第九章
水晶の洞窟で精神崩壊を起こしたシグを助けるためにそれぞれ動き出した仲間たち。その苦労もあって、シグを救える可能性がある聖印を作り出すことに成功するが彼は目覚めることなく眠り続けたままだった。
〜拭えない過去〜
アリルたちが外で起こった騒ぎの鎮圧に向かっている頃、ファナはシグが寝ている部屋でじっと彼の復活を待っていた。しかし、彼はいつまで経っても目を覚ますことはなく、外の騒動がやけに静かになっていることも気になった。
「シグ様……どうして目を覚ましてくれないのですか?」
ファナはそこである可能性について考える。このようなパターンの出来事はなかったにしても似たような事件で起こる症状についてはある程度前神からの知識や書物による記述で知っていた。
(人は一つのことがきっかけで過去の辛い記憶が蘇って殻に閉じこもってしまうことがあると言うけど……まさか?)
ファナはシグから彼の過去の話について一切聞いた事がなかった。シグのことだからきっと謙遜して話さなかったのだろうとファナは思っていたのだが、ノアが現れたことでその可能性は低いということはわかっていた。だとすれば、シグが目覚めないのはその記憶に直面している可能性が高い。
(もしものことがあれば、シグ様は一生……)
「そんなの、私は……嫌です」
そうなるくらいなら――
(あの時、別れた後からシグ様に何があったのか私にはわからないけど…)
だけど――
「好きな人は失いたくないんです!」
ファナの体は瞬く間に一つの輝く球体となり、シグと一つになった。ファナがシグに憑依したのだ。憑依化することで彼の意識の中に潜り込み、シグが見ている記憶を垣間見ようというのだ。しかし、注意しなければならないのは、その記憶にファナ自身が取り込まれないようにすることである。アミュレットの効果により、ファナが憑依したことで暴走することは防げているのでファナの体がシグの意識内で消滅することはないのだが、彼の記憶の重さに負けてしまえばシグ共々一生出ることのできぬ精神の狭間に追いやられてしまう。
ファナは慎重にシグの意識の中をまるで水の中を泳ぐようにして進んでいく。シグが今までに見てきた出来事が流れるようにファナの横を過ぎ去っていく。これらの記憶の断片のどこかにシグがいるはずだ。ファナは彼を見失わないように目を凝らして意識の流れを遡っていく。
(見つけた!)
記憶の流れの中で唯一と待っている空間、そこにシグはいた。彼は黙ったままその記憶をずっと眺めるように見つめていた。
「シグ様!」
「………」
ファナが呼びかけているにもかかわらずシグはその場に立ち尽くしたまま振り返りもしなかった。ファナがもう一度呼びかけようかと思ったとき、シグはそのまま記憶の中に溶け込むようにして、その中に入っていった。ファナは急いでそれを追いかける。
記憶のトンネルをくぐると、そこはゼル・リアに存在する一つの王国だった。
(シグ様の記憶の中…?)
ファナはシグを探すために城の中を一人散策する。
流石は人間界とも呼ばれたゼル・リアの一国の城である。ファナは神殿区の広い建物の中を経験しているため少しはこのような作りの建物にはなれているつもりだった。しかし、実際の作りはファナが思っている以上に厄介なものだった。長い廊下に、いくつに別れた部屋、階段、すべてがややこしいものばかりだった。それでもファナは諦めずにシグを探す。この記憶の中のどこかに彼は必ずいるはずなのだから。
やがてファナは城の開けた場所に出た。
(ここは…?)
一大王国の庭、というには少しばかり狭く、華やかな雰囲気は微塵もない。土ぼこりが風に乗って舞い、広場の中央には変わった置物のような人形がある。
「よいか!!」
(キャ!?)
突然聞こえた大声にファナが後ろを振り返ると、そこでは司令官らしき一人の大男が軍人たちに向かって何やら言い聞かせていた。
「我々帝国の軍人は無益な殺生を繰り返す残虐非道の軍人にあらず!常に誇りを持ち、市民を守ることを第一に考えるのだ!」
「オー!!」
男たちが一斉に敬礼をする。
そのうちの一人は、どこか見覚えのある姿をしていた。
(シグ様?)
