言霊師
Ⅰ
カウンターに肘を着いて視界に納めるのは、宙に浮かび上がり、水のように一定の速度を保ちながら流れ続ける文字の羅列。この本屋に腐るほどある書物からぞろぞろと抜け出たそれらは、俺の周りをぐるぐると回り、漂よっている。
言霊師。それは単純に言葉を操ることの出来る御業を学んだ人間の総称だ。
まぁ、言葉を操る御業だなんて大言壮語なことを言ってはいるが、実際にはまったく大した事ないしょぼい超能力みたいなもんだ。出来ることと言えば、こうして文字だけを空中に浮かばせたり、一部の文字を現象として具現化することくらいだな。
もちろん、世間一般にこの事は知られていない。言っても返って来るのは、頭の可笑しいオカルト集団のレッテルだけだろうしな。その程度のリスクだけでも、人から奇異の目で見られたくはないので、あまりこの御業を人に見せてはならないことになっている。
この御業を手品だと言い張ってマジシャンとして喰って行くことも可能は可能だが、言霊師の掟は当然ながら厳しくて、やたらと人目を引くような使い方は許してくれない。これが探偵とかなら許してくれるんだろうがな、本屋を継いだ俺には土台無理な話だ。
「ふーむ。やっぱり、間違いないよな」
この文字の羅列は、今回の件に対して少しでも関わりのある本から文字通り抜粋したものだ。故に、量が尋常じゃあない。今はその中でも特に有力な物だけを近くに置いて他は適当に泳がせているが、抜き出している総ての文字を一箇所に集合させると向こう側が見えなくなること間違いなし。
目が疲れて仕方がないが、慣れると本を開くよりこうした方が効率が良くなるのが不思議なところだ。なんて事を思いつつ、あたかも生物であるかのようにうねり、意思を持つように空中を流れるその文字を目で追いながら、俺は仮説を組み立てて行く。
とは言っても、半ば確定したものの裏づけ調査のようなものなので、答を導き出すのに然程の時間も掛からなかったが。
「付喪神しかねーよなー」
付喪神。九十九神とも言われる、長い間使われ続けたり使われなかったりした古い代物に、神様や幽霊なんかが宿った妖。平たく言えば古いものに命が宿った、一反木綿や塗り壁と同じ妖怪の類だ。
百年に一年たらぬ、我を恋ふらし面影に見ゆ。なんて言葉もあって、百に一たらないで九十九。百から一を引いて白となり、老女の白髪を九十九髪と言ったりもする。
これらのことから、亡くなった祖母からの贈り物、首から外れなくなるペンダント、短くなる鎖を今回の怪奇現象に当て嵌めてみると、どれもこれも行き着く先は付喪神だ。あのペンダントは言うほど古くは見えなかったが、それは人智及ばぬ妖が成すことだ。自分を綺麗な状態に保つくらい造作もないだろう。
「しかしなー。どうも、荒ぶってる様子じゃあなかったんだよなー」
昔の人は古い物が付喪神にならないように九十九年たつと捨てていたため、完全な命を得られずに妖になった付喪神は基本的に人間を恨んでいる。だが、そんな付喪神も時たまに改心して、人に善をもたらすことがある。今回のペンダントは正にそれだった。
だからペンチで切ろうとしても反撃してこないと俺は踏んだし、結果は俺の思った通りの無害だった。
けれど、問題はなんで首から外れなくなるのか、そして改心した筈の付喪神がどうして人間を殺そうとしているのかだ。それがさっきから幾ら考えても分からない。
実は付喪神は関係なくて他者からの呪殺の可能性。というのも一応は考えてみたが、呪いを纏めた本の数冊から抜き出した、どの文字に目を通して見てもそれを裏付ける記述は出てこない。
此処にある本には載っていない呪いという可能性も無きにしも非ずだが。あらゆる文献を集めたこの本屋にない呪殺法を知り、あまつさえ使いこなせる人間が、少し芋っぽい普遍的な一般人の唯名ちゃんを襲うとは到底思えない。
軍人スナイパーが民間人を狙い打つくらいの確率だ。
しかしながら大見栄きったくせに原因が分からない以上、対策も練れやしないな。悪意ではなく善意をもって人を殺そうとする付喪神だなんて一体なにがどうなっているんだか、さっぱりだ。
「どーすっかなー」
強制的に唯名ちゃんからペンダントを引き剥がすことも不可能じゃあない。
