レブナントの生き方
ユーゴが知性ある死者レブナントとして活動を始めてから、あっという間に十日が過ぎた。
冒険者は本当に毎日やってくるので食事には困らない。しかし相手はスーパーにならんだ精肉ではなく攻撃してくる敵だ。食うためには戦わなければならないサバイバル生活は中々に辛い。毎日が戦いの連続で、年中休まずに冒険をさせていたゲームのキャラクターに謝りたくなるくらいだ。
ユーゴはサラから剣術の基礎を学びつつ、ゾンビを使った物量作戦で毎日必死に生き延びていた。
異世界転生。しかもゾンビに生まれ変わって人間を食べるというのは冷静に考えれば難易度が高すぎる状況だったが、ゾンビであったときの無意識の記憶は、非常に役立っていた。人を斬ったり食ったりすることに全く躊躇が生まれなかったのだ。
最初のうちは「いやいや、元人間として嫌悪感を覚えないといけないでしょ」と思っていたユーゴだったが、抵抗がないどころか生きた人間の血肉が本当においしいものだから、三日目には吹っ切れてしまった。
不味かったのは皮とか毛だけで、中身の肉はかなり美味かった。生前に人間の肉を食ったことがないので、これがゾンビ独特な捉え方なのか確認する方法は無かったが、マズイ肉を食って生き延びるよりはマシだと割り切ってからは、それについて考えることはなかった。
しかし生存競争に挑むにあたって彼のモチベーションを一番高めたのは、食事でも生存本能でもなかった。それは、この世界が異世界だということに尽きる。
本物のゾンビ。
ギラつく武器と火や氷の魔法。
サラの教えてくれる世界の知識。
その全てが前世で夢見ていた世界そのものだったのだ。
ユーゴはゾンビになっておいて「信じられない!」と言うつもりもなければ、死体の分際で「元の世界に戻らなきゃ!」と言うつもりもなかった。
家族には申し訳ない思いをさせているだろう。悔いはある。だが、水面に映る自分の顔は生前のものとは全く別だった。黒髪黒目というだけで別人の死体がいきなり玄関先にやってきたところで、喜ぶ人はいないだろう。
前世の自分の肉体は、きっと壊れた携帯電話と同じようになっているはずだった。自分の轢死体について深く考えるのは不毛だったのですぐに止めた。
何よりも、自分は今、生きているのだから。
死の瞬間の記憶はしっかり残っていた。
あっけない事故死の瞬間、死を受け入れてしまうくらいにあっけなく自分の中身が空っぽになった"諦め"。その穴を埋めた今の生命に満足できないはずがない。
だから今日も、彼は生きるために眠りから覚め、戦いへと赴くのだった。
◆◆◆
『ユーゴ、西の教会跡で野営した冒険者達が向かってきてる』
『了解。こっちは赤い屋根の通りで足止めする』
ユーゴとサラの"狩り"は、テレパシーで冒険者の位置を把握しながら、配下のゾンビ達で待ち伏せを仕掛けるのが定石になっていた。
話は逸れるが、ゾンビやレブナントを含めた一度死んだのに動き続ける"生物"のことを、この世界では"死属"と呼ぶらしい。
前世のゲームでよく見た"不死属"という名称もあるらしいが、そちらは生まれながらに寿命のない生き物を指すらしく、ゾンビは該当しないそうだ。
ちなみに親から生まれて生きている生物は"生属"と呼ばれているらしい。
大事なのは、死属が動くエネルギーも、生属が体の中で生んでいるエネルギーも、テレパシーとして伝わっているエネルギーも、全て"プラーナ"と呼ばれるこの世界のエネルギーが元になっているということだった。
死属は肉体の生体反応ではなく、他者から吸い取ったプラーナで生体反応を無理やり発生させて体を動かし、生属は体内で発生したプラーナでそれを行っている。
そしてどちらも体にプラーナが通っている以上、テレパシーを伝えることが可能だった。
そこら中に蠢くゾンビや、空を飛ぶ小さな鳥、ゾンビの食い残しに群がるネズミ達にテレパシーを送る。
もちろんネズミには言葉が通じないので、『こっちに獲物が居る』という認識程度しか伝えることが出来ないが、知能の低い彼らは頭の中に入ってきたイメージを自分の思考と勘違いして誘導したとおりに行動してくれる。
手足のように動く軍隊というよりは、ある程度不自由なコマンドを使って方向性を指示するタイプのシミュレーションゲームに近い。