そんなはずはない、とファナは目を疑った。では、あの場にいるシグはいったい何なのだ。その答えはすぐにわかった。軍服を着たシグの上にもう一人のシグ、すなわち今のシグが彼を見下ろしていたからだ。
(それじゃああのシグ様は軍人時代の…?)
ファナは驚きを隠せなかった。記憶のことで精神が負けてしまう場合というのは大抵幼児や少年時代の出来事が多いという事象がわかっていたために、まさかこんな近い記憶が呼び起こされるとは思っていなかった。しかし、それは同時にファナにあることへの確証を持たせたのだった。
軍人時代のシグが広場を完全に去っていき、辺りの景色がフェードアウトしていく。
次のシーンは、帝国とは違う場所だった。廊下は冷たく、先ほどの城の中のように絨毯など敷かれていない。壁はぼろぼろに崩れ去り、骨組みが見えているようなどう見ても寂れた遺跡の中だった。今度もシグと離れ離れになってしまったためファナは単身遺跡の中を同じようにさまよっているシグと、過去のシグを探す。
キィン!
ファナの耳に金属と金属がかち合う音が響いた。すぐに誰かが戦っていることを察し、時折聞こえる叫び声と金属音を頼りにその場所へと向かう。
バシィン!
相手の一撃でシグと共に戦っていた兵士は地面に膝をつく。
「くそ…」
若い兵士が悔しそうに戦っている相手を見上げる。二人とは対照的に行きはまったく上がっておらず、小さな傷がぽつぽつと体にあるだけだった。
「なかなかやるな」
敵の男はニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら二人の出方を待っている。
「くそ、シグに来てもらってもこいつに勝てないとは…!」
(善戦……とはいえないがいい勝負はしているはずなのに)
この余裕はどこから来るのだろう、シグはそう思っていた。武器が遠距離攻撃のできる銃だからだろうか。しかし、並の銃歩兵の鉄砲玉くらい軽く見切れるほどの速度は持ち合わせていたはずだった。
「王子はお逃げください」
シグは敵に聞こえぬようにこっそりと若い兵士に耳打ちした。もちろん、彼は首を振った。
「私はお前と奴を追う旅をしてきてお前のことがすごく気に入ったんだ。約束したではないか。奴を逮捕して、共に酒を酌み交わすと!」
「王子、貴方はやがては帝国を治めるべき人。こんなところで朽ちてはなりません」
シグはそう言うと、再び槍を構え敵に向かって突進した。「逃げろ!」と一言言い残して。
「ふん、馬鹿が!」
敵は余裕たっぷりに銃の引き金を二回連続で引く。それを見越していたシグは槍をバネとして跳躍して銃弾を交わした。
「何!?」
流石に焦りを見せた敵。
鈍い音共に敵の血が空けられた穴から吹き出した。
「やった…!」
王子は思わずそう叫んだ。シグは相手の銃弾を見事に避けて、致命傷となる一撃を加えたのだ。
「く、くくく…くはーはははは!!し、死ぬならお前らも道連れにしてやる!」
「!?」
シグがそこに視線を落としたときにはもう遅かった。背中に仕込んであった隠し武器のボタン。
「死ねぇぇぇぇ!!!」
ボタンを押した乾いた音と同時に子供の腕の太さ大のミサイルが王子目がけて発射された。
激しい爆音が遺跡内に響いた。
炎に包まれた王子の体をシグは見た。黒焦げになって、頭から溶けていって、最後には周囲に流れ出た血すら爆発の炎で焦がしてしまった。炎はすぐにその命を落としたが、王子の姿はどこにもなかった。ミサイルの直撃をもろに食らった王子の体の破片は爆発の炎であたかたもなく消し飛んでしまったのだ。
「王子……」
シグはよろめきながら、王子がさっきまでいた場所に歩いていく。
「おう、じ……?」
シグは黒く変色した床に目を落とした。そこに落ちていたのは、王子の唯一の欠片だった。
シグはそれを自分の両手で包み込んだ。熱い何かが目と喉の奥からこみ上げてくる。
耐えられない、耐えられない、耐えられない!!!