けれど、それは最後の最期、本当に打つ手がなくなった時の最終手段だ。無理矢理に強行するのだから、それ相応の危険を唯名ちゃんに強いることになる。それでもし死なれたりしたら、目覚めが悪いなんてものじゃあない。
だが、かと言って他に方法が見つからないのも事実。
あのペンダントを詳しく調べるにしてみても、出自を辿ってみたとして軽く見ても一世紀以上過去の、千九百年代より昔の代物だ。平成の今からそこまで遡っても、それまで数々の人の手を渡り歩いたことだろう。容易には行き着かないことくらい子供でも分かる。
非常に困難。世に言う、悪魔の証明という奴だ。
「早くも手詰まりか。まぁ、今日始まったことだ、猶予もまだある。今日の所はこの辺にして寝るか」
時計の長い針と短い針はともに天辺を越えて傾いている。最初にあった心構えは何処へやらだが、今日やれることはやった。今の俺に必要なのは思考を停止してからの安眠だ。時刻は草木も眠る丑三つ時、俺も草木と同じように眠ってしまうとしよう。
Ⅱ
俺の一日は一杯の紅茶から始まる。
訳もなく。今日も今日とて、俺は自分の腹に棲む虫のけたたましい鳴き声で目を覚ました。
眠気眼を擦り、大きな欠伸をして時計を確認すると、時刻は午前八時を過ぎたくらい。出来ることなら、これから二度寝して昼頃まで夢を見ていたいものだが、それはさっきから五月蝿い腹の虫が許してくれそうもない。
歯を磨いて朝飯にしよう。といっても、冷蔵庫にはパンの耳くらいしか入って居ないが。
「いただきます」
卵に砂糖と牛乳を混ぜ解いて、パンの耳を浸したものを焼いたフレンチトーストもどきを作り。それを口に運びながら、俺は軋まない椅子に腰掛けて今日するべきことを頭の中に並べていく。
とりあえずは、他の言霊師に連絡をとって付喪神の情報を聞くこと。それから万が一を考えて、唯名ちゃんを呪殺しようとしている奴がいないかを探るための身辺調査。あとは辿れる範囲でペンダントの出自を調べることくらいか。ぱっと思いつくのはそれくらいだな。
「ごちそうさま。あー、はらへった」
言った側から、舌の根も乾かぬ内に矛盾したことを言ったな、いま。
いや、それも仕方がない。腹の虫はなんとか黙らせたが、やっぱりパンの耳じゃあ腹は膨れないのだから。日本人は米を喰わなければならない、そうしないと直ぐに胃の中が五月蝿くなる。まったく、腹の虫に鳴かれて、閑古鳥に鳴かれ、騒がしいことこの上ないな。
どんだけ忙しいんだよ、寂しそうに鳴いたり、腹減ったって鳴いたり。羨ましいよ、やりたいことが沢山あって。いい加減、黙ってくれませんかねー、ほんと。
「すみませーん」
なんて実際には居もしない閑古鳥や腹の虫に八つ当たりをしていると、硝子障子を控えめに叩く音が響き、これまた控えめな声が来客を知らせる。まだ店は始まってないから、この場合は来訪か? どっちでもいいか。
「ふぇーい」
こんな時間に誰かが来るとは珍しいなと思いつつ、そんな腑抜けた返事をして中を隠蔽していたカーテンをスライドさせる。そうして丸裸となった硝子障子越しに見えたのは、物凄く見覚えのある人物だった。というか、昨日顔と名前を覚えた人物だった。
うーん。確かに昨日は全然大丈夫だとは言ったけれど、まさかこんなに朝早く来るとは思わなかったな。まぁ、直ぐそこまで迫った死の恐怖を鑑みれば、妥当と言えば妥当なのか。そんなに驚くほどでもない。
「おはようございますっ」
錠を外して硝子障子を横に引いて隔てるものを無くすと、立て付けの悪さからくる喧しい音にも負けない、よく声の通ったいい挨拶が飛んでくる。現役女子高生は朝から元気がいいな、低血圧で朝に弱い俺にとっちゃあ羨ましい限りだ。
「あぁ、おはよう唯名ちゃん」
「あっ、もしかして起こしちゃいましたか?」
「いや、もう起きてて、さっき朝飯を済ませたところだ。気にしなくていいよ」
しまった、と言わんばかりの申し訳なさそうな顔をした唯名ちゃんだったが、俺の返答を聞いてほっと安堵の表情を見せる。うんうん、最近この近くで蔓延っている糞ガキ共と違って、ちゃんと気遣いができる良い子じゃあないか。
まぁ、俺も態度の悪い高校生を糞ガキと言える歳でもないけれどな。
「それで、どうしたんだ? またペンダントの話でも聞きに来たのか?」
「いえ、今日はえっと、差し入れをと思いまして」
「差し入れ?」
