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ゾンビ・トリップ

 あ、これは死んだな。


 偶然が重なりあった結果だった。カバーを変えたばかりの携帯を滑り落とし、前かがみになったところで後ろからぶつかられ、通過していく通勤快特に頭からつっこみながら、雄吾は悠長に死を受け入れた。

 意識が途切れる一瞬、視界に映ったのは粉々に砕ける携帯の姿。


 あぁ、俺の頭もこんな風に砕けるんだろうか。

 結果を確かめることなど出来るわけもなく、視界はブラックアウトした。


 そして。



◆◆◆



 意識を取り戻した時、彼の視界はまるで深い眠りから目覚めた時のように朦朧としていた。瞳に映っている白い何かはぼんやりと霞んでいて、よくよく目を凝らしてみれば、毛が生えている。

 それが肌だと分かると、一点に集中していた視界が開け、自分がだれかのうなじに顔をうずめているのだと分かった。


(なんだ、これ)


 冷えきった体の中に、何かが染み渡っていく。

 それは意識であり、記憶であり、感覚であり、生命。

 自分の状態も、周りの状況もわからない彼だったが、冷たい体の中に染み込んでくる暖かさが、手放してはいけない物だということは分かった。


「やめろっ、この糞ゾンビどもがああああ!!」


 次に蘇ったのは聴覚だ。

 女の叫び声が耳から頭の中に飛び込んで、映像だけだった無音映画のような世界に音が戻る。

 悲鳴と怒声と呻き声。何かを叩く音と金属がガシャガシャと擦れ合う激しい戦闘音。

 それらを理解し、彼はようやく、思い出した。


 彼女らが襲撃者だ。

 何を襲っているのか?

 もちろん(ゾンビ)達を、だ。


 大きな十字架が描かれた服を着ている女を数人で地面に押し倒し、我先にと全員が肌に歯を立てている。

 自分が咥えこんでいるのはその中でも最も"温かいモノ"が喰える首もとだ。

 今の彼がすべきことは一つしかなかった。


「オ」


 顎に力を入れる。

 噛み砕くわけではない。口全体で首をはさみこみ、離さないためだ。


「ォオ」


 ぐらぐらと揺れる前歯に意識を集中して、スジを探す。

 強張っている場所、そして力の入らない場所。

 歯が折れないように、ゆっくりと力を込めていく。

 あと一歩、この一線を超えれば突き抜ける。その感触は食われる方にも伝わった。


「やめっ、ゆるし」

「ッッ!」


 怒りが恐怖に負けて死を認識した瞬間、彼は彼女を喰い破った。

 そこから先は無心だった。

 邪魔な肌や毛をよりわけて、舌で血をこそぎ掬い、肉を噛み切る。

 腕を食らい、足も食らう。

 抵抗が無くなった胴体の腹筋を食い破り、内臓を内容物もろとも啜り上げる。


 全てが亡者どもに食い散らかされた。彼女を含んだ4名の全てを食いつくすと、周囲のゾンビ達はぞろぞろと退散していった。寝床へと帰っていくのだ。

 行き先は墓の中や、建物の影、土の中、様々である。

 ただ本能で自分が居たい場所に帰り、美味そうな生者が来れば群がって食事をする。


 そう、それが(ゾンビ)達の在り方の全てだった。

 ただそういう存在として、彼らは動いている。

 ゾンビ達に知性など存在しない。

 それはついさっきまでの自分が"そう"だったのだから、それは確かだ。


 だが、それならばなぜ。今の自分は意識を取り戻すことが出来ているのか。

 真新しい死体のそばで立ち尽くす彼の疑問に、応える声があった。


「おめでとう。戻りし者(レブナント)君」


 それは女の声だった。

 ゆっくりと振り向いた彼の視界には、紛れも無いゾンビが腕を組んで立っていた。

 肉は腐り、血が抜けた肌は青白く、青の髪はほとんどが抜け落ちている。右目は抜け落ちてぽっかりと穴が空き、その中を住処にしていた蛆虫をサッと指で掬うと、口に含んで彼女は微笑んだ。


「意識はあるようだけど……記憶は、どうかしら?」

「……おれ、の名は、ゆう、ご」

「名前を覚えているの……?」


 彼女は眉をひそめて訝しんたが、その理由は彼には分からない。


「とりあえず、ユーゴね。でもあまり無理して喋らなくてもいいわ。つい数分前までアナタは呻き声しかあげられないゾンビだったんだもの。プラーナが満ちればある程度の形を維持しようと肉体は形を取り戻すけど、声帯はまだ治っていないはずよ」