シグは塩分と酸味を含んだ液体をその場に思い切りぶちまけた。
しばらくして三度景色がフェードアウトしていく。今度の場所は、再び城の廊下だった。最初の場所と違うのは部屋の扉に書かれた総指揮官のプレート。その部屋の中から誰か出てきた。
(シグ様だ…)
ファナはすぐにその男がシグだとわかった。しかし、今と違って体は痩せ細く、頬はこれでもかというほどこけていた。
重々しい表情で総指揮官の部屋を去っていくシグ。そして、それを待ち伏せていたかのように一人の女性が現れた。
(あの人は…)
直接会ったことはないが、セラやローナからの報告で聞いていた。
(あの人がルミネさん?)
ルミネはシグに近づくと、いきなり何かを叫びながら詰め寄った。しかし、シグは何を言われてもただ首を振るばかりだった。
こんなに近くにいるのに、二人が何を話しているかは聞こえない。だが、最後に言ったシグの一言だけは聞こえた。
「さよなら、ルミネ」
その一言に、ついにルミネは何も言えなかった。シグが長い廊下を歩き、去っていく。ルミネはそれをただ呆然と見送ることしか出来なかった。
「私は、私は絶対にお前を許さない。絶対に、許さんぞぉ!」
誰もいない廊下でただ一人ルミネは叫んだ。
「僕は王子を守れなかった」
ファナがハッと我に返るとそこは先ほどの城の一角ではなかった。暗闇に閉ざされた精神の狭間だった。
「僕がもう少ししっかりと敵の状況を把握して戦っていれば、最後の奴の攻撃にも気づくことができて、王子に逃げろなんて言わなかっただろう。おそらくあいつは自分が死んでもあのミサイルで相打ちに持ち込むつもりだったんだ」
「………」
「僕の判断ミスで一人の人を形すら残さず死なせてしまったんだ…」
ファナは黙ったまま目の前に立つシグの目を真っ直ぐに見つめる。
「ファナ、許容量オーバーで眠りについているときに君を助けた時の夢も見た。僕は、もうあの頃の僕じゃない。こんなにも汚れてしまった。もう君にパンも暖かな思いでも与えてあげられない。君の知っている僕から僕は遠く離れてしまったんだ…」
「………」
「僕はもうこのまま目覚めないほうがいいのかもしれないね。もう一度目覚めてしまったら僕はまた同じ過ちを繰り返してしまう。誰かに物を与えるどころか大切にしているものを奪っていってしまうだろう。だから……」
「それでも、いいです」
ファナはそう言って優しく微笑んだ。
「私はシグ様に奪われるのであれば本望ですよ。私はずっとシグ様と一緒にいたいんです。たとえ貴方に命を奪われても心はずっと貴方のそばにあります」
ファナはシグと体を重ねるように暗闇を移動する。
「貴方が生涯奪うことができるものはたった一つだけです。それ以上は絶対に奪わせません」
やがてシグの体とファナの体が一体となり、暗闇だった周囲を光織り成す草原と化す。
「ここは……粋な場所だな」
『私たちが初めて会った場所です。ほんとは夜でしたけど』
そう言ってファナはてへ、と舌を出して笑う。
「この頃の僕はまだ、純粋だったな…」
遠い目をしてつぶやくシグにファナは小さく首を振った。
『シグ様は今もとても純粋なお方です。ただ、ほんの少し迷いがあっただけ』
ファナの言葉にシグは「そうかもしれないね」と口元を緩めて笑った。
「行こう。皆が待ってる」
『はい』
二人は光の海を泳ぐようにして意識の外へ向かって旅立っていった。