第一章
〜古の世界〜
気がつくとシグは見知らぬ場所に寝かされていた。
(ここはどこ……だろう?)
シグはベッドから上半身を起こして、周囲を見回してみる。それから、自分がどうしてこんな場所に眠っていたのかを考える。
(確か、丘の上で昼食を取っていたら急にふもとに光の柱みたいなものが現れて、それを調査していたんだよな。調べていたらあの子が勝手に光の柱の中に入っていって…)
シグはそこで自分の周りにあの少女がいないことに気がついた。
「あの子はどこだ?」
もしや自分とはぐれたのか。いや、しかし自分がこのような場所で寝かされていたのだからおそらく少女もどこかで無事に保護をされているはず。
「探しにいかなくちゃ……」
シグがベッドから離れようとするのと同時に部屋の扉がゆっくりと開いた。扉の外から現れたのは背中まである長い髪に、白を基調とした法衣のようなものをまとった少女だった。
「あ、もう気がつかれたのですね」
少女は安堵の表情でシグのもとまで歩み寄った。そして、その暖かく小さな手でそっとシグの両手を握った。
「お久しぶりございます。シグ様」
シグはあまりにも突然な出来事に口を金魚のようにパクパクと動かしながら綺麗な目で上目遣いに自分を見る少女に驚いていた。
「あの、シグ様?」
少女は完全に固まってしまったシグ心配そうに見上げる。
「まだ、ご気分が優れないのですか?」
「え?あ、いや、その、そんなことは……」
シグはようやく我に返るものの、顔は茹蛸のように赤く、下手をすると本当に倒れてしまいそうだった。
「よかった…」
少女は本当にシグのことを案じていたのだろう。泣きそうになるのをこらえて、微笑んで見せた。
その笑顔に一瞬見とれていたシグだが、すぐにまた我に返り、少女に手を離すように言った。少女もようやく気がついたのか、顔を赤くしてすぐに握っていたシグの手から自分の手を離した。
「ご、ごめんなさい。私ったらつい……」
「いえ、気にしないでください」
シグはとりあえず形式的な微笑を浮かべた。突然ではあったものの、今まで旅を続けてきたシグにとって女性に手を握られるというのは嬉しいハプニングだったからだ。
「本当にごめんなさい。シグ様に久しぶりに会えたものだからつい、嬉しくって」
「あの、そのことなんだけど…」
シグはずっと疑問に思っていた。今もさっきも、この少女は自分のことを名前で呼んでいた。自己紹介などした覚えもないのに。
「君はどうして僕の名前を知っているんだ?それにお久しぶりって?」
シグがそう言うと、少女はまた深々と頭を下げて謝った。そして、少女はどうしてシグの名前を知っているのかを話してくれた。
「シグ様は覚えていらっしゃらないかもしれませんが、私とシグ様は一度あっているのですよ」
「え?」
シグは自分の記憶の中を探ってみるが、そのどこにもこんな綺麗な少女とあった記憶はなかった。
「十年前、私は誤ってここラ・ジェラーデからゼル・リアに落ちてしまいました。その時、途方にくれていた私を助けてくれたのがシグ様でした。シグ様は泣いていた私にクッキーをくれました。『うちでつくったクッキーだよ。美味しくて悲しいことも忘れるから』と言って」
「………」
「それから夜は危険だからと言って、家に連れて行ってくれました。『お母さんに見つかるとうるさいから』と言って裏口から入っていったのも覚えています」
少女は本当に懐かしそうに語っていた。
「その晩はシグ様の部屋で一晩を明かしたのですが、夜明け前、貴方も先ほど通ってこられた光の柱を伝って私はラ・ジェラーデに帰りました。柱が現れたのはあまりにも突然だったため、何の御礼もできずに本当に申し訳なく思っていました」
少女は「ですが」と続けた。
「こうしてまた会えたのはきっと私のご先祖様がシグ様に恩返しをしなさいとお達しになったからだと思っています」
「………」
「思いだしませんか?」
少女がおずおずと尋ねてくる。
「残念だけど……」
シグは申し訳なさそうに目線を下げた。
「そうですか…」