幸いだったのは、ユーゴが前世でこの手のゲームを腐るほどやり込んでいた、ということだ。
まさか腐ってからも同じことをするとは、当然当時は考えもしなかったが。
『大通り、獲物』
的確な命令を与えて、細い通路や壊れた家の隙間を誘導し、待機させていたゾンビ達を一斉に飛び出させる。
今日の冒険者達は4人組。
斧を持った重戦士と、剣と盾を持った軽戦士の男二人が前衛。
十字の意匠が入った服を着た僧侶が一人と、杖をもった魔法使いの女二人が後衛に控えている。
某対策RPG的に考えてもバランスの取れた編成だが、世の中都合よくバランスの良いメンバーが集まってパーティーを組めるわけではないらしい。ここまで揃った冒険者は始めてだった。
彼らがどのように行動するのか。ユーゴは屋根の上に隠れながら観察しつつ、ゾンビ達を彼らの目の前に飛び出させた。
「出やがったな、ゾンビ共。マリベル!」
「分かってる。『火矢』ね!」
「援護に回るわ」
「んじゃ、俺は壁になるかね」
冒険者四人組のコンビネーションはスムーズだった。
先頭を歩いていた軽戦士がリーダーなのだろう。魔法使いのマリベルとやらに指示を出すと、それに合わせて僧侶と重戦士が即座に動いた。
男二人が前方から襲い来るゾンビを足止めしつつ、魔法使いの詠唱を僧侶が援護する。
全員が自分の役割を認識して、声よりも早くポジションを決めて戦い始めた練度の高さに、慣れを感じたユーゴはどうにかそれを崩せないか考える。
これまでの冒険者達はトリックなんて使う必要もなく、四方からゾンビを送り出せばパニックに陥って全滅していった。だが彼らはそんな単純な戦術(とも呼べないただの力押し)で倒せる敵ではなさそうだった。
敵も腐れ谷に踏み込んで既に二日目、前日の成功体験もあって、彼らの連携には一糸の乱れもない。
だからこそ、ユーゴはそこにつけ込んだ。
(さて、まだ柔軟性は残ってるかな?)
ユーゴは彼らの後方の家に潜ませていたゾンビ達に、「エサ」の合図を出した。
我慢していた空腹の苦しみを呻き声として吐き出しながら、ゾンビ達がドアを押し破って街路にわらわらと溢れ出す。
「後ろから!?」
「ノエル、10秒耐えてくれ!」
状況判断の素早い軽戦士が、踵を返して後方に下がる。
前方のゾンビは既に半減させていて重戦士だけで十分。後ろから現れたゾンビの方が数も多く、詠唱が始まっている魔法使いは動くことが出来ない。
素早く、的確な判断だ。
そして彼の仲間もまた、よくそれに応えた。
重戦士はゾンビの数を減らすのではなく、足止めを中心とした防御の構えで耐え忍ぶ。
僧侶がリーダーの指示通り、聖なる神の力を呼び出す神聖魔法で周囲のゾンビを"浄化"した。
10秒をしっかりと稼いで、軽戦士がゾンビの駆逐を始め、魔法使いは更に集中して魔法の詠唱を続ける。
彼らは耐えた、と確信しただろうか。
少なくともユーゴは「耐えられた」と感じた。
だからその瞬間に、ユーゴは最後の切り札"達"を切った。
「ジュ、ジュノー!たすけてくれ!」
今さっき数を減らして離れた前方に後方に現れた倍以上を数えるゾンビが現れていた。
これで再び戦力バランスは前方が増した。だが危険度と、重要度はどちらが上か。
「こっちは大丈夫だから、ドズルを助けて!」
詠唱をしていたはずの魔法使いが、杖の先に発生させた熱源を留めたまま、軽戦士のジュノーに呼びかけた。
頷いたジュノーは重戦士のドズルを助けに向かい、ユーゴは慌ててサラに念話を送った。
『サラ、着いてるか?』
『えぇ、反対側の屋根の上』
『じゃあ、さっきの溜めは見た?』
ユーゴはサラに習って、初歩的な魔法にも手を出し始めている。サラ本人は魔法を扱えないが、知識だけはあるそうだ。
ともあれ、魔法のいろはを習っていく中でいくつかの常識を学んだわけだが、詠唱を必要とするタイプの魔法は、当然詠唱が途切れれば失敗するのが自然だというのがユーゴの認識だった。
だが、あの魔法使いは明らかに魔法を留めておいて、詠唱を再開しようとしている。
『発動途中の魔法を保留させられるのは、かなりセンスが良い魔法使いでないと出来ないわ。おそらくあのパーティーの中で最も熟してるのは』
『オッケー。じゃあ崩すのも、頂くのも』
『彼女ね』
ユーゴの腐り落ちた頬肉がニヤリと吊り上がった。
魔法使いを分断するように一瞬で手順を構築し、頭のなかでパズルが組み上がる。
