切札
「リィン、マリベル。さっきの水を槍にまとわせた奴だけど、水以外を操ることは出来るか?」
「液体であれば可能ですが、魔法の効果はさほど変わりませんよ」
否定的な意見を口にしたのはリィンだ。
武器に硬化させた水を纏わせて威力をあげることが出来る先程の魔法は、確かに水以外の液体も同様に操れる。
しかし液体の硬度は魔法で上げているため、液体の正体は影響しないことが様々な経験から立証されていることをリィンは訥々と説明した。
ユーゴはそれを聞いて興味深そうな表情を見せたが、それは置いといて、と謎のジェスチャーをしてから床を指差した。
「硬度は気にしなくていいから、これを大量に集めて槍を覆える?」
指で示したのは床ではなく、そこに転がる死体達。
そしてそこから流れ出る腐った血液だ。
「……数分頂けるのであれば」
「マリベルは?」
「だ、大丈夫。たぶん」
二人は訝しみながらも、協力して一つの魔法を組み立て始めた。命令に従ってくれていることを確認して、ユーゴはエクセレンに向き直った。
「エクセレンは、この砦中にいるゾンビをここに集めて欲しい」
「損耗がヒドイことにならない?」
せっかく増やしたゾンビを失うことに、一番思うところがあるのは彼女だろう。
しかし、ゾンビを人間の兵士のように換算することは出来ない。
なにせゾンビは成長しないのだ。ゾンビからレブナントに進化しても赤子が一人生まれるだけ。
エクセレンさえいれば人間を蘇生することができるのだからゾンビを消費して勝てるのならば使ってしまえというのがユーゴの考えだ。
「リスクとリターンを考えたら、今回は利益が出ると思う」
「指揮官がそういうなら。10分ちょうだい」
「よろしく頼む」
作戦の詳細を話していないことを訝しんだエクセレンだったが、今は準備の時間が惜しかった。囮のゾンビも貴重な戦力なのだから、味方が損耗しきる前にユーゴの作戦を発動させなければならない。
ユーゴはエクセレンの肩をポンと軽く叩くと、オーガキュイラスの動きを見切るためにじっと観察を始める。
それぞれが役割を与えられて、最後に残ったサラが彼の横に立った。彼女は無言でユーゴと一緒にオーガキュイラスを見つめる。
ゾンビを薙ぎ払い、踏み潰すオーガキュイラスの動きを観察し、とにかく鎧の動きのパターンを洗い出していく。
サラもその意図に気づいているのだろう。ユーゴの操作を補助するようにゾンビの生け垣を念話で維持して、一匹ずつゾンビが向かっていくように念を送り続けていた。
準備が刻一刻と進んでいき、あとは完成の報告をするだけという段になって、ユーゴはサラへと向き直った。
数瞬のためらいが過ぎていき、ユーゴは覚悟を決めるとサラへの指示を告げた。
「サラ、悪いが俺が接近するための囮になってくれ」
「えぇ、良いわよ」
「……良いの?」
思わず口調が緩んだユーゴの脇腹に角度のキマったボディブローを叩き込みながら、恋人達が抱き合うように体を寄せて、サラが小さな声で囁く。
「エクセレンの言うとおり、アナタは指揮官なのよ。ゾンビと同じようにレブナントを扱えなくてどうするの?」
「だけど、お前は」
「レブナントという駒に過ぎないわ」
ユーゴの反論を先に塞ぐと、サラは一歩下がって距離を開けた。
彼女を犠牲にしたくない言い訳ならいくらでも思い当たる。けれど、それを言うことは彼女自身が許してくれないだろう。
そう判断したユーゴは黙って頷き、パーティーを前に宣言した。
「やるぞ、作戦開始だ。あの鎧を粉々に砕いてやろうぜ」
◆◆◆◆◆
エクセレンの死霊術とレブナントの念で、砦に攻め込んでいたほとんどのゾンビが外郭上に集まっていた。
作戦は既に全員に伝わっている。ただし、肝心な最後のツメについては、『ユーゴが自ら鎧を無効化する』という曖昧な説明しかされていない。
新参のリィンやマリベルの表情は当然明るくない。
しかし、彼女らはサラと違って囮になる指示など受けていない。エクセレンが強制的に彼女たちを操作すれば、肉壁にされてしまうのだろうが、今の時点では後方で魔法を使うという命令しか受けていなかった。
死霊術で蘇生された彼女たちは、エクセレンに命令を受ければそれがどんなに理不尽でも従わざるを得ないのだから、結果がどうなるにせよ彼女達には己の仕事を完遂する以外に、考えるべきことはなかった。
ゆえに彼らに不安はあっても焦りはなく、準備は万全だった。
ユーゴは全員の視線が集まる中で、ついに号令を切った。
「エクセレン」
「はーい。ゾンビ、突撃させまーす」
短く声をかけると、エクセレンが死霊術でゾンビ達を誘導させる。
ただでさえオーガキュイラスは強烈なプラーナをまき散らしているのだ、ゾンビ達は猛然と鎧へ群がっていった。