少女は本当に寂しそうな顔をしていた。しばらく気まずい雰囲気が流れていたが、シグはずっと気になっていることを少女に尋ねた。
「一つ、いいかな?」
「なんでしょう」
少女の声から既に寂しさは感じられなかった。シグは話の割に少女があまり寂しさに打ちひしがれていないと楽観視して、自分の疑問をぶつけることにした。
「君はさっきの話の中でラ・ジェラーデから落ちてきたと言ったね?」
「はい」
少女は小さく頷く。
「ということは信じがたい話なのだが、ここは季節の精霊が住むと言われている世界ラ・ジェラーデなのか?」
「その通りです」
少女は即答した。
「昨日シグ様が保護をしてくれたあの子も、ラ・ジェラーデの住人。春を司る巫女の子供です」
「春を、司る?」
季節をコントロールできるなんて大層なことはシグにはとても想像できなかった。
「コントロールをするわけではありません。私たちの仕事は人間達の住む世界ゼル・リアに季節を運び、見守ることだけです。意図的に季節を変えたりすることはできません」
「そうなのか?」
「はい」と少女は頷いた。
「ここではなんですので、少し神殿の中をご案内しましょう。私たちが生まれるきっかけになった歴史もわかってもらえると思いますよ」
少女は「行きましょう」と言って再びシグの手を取るが、シグの顔が朱に染まっていくのを見て、すぐに手を離した。
「ごめんなさい。私ったら嬉しくて…」
少女はまた深々と頭を下げ、その度にシグは困ったように気にしないでと笑う。
「ところで、君の名前を教えてくれないか」
「私の名前ですか?」
少女は可愛らしく首を傾ける。
「本当は覚えていなければならないのだろうが……」
シグは申し訳なさそうに顔を下げる。
「そ、そんなことはないです!私が浮かれすぎたのが悪いのですから!」
少女は力いっぱい首を横に振った。その度に背中まである長い黒髪が大きく左右に揺れる。
「私の名前はファナリアーテ・ミルチェリーヌです。ラ・ジェラーデの皆さんからはファナと呼ばれています」
「じゃあ、僕もファナって呼ばせてもらっていいかい?」
「はい!」
ファナは嬉しそうに何度も何度も頷いた。それからシグはファナの案内でラ・ジェラーデの神殿の中を見てまわった。
「ここで働いている巫女は季節を司る巫女達の中でも上位の者だけなんです」
「なるほど」
「ラ・ジェラーデでは春・夏・秋・冬を司る巫女達がいて、その上に彼女達をまとめる中位の巫女が各季節ごとに百人選ばれます。そして、その中でさらに優秀な巫女がこの神殿に勤める資格を得るのです」
「なるほど」
(つまり、ゼル・リアの軍隊と同じってことか。一般兵がいて、その上に指揮官がいてみたいな感じだな)
シグは頷きながらゼル・リアもラ・ジェラーデも階級制度というものは同じ形式をとっているらしいことを知った。
「そして、ここが部屋を出るときに話したラ・ジェラーデの歴史を記した本がある資料室です」
「大きいんだね」
シグはこのまま天まで続いているのではないかと錯覚させるくらい高い天井にみとれていた。ファナは様々な本が納められている棚の中から一冊を手に取って、シグの前で読み始めた。
むかーしむかし、ゼル・リアにはせかいをまもるやくめをになったかみさまたちがいました。そのなかでもひときわうつくしく、そうめいであったのがきせつをつかさどるかみさまでした。
きせつをつかさどるかみさまはじぶんにあたえられたちからをはる・なつ・あき・ふゆというよっつにわけ、それぞれのちからをもったしそんをつくりだしました。
ほかのかみさまたちはみな、きせつのかみさまのこと「かみさまのくせにしそんをつくるなんておかしい」といっておこりました。
しかし、きせつのかみさまはいいました。
「きせつはこのさきなんびゃっかい、なんぜんかいとめぐるもの。このせかいゼル・リアとともにきせつもせいちょうするものです。いつまでもふるいかみがそれをつかさどるちからをもつべきではありません」
それをきいたほかのかみさまはそれでもやっぱりきせつのかみさまのことをおこり
