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一書店の言霊師  作者: 手羽先すずめ
第五章 雪月風花
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千本桜


 妖怪を専門とする同業者に、あのような人間が居たことにある種の衝撃を受け、それを抱えたまま俺は電車を降りた。ここから更に三十分ほど歩けば我が家に辿り着けるが、俺は爪先を別方向に向けて歩き出した。


 どんよりとした気持ちを物理的に引きずっているかのように重い足取りで歩みを進めながら、ポケットから携帯を取り出して電話を掛ける。相手はついさっき会ったばかりの旦那、という訳ではなく今回の依頼人である六花風花だ。


「はい、こちら六花風花です」


 電話越しに聞えてくる声。


 悲恋を繰り返した雪女の末裔とだけあって、その声は電話を介していても普通の人間とは一線を画すほどの高貴な色気があり。妖しくも艶かしく、妖艶だった。


「もしもし、にのまえだ。ちょっと頼みたいことがあるんだが、今からそっちに行ってもいいか?」


「私の家に、ですか? それでしたら拙宅では御座いますが喜んでお迎えいたします。しかし、はて? 頼みたいこと、というのは一体?」


「あぁ、実はさ。こんなことを頼むのも恥ずかしい限りなんだが、飯を用意してもらいたいんだ。人一人が丸二日、食べる物に困らない程度にな。理由は後で話す」


「……承知いたしました。恥ずかしながら一殿の意図を計り兼ねていますが、きっと意味のあることなのでしょう。直ぐに容易いたします」


「ありがとう」


 通話を終え。ほんの少しだけ軽くなった足取りで、俺は六花家へと急いだ。



「ふー。喰った喰った」


「お粗末さまでした」


 六花家に到着してから敷居を跨ぎ、挨拶もそこそこに用意して貰っていた料理の数々を平らげた俺は、満腹感とともに押し寄せてくる幸せな息苦しさに酔いしれた。


 こんなに上手い料理は久々に食べた。以前に婆ちゃんが作ってくれた料理といい勝負をしている。


「して、一殿? 理由をお聞かせ願えますか?」


「あぁ、そうだな。説明しないと」


 俺がどうして六花家に食べ物を用意して貰ったのかというと、それはとにかくとてもシンプルな答えだ。


「今日、此処に来る前に俺は陰陽師のところに行って来た。それで確信した。風花ちゃんの言う通り、陰陽師の連中は、どうやら本気で六花家を救うつもりがないってな」


 前置きに対して、話の先や結論を催促する訳でもない。一族の存亡がかかっている大事な話とあって神妙な面持ちをしつつも、風花ちゃんは聞き分けのいい子供のように黙って耳を傾け続ける。俺はその姿勢に真摯に答えるためにも次の言葉を口にした。


「だから、決めた。俺が直接、天狗たちのところに行って話をつけてくる」


「そっ、それは……」


 ここに来て始めて、珍しくも風花ちゃんはたじろいだ。


 それは同級生からも同い年には見えないと称され、気丈で気高く大人びて見えた彼女が歳相応の少女に戻った瞬間でもだった。


「それでは、一殿の安否が」


「そうだな、下手したら死ぬかも知れないな。でも、そうならないよう万全を期すために、こうして御飯を用意してもらったんだよ。それが理由だ。腹が減っては戦が出来ぬ、ってよく言うだろ?」


 つもりに積もった不摂生な習慣により、乱れた体調や体力を少しでも元に戻すため。この二日間で栄養のあるものを食べ続け、英気を養おうという考えだ。六花家にとってはいい迷惑だろうがな。


 もちろん、はなっから戦うつもりで天狗たちの所へ行くのではない。俺が天狗たちの許へ行く理由は、飽くまでも話し合いであって殺し合いじゃあないんだから。英気を養うのは、万が一に備えてだ。交渉が拗れたり、決裂したりした場合の自衛や交渉のためだ、それ以上でも以下でもない。


「……何故、ですか? 私のほうから救って欲しいとお頼み申しあげた手前、至極勝手な言い分だとは承知の上です。ですが、どうか聞かせてください。どうして一殿はそのような危険を冒してまで、このような見ず知らずの私の頼みを聞いてくださるのですか?」


 それは風花ちゃんに救って欲しいと言われたから、って答えるのは回答としては間違いかな。


「それは……そうだな。手を伸ばせば救える所に、風花ちゃんがいるからだよ」


「え?」


「簡単な話だ。俺が天狗を説得すれば、風花ちゃんの命は助かるかも知れないと思ったから行動するんだ。その可能性を捨てて、風花ちゃんを見殺しにして、結果、その後に訪れるであろう後悔に塗れた俺の人生を想像したら、ここで命を掛ける方がよっぽどマシだ。そう思ったんだよ、単純に」


