水玉
Ⅰ
狐憑きについての小難しい話は一度、脇に置いておいて、信頼を勝ち取るために愛美さんと御話をし始めて幾十数分。話にちょうど良いきりがついたところで、愛美さんは席を立ち。紅茶のおかわりを持ってきますねー、とキッチンの方へと向かったのだった。
「ふぅ」
ある程度会話を交わしたことで、なんとなくだが愛美さんの人となりが分かってきた。たぶん、向こうも同じだろう、少なくとも俺がどういう人間なのか大体の予想がついているはずだ。だが、それだけじゃあまだ、信用してくれとは言えない。
明らかなマイナススタートだったんだ、これで漸くゼロに戻れたと考えたほうが賢明だ。
「今日中にってのは無理……だよなぁ」
これから何度もここを訪れて、会話を交わして、少しずつ信頼関係を築き上げる。そうしてから初めて、狐憑きの対策に移れるんだ。長い道のりだ。
唯名や浮夜のときみたく、向こうが散々怪奇現象に悩んで俺のところを訪れたり、妖怪という化物を明確に認識しているのならともかく。愛美さんは、特に自覚もなく異形の者に対して半信半疑。先ず異形の者の存在を認識してもらって、俺のことを信用して貰わないと何も手が出せない。
心に取り憑いた狐が、愛美さんが抱く俺に対する不信感や疑惑を感知して、暴れ出すかも知れないから。
「んー、んー、んー」
何気なく、愛美さんが遠ざかったこのリビングを見渡す。
女の子女の子した部屋の中をぐるりと一通り目を通し、そしてとある物が目に付く。水玉模様のカーテン。そう言えばと既視感を覚えた俺は再び、同じように部屋中をぐるりと見渡すと直ぐに気が付く。
とは言っても、この女の子らしい空間には水玉模様をした物が結構たくさんある、という下らないことだけれど。
「お待たせしましたー」
そんな小さな発見をしていると、愛美さんが紅茶ポットを片手に戻って来た。例によって、その紅茶ポットには水玉模様があしらわれている。
水玉模様がそんなに好きなのだろうか? それとも色々と買い揃えている内に、自然と集まったとか? まぁ、人の趣味趣向なんて他人の俺が気にすることでもないか、気にしても無駄なことだしな。
「さーて……なんの話をしていましたっけー?」
「えーっと……あぁ、そうそう。愛美さんとだんな……んんっ、五十嵐さんとの関係についてですよ」
つい何時もの癖で旦那と呼びそうになるのを堪えて、さっきまで話していたことを教える。
もともと、作って来た人脈の広がりがかなり不可思議な人だからな、旦那は。だから、話題の一つとして愛美さんと旦那が知り合ったときのことを興味本意で聞いていたのだった。まぁ、愛美さんの口から述べられた事の顛末は、意外と拍子の気するような普通の出会い方だったんだけれど。
「確か、愛美さんが働いている花屋さんに、五十嵐さんが花を買いに来たのが知り合った切っ掛けなんでしたっけ?」
「そうなんですー。雨音さん、何度も花屋さんに足を運んでは、花について熱心に質問してくれたんです。だから、それに答えて行く内に少しずつ関係が深まっていって、今ではプライベートでもたまに一緒に過ごすことがあるくらい、仲のいい友達なんですよー」
そう、楽しそうに旦那を語る愛美さんの表情はとても可愛らしくて愛らしく、幸せそうで。そして、まるで思い人を思い浮かべて思いを馳せているかのように、その頬は仄かに赤みを帯びていた。仲のいい友達とは言っているが、それが果たして本心なのかは定かじゃあないな、この様子じゃあ。
それにしても、あの旦那が花屋にねぇ。それも花について積極的に質問するとは、どういう風の吹き回しなんだか。
「なんだか、私ばかり話してしまいましたね。そう言えば、にのまえさんは良くこうして幽霊なんかをお払いしているんですか?」
そう言えば、の後に手の平と手の平をぱんっと打ち合わせた愛美さん。
「いや、しょっちゅうって訳じゃあないですね、多くても一ヶ月に三回四回くらいです。俺の本職っていうか、表向きは本屋さんなんで表立ってそういう活動はしていないんですよ」