ました。すべてのかみさまにとって、かみさまがしそんをのこすなどということはせかいをみはなすことといっしょだからです。
きせつのかみさまはいいました。
「せかいをみはなすのではありません。せかいをそだてるためにしそんをのこすのです」
しかし、もうどのかみさまもきせつのかみさまのいうことなどきいてはいませんでした。
やがて、きせつのかみさまはゼル・リアにたったひとりのこされてしました。かみさまはくものうえでなげきました。
「ゼル・リアのはんえいをねがうことはそんなにおかしなことなのですか?かみさまがしそんをのこしてはいけないなんてだれがきめたのですか?」
みっかみばん、きせつのかみさまはくものうえでなげきました。しかし、きせつのかみさまにだれもこたえをくれるものはいませんでした。やがて、きせつのかみさまはじぶんでそのこたえをみつけることをきめ、ひとりしそんをのこすかみさまとしていきていくのでした。
「これがラ・ジェラーデに古くから伝わる私たちの歴史の始まりを書いたものです」
「驚いた。神様なんて本当にいたのか……」
「わかりません。少なくとも私たちの世界ではこのように伝えられていますし、私たちの祖となった神様もいると信じています」
あまりにスケールの大きな話にシグはいささか目眩をおこしそうだった。
神殿の案内は小一時間ほどで終わり、シグはファナに進められて街を散歩することにした。
ファナが言うところによると、季節の精霊世界ラ・ジェラーデは大きく三つの区画に分かれていて、さっきまでシグがいた神殿は神殿区と呼ばれている区域で一般の巫女達は内部までは入れないらしい。てっきり他の区域もファナが案内してくれるものだと思っていたのだが、彼女にも仕事があるらしく残念そうにシグを送り出していた。
(本当に綺麗な街だなぁ。空の上だっていうのに噴水まである)
シグは昨日訪れたあの森のことを思い出した。
(あの森も狼さえいなければ極上の憩いの森なんだろうけどね)
そうはいかないのが、ゼル・リアだった。
シグはふと考えた。いつからゼル・リアには魔物が存在するようになったのだろう。そもそも魔物というのは人間と動物、それらの姿をとった別種類の生き物だといわれている。では、彼らはどこから来たのだろう。魔物が人間や動物のような主の存続方法を取るなんて報告は今までに一度もされていない。となれば、自然と数は減っていくはずなのだが、そんな報告もなぜかなかった。
(もしかしたら、このこともラ・ジェラーデや他の精霊たちの歴史と関係しているのかな?だとしたらおもしろいよな)
どこから来てどこへ行くのか。
これはいつの時代でもどの動植物に関しても当てはまるテーマである。
(それにしても…)
シグはさっきから自分に向けられている視線の数々に疑問を感じていた。どちらかというと人間という精霊とは相容れられないものの進入に対しての不快ではなく、シグ自体に興味を示しているように思われた。
(本当に何なんだろう。気になるなぁ)
シグはこの周囲にいる誰かに声をかけてみようかと試みようとするが、不意に服の裾を誰かに引っ張られ、その試行を中断させられてしまう。
「君はもしかして……」
服装こそ変わっていたが、顔立ちや背の高さから見てもシグの助けたあの子で間違いなさそうだった。
「よかった。無事でいたんだね。心配したんだぞ?」
「……ごめんなさい。でも、早く帰りたかったから」
少女はぼそぼそとか細い声でつぶやいた。シグは少女の前にしゃがみ、その頭を優しくなでた。少女は嫌がることはなく、むしろシグとの再会を喜んでいるようにも見えた。
「お兄ちゃん、ごめんなさい」
少女は急に悲しそうな顔になって謝った。
「私ね、ゼル・リアに落ちたの初めてだったから怖くて……お兄ちゃんのことも。ごめんなさい」
「そうだったんだ。大丈夫だよ、君の気持ちはよくわかってるから。いきなり狼に襲われて怖かっただろう」
シグの問いに少女は小さく頷いた。
「私の名前、ココルって言うの」
「ココルちゃんか。いい名前だね」
