第二章
〜冬の精霊セラ〜
井戸の外ではテイルが主人の帰りを温かく迎えてくれた。
「待たせた、テイル」
シグはそう言ってテイルの頭を軽く撫でてやった。
「さぁ、手を貸すから乗って」
シグは少女に手を差し出すが、少女は引きつった顔をしながら動こうとしなかった。
「大丈夫?」
シグが彼女の目の前で手を振って見せると、少女はびくびくとしながら頷いた。
「もしかして、テイルに怯えているのかい?」
少女は何も答えなかった。どうやらそのようである。
(ココルと同じような反応だな。まぁ、しょうがないか。オストリザードももとは魔物の一種だからな)
「キュ〜…」
テイルは自分が嫌われていることに気づいたのか悲しそうに鳴いた。
(またこのパターンか…)
シグは苦笑しながら少女のもとに歩み寄った。
「君がプルルに憑依させられていたから魔物が怖いのはわかる。でも、こいつは俺の幼馴染なんだ。こいつのことは俺が一番よく知っている。テイルは絶対に人を襲ったりしないから。もちろん精霊もね」
少女は恐る恐るテイルの顔を、目を見た。その目からは魔物特有の殺意というものはまったく感じられず、ただひたすら自分と仲良くなりたいという思いすら感じ取れた。
少女はゆっくりとテイルの前に立った。
「……噛みつかないですか?」
少女の問いにシグは頷いた。少女はテイルの頭にそっと手を置き、おっかなびっくりといった感じではあったが、彼の頭を撫でてやった。
「ごめんね、変に怯えたりして」
自分の頭を撫でる少女の気持ちが伝わったのだろうか。テイルは優しく鳴いた。
(やれやれ…)
シグは一人と一匹の和解を和やかに見守っていた。
二人と一匹は森を抜けると、再び昼食をとった丘のふもとへと戻っていくのであった。
「そういえば……」
シグは道中、思い出したようにつぶやいた。
「僕がラ・ジェラーデからこっちに戻っていくときにファナがあの時と同じ光の柱を出してくれたんだけど、もしかしてあれがないと丘のふもとに言ってもラ・ジェラーデには帰れないんじゃ…」
「そうですね」
少女はやけにあっさり頷いた。
「じゃ、じゃあどうするの。君をラ・ジェラーデに連れて帰る約束だったのに……」
「大丈夫ですよ」
少女は優しく微笑んだ。
「ファナリアーテ様は私が地下に閉じ込められていることを感じ取られたのですよね?」
「ああ」
「じゃあ、今もこちらへ向かってくる私たちの、私の力を感じているはずです。だから、大丈夫ですよ」
「そ、そう」
半信半疑だったが、今は少女のその笑顔を信じるしかなかった。確かにファナリアーテの人柄は仲間を見捨てるような少女には到底見えなかったし、この少女もここまでファナリアーテを信頼しているのだからシグが余計な心配をするのはそれこそ下世話の極みである。
少女の言うとおり、丘のふもとが肉眼で見えてくる位置まで来ると、光の柱は突然その場所に現れた。
「テイル、またここで待っていてくれないか。多分、すぐに戻ってくると思うから」
「キュウ」
テイルは力強く頷いた。
「ありがとう、テイルさん」
少女はそう言って丁寧に頭を下げると、テイルは嬉しそうに一声鳴いた。
そして再びラ・ジェラーデに戻ってきた二人は真っ先に神殿区の精霊王の間へと向かった。玉座に座っていたファナは少女を見るなり、一直線に彼女の胸へと飛び込んでいった。そんなファナに少女は何度も「ごめんなさい」と謝っていた。
「シグ様、本当にありがとうございました。なんとお礼を言ったらよいかわかりません」
「そんなに改まって言われると照れるな…」
シグは微笑しながら後頭部を掻いた。
「あの、ファナちゃ……じゃなくてファナリアーテ様、この方のお名前はもしかしていつか仰っていた……」
驚いた表情の少女にファナは小さく頷いた。
「そうだよ、セラちゃん。この人が、そうなの」
ファナの頬はいつの間にか少し赤く染まっているように見えた。
「そうだったんだぁ……」
セラと呼ばれた少女は今度はシグのほうに向いて優しく微笑んだ。
「貴方がシグ様だったのですね。ファナリアーテ様からよくお話は伺っています」
「その話しぶりだとそうみたいだね。ファナは僕のことをどんな風に話していたのかな?」
「フフ、それは…」
「セ、セラちゃん〜」
ファナが顔を真っ赤にして必死にセラの肩をゆすった。シグは直感でよほど自分が過大評価をされているのだと感じ、苦笑をした。
「私、ファナリアーテ様からいつもシグ様の話を聞いていたんです。それでいつも想像していたんです。どんな人なんだろうって。シグ様は……」
セラは少し間をおいてからにっこりと微笑んだ。
「ファナリアーテ様が話してくれていた通りの人でした」
「そ、そうなんだ」
