊にも細かい部隊はありますが」

「少なくとも、改めて粛清隊の対策が必要なら敵の情報がほしいんだけど、誰が来ると思う?」

「……そうですね。自分でいうのもなんですが、私は粛清隊の中でもかなり期待されていました。その私が任務を達成できなかったのですから、おそらく」


 エクセレンの命令のせいだろう。普段はめったに口に出さない自賛を言わされたリィンは、眉を潜める。

 だが、エクセレンはリィンの微妙な心の機微には気づかなかった。

 その後に続いた情報のほうが、よほど重要で重大だったからだ。


「おそらく、次はあの方が出てこられるでしょう。"黒い霧"のクラウド様が、直接手をお下しになるはずです」

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