小さくとも、確かな歩みを
片足を砕かれたオーガ・キュイラスがバランスを崩して倒れ込む。
通路に血飛沫が舞い上がる中、サラを回収したユーゴが仲間の元へと辿り着く。
どうだと誇る彼に向かって飛び出したのは賞賛の声。
ではなく、不可解な現象への怒りだった。
「そんな馬鹿な」
「あり得ないよ!」
驚愕と興奮で軽く錯乱していた彼女たちの瞳に迎えられて少しだけ怯んだユーゴだったが、気を引き締め直すとサラを慎重に床に横たえて、剣の先を彼女たちに見せた。
そこには、鈍い鉄色の他に、赤い汚れが付着していた。
「これは……錆?」
「その通り。そして、あの鎧の破片でもある」
これは、ユーゴが魔法を行使したあとに鎧を切りつけた時に付着したものだった。
彼は鎧の強度が下がっていることを確認してから、撤退に移っていたのだ。
「では貴方が発動した魔法は、あの鎧を錆びつかせるものだったのですか?」
納得できないという心の声が聞こえるようなリィンの不満に、ユーゴは苦笑いを返すしかない。
彼女の理論は、鎧が魔法を防ぐという一点で論破されてしまう。
鎧の能力をどうやって突破したのか、という質問の意図に、ユーゴは少しだけ隠し事をしながら答えた。
「血は金属を錆びさせる。それをプラーナで促進したんだよ」
「そうか!血への魔法なら、鎧は防げない?」
「もちろん、短い時間だけの話だけどね。鎧の近くで発動している以上、すぐに打ち消されてしまうけど、鎧を脆くするには十分だったろ?」
結果が全てだ、という物言いで彼女たちを納得させると、ユーゴは槍を拾い上げて彼女たちに手渡した。
「足は破壊したけど、上半身だけで近寄ってくるかもしれない。とりあえず、話はアレを破壊してからにしようぜ」
頷いてソニック・バレットを連発し始めた彼女たちの背後で、ユーゴは大きく息を吐きだして肩の力を抜いた。
彼の使った魔法の正体は、血液の効果を促進するようなものではない。というか、金属を錆びさせるのは血液の引き起こす現象だが血液の効果ではない。
分子間の結合をプラーナで断ち切り、強制的に化学反応を発生させる。
それが彼の使った魔法の正体だった。
錆は金属が酸化することで変化したもの。そして血中に酸化を促す分子が存在することもまた事実である。
無論、この世界にはそこまでの科学知識は存在しないが、血を拭わなかった剣が錆びて使い物にならなくなることは、冒険者である彼女たちには常識だ。
ユーゴの魔法が自分たちの常識の内にあると錯覚すれば、余計な説明は必要ない。あとは彼女たちが勝手に誤解して納得してくれるだろう、とユーゴは結論を出して、床に座った。
(……あ。後で魔法を教えてくれって言われたら、どうしよう)
なんとか綺麗に隠し抜けないかと悩み始めたユーゴの意識の外で、表も裏も錆び尽くしたリビング・アーマーは無惨に砲撃で解体されていた。
◆◆◆◆◆
戦闘は、彼女たちが鎧を解体した時点で終了していた。
砦の中では未だに動き続けている武器たちがゾンビを攻撃していたが、それもすぐに終わりを告げる。
汗だくになりながらエクセレンが放った最後の槍が、リビング・アーマーを鎧たらしめている形状を完膚なきまでに破壊した瞬間、そのコアは活力を失って四散した。
数百年前に作られ、未だ動き続けていた魔法の鎧が溜め込んだ大量のプラーナが、開放される。
レブナント達の視界は、まるで津波のように押し寄せるプラーナによって青々しい春の山のように緑で染め上げられていた。
窒息してしまいそうなプラーナの波に飲み込まれながら、"呼吸"を意識してプラーナを大量に取り込む。
心臓の位置にある己のプラーナ・コアを意識して二度三度と深呼吸を繰り返すと、その内にリィンとマリベルの体に異変が起こった。
コアの中心で小さく、しかし確かに彼女たちの肉体が脈打ち始めたのだ。
「あ……」
「おめでとう、二人共」
いつの間にか意識を取り戻していたサラが、珍しく笑顔で二人に祝福を贈った。
今はまだ肉体が死んでいるが、これから徐々に彼女たちのコアは肉体を再生していくだろう。
数ヶ月前に自分が味わった感動を思い出せば、普段は決して表情を和らげないサラが柔和な笑みを浮かべているのも当然のことだった。
砦の隅々までプラーナが行き届き、飢えたゾンビ達が歓喜のうめき声を上げる。
喰らい、飲んで、吸い尽くす。
そんな喜びの意志が満ちる中で、ゆっくりと立ち上がったユーゴは、砦の内側を見下ろす位置で高く右手を上げた。
「プラーナを集めてる……?」
プラーナの流れを変える技術を持ったエクセレンが、真っ先にユーゴの行動に気づいた。
ゾンビ達が扱いきれずに宙に漂っているプラーナを、霧散する前に掻き集めているのだ。
大量のプラーナを自らに取り込んだユーゴは、なんとか上半身を起こして壁によりかかっているサラの前で膝をつく。
「サラのおかげだ」
「どういたしまして」
お互いに表情を少しだけ緩めて、ユーゴは彼女の左胸に手のひらを押し当てた。
「んっ」
「すぐに済む。我慢して」
コアへ無理やり押しこまれるプラーナに声を殺したサラを気遣って、ユーゴは流し込むプラーナの勢いを緩めた。結果として、サラの胸に長時間手を押し当てていたことについて詰問されることになるのだが、肝心のサラは文句ひとつ言わずにそれを受け入れていた。
流れ込むプラーナから、ユーゴの想いを感じていたからだ。
分かる。
流れこむプラーナは、ただかき集めたものだけではない。
プラーナは命の元だ。
魂そのものであるコアと同質の存在だ。
だから、伝わる。分かってしまう。
プラーナを通じてユーゴの暖かさを感じながら、自分の想いは知られていないといいな、と願ってサラは再び意識を手放した。
◆◆◆◆◆
戦後の処理は粛々と進んだ。
砦の中で最大のプラーナ所持者になったユーゴに、物質属の生物達はただただ服従した。とはいえ、ほとんどはゾンビにプラーナを吸い尽くされて元通りに物言わぬ武器に戻っていたけれど。
損耗した戦力は非常に多く、砦に残っていた物質属だけでは補填が効かないほどだった。
手駒の数は確実に減少していて、これからは再び力を蓄えなければならないだろう。
それでもこの日、ユーゴ達は腐れ谷と呼ばれる死者の領域で、領土を得たのだった。