人からこんな風に自分を褒められたことのなかったシグは顔を赤く染めながら、せわしなく鼻の頭や後頭を掻いたりしていた。ファナとセラのシグ談義はその後、ファナの側近が咳払いをするまで続けられていた。
「あ、もうそろそろ次の仕事にいかなくちゃ。シグ様、今日は本当にありがとうございました。今日は神殿区の客間にお泊りください」
「いいのかい?」
「はい。セラちゃんの命の恩人ですもの。私もできる限りのおもてなしを致しますね」
「や、そんなお気遣いなく……」
「セラちゃん、また今度もお話しようね」
「うん。シグ様と三人で」
「もちろん」
ファナは嬉しそうに頷くと、側近に言われるまま玉座を離れていった。
「それじゃあ、私たちもいきましょうか」
「そうだね」
セラとシグは主のいなくなった王座に背中を向け、神殿区を後にした。
神殿区を後にした二人は憩いの広場で他愛もない話をして時間を過ごしていた。
「セラはファナとは親しい仲なの?何だかとても女王様とその配下の会話には見えなかったけど?」
「ファナリアーテ様、ファナちゃんは私の幼馴染なんです」
セラの口から発せられたのは意外な一言だった。
「王様と幼馴染か。どんな気分だった?」
シグの質問にセラは少し考えるような仕草をとってから、それに答えた。
「シグ様、ファナちゃんはちょっと前までは私たちと同じ季節を司る巫女の一人だったんですよ」
「え?」
これまた意外な一言がセラの口から飛び出してきたのにシグは驚きを隠せなかった。
「季節を司る神様の世界ラ・ジェラーデは五十年に一度、季節神の交代をするんです。そしてファナちゃんは去年、その役目を前季節神に代わって受け継いだんです」
「つまり、選挙のようなものか」
「ゼル・リアでいうとそんな感じですね。街の人達に人気があり、かつ季節神としてふさわしい行い、判断ができる者が選ばれます。ファナちゃんは全てにおいて完璧な女の子でした。彼女はもともと春を司る巫女で、いつもほがらかで暖かくて、どんなに悲しいときでもファナちゃんの笑顔を見るとすぐに悲しみがどこかへいっちゃうんです」
「話し方とかもほんわかしているものな」
「はい。ファナちゃんが季節神になってから会える機会は少なくなったけど、それでも時間が空いていれば私たちはよくお喋りをするんです」
(この辺りは人間も精霊の女の子も変わらないんだな)
シグはファナのことを嬉しそうに話すセラに何度も微笑ましげに相槌を打ったり言葉を返した。
「あの、私ずっと感じていたんですけど、シグ様からもファナちゃんと同じような暖かい香りがします」
「え?」
「そんなに強くはないですが、しっかりとした春の香りです。ファナちゃんから何かもらったりしましたか?」
シグはもちろん首を横に振った。思い当たる節があるといえば……
「そういえば、ココルからこんなものをもらったけど」
シグはそう言ってポケットの中に入れっぱなしにしてあったピンク色をした小石のようなものを取り出した。
「これは春の結晶ですよ。季節の力を固体状に固めたものです。ココルちゃん、上手く力を使えるようになってきたんだぁ」
セラはうっとりとした表情でシグの手の中にある春の結晶を眺めていた。
「そうだ、シグ様。これをアクセサリにしてみてはいかがですか?」
「アクセサリ?」
セラの言葉をシグはもう一度繰り返した。
「季節の結晶はそのまま持つよりも、形を変えてお守りのようにすることで本来の力を発揮するんです」
「そうなんだ。でも、そういうお店ここにはあったかな?というかここにはお店自体が見つからなかったような気がしたけど」
「ラ・ジェラーデに商業目的のお店はないですけど、一箇所だけそういうお店を知っています。よかったら、その、行ってみませんか?」
シグを誘うセラの顔は夕日のせいか少し赤みを帯びていた。そこに、シグが昼間見た巫女兵がやってきてやはりシグの名を大声で呼んでいた。
「お迎えが来ちゃいましたね…」
「みたいだね。セラ、今日はいろんな話を聞かせてくれてありがとう」
「いえ、私もシグ様といられてすごく楽しかったです」
「僕もセラといられて楽しかったよ」
シグは優しくセラに微笑みかけると、「じゃあまた明日」と言って背中を向けた。
「あ、あの!」
その背中に向かってセラは叫び声にも似た大声を出して、シグを呼び止めた。シグがゆっくりとセラのほうに向き直る。
「さっき言ってたお店、明日行ってみませんか?シグ様さえよければ、そのぉ…」
セラは緊張のあまり、最後には俯いてしまい、その声はよく聞き取れないものになっていたが、シグはにっと白い歯を見せて笑いながら、右手親指をグッと立てた。
彼の後ろでは巫女兵が呼んでいたためシグはすぐにきびすを返して去っていってしまったが、セラの頭の中には先ほどのシグの顔が今もまだ焼き付けられていた。