第一手は、彼女が炎の魔法を完成させる直前に放たれた。
前後左右のいたるところから、キィキィと泣きわめくネズミが現れたのだ。
「このっ」
「ダメだ、マリベル!」
構築途中の魔法を保留できる魔法使いでも、発動してしまった魔法をとめる事は出来ない。
しかもユーゴの想定外ではあったが、魔法を発動させてから発射するまでには、狙いをつける"間"があった。
金切声を上げる大量のネズミがぞぞぞと大挙してくる光景は恐怖以外の何物でもない。
まして己の手の中には恐怖を払える炎があるのだ。
マリベルは無意識で照準をネズミに変えてしまう。
「飲み込めっ!」
彼女の杖先から放たれた炎の蛇が、地を覆うネズミを食らってうねる。
しかし、地面を覆い隠すほどのネズミに対して十分な魔法ではなかった。数匹のゾンビ目掛けて使う予定だったのだから、適していないのは当然だ。
本来焼き払われるはずだったゾンビに対応しようと僧侶が詠唱を始めるが、その喉元を一本の矢が縫い止めた。
ユーゴが指示を出すより早く、サラが手に持った弓で仕留めたのだ。
肝心の後衛が崩れてしまっては、戦局は既に詰んだと言えるだろう。
重戦士は鎧の隙間からネズミに入られ、食い破られた。
軽戦士はゾンビを捌ききれず、包囲されて押しつぶされた。
そして最後に残ったマリベルという女魔法使いが、誰から助けるべきか分からず息を呑んだその時、背後にどさっと何かが落ちる音がした。
振り返ったそこに居たのは死体だ。だがゾンビではない。死体の右手にある剣はしっかりと握りしめられていた。
『寄るな』
剣を軽く振るうと、念話で誘導された周囲のゾンビとネズミ達が剣先の向く方角へと移動していった。
ユーゴからすれば自分たちの食料を取られないための措置だったのだが、マリベルからすれば強力な黒幕の登場シーンである。
頭が真っ白になって硬直した彼女だったが、謎のゾンビと目があった瞬間、彼女は無意識のうちに最短の呪文を選択した。
「くっ、"ファイア・"」
「ごめんね」
火矢の詠唱を始めていたマリベルだったが、どもってしまった一呼吸が命取りだった。
今まで戦ってきたゾンビとはまるで違う俊敏な動きで、ゾンビは大きく一歩を踏み込み、下から剣を突き上げた。
喉を刃が貫き、温かい血液が泉のように吹き出す。顔にかかったそれを舐める嬉しそうな顔が、マリベルが生前目にした最後の光景だった。
ディナータイムは厳かに進んだ。
体内にプラーナを循環させるのは血液だ。血だけを摂取する方法があれば、ゾンビのように噛み付いて肉を食らう必要はない。
サラと二人で魔法使いの血を飲み干し、体内に彼女のプラーナを取り込む。レブナントの体は穴だらけなので血は抜け落ちていくが、食い残しはネズミ達が啜るだろう。
こぼれ落ちる最後の一滴を舌で掬いあげると、ユーゴはサラにお疲れ、と声をかけた。
「この子、どうする?」
「そうね、このまま埋めておきましょう。この子がもしゾンビやレブナントになってくれたら、きっと強力な素体になるわ」
「そんじゃ、とりあえず基地に運び込みますか」
ユーゴは剣についた血を拭って腰の鞘にしまうと、サラと協力してマリベルの遺体をかついで運んだ。
二人が隠れ家にしている家は、通りからは入れないように表の入り口を潰し、裏手にある民家の中庭を通じないと入れないようにしてあった。冒険者よりも、プラーナに貪欲なゾンビが入ってこないための措置だ。
その地下室に遺体を持ちこみ、木製の棺桶にしまって蓋をする。この地下室は地中のプラーナが漏れ出しているので、プラーナが肉体にとどまれば、彼女はゾンビとして再び動き出すことになるだろう。
その時、その死体がマリベルとして存在できているかは別の話だが……。
◆◆◆◆◆
こうして日々、力を蓄えながら、ユーゴ達は生存競争を続けていた。
順風満帆な滑り出し。好調な日々。
だがそれは、冒険者達にとっては真逆の日々だった。
初心者の修練場として適度に使われていた、腐れ谷の入り口である北西都市部。
そこにゾンビが大量発生し、冒険者達の被害が増加。当の冒険者達も好んで死地に向かうはずがない。冒険者が依頼を忌避した結果、ゾンビは更に増え、数少ない冒険者はユーゴ達の毒牙にかかり、犠牲は増すばかり。
腐れ谷に脅威が訪れたのは、異世界生活が一月は過ぎた頃だった