二つとない唯一の名前
Ⅰ
「解決方法が分かったって本当ですか?」
解決法方、つまりは付喪神と化したペンダントを首から外す方法を閃いたと伝えてやると、突然のことでとてもじゃあないが信じ切れないといった風な表情をつくった唯名ちゃん。半信半疑を絵に書いたような顔をしている。
「あぁ、でも立ち話もなんだ。まずは中に入ろうぜ」
まぁ、そう言った所で、はいはいそうですか、と直ぐに納得することなんて出来ないだろう。という訳で、続きは家の中でしよう。せっかく家の前で待っていてくれたんだ、立って話をするよりも、なかで腰を据えて話したほうが都合が良い、主に俺の疲労具合てきな意味で。
訝しむ唯名ちゃんを引き連れて、昨日と同じように純和風の客室に連れて行く。残念ながら昨日のようなお茶請けは無しだ、俺が昨日の夜更け空腹に負けてしまったからな。もう一つも残ってない。
「さて、これから唯名ちゃんに話すことは、唯名ちゃんにとって突拍子もないもんだ。それだけ念頭においといてくれ」
「はい、わかりました。話してください、その解決方法を」
「なら、話をしよう。そのペンダントについて」
まず話すべきは、ペンダントの正体についてだな。
「そのペンダントだが、そいつの正体は付喪神っていう名前の、正真正銘本物の妖怪だ。花の女子高生といえど、名前くらいは聞いたことがあるんじゃあないか? 付喪神は」
「えっと、古いものが勝手に動き出すっていう妖怪ですよね?」
「まぁ、だいたい合ってる」
祖母からもらったペンダントが妖怪だってことには驚かないんだな、唯名ちゃんは。やっぱり以前から知ってはいた訳だ。付喪神だってことは分からなくても、すくなくとも普通のペンダントじゃあないってことくらいは。
「それで、どうして唯名ちゃんの首を絞めようとしているのかだが。これはずばり、付喪神が唯名ちゃんに成り代わろうとしているんだ。簡単に言うと乗っ取りだな。唯名ちゃんは付喪神に乗っ取られようとしている」
「のっ、乗っ取られる? 私が……付喪神に」
「そう、乗っ取られる。付喪神は唯名ちゃんの首を絞めて殺害し、その後で自分が新しい二唯名として生きるつもりなんだよ」
俺の返答を聞いた途端に、唯名ちゃんの顔色は目に見えて変化し、さっと血の気が引いたように青ざめる。
俺の目に写るのは、今度こそ紛れもない恐怖の色だった。死までかなりの猶予があり、また事態解決の見込みもある状態では決して見せなかった死への恐怖を、今この瞬間に唯名ちゃんは色濃く認識した。
殺され掛けているだけに留まらず、殺された後に乗っ取られるだなんて知ったのだから、それも無理はない。ただ普通に死ぬのと、死んだ後に死体を弄ばれるのとでは雲泥の差だ。死後の乗っ取りなんてこと考えることすら嫌悪して、唾棄すべき屈辱なんだから。
「どっ、どうにか成らないんですか!?」
部屋中に唯名ちゃんの畏怖に支配された叫びが木霊する。
「まぁ待て、落ち着けって。どうにかする為に俺がいるんだ、もう少し俺の話を聞いてくれ。それにさっきも言っただろ、解決方法が分かったってさ」
一種の興奮状態、パニック状態に陥ろうとする唯名ちゃんを宥めて俺は話を続ける。俺が閃いたこの解決方法というのは、唯名ちゃんに事実を総て把握して乗り越えてもらわないと、まったく意味をなさないんだからな。
「でも」
「それじゃあ唯名ちゃんが落ち着けるように、クイズをだそう」
何かを考えている内は他の何かを考えずに済む、恐怖を感じる隙も生じない。そうして少し時間をおけば、いくらか落ち着きを取り戻すだろう。とりあえず、俺の話を冷静に聞き取って理解できるようになる程度には。
「そのペンダントに宿った付喪神は、どうして唯名ちゃんを乗っ取ろうとしているのでしょうか?」
「どうして乗っ取ろうとしているか、ですか?」
「そうだ。さぁ、シンキングタイムだ」
考えることが逃げ道だと心のどこかで分かっているのか、それともはっきりと明確に理解しているのか。とちらにしろ唯名ちゃんは中々どうして素直に視線を下にさげて思案顔となる。考えるのを止めて、思考する。
さてさて、どんな答が返ってくるかな。
「唯名ちゃんには心当たりがある筈だぜ」
返答はなし。
「何故ペンダントが外れなくなったのか、どうして鎖が短くなっていくのか、なんで乗っ取られようとしているのか」
返答はなし。
「答えは唯名ちゃんの胸の中、奥底にある。今は隠れているが、きっと見つけられるさ。自分自身に問い掛けて、見て見ぬ振りをしない限りはな」