それとなく噂を流している程度だ。一書店という本屋に行けばお払いをしてくれる、という眉唾ものの噂を。
本気で怪奇現象に悩んでいてもう打つ手が無い。こんな信憑性の欠片もない噂に縋り付くほど、切羽詰っている人間。そう言った人にしか、俺の所へ辿り着けないような仕組みになっている。その代表的な例が唯名だな。
そうでもしないと、あっという間に言霊師の御業が世に広まってしまうかも知れない。それに怪奇現象にあっていると勘違いした人を悪戯に呼び込まないようにするには、そうするより他にないからな。門前払いする訳にもいかないし、異形の者の被害にあっていない人からお払いと称して金を受け取るのは性に合わない。
「本屋さん? それじゃ二束の草鞋を履いているってことなんですね?」
「そうなります。でも、やりがいのある仕事ですよ、本屋に関しては楽しいことだらけですから」
金には困っていますけれど。
「やりがいがあって楽しいことだらけですかー、そういうところは花屋さんにも通ずるものがありますね。因みにどんな本が置いてあるんですか?」
「うーん、沢山あり過ぎて何から喋っていいのやらですけれど。そうですね……例えば、花に関する本が沢山ありますね。花の写真集だとか、花言葉だとか、花の育て方だとか色々と」
「まぁ! それは興味をそそられますね。私も仕事柄、御花の本はたくさん持っているんですけど、どれも難しくてなかなか要領を得ないんです」
「なるほど、それは大変だ。それじゃあ今度、うちの店を是非とも訪ねて来てください。取って置きの一冊を用意して待っていますので」
花の話題が出てからというのもとんとん拍子に話は弾み。どさくさに紛れて店の宣伝をしたり、かなり打ち解けられたのだが、代わりに随分と長居をしてしまったのだった。
今日、俺が帰るまでに話をしていて分かったのは、愛美さんはとにかく花の話をするのが大好きだということ。
花屋に勤めているとだけとあって、愛美さんが有する花の知識は実に豊富で。思わず感心してしまうような話の数々を話してくれたり、逆に此方が質問をすると懇切丁寧に分かりやすく説明してくれたりで、話していてとても楽しく感じられた。
恐らく、旦那も質問した相手が愛美さんじゃあなかったら、そこまで花のことを知ろうとは思わなかっただろう。俺自身、花にまったく興味がなかったが、愛美さんの話を聞いていて少し興味が沸いてきた。愛美さんには人の心を動かすだけの話術がある。
それも花が好きだという表れなんだろう。
「おっと、電話だ」
愛美さんとかなり打ち解けられ、ではまた今度とマンションを後にして帰路を歩いていた時のこと。
マナーモードにしていた携帯電話が小刻みに振動し、俺に着信を知らせた。携帯電話のディスプレイに表示されたのは、他の誰でもない五十嵐雨音の文字。おおかた、愛美さんと会って上手く話が出来たのか、順調に事を運べたのかの確認ってところかな?
「はい、もしもし。旦那か?」
「うん、旦那だよ。それで一チャン、もう愛美さんのところには行った?」
「あぁ、愛美さんの家に行って、今から家に帰るところだよ。だけれど、こうして電話を掛けてきたってことは、現状報告が聞きたいってことなんだろう? 良いよ、何処に行けば良い?」
「ははっ、一チャンは話が早くて助かるね。そうだなぁ、じゃあこうしよう。昨日の居酒屋で集合ってことで」
「了解。それじゃあこれからそっちへ向かうよ」
「うん、先に居酒屋に行って、首を長ーくして待ってるね」
通話を終えて、ポケットに携帯電話を押し込む。
さて、急ぎ足で居酒屋に向かうとするか。
Ⅱ
時間は少し流れて、待ち合わせ場所である居酒屋に辿り着いた俺は、中で待っていた旦那と合流した。
俺が旦那の向かい側に座ると、ちょうどタイミング良く注文されていた料理が店員さんによって運ばれ、目の前に並ぶ。俺が此処にくる時間を予測して、旦那が先に注文を済ませて置いてくれたようだった。この手際の良さは流石、相変わらずといったところだ。
「先ずは食べよう。それからじっくりと話を聞かせてくれ」
「あぁ、いただきます」
