ひょっとこ
Ⅰ
「だたいま。店番ごくろうだったな」
「あっ、おかえりなさい」
「おかえりなさい。にのまえさん」
四月一日蜻蛉を連れて歩くこと幾分。
一書店に辿りついた俺は留守のあいだ店番をしてくれた唯名と浮夜に、労いの言葉を掛けながら店内に足を踏み入れた。直ぐに返って来た返事や二人の表情をみる限りでは、どうやら店番は上手く行っていたらしい。何か問題が起こっていれば、もっと深刻そうな顔をしていそうだからな。
「へぇ、あんたの家って本屋なんだな。……って、あっ」
一先ず何事も無かったことに安心した俺の後ろに続き、四月一日蜻蛉も硝子障子のあいだを潜って入店する。そして何やら突然、驚いたような仕草をみせると、前方にいる唯名や浮夜に釘付けとなった。
「かっ、蜻蛉くん?」
それに呼応するかのように、唯名のほうも目を丸くして彼の名前を呼ぶ。もしやと思い、視線をその隣に移してみると、声こそ出して居ないが浮夜も唯名と似たようなリアクションを取っていた。
「なんだ? 知り合いなのか?」
「えっと、私と浮夜ちゃんのクラスメイトです」
そうか、そりゃあ驚きもするな。雇い主が用事を終えて帰って来たら、いきなりクラスメイトが現れたとなっちゃあびっくりしても仕方がない。ちょっと驚きすぎているような気もするが、これは俺の思い過ごしか?
「あんたら、此処でバイトしてるのか?」
「浮夜ちゃんは違うよ!」
「じゃあ、したながはバイトしてるのか?」
「えーっと……」
四月一日蜻蛉の質問に、何故か口ごもった唯名は助けをもとめるように視線を向けてくる。
そんな目で助けを求められてもな、俺には唯名が何に困っているのかさっぱり分からないんだが。ふむ、唯名の困ったような目を見ていたら、俺が何かを忘れているような気がしてきたぞ。なんだ? 俺は何を忘れている? というか、思い出せていない?
「にのまえさん」
と、記憶の引き出しを順に調べていると、隣にまでやってきた浮夜が服の袖をくいくいと引っ張り、他の誰にも聞えないような小さな声で俺の名前を呼ぶ。
「うん?」
「春風高校の生徒は原則アルバイト禁止なんです。ですから」
「なるほど」
合点がいった。
そう言えば浮夜が初めて此処に来たときも、それらしい事を唯名に言って咎めていたっけな。あの後、友達のよしみという事で浮夜は校則違反を学校に報告しなかったようだが。今回のただのクラスメイトである四月一日蜻蛉にはそうも行かないってところか。
うむ、そういう事なら仕様がない、助け舟を出そう。唯名がここで抜けられると、かなり辛いからな。
「あー、蜻蛉。唯名はな、別にここでバイトをしている訳じゃあないぞ」
「そうなのか? でも、その割にはカウンターにいるし、客には見えないんだけど」
そう来ると思っていた。だから、言い訳はばっちり考えてある。
まぁ、これはだたの流用だが。
「あぁ、それは唯名がバイトじゃあなくて、手伝いだからなんだ」
「手伝い?」
「そう、手伝いだ。実は俺は唯名の従兄でな、たまにこうして店を手伝って貰っているんだ。な? 唯名」
「え? あっ、はい! その通りです! だから全然校則違反なんてしてないよっ、蜻蛉くん!」
「そっ、そうか。なんだか不思議な縁だな、世界は狭いっていうか、なんて言うか」
よし、思惑通りに上手くことが運んだな。
だが、今になって言うのもなんだが、これって嘘をつく意味が本当にあったのかどうか疑問だ。二人は知っているのか知らないのか分からないが、四月一日蜻蛉は四月蜻蛉で煙草を吸ったりしてかなり校則に違反している。たとえバイトしている事が知られても、学校にわざわざ報告するとは思えない。
まぁ、何を言ってももう嘘は付いてしまったし、本人もそれで納得しているのだから良しとするか。
「唯名、浮夜。悪いけれど、そのまま店番しててくれるか? 俺はちょっと男二人で話さなくちゃあならないことがあるんだ」
「はい、分かりましたけど。蜻蛉くんと何かあったんですか?」
「内緒だ」
「内緒……ですか、分かりました。唯名、もう少し店番していましょう? お客さんが来るまで勉強の続き、教えて上げるから」
無闇に火男のことを教えても怖がらせるだけだろうと判断して唯名と浮夜には事情を伏せる。
浮夜は逸早く事情を察してくれたようで直ぐに納得してくれた。こういう時、しっかりものは頼りになる。流石は眼鏡を掛けているだけのことはあるというものだ、その知的な雰囲気に似合う勉強を教える側に立って、唯名の興味を引いてくれた。