結果は語るまでもない。ゾウに踏み散らされるアリの様にゾンビ達が千切られては潰れ、潰されては切り裂かれる。
死体の山が出来上がり、血の海ができる。ゾンビ達の襲撃が緩んだ瞬間を見計らって、ユーゴは次の指示を飛ばす。
「リィン、マリベル」
「了解しました」
「こっちから合わせるから好きにやっちゃって、リィン」
床に突き立てた槍に、二人が魔法を唱和していく。
二重に掛けられたウォーター・アーマーの魔法が、広範囲の血をズズズと吸い上げる。
あっという間に赤黒い巨大な一本の砲弾が出来上がった。
よほど集中して魔法を操っているのだろう、リィンとマリベルの額にはじわりと汗が滲んでいた。
これ以上は限界だろう、という見切りをつけて、ユーゴは己の剣を抜いた。
「俺達がヤツまで半分の位置に辿り着いたら、それをあいつの顔めがけてぶっ放せ」
「……無駄だと思うけど」
最後の忠告だと憎まれ口を叩くマリベルだったが、ユーゴはあえて無視して走り始める。
うしろで「もうっ!」と憤慨する声が聞こえて苦笑が漏れる。
リラックスして余計な力の抜けたユーゴとサラが通路を疾走し始める。
一歩先行くのはサラだ。どこから持ち出したのか円形の小型盾を持ってユーゴの前を走っている。
「右から行くわ」
さっきまでの観察の結果からそう言っているのだということは当然わかる。
どの攻撃モーションを狙っているのか、ということも。
キュイラスが左手をグッと握り込んだのが見える。あれを地面スレスレに走らせ、捻り上げるようにして全てをなぎ払うのだ。
それは最も隙が大きい代わりに、もっとも苛烈な攻撃だった。
「死ぬなよ」
「約束できないけど、アナタは絶対にアレを倒しなさい」
自分だけ言い切って、サラは更に一段階加速した。
オーガ・キュイラスへの距離が半分を切ったのだ。
後方で魔法が詠唱され、三つの声が揃って「ソニック・バレット」を発動させた。
巨大な血の槍は風を切り裂く轟音を立てながら、圧倒的な速度でユーゴ達を追い越す。
当たれ!と誰かが叫んだが、今回は鎧に接触するかなり手前でウォーター・アーマーが解除されてしまう。
魔法を強力に練り上げすぎた結果、より遠くでも魔法の存在を感知出来てしまったのだ。
大量の血が空中から降り注ぎ、オーガ・キュイラスを赤色に染め上げるだけではなく、サラとユーゴの視界も塞いでいた。
だが、オーガ・キュイラスは目で敵を認識していない。
「サラさん!」
マリベルの悲鳴のような声に反応して、サラは横に飛びながら盾に身を寄せた。瞬間、まばたき程の時間で振り抜かれた拳が、サラを空中に弾き飛ばしていた。レブナント達の視線がサラに集まる。サラは砦から落ちないように空中で腕を広げて姿勢を制御する。通路に落ちてきたサラはそのままぐしゃりと座り込み、小さくつぶやいた。
「ゆ、ぅ」
盾を持っていた腕にプラーナが通らない。衝撃で背骨も破損しているようだ。
彼の短い名前を呼ぶことも出来ず、サラの意識は途切れた。
だが、レブナントの誰一人聞き取れなかったその声が、彼には届いていた。
「任せろ」
レブナント達がサラから意識を引き剥がしたその時、ユーゴは血の幕の内側に姿を消していた。
◆◆◆◆◆
頭上から大量の血液が降り注ぐ。視界は悪いが、オーガ・キュイラスの影が分かれば十分だった。
一瞬だけ振り返り、味方から見えない死角に入った事を確認すると、彼は手を伸ばした。
鎧ではない。血液の滝に手を差し伸べ、頭の中にイメージを描いた。
無数の色違いの球。
結びつき、離れていく、球の間に浮かぶ線を、プラーナを通して探していく。
意識を沈め、より深く、より細く、プラーナを伸ばしたその先で。
ユーゴは"分子"の結びつきを断った。
◆◆◆◆◆
後方で二人の突撃を見守っていた魔法使いたちは、強力なプラーナの波動を……つまり、魔法の発動を感じ取った。
鎧を伝う大量の血の滝をかい潜って、ユーゴが姿を現す。三人がそれぞれに彼に意識を向けると、確かに何らかの魔法を発動し続けていた。
だが、その魔法を彼女たちは読み取ることが出来ない。プラーナを操作していることは分かる。だがユーゴの手の先にはただ血液があるだけだ。
ユーゴが何をしたのか分からないまま見つめていたレブナント達を、ユーゴの強力な念話が動かした。
『追撃しろ!!』
まるで強い音に叩かれたような衝撃に一瞬身を竦めたが、事前の取り決め通り彼女たちは再びソニック・バレットを発動させた。
三本の槍が風に包まれて宙に浮く。
「右足を!」
「了解!」
三者三様に唱和して、幾度目かの弾丸が撃ちだされた。
ユーゴがサラを回収して、逃げるだけの隙を作り出したい。限界まで精力が込められた弾丸を祈りながら見送った彼女たちは、信じられない光景を目撃する。
鉄壁を誇ったオーガ・キュイラスを、彼女たちの矢が打ち貫いていた。