第四章 過去
明くる日、留美菜は会社を定時で終え、
携帯ショップで新たな携帯を手にして、ショップを跡にした。
一人虚しく歩きながら家に帰る途中、
豊の勤めている店の前を、何気なく通り過ぎ様とすると、
立ち止まりガラス越しに店内を少し伺った。
だが豊の姿は無かった。
ただ楽しそうに、カップルがビザを互いに摘みながら、
話をしている姿だけが目に映った。
そして俯き、立ち去ろうとした時だった。
シェフの格好の豊が店の自動扉から出て来た。
そして留美菜の持っていた、
目新しい携帯を目にした豊は、「その方が良いよ、
いずれにしろ振り回されるだけだから」と、告げると、
留美菜は俯き、「昨日は有難う」と、一言告げた。
何時に無く素直な留美菜に、豊は彼女の今の気持ちが痛感出来た。
豊、「俺も余分な事をしてしまって、済まなかったな」と、頭を下げて謝ると、
留美菜は、「ねえ、携帯持ってる」と、豊に尋ねた。
豊は、「ああ、持っているけど」と、呟いて、
ズボンのポケットから、携帯を取り出した。
留美菜は、「貸して」と、呟くと、
何も言わずにそっと留美菜に、自分の携帯電話を渡す豊。
それをそっと受け取った留美菜は、何やら豊の携帯電話をいじり始めた。
しばらく自分の携帯をいじったり、豊の携帯をいじったり、
待つ事五分程度で豊の携帯電話を返した。
そして留美菜は、「私の携帯番号と、メールアドレスそちらに入力して置いた。
気が向いたらメールして。
それとこれね」と、携帯電話を持っていた手にぶら下がっていた、
白い袋からサンドイッチを 一つを取り出した。
そして豊に手渡した。
それはこの間コンビニで、どちらが先に手を付けたか争った、
豊と留美菜が好みのサンドイッチであった。
手渡された豊は留美菜の顔を見ながら、「良いのか、
君の好みのサンドイッチだろ」と、問いかけると、
留美菜はもう一つ、
同じサンドイッチを取り出して、「今日は沢山有ったから、一つ上げる」と、呟いた。
そして、「じゃあね」と、一言告げてその場を立ち去る留美菜であった。
そんな後姿を、豊は留美菜の姿が見えなくなるまで、
その場で佇んで、見詰めていたのであった。
豊は仕事を終え、何気なくポケットから携帯電話を取り出して見ると、
メールの着信暦が有った。
送り主は留美菜。
メールを開くとそこには、『あの海で待ってるよ』と、一言。
それを見て店の奥で着替えて、店を出た豊だった。
月明かりにきらめく港には、
この間、釣り人に咎められた場所に一人座る、留美菜の姿があった。
何気なく近づき留美菜の横に座った豊。
風も無く五月の海はこの二人の為か、
穏やかな海を演じてくれている様であった。
誰もいない月明かりが反射した夜の海は、幻想的な海を醸し出していた。
留美菜がそっと語りだす。
留美菜、「結局私馬鹿だった。
踊らされただけ。
そう踊らされただけなの」と、呟いた。
豊、「初めてだった。
何時も自分は全ての意見を、受け入れてくれる人だけが、
信用できると思っていた」。
留美菜、「母親に似たのかな。
自分の意見を人に押し付け、納得させないと気が済まない所は」と、呟いた。
豊、「俺もそうだなあまりに登り詰めるのが早く、
二十二歳の若さで、有名ホテルのイタリアンの厨房の主任に成り、
それに従うベテラン勢が居た。
俺が料理を創作する事で客が付いて来ると、
のぼせていたのかも知れない。
その分、大事な人を失うと俺は自分の脆さに自分で呆れた。
俺はそこに有名ホテルが有り、俺を支えてくれる人達が居たから、
俺は自由な発想の創作料理が出来た。
ふと振り返ると支える者が無い自分に、発想をして料理を作ろうとしても、
何の為に誰の為にそしてどんな目的で、俺はシェフを続けて行くのかと思うと、
そこには、心のアルバムに飾られた、過去の栄光しか無い」。
留美菜、「私達似ているね。
彼の為に毎日料理を作って上げた。
洗濯も掃除も何時も彼の為に。
彼は何時も優しかった。
私の意見を尊重してくれた。
結ばれると信じてたから彼にもっと愛されたいから、
私は彼に尽くした。
子供が出来たら、家族を養う夫に成ってくれると信じたから、
私は彼の身の回りの世話をする事は、楽しかった。
でも彼に裏切られ 一人不慣れな土地に来ると、
料理なんてしない、しても自分しか食べる人が居ないから、
出来上がった物を買って来て食べた方が味気ないけど、
その方が虚しくない」。
豊はその時、留美菜に振り向いて、「あのサンドイッチ、
何故か不思議に食べると安心感が有るな」と、呟くと、
留美菜は、「へ」と、答えて豊に振り向いた。