 俺が動かなかったから風花ちゃんが天狗に殺された。


 そんな負い目や罪悪感を背負いながら生きる人生なんて、俺には耐えられそうに無い。俺の背中はそんな大きくて重い物をおいそれと背負い込めるほど大きくないんだ。だから、危険の中に身を投じてでも、風花ちゃんを救うほうを選ぶ。当然の選択だ。


「一殿……」


「あ、そうだ。もう一つ有ったな」


「もう一つ、とは」


「それは」


 ひょっとしたら、これは言わないほうが良かったんじゃあないか。と、俺はこの後になって気付き、人知れずちょっとだけ後悔をした。


「風花ちゃんに、眼鏡が似合いそうだから」


「めが……ね?」


 話を聞いて、きょとんと小首を傾げる風花ちゃんだった。



「はい、もしもしって唯名か。どうかしたのか?」


 携帯電話の連絡先が最近になって増えたため、必然的に電話を通しての通話が頻繁になりつつある。


 言霊師のくせに、というか言霊師だからというべきか。俺は文字だけで会話をやりとりする手法が嫌いな性質なので、それも相俟って携帯電話の通話を使用する頻度が上がっている。正直、通話料金がどうなっているのか心配なところだが、仕様がないといったところか。


「うん? あぁ、ちょっとだけならな。今、先方の住んでいる所に向かっている途中なんだ。……あ、そう言えば言ってなかったな、ごめんごめん。明日は昼の一時からだ。うん、うん、じゃあな。え? ……ありがとうな」


 通話を切り、携帯電話をポケットに仕舞い込む。


「お仕事頑張ってくださいね。だってさ」


 俺が言葉を投げ掛けたのは、桜の花弁が舞い散る幻想的な風景のなかに一人だけ佇む、背中に一対の翼を有する者、天狗。


 六花家で食事を取ってから英気を養うこと丸二日。なんとか落ちた体力も乱れた体調も持ち直した俺は、六花家の人間が天狗から集まるようにと強要されていたという、山奥のとある場所に単身一人でやって来ていた。


 時刻は草木も眠る丑三つ時。今宵は満月だ。


「それにしても、綺麗な景色だな。なんて言うんだっけ? こういう景色の事を。たしか……」


「千本桜だ」


「そう、それ。千本桜だ」


 俺の視界に写るのは満月が放つ月光に照らされた、桜色の山。


 山に力強く根を下ろす木々の一本一本が総て満開の花弁を咲かせ、あますことなく桜色に染め上げている。数え切れない数の桜が咲き乱れ、美しく咲き誇る姿はまさに千本桜という言葉で表現するに相応しく、決して名前負けなどしていなかった。


「美しいもんだな。こんな光景は見たことが無い」


「今は無き、失われた光景だ。今、見ているものはまやかしや幻、泡沫うたかたの夢に過ぎない」


 哀しげに、そうとだけ言った天狗はこちらに向き直る。


 恐らく、人に化けて来たんだろう。目の前にいる天狗の鼻は高くはなく、そして顔色も赤くはなかった。言うなれば背の高い美少年っといった所だろう、何百年も生きているだけあって大人びた雰囲気を漂わせているものの、顔付きにまだほんの少し幼さが残っている。


「私は再びこの光景を目にしたい。まやかしや幻、泡沫の夢ではなく、慰めのような幻想ではなく。本物の千本桜がもう一度みたいと思っている」


「だから、六花家の人間を生贄にしようってのか?」


「それもある、とだけ言っておこう。一番の目的は私達天狗がこれからも生き続け、生き抜き、生き残ることだ。私如き個人のちっぽけな願望など、二の次でいい」


 なるほどな。天狗が六花家を滅ぼす理由について考え二つ上げた候補のうち、やっぱり後者が正解だったって訳だ。生贄を天に捧げることで祈り、木々の実りと動物達の繁殖を願う。そのために今、六花家の人たちは滅ぼされようとしている。


「そうか。それじゃあ雑談はこれくらいにして、話し合おうじゃあないか。天狗」


「手に刀を携えたまま話し合いとは、随分と奇妙なことを言うのだな。人間」


 右手に携えた刀を肩に担ぎ、それに答える。


「生憎、人間と天狗じゃあ立っている次元が違うんでな。同じ位置まで昇っていかないと話し合いにならないんだよ。それに、ずっと見上げていたんじゃあ首が痛くて敵わない」


「身の程を弁えているからこその自衛行為というわけか」


 まぁ、武器を握っただけで対等になったつもりもないがな。


 対等になるには武器を握るだけじゃあ足りない。対等足りえるには、身体そのものを強化して天狗と同じ次元にまで自分を押し上げなくちゃあならない。とどのつまり、俺は一時的なドーピングをしたということだ。