恐らく、唯名ちゃんにはもう答が分かっている。俺がクイズと称し、そして唯名ちゃんが聞き返したその時には、既に答が浮かんでいたはずだ。今こうして沈黙しているのは、分かっていても言い出せないだけだろう。
自分のして来たことを言い出せないだけ。黙っていても埒は明かない、けれど言ってしまうには勇気が足りない。本人は変わった気がしていても、人の根は急激には変えられない。唯名ちゃんは怖いんだ、殺されることに対してではなく、総てを押し付けた自分の狡猾さを見せびらかすことに対して。
「……それは」
「それは?」
唯名ちゃんは重々しく口を開く。なけなしの勇気を振り絞って。
「私が……このペンダントを頼ったからです」
「おめでとう、唯名ちゃん。正解だ」
人はたった二ヶ月で性格なんて変えられない。もし変わったと周りの友人知人に思われたのなら、それはよっぽどポーカーフェイスが上手いのか、それか人智及ばぬ現象が起こっているかのどちらかだ。
唯名ちゃんの場合は、その後者だった。
これは俺の勝手な推測だが。もともと内向的だった唯名ちゃんは、祖母の死に直面し酷く落ち込んでしまった。それはもう入学の決まった高校なんかには、とても行けない精神状態に陥ったことだろう。だから、唯名ちゃんは亡くなった祖母への悲しみを少しでも和らげるために、祖母の形見であるお守り、つまりペンダントに縋りついた。
そのタイミングだろう。既に改心していた付喪神が、唯名ちゃんに善を齎そうと決めたのは。
唯名ちゃんにとっての善、それは祖母の死から立ち直り、無事に高校へ通うことだった。故に付喪神は首に掛けられている間だけ唯名ちゃんに取り入り、あたかも自分が二唯名であるかのように振舞った。二唯名として学校へ行き、二唯名としてクラスメイトと会話し、二唯名として友達を作り、二唯名として古くからの友人と共に帰路についた。
これが唯名ちゃんの友人が言っていた、まるで別人の答えだ。
そうして付喪神が総てを肩代わりしてくれている間に、唯名ちゃんが心に負った傷はゆっくりではあるが確実に癒えて行き、ついにはお祖母ちゃんの死から立ち直ることとなる。時間が唯名ちゃんが負ってしまった傷を癒したのである。
「けれど、頼る必要がなくなった後、直ぐに気が付いた。肩代わりさせている間に立ち直れはしたが、ペンダントを首に掛けて自分を変えなければ学校に行けないことに。唯名ちゃんは自分じゃあない自分が作り上げた環境に、適応できなかったから」
「……」
付喪神は総てを引き受け、唯名ちゃんが立ち直るだけの時間を作った。けれど、立ち直って見えた景色は、唯名ちゃんの知らないものばかりだった。記憶はあったはずだ。付喪神が操り演じる、自分ではない自分と楽しそうに会話をする、自分の知らない自分の友人の存在は、確かに脳に残っていたはずだ。
だが、それでも唯名ちゃんはペンダントに再び縋らずには要られなかった。自分を取り巻く環境があまりにも以前と違ってしまっていたから。周りからの視線、友人の接し方、先生の評価、そのどれもが大きく変更されていたから。
それは唯名ちゃん自信が作った環境じゃあない、付喪神が作ったものだ。人間は、誰かが作り上げた環境の中では生きて行けない。
内向的な本当の二唯名のキャパシティーでは、到底処理し切れない期待や友情に押し潰されそうになり。だから、唯名ちゃんは祖母の死から立ち直った後も、ペンダントに縋らざるを得なかった。適応できずに生じた嫌なこと、出来ないことを付喪神に押し付け続けた。自分の弱さに甘えて、狡猾に楽をしようとした。
そして、何時しかそんな日々が当たり前になり、更なる善を唯名ちゃんに齎そうとした付喪神は、唯名ちゃんを乗っ取ろうとした。自分が二唯名として生きた方が、唯名ちゃんがより幸せになると、そう考えたからだ。
人間からしてみれば、それがどれだけ行き過ぎた行動なのか理解できる。本末転倒だと思い止まるのが自然だ。
けれど、相手は人ではなく妖、どうしようもなく妖怪なのだ。妖怪は決して人間の味方じゃあない。妖怪はひたすらに、ひたむきに、妖怪で在ろうとするだけだ。それが人間にとって不都合な善でも、付喪神という妖怪はそれを強いる。付喪神はそれで人間が幸せになるのだと、信じて疑わないのだから。
唯名ちゃんは保身のため、友情のため、評価のため、期待のため、裏切らないため、そうとは知らずに付喪神に縋り続けた。ずるずると引き込まれ、付喪神と半分同化せざるを得なくなり、首から外れなくなった。悪魔と遊べば悪魔となるように、付喪神に頼れば付喪神となる、そんな代償を払って。