とはいえ、べつに唯名がしっかりしていないという訳じゃあ決してないんだけれどな。
Ⅱ
「さて、これで火傷のほうは大丈夫だろう」
唯名に引き続き店番を任せた後。
俺は四月一日蜻蛉を、以前はじめて唯名がここに訪れた際に使った客室に通し、救急箱と保冷剤を持って来て火傷の手当を施した。火傷の範囲はそれほど広くなく、そして肌が赤くなる程度のものだったので、素人の治療でも充分回復が見込めるだろう。
火傷の原因は恐らく、赤く腫れた皮膚の範囲や場所を考えて、火男に腕を掴まれたことだろう。あの状態の火男の体温は人間を遥かに上回っているはずだから、掴まれただけでも火傷してしまう筈だ。
「ありがとう。えっと、にのまえさん」
「あぁ、気にしなくていい」
包帯やら何やらを救急箱に戻して、俺は改めてコンパクトな保冷剤を包帯で腕に巻きつけた四月一日蜻蛉と向かい合う。
「それでだ。火傷の手当てが終わったところで、ちょっと真面目な話をしなくちゃあならない」
「あの大男のこと、か?」
「あぁ、そういうことだ」
俺はそう返事をしながら、救急箱と一緒に持って来ていたある物を卓袱台の上に置く。
「これは……御札か? これがにのまえさんが言っていた渡したいもの?」
「そう。それはお前の言う通り、ようは御札と似たようなものだ。まぁ、御札って言うには、かなりお粗末なもんだがな」
何せ、長方形の白い紙に大きく道と書いてあるだけの何処に出しても恥ずかしい代物だ。それはもう、一目見ただけでこれが御札だと推測できた四月一日蜻蛉が、稀代の名探偵に思えるくらいだ。それくらい俺が卓袱台の上に置いた御札は作りが荒い。
適当と言ってもいい。
「御札だと言い当てたお前のことだ。それの使い道はもう察しが付いていることだろうから、この際、詳しい説明を省くが、まぁ魔除けと認識しておいてくれ」
「魔除け……、この道って言う字に魔除けの効果があるのか? なんつーか、ぴんと来ないな」
「んー、そうだな。お前、道っていう漢字の元を知っているか?」
「いや、知らないな」
そうか。いや、知っていたら俺に質問してないか。
「道っていう漢字には、首っていう字が入っているだろ? なんでだと思う?」
「首……そう言われて見たら意味が分からないな。道っていうなら首じゃなくて足とか土とか、そういう系統の字が入っていそうなものなのに」
「だよな? でも、にも関わらず首の字がそこに入っている理由。それは昔の人が生首を提燈にして夜道を歩いていたからなんだよ」
「うぇ」
道という漢字の成り立ちについての話を聞いた途端に、物凄くいやそうな顔をした四月一日蜻蛉は、その感情を声にまで出す。思わず我慢できずに表面に出てきてしまった、そんな表情と声音だった。
「なんでそんな事してたんだよ、気持ちが悪い」
「人の生首って奴は一種のまじないだったのさ。だから、夜道を歩くときには首をぶら提げて、怖いものに出くわさないように願った。言ってしまえばお守りとか気休めみたいなものだが、それが転じて道という漢字になったという訳だ」
「だから、魔除けになるのか。道っていう漢字は」
成り立ちについては諸説あるようだから一概には言えないが。それでも言霊師の御業で効力をもった、この道という字が張り付けられたお粗末な御札には間違いなく魔除けの御利益がある。それだけは確かだ。
「これを持ってさえ居れば、また何処かで火男と出くわしても逃げる時間くらいは稼いでくれるだろう。だから、暫くはそれを肌身離さず持ち歩いていろよ」
「時間稼ぎか、倒すことは出来ないんだな」
「当たり前だ、そんなぺらぺらの紙一枚で倒せるような相手じゃあない」
倒せていたらどれだけ気が楽になるか分かった物じゃあない。
妖怪や幽霊といった異形の者と対峙するときは、付喪神しかり獏しかり何時如何なる時でも命懸けだ。何時なにがどうなっても可笑しくない奴らを、俺達言霊師は相手取っているんだからな。もしも御札一枚でどうにか成るものが開発されたら、まさに願ったり叶ったりだ。
作った人には足を向けて眠れないね。
「……じゃあ、あの大男はやっぱり人間じゃないんだな。薄々そうなんじゃないかって思ってたけど、此処に来て漸くはっきりと理解したぜ」
「理解したまま、忘れるんじゃあないぞ。災いは忘れた頃にやってくるんだからな」
