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一書店の言霊師  作者: 手羽先すずめ
第三章 飛んで火にいる夏の虫
12/24

熱気


 助けてくれ。その言葉が飛んで来たのは、俺の背後からだった。


 何事かと思い、それを確かめるべく行動に出ようとしたんだが、それよりも早く助けを求めたであろう人物は勢いでも余ったのか俺の背中に激突する。


「ぬぁ!?」


 その衝撃自体は微々たるもので痛みを伴うような物ではなかったものの、いきなり虚をつかれたために妙な声が口から勝手に出て行ってしまった。


「あっ、あんたっ! 警察っ、警察を呼んでくれっ!」


「はぁ?」


 タックルを仕掛けてきたかと思えば、今度は目の前に回り込んで俺の両腕を掴んでくる。


 助けを求められたり、背中に激突されたり、警察に連絡することを懇願されたり、腕を掴まれたり、何がなんだかさっぱり分からないといった様相だ。一応、状況から考えて、この見るからにチャラチャラした男子高校生が何者かに追われていることだけは、なんとなく理解はしたけれどな。


 なのでとりあえず、こうも錯乱していては姿も見えない誰かから連れて逃げることも出来そうもない。そう判断して、気を静めて落ち着くように言って、この男子高校生を冷静にさせようと口を開く。けれど、そのタイミングで俺はある異変に気付くこととなる。


「なんだ? 急に気温が上がったような……」


「きっ、来たっ! 奴が来た!」


 その焦りに満ちた男子高校生の言葉を切っ掛けに、俺は今度こそ後ろを振り向く。


 そうして眼界の中心に捕らえたのは、ある一人の大男だった。その身長は目測で二メートルと少しくらいで、大柄で逞しい体格をしていて身体付きがよく。どこか薄汚れていて所々に穴の開いたみすぼらしい服装をした三十代か四十代くらいの巨大な男。


 その挙動は明らかに正常ではなく。身体を引きずるように歩き、聞き取れもしないようなか細い声で何かをぼそぼそと呟きながら此方に近づいてくる。


「お前、こいつに追われていたのか?」


「そうだよっ! だから早く警察を読んでくれっ!」


 警察、警察なぁ。警察が相手を出来るような、まっとうな奴なら是非ともそうして難を逃れたいものなんだがな。


 この不可解な気温の上がり方とか、奴が近付くたびに強くなる露出した肌が焦げ付くような熱気。それらのことを今の状況に加味して考えると、恐らくただの人間じゃあないんだよな、この大男は。最初は不審者かなにかだと予想したが、十中八九、こいつは妖怪や幽霊といった異形の者の類だ。


 そんな危険な奴を善良な警察官に宛がうのは忍びない。


「あ……ら」


「なにが言いたいんだ? 言いたいことがあるんなら、もう少し大きな声で言ってくれないか?」


 という訳で、警察を呼んで欲しいという彼の要望には残念ながら答えられない。


 こう言った場合における適切な対処法は、警察への通報ではなく相手を見定めることだ、これに尽きる。相手の正体も分からないまま異形の物と対峙することほど怖いことはない。それは背を向けて逃げる場合も同じことだ。


 まず相手の正体を見破ってから逃げるなり、対抗するなりを決める。これが一番安全だ、俺はそう教わって育ってきた。


「なに言ってんだよっ! そんな事してないで早く警察を読んでくれよっ!」


「良いから、俺に任せてお前は少し黙っててくれ」


 焦る高校生を半ば無理矢理に制して、俺は大男の口から延々と流れ続ける呟きに、集中して耳を傾ける。


「あ……ぶら」


「あぶら? 油のことか?」


 油。奴、大男は油を欲しがっているってことか? でも、それなら何故この高校生を付け狙う? 仮にも人の姿をしているんだ、それなりの知能は有しているはず。なのに、どうしてだ。高校生が油なんて持ち歩いている訳がない事くらい、少し考えれば、いや考えなくとも分かるだろうに。


 いや、待てよ。この臭いは。


「おい。お前、ライターを貸してくれ」


「え?」


「早くしてくれ。熱くて敵わない」


 俺達と大男との距離は、もうそれほど残されていない。


 そんな状況におかれて、かなり精神的に追い詰められていたのか、迫り来る熱気に頭をやられたのか。俺の後ろに身を隠していた高校生は、俺が思ったよりも素直にポケットから取り出したプラスチック製のライターを渡してくれた。