「私を助けるために色々と手を尽くしてくれてますから、私にも何か出来ることはないかなって」
その答が差し入れか。それはまぁ、なんともありがたい。今時の高校生にしては随分と律儀なことで。
「それであの、これ……なんですけど」
学校指定の可愛らしいデザインをした手提げ鞄に手を突っ込み、そうして出て来たのは、ピンク色の包みに包まれた長方形の物体だった。なにやら学生時代に良く似たものを、ほぼ毎日見ていたような気がするが、ひょっとして。
「これって、弁当箱か?」
「はい。何か出来ることはないかなって考えてみて、最初に思いついたのがそれだったんです。えへへ」
なんというか、なんと言ったらいいか。とりあえず分かったことは、女子力めちゃくちゃ高いな、この子、ってことだった。普通、昨日知り合ったばかりの怪しげな男に弁当箱もってくる猛者なんて中々いないぞ。それも口振りからして、恐らくは手作りだ。
女子高生の手作り弁当だ。
女子高生の手作り弁当だ。
素直なことを言えば、これは滅茶苦茶ありがたい差し入れだ。
腹が減っているというのもあるが、一番の理由は昔に食べたおはぎを思い出すからだ。子供の頃は客として来ていた爺ちゃん婆ちゃんに、手作りのおはぎやら、ポーチから無限に出て来る飴玉をよく差し入れと称して貰ったもんだ。だから思い出す、昔の思い出を。
懐かしいな。
「ありがとう。ありがたく頂くよ」
「はいっ。それじゃあ私はこれで、さようならっ」
ピンク色の包みを片手に見送るのは、女子高生の背中。
というか、昨日に受けた唯名ちゃんの印象と、今日の唯名ちゃんの印象が若干違っていたような? ふむ、一晩あけて心の整理がついたってところか? まぁ、それでもいいけれど、無理をして空元気ってことじゃあないといいが。
Ⅲ
「付喪神だあ?」
電話越しに聞えてくるのは、低くて渋いおっさんの声。
付喪神について助言を請うため、こうして知り合いの年季の入ったおっさん言霊師に、俺は連絡をとったしだいだった。この人は蒸発した親父の古い友人で、俺も少しの間だけ面倒を見てもらったことがある。
気さくで、豪快で、快活で、まったく年齢的衰えを見せない、若さ漲るおっさんだ。あと、異様に女にもてる、顔を合わせるたびに側にいる女が違うくらいだ。あのおっさんの何に惹かれてるんだろうな、女の考える事はいまいち良く分からない。
ただ玉に瑕があるとすれば、おっさんらしく煙草くさいのところだな。
「なんだ、おめぇ。今更そんなこと聞きに連絡よこしたのか?」
「そうだよ。ただ、今回はちっとばかし厄介なことになってるんだ」
「厄介?」
俺はことの経緯をおっさんに話した。首から外せなくなったペンダントのこと、短くなって行く鎖のこと、付喪神が既に改心して善に目覚めていること。どうやらそのせいで、話がうんとややこしくなっていること。その他もろもろ、現状で分かっていることの総てを。
「そいつは妙だな。おめぇの見立てじゃあ付喪神に間違いはねーんだろ? なら、善意でその譲ちゃんを殺しに掛かっている訳だ。なるほど、こいつは確かに言うとおり厄介な話だ」
「だろ? だから連絡よこしたんだよ。話を聞いてなにか分かったことはあるか?」
「ん、んー。そうだな、俺には既にことの真相ってもんがありありと瞼の裏っかわに浮かんでんだが、それをただ教えるだけじゃあ、おめぇのためにならねーよな。だから教えてやんねー」
「んなこと言って、実際は分かってねーんだろ」
「ばっきゃろう、おめぇ。俺が分かったって言ったら分かってんだよ」
「はいはい」
おっさんに聞いても分からないか。こりゃあ、ひょっとしたら新種の妖なのかもな。付喪神から派生した亜種とでも呼ぶべきか。もし本当に亜種だとしたら解決法も丸っきり分からないから、今すぐに現状を打開できそうにないな。
どうしたもんか。
「あっ、おめぇ、信じてねーな。だったらひよっこ言霊師に、一つだけヒントをやろう」
「ヒント? なんだよ、それ」
「マリオネットって知ってっか?」
「操り人形ってことだろ?」
「つまり、そういうこった」
どういうことだよ。おっさんの言っている意味がまったく分からないぞ。付喪神と操り人形とで、なんの関係があるって言うんだ? おっさんのことだ、まさか出鱈目を言っているって訳じゃあないだろうしな。