そうして昨日と変わらず、けれど酒は飲まずに俺は料理を食べ進め、ぽつりぽつりと狐憑きについての話を始めて行く。
「とりあえず、今は愛美さんとの信頼関係を築くことが先決だと判断したよ。今日、色々と話して打ち解けはしたけれど、それでもまだ信頼される間柄になったとは言えないから」
「そうか、そうだよねぇ。そんなに上手くは事を運ばせてくれないよねぇ、異形の者って奴らは」
「そうだな、ほぼ長期戦になると考えるのが賢明だ。事を急いては仕損じる」
その話を聞いて深く溜息を吐き捨てた旦那は、がっくりと視線を下げる。
こうなることは分かってはいたが、それでも実際に事実を目の当たりにすると、意気消沈せざるを得ないってところかな、旦那の心境は。それ程までに花屋で知り合った愛美さんが心配で、大事で、取り憑いた狐の霊が憎たらしいということなんだろう。
……ふむ。再会した時から思っていたんだが、旦那のリアクションに違和感を感じるんだよな。
不自然と言われれば不自然だ。俺の知っている旦那と、今俺の目の前にいる旦那は少し違う。リアクションがわざとらしいという意味じゃあない、何時もならもっと飄々としている旦那が、今日この時ばかりは感情を表に出している、出しすぎている。それが、ちょっと気になるんだ。
んんん……あれ? これってもしかして。
「なぁ、旦那。旦那の好きな模様ってなんだっけ?」
「模様? そうだなぁ、水玉模様かな。俺の名前も雨音だし」
「それじゃあ旦那、もしかして愛美さんにカーテンとか、紅茶ポットとか、プレゼントしたことないか?」
「したことあるけど、それがどうかした? っていうか、どうして知ってるの? そんなこと」
あぁ、じゃあもうこれで決まりっぽいな、これりゃあ。
今までの不自然な、何時もらしくない旦那のリアクションや今の言葉を鑑みれば、大きく間違ってはいないだろう。
「旦那。旦那と再会して話を聞いてから、ずっと頭の片隅にはあった事なんだけれど。この方法を使えば、今すぐにでも安全に引き剥がせるかも知れないぜ。愛美さんに取り憑いた狐憑きをさ」
「なんだって!?」
旦那にしては珍しく、普段よりも大きめな声を上げて驚く。
「どうすればいいんだ? 一チャン。教えてくれ」
俺は言葉にする。
狐の霊をどうにかするには、お願いするか自然に出ていてくれるのを待つしかないと言って置きながら、狐憑きについて復習した時に思い出し、それからずっと頭の片隅にあった解決方法を。花のように儚く、雨のように一瞬で落ちる。例えば唯名や浮夜にこのことを話せば、甘酸っぱいだとかほろ苦いだとか、そんなことを言うに違いない方法を。
「ってことだよ。これは俺には出来ないことだ。出来るのはこの世でたった一人、旦那だけだ」
「……一チャン。でも、それって」
「旦那が心配しているようなことなんて、愛美さんに限って無いと思うけれどな。旦那がプレゼントした水玉模様のカーテンや紅茶ポット、愛美さんは幸せそうに使ってたぜ。俺の見立てだと、かなりの確率でこの解決方法は成功する。あとは旦那が覚悟を決めて、一歩踏み出すだけだ」
旦那は暫くの間、黙り込む。黙り込んで深く深く考える。
「……一つ確かめさせて欲しいんだけど。この方法を実行して成功すれば、愛美さんを助けられるんだよね?」
「あぁ、それは保障する。言霊師の矜持に掛けてだ」
「……分かった。そこまで言うのなら、俺は一チャンを信じるよ。俺にしか出来ないことなら、やるしかない」
幾つもの決意を固め、それを飲み込むように旦那はグラスに並々と注がれたビールを飲み干した。
これでもう俺に出来ることは無くなった訳だ。強いて言うなら、旦那と愛美さん二人の行く末をただ見守るだけ、たったそれだけだ。たったそれだけでいい、俺が心配するまでもなく、きっと旦那は上手くやれるだろう。
「さて、俺のやるべきことも無くなった訳だし、俺も酒を飲もうかな」
「あぁ、今日も俺の奢りだ。好きなだけ喰って飲んでくれていい、俺もその方が気持ちが良い」
そうして今日という日は、狐憑きの依頼と共に終わりを告げたのだった。そして話は冒頭へと戻る。