 もう少し渋ると思っていたんだが、まぁ、結果よければ総てよしだ。


「ほらよ」


 俺は受け取ったライターを大男に投げ渡す。


「これで満足だよな? 火男」


 放物線を描いたライターを受け取った大男、いや火男は掴んだそれをしばらく見詰めると、そのまま後ろを振り向いて何処かへと姿を消して行った。変わらず身体を引きずるように、のろくゆっくりと歩く火男の背中が見えなくなるまで見据えた後、俺は大きく息を吐き捨てる。


 本当に心臓に悪い。前情報無しで妖怪と対峙するなんて、よく生き残れたもんだ、まったく。


「なんなんだよ……一体」


 危機が去ったことで気が抜けたのか腰が抜けたのか、ずるずると建物の壁を背凭れにして座り込んだ男子高校生は、酷くお疲れのようだった。


 まぁ、何はともあれこうして無事だったんだ、めでたしめでたしだ。助かるための犠牲はライター一つ、随分と安く済んだものだ。



「なぁ、あんた。一つ、聞いてもいいか?」


 火男との接触から辛くも逃げ遂せ、安全を確立した今現在においての俺は、追われていた男子高校生である四月一日蜻蛉わたぬきかげろうに、この迷路のように入り組んだ道の出口まで案内してもらっていた。


 その道中のことである。四月一日蜻蛉からその質問が飛んで来たのは。


「なんだ? 答えられる範囲で答える」


「どうして俺がライターを持っているって分かったんだ?」


 てっきり、あの大男は何者だ? とでも聞かれると思ったんだが、予想が外れたな。


 まぁ、聞きづらくもあるんだろう。得体の知れないものを知ろうとする恐怖とか、その場の雰囲気とか、タイミングとか、色々だ。あるいは認めたくないのかも知れないな。ああ言った、居るだけで異常な現象が起こる存在が、この世に存在していることを。


「簡単なことだ、臭いだよ」


「臭い?」


「あぁ、お前の学生服から臭ってくるんだよ。煙草の臭いがな」


 喫煙者って奴は常に煙草とライターを持ち歩いているもんだ。そうしないと落ち着かないからな。


 だから火男が油と言ったことから、ライターのオイルを欲しがっているんだと分かった。煙草の臭いが染み付いた学生服を着ている高校生が持ち歩いている油なんて、ライターのオイルくらいしか思い当たらないから。


「……そうか」


 そう短く返事をされ、少しばかりの沈黙が訪れる。


「……なぁ、あんた」


「今度はなんだ?」


「あんたは、俺に何も言わないのか?」


 その質問に一瞬首を傾げたが、その後になって直ぐに四月一日蜻蛉の意図に気付く。


「それはあれか? 未成年の学生が喫煙しているのに注意しないのか? ってことか?」


「そうだよ」


 わざわざ口に出して聞くような質問じゃあないような気がするんだがな。


 よっぽと厳格な人か、かなりの世話やきか、それか親しい人間でもないと、例え未成年が喫煙していても注意なんてしないだろうに。あつものりてなますを吹くくらい、周りの大人達から事有るごとに注意でもされているのか? この高校生は。


「注意なんて面倒なことはしないさ、俺はそんなに規則正しい人間じゃあない。煙草でも何でも好きなようにすればいいんだよ、本人の自由だ。それを甲斐甲斐しく老婆心剥き出しにして、赤の他人の俺がとやかく言ったりしねーよ」


「あんた、変わってるな」


「そうか? だいたい皆、そんな感じだと思うがな」


「そんなことねーよ。俺の周りにはあんたみたいな大人はいない、みんな説教くさく高説たれる奴ばっかりだ」


「ふーん」


 十代の頃に有りがちな、親切心が鬱陶しく感じるって奴なのかね。


 誰かにあれこれ指図されるのが、思い通りに操られているようで心の底から嫌い。これは間違っているって言われるのが、なんだか自分を否定されたみたいに思えて過剰に反発してしまう。そんな感じか。思い返せば俺にもそんな時期があったっけな。