シグがそう言ってにっこりと笑うと、ココルも嬉しそうに微笑んだ。
「お兄ちゃんにこれ上げる」
ココルはスカートのポケットから何かの塊のようなものシグに手渡した。
「これはなんだい?」
「はるのけっしょう」
「春の……結晶?」
シグがココルの言った言葉を繰り返すと、ココルは小さく頷いた。
「私、はるのみこだから。はるのけっしょうを持ってるの。とても暖かいでしょ?」
「うん。でも、ココルには大事なものなんじゃない?もらうわけにはいかないよ」
「いいの。お兄ちゃんに持っていてほしいから。お兄ちゃんがゼル・リアに帰ってもココルのことを覚えてくれていますようにって」
「……わかった。ありがたくもらっておくね」
シグのその一言にココルの顔が明るく輝いた。
「ここにシグ殿はおられるか!」
噴水が湧き出る一角に響いたその声に、シグはココルに家に帰るように告げると、自分を探しているらしい巫女の下に歩み寄った。
「僕がそうだが?」
「ファナリアーテ様が至急貴方にお話したいことがあるそうなので、私と共に神殿にお越しください」
「わかりました」
シグは頷くと、兵士のような格好をした巫女の後について、再び神殿区へと戻ってきた。
「こちらです」
(こっちは確か…)
ファナが神殿を案内していたときに最初に訪れた場所だ。玉座があったがその主は不在だったようだが。
(そんなところに連れて行ってどうするつもりだろう。ファナが呼んでいたのではなかったのか?)
シグは不審に思いながらも玉座のある間へと入る。
「シグ様をお連れしました」
巫女兵士が告げる。
「ご苦労様でした。引き続き見張りのほうをよろしくお願いしますね」
「はっ!」
巫女兵士は丁寧に頭を下げると、玉座の間から去っていった。今、この場にはシグと玉座の主しかいない。
「驚いたな」
シグはつぶやいた。
「まさか、君がラ・ジェラーデの女王様だったなんて」
「女王様だなんて大層な身分じゃないですよ。私はただ、ここにいる皆さんの意見をまとめるだけですもの」
ファナはそう言ってペロリと舌を出した。玉座に座る者が照れ隠しのために舌を出す姿なんてシグは初めて見た。そして、つくづく彼女がラ・ジェラーデの女王だとは信じがたかった。
「シグ様にお願いしたいことがあるのです」
シグの心のうちなど知る由もなくファナが本題を切り出した。
「実はココルちゃんの他にもゼル・リアに誤って落ちてしまった人や興味心からゼル・リアに旅立って戻ってこない人がいるのです。後者の人の場合も心配なんですが、前者の場合、最悪人間や他の種族につかまっている可能性が高いのです」
シグはそこまで聞き、ファナの頼みごとを理解した。
「つまり、彼女達を助けてくればいいのかな?」
「はい、お願いできますか?」
ファナの頼みをシグは二つ返事で承諾した。どうせ旅人に行きあてなどどこにもない根無し草の身。断る理由などどこにもなかった。
(それに、ここにいれば人間と精霊の関係もわかるかもしれない)
「わかった。まずは、どこに行けばいい?」
「シグ様がいた丘から南東にある森から力の波動が一つ伺えます。まずはそこにお願いします」
「了解」
力の波動というのがシグの興味を引いたが、まずは彼女の仲間を助けることをシグは優先した。
「それで、僕はここからどうやっても解いた場所に戻ればいいんだ?」
「はい。ゼル・リアへの移動は私が行います」
「ファナが?」
「そうですよ?」
ファナは怪訝そうにシグを玉座から見下ろした。なぜだか、この少女からだと自分が見下されている感じがしなかった。
「わかった。じゃあ、お願いします」
シグは深く追求をせずにおいた。ファナはやはり怪訝そうにしていたが、すぐに引き締めた顔つきになると、口を小さく小刻みに動かして呪文のようなものを唱え始めた。
シグの周りにあの時の光がまた生み出される。それは柱になるくらいまで成長を続けると、シグを包み込んだ。
「頑張ってください、シグ様…」
先ほどまで目の前に男がいた場所に向かってファナは祈るようにつぶやいた。