 やり方は実に簡単だ。本から力や強といった適切な文字を抜き出して身体の至るところに貼り付け、御業の力で効力を発揮させてやるだけでいい。デメリットとして身体に大きな負荷と反動が返ってくるが、それに見合うだけの価値はある。


「貴様の言う話し合いとはなんだ? この場に雪女の末裔たちが居らず、代わりに貴様が居るということは、つまりそういうことか?」


「そうだ。率直なことを言うと、六花家の人間……お前たちが今まさに生贄にしようとしている人間たちを見逃して欲しい」


「見逃して欲しい、か。では、我らがその人間たちを見逃せば、代わりの人間を貴様が連れてくるのか?」


「いいや、残念ながら俺はそんなことはしない」


「話に成らないな」


 確かに話には成らない。


 人の姿に化けてはいても、人間の倫理や道徳、心や感情というものを天狗は今一つ理解してはいないらしい。人間の畏怖や空想から産まれ出でたというのに、本能的なところでは人も妖怪も同じだというのに、どうしてこうも食い違いが起こってしまうんだろうな、俺たちは。


「だが、見逃してくれるというのなら、生贄の代わりになるものをくれてやる」


「ほう、代わりになるもとはなんだ?」


 今からやろうとしていること。それは遥か昔に御業を編み出したご先祖様が、禁術として使ってはいけないとした御業だ。当然、現代に置いてもその禁術は禁術のままで、使ってはならないというのも使ってはならないままである。


 が、相手は天狗だ。これは仕方がないことなんだ、すまないな、ご先祖様。


 俺は背中に御業の力で仕舞ってあった本を数冊取り出して、頭上へと放り投げる。そして同じく背中から取り出した漢字辞書を片手に、禁術である御業を躊躇なく発現させる。漢字辞書から抜き出す文字は、何時もと変わらず一文字だけ。


 その文字は、現。


「これは……」


 俺が頭上に放り投げた数冊の本。それらは総て料理や食品関係の本であり、食材となるものまで写真つきで載っているものだ。


 俺はこれを禁術の御業によって具現化した。つまり誰にでも理解できるよう分かり易く言うと、本に載っている総ての写真に写された、本来あるはずのない料理や食品や食材を現の一文字によって生み出した、ということだ。


 背後にずらりと食料を並べて俺は再び同じことを言う。


「これで六花家の人間達を見逃してはくれないか」


 俺の問い掛けに天狗は沈黙を返した。天狗だって立場がある、だから悩んでいる、受け入れるべきかそうでないかを。


 ここ最近でもう何度、こんな沈黙を経験しただろう。そろそろこの独特な重い雰囲気にも慣れて来たところだ。しかしながら居心地が良くなったとは決して言えないな、本当に慣れただけといった感じだ。


 と、慣れるくらい場数を踏んだことを再確認していると、つらつらと考えて居たことが纏まったようで、天狗は再び俺と目を合わせる。


「断る」


 否定の言葉。交渉は決裂した。


「確かに魅力的な条件だ。だが、それだけでは生贄と同価値には成り得ない。私達は山と共に生きているのだ。生贄を捧げ山の再起を計らなければ、一時私達の腹を満たせたとしても天狗は何れ滅び行く。故に、見逃せはしない」


「……そうか」


 山の再起。もうそんなところまで、そんな段階にまで追い詰められていたのか。


「なら、俺が山の再起を手伝うから、と言ってもダメだよな。ここまで追い詰められていたら、もう一秒だって待てないか」


「如何にも、貴様は話の分かる人間だな。だが、それでも引く気はないように見えるが」


「あぁ、引いてやる気はさらさらないな。俺が引けば、臆せば、山の捧げものになっちまう人がいる。なのに、黙っていられるかよ」


 確固たる意思を示すように、交戦の意思を表示するように、肩に担いでいた抜き身の刀で空を斬り、風を断つ。


「どちらも引けぬ身か。辛いな、互いに」


 天狗は抜刀する。緩やかな動作で腰に差した刀を手にし、幾星霜に掛けて培われた最小限の動きで一部の隙もなく鞘から刀身を引き抜く。


 最早、賽は投げられた。事は既に始まった、悠長に今後のことを考えている時間はもうない。

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