「……仕方がなかったんです。どうしようも……なかったんです。私じゃない私じゃないと、皆の期待に答えられない。不用意なことをいって、本物じゃなくてもこんな私と友達になってくれた人を傷付けるかも知れない。嫌われちゃうかも知れない。だから、だからっ」
溜め込んでいたもの総てを吐き出すように、言葉を吐いた唯名ちゃん。
「ひぃっ!?」
その直後、心に生じた動揺を敏感に感じ取った付喪神は、一気にその鎖を縮めて唯名ちゃんの首を絞めに掛かる。少しの容赦もなく、無慈悲に。この行為が善ではなく悪なのだと疑うことも知らずに、付喪神は唯名ちゃんの為に、唯名ちゃんを殺しに掛かる。
「じっとしてろ!」
俺は即座に言霊師としての御業を使い、予め用意していた手帳から文字を抜き出した。そうすることによって宙に飛び出した文字の羅列から縛の一文字を取り出すと、付喪神に飛ばすことで無理矢理に、力尽くで両者の間に介入する。
縛の文字は御業によって具現化させることにより、対象を縛りつけて動けなくさせる効果がある。
俺に介入され、文字に縛り付けられた付喪神は鎖を縮めることが出来ずに沈黙する。首が締め付けられ息が出来なくなるまで、あと一センチメートルもないギリギリの所でだ。間一髪、紙一重でなんとか助けることが出来た。
いや、助けることが出来たなんて言うにはまだ早い。まだ何も終わっちゃいないんだから。
「唯名ちゃん。今から言うことを良く聞くんだ」
息が出来るところで踏み止まってはいるが、それでも鎖は首の皮膚に張り付いている状態に近い。精神的にはもう少しの余裕もないだろう。唯名ちゃんは喋ることすらままならず、何度か喋ろうと努力したのち、諦めて小さく頷いた。
「ゆっくり深呼吸をして、回りを見るんだ。俺達の周りに文字が浮かんで流れているのが分かる筈だ」
強張った表情のまま首を動かさずに視線だけを移ろわせた唯名ちゃんは、文字の発見と同時にほんの少しだけ目を見開く。
「今、この力でそのペンダントに宿った付喪神を縛り付けている。俺がこうしていられる間は、鎖が唯名ちゃんの首を絞める心配をしなくていい。だが、気を抜くな。俺の体力が尽きたらそこまでだ、その時点で鎖が首に食い込む」
「た……すけ……て」
「あぁ、助ける。必ず助けるから、落ち着いて気をしっかり持て」
首を支配されたことで、まるで全身を縛られたかのように行動を封じられた唯名ちゃんは、ぴくりとも手足を動かそうとしない。
本当に、マリオネットとは良く言ったもんだな、おっさん。今、俺の目の前にある光景は、まさに糸に吊るされた操り人形だ。唯名ちゃんは人間から人形へと身を落とそうとしている、そうなってからじゃあもう遅い。人形は意思を持っても、糸に従うしかないんだから。
「いいか? 唯名ちゃん。今、こうして付喪神が首を絞めようとしているのは、唯名ちゃんが付喪神に頼り過ぎたからだ。妖怪は限度を知らない、人間の事情なんて考えてくれない、ただ在るべき存在として、やるべきことを成すだけだ」
「は……い」
「だから頼ったぶん、唯名ちゃんは一人で立ち上がらなくちゃあならない。言っている意味が分かるな? もう過度にペンダントに頼らないと心の中に線を引くんだ。そうしないと付喪神は止まらない、止まってなんかくれない。はっきりとした自分の意思で、付喪神を突っぱねるんだ」
瞼をかたく閉じ、歯をかみ締め、唯名ちゃんは俺の言った通りのことを実行する。
これで付喪神が唯名ちゃんの意図を察して、手を引いてくれるのを祈るしかない。善に目覚めて改心した付喪神なら、きっと分かってくれる筈だ。ただ問題なのは、唯名ちゃんのほうか。突っぱねる意思をもっても、それが確固たるものでなくては到底妖怪には伝わらない。
ここからは自分の弱さと正面から向き合わなくちゃあならない。唯名ちゃんが強い意思を持てるかどうかの局面だ。
「おね……がいします。わたしを……ころさないで」
「ダメだ。そうじゃあない、唯名ちゃん。お願いしちゃあダメだ。突っぱねるんだよ、自分の意思で自分の中に入ってくるなって。乗っ取ることが唯名ちゃんの救いになると勘違いした付喪神は、そんな言葉だけじゃあ手を引いてなんかくれない」
唯名ちゃんは一度そんな風に下手に出ると、さっきまで確かに聞えていた俺の声が、まるで聞えていないかのように、懇願することを止めなかった。
「おねがい……します」