 そう言われても、ユーゴにだって聞きたいことはたくさんあった。

 なんとかして声を出そうとしていると、女ゾンビは頭をトントンと叩いた。


『私達レブナントはテレパシーが使えるわ。それで話しましょう』

『……なるほど。じゃあまずは、君の名前を教えてもらえないか?』

『私の名前はサラ。同じレブナント同士、仲良くしましょ?』

『そう、まずはそれだ。レブナントって何のことだ?』


 先程から耳に入ってくるサラの言葉は日本語でも英語でもない言語だった。だというのに、日本語として言葉を認識できていることに、ユーゴは気付いていた。

 この腐っている耳が役に立っているとは思えない。恐らくゾンビであること自体の翻訳能力か何かなのだろうが、知らない言葉の意味はさすがに翻訳できないらしい。


 レブナント。間違いなく日本語ではない。ゲームか何かで聞いた覚えはあるけれど、意味はさっぱりだ。

 近くの墓石に腰掛けたサラは、興味津々といった様子を隠さずにユーゴの瞳を覗き込みながら質問に答えた。


『蘇ったばかりなのに、随分と頭が回るのね。レブナントっていうのは、元々"戻りし者"という意味なのだけど、一般的には君や私みたいに"知性を得たゾンビ"というモンスターを指すわ。

 あなたはついさっきまで知性を持たないただの動く死体だった。墓荒しや遺跡探検に来た冒険者の"プラーナ"を喰らうことで、アナタはゾンビからレブナントに成り上がれたのよ』

『プラーナ……?』

『……知性は回復したのに、そういう知識はないのね。混乱しているのかしら。とりあえず、細かいことは全部後で説明するから、大筋だけ説明させてもらえるかしら」


 ここはどこで、俺は一体どうなっちまったのか。

 これから何をすればいいのか。


 ユーゴの頭の中に渦巻いていた質問の幾つかは、テレパシーでサラに伝わっていたらしい。

 彼女は順を追って、自分たちの状況を説明してくれた



◆◆◆



 今ユーゴ達がいる場所は、どこの国にも属さない、国家間の空白地帯だという。

 西に砂漠の国。

 北は山岳の国。

 東の森林の国。

 そして南を海に挟まれた、海抜よりも低い、巨大な谷。


『それがここ、"腐れ谷"よ』

『随分と縁起の悪い名前なんだな』

『もちろん、縁起が悪いのにも理由があるの』


 腐れ谷は低地であり、東西北から主要な河川が流れ込んでいる。

 この大陸に広まっている宗教では死体は土葬にされるのが基本だが、戦いを経験した死体は神の御下(みもと)に送る前に清める必要があるため、川に流すのだという。

 流れ着いた死体と、川と一緒に流れ込んでくる大陸の"プラーナ"が合わさり、この地にはゾンビが溢れているそうだ。


『なんでそんな土地に生きてる人間が来るんだ?』

『大昔はここに国が栄えていたから、遺跡の財宝が目当てだったり、ゾンビを討伐すること自体が目的だったり、かしら。この辺りは谷の端にあたる北西部だから遺跡も残ってないけど、新米冒険者達が腕試しによくやってくるから』

『俺は、そいつらを喰ってきたんだな』


 サラの話が理路整然としているからだろうか。

 ユーゴは状況を整理して理解するにつれて、徐々に記憶を正確に思い出せるようになっていることに気づいた。


「ゾンビをやっていた時の記憶は戻ってきた?」

『多少はね』


 知性や意識と記憶は関係が無かったらしい。酔っ払った時は記憶が無いのに意識はあるわけだが、意識が無かった時のこともしっかりと記憶に残るのだろうか。

 ともあれ、現実としてユーゴの中にそれらの記憶と実感は有った。


 ゾンビとして生きた人間にかぶりつく光景。

 味方のゾンビがやられていく様。

 そして今も口の中にまとわりついている血と肉の味。


「私はレブナントとして生きていくことを受け入れられたけど、そうでない人も居る。だからもしアナタが耐えられないとしたら、私が介錯してあげる。プラーナの核を破壊すれば、痛みを感じずに一瞬で死ねるわ」


 笑顔を保っているものの、サラの声は暗く、重かった。

 初対面の自分に対して優しすぎる彼女の態度とちぐはぐな様子と、まるで人気(ひとけ)の無い周囲を見回せば、とある想像にたどり着くのは難しくない。


『サラはここで、何をしているんだ』

「基本的には、やってくる冒険者を食べて、力を蓄えてまた冒険者を倒して食べて倒して食べて……その繰り返し」

『サラは、死にたいと思わなかったのか』


 ユーゴの質問に、サラは初めて笑みを消した。

 そして彼の濁った目を正面から見返して言った。


「もう死んでいるもの。死にたいとは思わなかったけど、この先は消えるしかないわ。死ぬのは辛かったし、苦しかったけど、体は死んでも魂までは消えなかった。この魂まで消えてしまうのが……私は一番怖い。だから私はここで生き続けるの」


 体は死んだ。

 けれど、魂は生きている。

 その一言が、ユーゴの腹にもストンと落ちた。


『ゾンビになっちまったのは、取り返しがつかないんだろ。生きていたころの事を考えると気持ち悪いけど、意識がないうちに、慣れちまうくらいたくさん食べてきちゃってるみたいだ』


 だから、


『俺は大丈夫だ。生きるために食べるのは当然だし、ゾンビなら人を食べるのも当然。一人より二人の方が生き延びやすいに決まってるよな』


 ちょっと遠回りだが前向きな言葉に、サラも笑みを取り戻して頷いた。


「それじゃ、今後ともよろしく頼むわよ、ユーゴ」

『こちらこそ、よろしく頼む』


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