豊、「この間、シンプルなパスタを、君にここで食べさせたろ。
あのサンドイッチもそうだ。
サンドイッチには、定番の具が入っている。
一つはレタスにシーチキンが入っていて、もう一つはポテトサラダの物と、
そしてもう一つは、レタスにトマトが挟んである物とで、三つ入っている、
あのシンプルなサンドイッチ。
不思議だな人って、バブル好景気には、あっさりした味の物はうけなかった。
とにかく、くどくて、たかがパスタナポリタンの中にも、
ベーコンだけでは飽き足らず、蟹、或いはロブスターも上に乗せた。
でも今は、この間ここで食べた、バターにトマトを絡ませ、
オニオンをみじん切りにして入れて、粉末のガーリックを加え、
塩を少々入れただけのシンプルな味が、とても美味しく感じる。
世の中もそうさ。
バブル好景気の時には、懐かしい歌や、レトロを対象とした映画の内容、
B級グルメなんて誰も認めなかったのに、不景気に成れば成るほど、
昔懐かしい物が流行りだす」。
留美菜、「私も彼と付き合っていた薔薇色の頃は、
サンドイッチだけを、夕飯にした事は無かった。
何時もおかずの種類も多くて、学生であまりお金も無かったけど、
週に一度は、ファミレスでハンバーグと、コーンスープにサラダとライス。
彼と話が弾んで、ドリンクバーでカフェオレを飲み続けて、
四、五時間、ファミレスで粘ってた。
今は会社の同僚と、ファミレスに行っても食べる物と言えば、
決まってポトフとか、サラダ一品だけで済ませるの。
食事が終われば直ぐに、家に帰りワインを飲んで今日はおしまい。
今はもう、誰と居てもくどい食事は、とりたくなくて」と、言って俯いた。
豊は海を見詰めて、「誰でも今はそうさ。
回転寿司だって、バブル好景気の時は流行らなかった。
バブルの時期は、誰でも高級な寿司屋で、トロ、ウニ、鮑などをたらふく食べて、
高額の料金を払う事で、身も心も満たしていた。
バブルが弾け、リストラ倒産合併が相次ぐと、
バブルに踊らされていた自分が、哀れに思う。
人々はバブルが来る以前の、シンプルな食事を思い出す。
そこには大家族が存在していて、
明日の希望が有った時代が懐かしく思うと、
遠く過去に味わった、息子娘の成長の喜びや、
テレビ、ビデオ、クーラー、マイカー、マイホームを手に入れたあの時を思い出す。
その時、今の現実と照らし合わせ、全て手に入れた自分に対し、
今では欲しい物を、何が残っているかを見渡すと、寂れた過去の自分の実績と、
家には使わなくなった、娘のピアノが物を置く台に変わり、
小さかった子供達のおもちゃと、やんちゃして付けた、壁の傷が残っていただけだった。
高齢化を迎えた社会に、新たな何かを生み出しても、
若者は就職難で引きこもりがちになり、夢と希望を取り上げられた。
我々だけではないのさ、虚しいのは」と、語り終えた。
二人はしばらく黙って海を見詰めていた。
小さな波が月明かりをさらさらと揺らしていた。
留美菜はそんな海を見詰めながら、「楽しい時なんて、
過ぎてしまえば一瞬としか感じない、そう感じてないの今は。
そうでしょ」と、豊に呟いた。
豊、「楽しかった時は、『もっともっと楽しくしたい」と、
思って今日の幸せを感じない。
失って初めてあの 一時が、最高に良かった時だと思う」。
留美菜、「そう、永遠の幸せなんて無いのね」と、虚しさのあまり、
声を出して泣いた。
そして留美菜は、「せめて子供だけでも産みたかった。
一生、和彦は無関係で良いから。
子供にはお父さんは、交通事故で亡くなったと言えば良かった」。
豊、「過去は戻って来ない。
俺もやり直したくてもやり直せない。
俺も仕事を優先して、妻の願いを疎かにして来たと思う。
夜は遅く帰り、仕事優先で子作りを疎かにした。
俺も君と同じ蟠りがある。
せめて子供が居たら、今の蟠りが半減されるだろうと。
でもなそれは全て結果論でしかないんだ」と、声を大にして言い放った。
二人はこの時、初めて心が繋がった。
豊、「悪かったよ、君の選んだサンドイッチを無理やり奪って」と、呟くと、
留美菜は、「あのね、あなたが立ち去った後、店員が棚の下に置いて有った、
搬送したての大きな籠から、新しいサンドイッチを出してくれたの」と、告げると、
豊は少し笑みを浮かべて、「良かったな、新鮮な方を食べて」と、語ると、
留美菜は首を振りながら、「うんうん、あれよりも、
もっと心のこもったサンドイッチの方が、嬉しかったから」と、告げた。
豊、「美味しかったか、俺の作ったサンドイッチ」と、尋ねた。
留美菜は、「まあまあだった」と、呟いたのであった。
それを聞いた豊は笑ったのであった。