いや、そうじゃあない。きっと止めることなんて出来なかったんだ、最初から。唯名ちゃんはこの期に及んでまだ、付喪神に依存しようとしている。か細くてか弱い性格と心が生んだ今後に対する不安、適応できなかった環境に対する恐怖が、付喪神を突っぱねようとする意思を邪魔している。
そして、その邪魔を弾き返し貫き通せるだけの強い意志が、唯名ちゃんにはない。
「くそったれがっ」
唯名ちゃんが懇願するたびに、付喪神の力が強くなって行きやがる。心に出来上がった隙を突いて、どんどん唯名ちゃんの中に入り込んで行く。俺の御業でなんとか押さえ付けてはいるが、もうそんなに長くは持たないぞ。このままじゃあ、付喪神に身体を乗っ取られる。
「唯名! この後のことを考えるな、今だけに集中しろ! でないと、お前の祖母ちゃんが報われない!」
卓袱台に乗り上げて唯名ちゃんに手を伸ばし、直接ペンダントを掴んで御業の効力を引き上げる。
「お前の祖母ちゃんは、付喪神に孫を乗っ取らせるためにペンダントを上げた訳じゃあねーぞ! 内向的だったお前の将来を心配して、少しでも元気付けられるようにって渡したんだよ、祖母ちゃんは!」
俺は唯名ちゃんの祖母ちゃんを知らないが、それでも他人の俺にだってそのくらいのことは分かる。
祖母ちゃんは何時だって孫の将来を案じている、心配している。その思いや意思は、親のそれと負けずとも劣らない。だから望む訳がないんだ、孫が妖怪に乗っ取られる未来なんて。
「頼るなとは言わない、手を借りるなとも俺は言わない。だが依存はするな、言い成りになるなと俺は言うぞ。仮初の力を振り翳して、嫌なことの全部を誰かに押し付けて、楽して生きていられる思うな。誰かの力だけで生きてたら、もう二度と歩けなくなるぞ、自分の足で!」
ペンダントを砕くくらいの意気込みで握り締め、いやでも耳に届くように怒鳴り散らす。
「もう一度よく考えろ! 付喪神に残りの人生をくれてやって、祖母ちゃんが喜ぶかどうか!」
ここまで言って、これ以上、付喪神の力が強まるようなら、もう最終手段を実行するしかない。
強制的にペンダントを破壊して付喪神を消滅させ、引き剥がす。善に目覚めた付喪神を俺の手で殺したくはないが、人の命には代えられない。人間の手前勝手な考えだが、そうする他に道はない。
「い……いや、です」
ぽつり、ぽつりと、唯名ちゃんの口から言葉が溢れる。
「お祖母ちゃんは、私が元気なら……それで嬉しいって、言ってくれたんです。だから、私……じゃなきゃダメなんです。他の……誰でもない私が元気じゃないと、お祖母ちゃんは悲しむんです。私の人生は、誰にも上げません。私は私、付喪神じゃ……ない!」
首を締め付けようとしていた鎖が、徐々に押し返されて行く。
雪崩れ込む付喪神を、唯名ちゃんの確固たる意思が拒絶しているかのように。
「これからは頼りません。学校にも行きます、新しい友達とも仲良くします、自分の力でなんとかします。だから、もう良いんです。弱い私を助けてくれてありがとう御座いました、馬鹿な私でごめんなさい。今まで助けてくれたことに感謝します」
唯名ちゃんが発した、裏のない心からの声。それに付喪神が呼応するように、鎖の輪はさながら弾けるかの如く一気にその長さを元に戻した。何よりも硬く強い意志が付喪神の考えを覆し、手を引かせたんだ。これ以上、善を行う必要はないと。
「ふぅ……」
俺はもう危険はないと判断して、そっとペンダントから手を離した。卓袱台に乗り上げた足を下ろしてまた座布団に腰掛ける。
どうやら何とかなったみたいだな。どれだけ弱い自分に支配されていても、お祖母ちゃんの思いには敵わないってことか。
付喪神に成り掛けた少女は、吊るされた糸を自ら切って飛び出した。もう操られることも、マリオネットになることもないだろう。たった今、彼女は自分の足で歩くと、そう宣言したのだから。
「う……うぐっ、うわあぁぁぁぁぁん! あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
安堵からか、盛大に泣き出してしまった唯名ちゃんは、大粒の涙を流して震えた声をあげる。
俺は何をするでもなく、それをただ見守った。俺が何かをしてやるのは、相応しくないと思ったからだ。蛹から羽化する蝶のように、触れると壊れてしまう危うさを、彼女を見て感じ取っていたから。
決して、手を貸してはいけないのだ。空に飛びたてるように、羽根が伸びきるまでは。