「その点あんたは違う。俺が煙草を吸っていようが何をしようが、一々口うるさく言ったりしない」


 それはただ単に四月一日蜻蛉という人間に会ったばかりで関わりがなく、その上興味が無いってだけの話なんだけれどな。


「可笑しな話だよな。今さっきあったばっかりなのに、俺の周りにいる大人よりも、あんたの方が俺を理解してる」


「……」


 なんか、変な仲間意識をもたれてないか? これ。


「まぁ、お前の気持ちくらいなら理解できるか、一応」


 俺もかつては男子高校生だった訳だしな。


「俺も高校時代には、ビルの屋上で夜景を見ながら紫煙を吐き出す姿に憧れたし、ハードボイルドに仕事をこなして酒を飲む渋さに心惹かれもした。任侠映画が好きだったから、刺青の入った男の背中を格好良く思いもしたっけな」


「へぇ、じゃあ、あんたもそれくらいから煙草とか酒をやり始めたのか?」


「いや、やらなかったよ。煙草と酒は二十歳を過ぎてから始めて嗜む程度に抑えているし、今でも背中は綺麗なままだ」


 前者二つは金銭的な問題もあるが、これは格好が悪いので言わないでおく。


「やっぱり変な奴だな、あんた。どうしてそこまで憧れたり心惹かれたりしたっていうのに、どれ一つとしてやろうと思わなかったんだ?」


「なんでだろうな、なんとなく格好悪く思ったんだよ。煙草を吸ってる自分の姿や、酒を飲んでる自分の姿を想像した時にな」


「格好悪く?」


「そう、格好悪く。俺が憧れたり心惹かれたりした理想の姿と、想像して見えた自分の姿があまりにも掛け離れていてな。あぁ、これはダメだ、今の俺が煙草を吸っても酒を飲んでもあんな風にはなれない、寧ろ、これ以上ないってくらい格好が悪い。そう思ったから俺は何一つとしてやらなかった。やるなら理想の姿に到達してからだって悟った。そんな所だ」


 話し終えてから、あぁしまったと後悔した。


 ついつい饒舌になり過ぎてしまったな、俺のどうでもいい過去の話なんて聞きたくはなかっただろうに。何を長々と話しているんだ俺は、まったく恥ずかしい奴め。これが唯名や浮夜の前じゃあなくて本当に良かった、年頃の女子のそんな話をしてみろ、ドン引きどころの話じゃあないぞ。


「……じゃあ、あんたは憧れたり心惹かれたりしながらも、親の敷いたレールの上を大人しく走り続けたってのかよ」


「まぁ……そういう事になるな」


「なんで、なんでだよ」


「なんでって、そりゃあ勿論あれだよ。親の敷いてくれたレールの上すらまともに走れない奴が、道を外れたいだなんて思うこと自体、可笑しいって分かってたからだよ。だから大人しくレールの上を走ってた。一人前になって何時か敷いてくれたレールが途切れても、一人でまともに走っていられるようにな」


 まぁ、その結果がこの様だけれどな、だいの大人が数千円で一喜一憂してる。


 けれど、それでも何とか独り立ち出来てはいるし、万年金欠でもなんとか人間らしい暮らしが出来ている。だから、この判断は間違ってはいないと俺は信じているし疑わない。飽くまでも俺がそう思っているだけで、他人から見たら意見の相違があるかも知れないが。


「おっ、出口が見えて来たな」


 会話に途切れが出来たところで、ちょうど良く出口らしき場所に到達する。


 久々に広く空けた場所を視界のなかに入れられたな。いい加減、狭苦しい景色にも飽きて来ていたところだ、ありがたい限りだ。ここまで親切に道案内してくれた四月一日蜻蛉には何か礼をして置かないとな。


「そうだ。お前、今から俺の家にくるか?」


「え? なんでそうなるんだよ」


「腕、火傷してんだろ? 手当てくらいしてやるよ。それに渡したい物もあることだしな」


 俺の渡したい物があるという発言に、釈然としない顔を見せた四月一日蜻蛉は、けれど素直に俺の後ろについてきた。


 何かをくれるなら貰っておこうという考えか、それともやっぱり聞かずにいた火男のことが知りたいのか、それとももっと別の何かを教えて欲しいのか。さだかではないが、とにかく黙って付いて来てくれるのなら楽でいい。


 一書店で唯名と浮夜が俺の帰りを待っている、少し早足になって帰るとするかな。

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