うーん、分からない。
「はっはっはー。分かんねーって顔してんな? ひよっこ言霊師。電話越しにでも分かるぜ? 」
「うっせえヘビースモーカー、禁煙しろ。いい加減、控えることを憶えねーと早死にするぞ」
「大きなお世話だ。煙草やめて細く長く生きるくらいなら、煙草吸い続けて太く短く死んでやらあ。そいつが人生の楽しみ方って奴だ。覚えとけよ、糞ガキ」
「糞ガキじゃあねえ、糞爺!」
言いたいことだけ言って、受話器を勢いよく叩き付けて電話を切る。言い逃げである、言ったもん勝ちだ。ざまあみろ。
「んあ? メール」
そうして出掛けようと靴を履き始めた所で、携帯電話が軽快な音を響かせる。メールの受信を知らせる音だ。送って来たのはおっさんでメールの内容は、今のヒントで分からないなら連絡してこい、答と対処法を教えてやる、だった。
くっそ、あの爺、本当に真相が分かっててヒントを出していたのかよ。
あーもう、敵わないな、あのおっさんにだけは。どうしても逆立ちしたって敵いやしない、対峙するたびに自分の未熟さと子供っぽさを思い知らされる。これが年季の違いって奴か、それでもあんな風になりたいとは微塵も思わないが。
「はぁ、俺もまだまだ子供だな」
Ⅳ
時は流れて、時刻はもう直ぐ一般的な高校の下校時間。初夏とあってまだ日は高く、照り付ける日光がアスファルトを虐め倒しているそんな時間。
おっさんとの通話を切ってから、ペンダントの出自を追ったり、唯名ちゃんの家族構成を洗ったりをして。その他もろもろのことを一日がかりで片付けた俺は、唯名ちゃんの通う春風高校の目の前にあるコンビニで立ち読みをしているのだった。
別にやることがなくなって暇を持て余している訳じゃあない。此処でこうして立っているのは、唯名ちゃん自身の身辺調査をするためだ。
可能性は限りなく低いものの、まだ呪殺の線も捨て切れない。という理由で、唯名ちゃんの両親の職業と人間関係、祖父母の現状、などなどを軽く調べ上げ。今は今日の最期に下校時刻をまって、唯名ちゃん自身の交友関係を把握しようとしているところなのだ。
いやー、それにしても疲れた。俺が言霊師じゃあなくて重要書類の文字を秘密裏に抜き出せなかったら、今日中には終わらなかっただろうし絶対に途中ぶっ倒れていたな。
この程度で根をあげるくらい基礎体力が低いのも、それもこれも日頃の食生活の賜物だから仕方ないが、それにしたって体力落ちすぎだろう、俺。そのうち栄養失調にでもなるんじゃあないか? 冗談と言い切れないところが心底怖い。
因みに、途中であまりの空腹から倒れそうになった時に、とっておいた唯名ちゃんの弁当を食べた際、思わず涙がでそうになったのは余談である。
「おっ、出て来たな」
暫く待っていると、校門からぞろぞろと溢れ出る生徒の波が確認できた。それに注意を払いながら、形だけのカモフラージュとして、手に取った雑誌のページを読みもせずに適当に捲って行く。
さて、唯名ちゃんは何処だ? 頼むから部活で帰るの遅くなりますっ、なんて言わないでくれよ。手作り弁当で体力を回復したとはいえ、今はもう立っていることすら辛いんだから。出来ることなら、ここに椅子を持ち込みたいくらいだ。
「あ、いた」
俺の願いが天に通じたのか、友人らしき女子高生と二人組みになって談笑しながら下校する唯名ちゃんを見つけた。天は俺に味方してくれたようで感謝感激雨霰だ。ちょうど友人らしき女子高生もいるし、そこから芋づる式に交友関係を洗ってやろう。
唯名ちゃん本人に恨まれるような心当たりがないか聞くのも良いが、自分に向けられた敵意ってもんは中々気付けないことが多い。それよりかは第三者に聞いた方がまだ効率的だ。それに交友関係を調べるだなんて言ったら、気味悪がられるかも知れないしな。
現役女子高生に嫌われるのは辛い。
「ばいばーい」
そうして自分の存在に気付かれないように、なるべく気配を消しながら尾行すること暫く。
分かれ道に差し掛かった二人は、その場で手を振り合って二手に別れ、各々の帰路へと歩み出した。好機、と叫び出しそうになるのを押さえながら、俺は唯名ちゃんの友人が進んで行った道に向かう。すこぶる都合のいい展開だ、早く家に帰れそうで俺は嬉しい。
っていうか、なんだかストーカーみたいだな、俺。