卓袱台の上に置いていたお粗末な御札を拾い上げて、真剣な眼差しで見詰める四月一日蜻蛉にそう忠告をする。
んんん、この際だ。いっそうのこと四月一日蜻蛉に火男の情報を教えて置くか。何も知らないよりは知っておいた方が身のためだろう。教えなかったがために自分で知ろうとして、不用意に深く異形の者に関わってしまう、そんな最悪の事態を避けるためにも。
「事の次いでだ。火男についても教えておいてやる」
「助かる。俺もいい加減、気に成ってたところなんだ。あいつが一体何者なのか」
御札に向かっていた視線が此方を向く。ちゃらちゃらとした外見からは想像も付かないような、真剣な瞳だった。
「さっきから言っているようにあの大男は火男といって、分かりやすく言えば妖怪だ」
「妖怪……」
「信じられないか?」
「いや、大丈夫だ。実際に見ちまったからな、納得するしかない。続けてくれ」
手の平で包帯と保冷剤の上から火傷を押さえる仕草は恐怖のぶり返しか、それとも今新たに畏怖しているのか。どちらなんだろうな。
「そうか、じゃあ続けるぞ。ひょっとこの語源でもある竈の火を吹く火男は、その名の通り火を纏う妖怪だ。奴らの身体に纏う火はかなり強力で障ると火傷じゃあ済まされない。だが、それが同時にネックとなって人間社会になかなか溶け込めずにいる。だから、油をつかって」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ。今、人間社会になかなか溶け込めずにいるって言ったか? ってことは、もしかしてあいつ見たいな奴があと何人もいて、俺達の社会に入り込もうとしているってことなのか!?」
「んんん、あぁ、火男に限らず人に近い外見をしている妖怪の大半は、既に人間社会に入り込んでいるよ。妖怪であることを隠して、人間の振りをして、寝て、起きて、食べて、働いて、金を稼いで家庭を護っている。さて、お前が今日すれ違った人のうち何人が妖怪なんだろうな?」
「そんなレベルでかよ……」
絶句。衝撃の事実を突きつけられて声も言葉もでない、まさに絶句の状態だった。
「まぁ、そんなに悲観することでもないさ。人間社会に溶け込むということは、人と共に生きることを決めたということだ。そんな妖怪達は基本的に人間を襲ったりはしない、そんな事をすれば自分の立場が危ないからな」
「でも、じゃあ今回のあれはなんだったんだよ」
「あれは特例だ。ライターのオイル如きで人を追い掛け回して危害まで与えるなんて、特例もいいところだ」
あれは、あの火男は相当切羽詰っていた。
そもそも掴んだだけで火傷を負わせるなんて、近付くだけで熱気が飛んで来るなんて、そこに居るだけで気温が上昇するなんて、そんな状態の火男がこんな街中に居るはずがないんだ。なにかが可笑しい、何かの歯車が狂ってあんな事になったと勘繰らざるを得ない。
「そうだ、どうしてその火男はライターのオイルなんてものを欲しがっていたんだ?」
「あぁ、それは火男が人間社会で生きて行くために、油が必要だったからだよ」
「油が? どうして」
「油を飲んで、纏っている火を全部体内で燃やし尽くすんだ。そうすることで人間と近い状態になって、火男は妖怪ではなく人間として生活する。恐らく、あの火男は体内で火を燃やし尽くせるほどの油が足りてなかった。だから、偶然近くにいてライターを所持していたお前を追いかけ回したんだろう」
「んん? でも、それって可笑しくないか? 油なんてワンコインあれば買えるような物だぜ? それこそライターなんて百円だ。人間として働いて給料を貰っているのに、その程度の物が買えないもんなのか?」
「そこが俺にも分からないところなんだよ。どうして火男はわざわざライターのオイルなんて物のためにお前を追いかけ回したのか。皆目見当もつかない」
とにもかくにも、どんな事情が裏にあれど火男が人間を襲ったのは動かぬ事実なんだ。ここで俺が行動に出ずに、ただ黙って放って置く訳にはいかないよな。
あいつらに連絡するっていう手もある、いや本来はそうするべきなんだが。あいつらと言霊師は折り合いが悪い上に、俺自身があの野郎共を好いていない。寧ろ、嫌いだと言っていいだろう。あいつらは幽霊や妖怪を見ると、まるで親の仇でもみるように無差別に襲いかかって滅っしようとするからな。
故に、連絡は無し。どうにかこうにか、俺一人でなんとかしなくちゃあならないみたいだ。四月一日蜻蛉の安全のために、今日中にでもだ。




