第八章
〜行動〜
ファナはそっと部屋の扉を開けた。ベッドでは暗闇の底から目覚めぬままのシグが眠っている。
今、ファナのほかにはこの部屋に誰もいない。彼の看病に当たっていた巫女たちにも出払ってもらった。
「シグ様…」
そっと呼びかけるがシグの眉はピクリとも動かない。
「こんなときなのに貴方に何も与えることができなくて本当にごめんなさい。今の私には、皆を励ましてあげることしかできなかった。私は、貴方に何も返してあげることができない…」
ファナはシグの額にそっと右手を当てた。シグの体の中から感じる彼の意識はさっき触れたときに比べて少し陰っていた。
(このまま何もできないの?このまま……)
精霊の少女たちはマリスの工房に集まっていた。最初はシグが運ばれた部屋に行こうとしたのだが、扉の前に立っていた上級巫女たちに足止めを食らったのである。結局彼女たちは図書館で邪を取り除くといわれるお守りの作り方だけを移して帰ったのだった。
「このお守りに必要なものは、星屑の欠片と鉄錆と聖水、それとあと一つは……なんて書いてあるのかな?かすれていてよく読めないよ」
「星屑の欠片と聖水はわかるけど、鉄錆がこのお守りを作るのにどう関係するんだ?」
「さぁ?」
「星屑の欠片って何のことでしょう?」
「さぁ?」
「お前、さぁばかり言わずにちょっとは考えろよ」
「だってぇ、考えてもわからないから困ってるんじゃん」
「やれやれ…」
「とにかく鉄錆はすぐに手に入るよね。あと、聖水は水の精霊が何か知っているかもしれないし。残るはこの星屑の欠片と、かすれて読めない部分の材料」
「まずは手に入るものから探していこう。マリスはその間に文字の解読を頼む」
「了解」
「皆、行くよ!」
「うん!」
「はい!」
ローナたちはお守りを作るための材料を求め、ラ・ジェラーデを飛び去っていった。
ファナは図書館で資料を調べてはシグのもとに足を運んだ。
「シグ様、体調はいかがですか?」
いつものように声をかけても返答はない。今日はいつもと違ってパンの入ったかごを持っていた。
「シグ様、気晴らしにパンを焼いたんです。いつもと違う材料をマリルちゃんがくれたのでそれを入れてみたらすごく美味しかったんですよ。ほんのり甘くて、でも香ばしいんです。それでシグ様にもと思って」
いつものシグだったら嬉しそうに微笑んでファナからパンを受け取るだろう。しかし、彼の手はもう何日も動いていなかった。
「私がもっとしっかりしていれば……」
何度悔やんでも悔やみきれない。どうすればいいのか対策も依然として見つからない。ファナの魔力を送ることで一時的に精神崩壊による死は遅らせているが、それもいつまで持つのか……
「シグ様、早く元気になって…」
ファナはパンの入ったかごを抱きしめながらひたすら祈り続けた。
その頃、アリルたちは水晶の洞窟がある孤島に待たせ続けていたテイルを迎えにゼル・リアに降りていた。テイルならばわずか一時間程度の距離も人間の足ではわずかな地形の変化であっという間に足をすくわれる。
「正直に言うとさ…」
前を歩くアリルがふと足を止めてつぶやいた。
「俺はシグが目が覚めるまではテイルを迎えに行かないほうがいいと思ってる…」
「どうしてですか?ずっとあんなところに待たせっぱなしにしていたら他の魔物にやられてしまうかもしれないのに」
「そういうことじゃない。俺たち二人だけで迎えに来たらあいつは真っ先にこう聞くと思うぞ。『シグはどうした』って」
「あ……」
「その時俺たちはどう反応してやればいい?奴が寝坊したから、なんて言い訳は通用しないだろうし本当のことを伝えたら…」
「………」
「長年一緒にいる間柄だからこそ、こういうことはあまり伝えずにいたいじゃねぇか」
「……いいえ。長年一緒にいる間柄だからこそ、あの子には伝えるべきです。あの子にだけ嘘をつくのは嫌です!」
「…そういうところは姉さんとそっくりみたいだな、ノアは」
ため息をつきながらアリルは苦笑した。
「お前の姉さんも今みたいに真正直な目をしていたぜ。やっぱり姉妹なのな」
「そんなに似てました?」
「ああ、似てた。血は争えないってやつか?」
「それって、少し使い方が違いません?」
ノアの指摘にアリルは楽しげに口笛を吹いてごまかした。
水晶の洞窟がある孤島の入り口でテイルは主人達の帰りを今か今かと待っていた。こっちの世界では少なくともあれから一日は経ったはずなのに、孤島の入り口に立っているオストリザードはひたむきに主人の帰りを待っていたのだ。
「お〜い、テイル!」
自分の進行方向とは反対側から自分を呼ぶ声に、テイルは少し疑問に思いつつも振り返った。向こうから歩いてくるのはいつも笑い声がうるさくて無駄に明るい冒険家と、あのルミネとかいう、シグの知り合いの妹で共通の目的を持った魔導師の少女と…。
「キュキュッ、キュ〜?」
テイルはシグはどうしたと言いたげに怪訝そうに鳴いた。
「シグさんは今、大変なことになっているの。理由はラ・ジェラーデに戻ったら話すから、今は何も聞かずにいて…」
ノアの反応を見て、テイルも一瞬で判断したらしい。小さく頷くと、背をかがめて二人を乗せてケサパの丘まで走り出した。
ラ・ジェラーデに戻った二人は神殿区の巫女たちに断りを入れてテイルをシグの寝ている部屋まで連れて行った。部屋の中ではファナとマリスがなにやら話をしていた。
「あ、ノアさんにアリルさん。それにテイルさんまで」
「こんにちは」
「話の邪魔をして悪いな。ちょっとこいつにも今の状況を知っておいてほしくてな」
アリルはそう言うと、テイルの手綱をゆっくりと離した。テイルは静かに親友のそばに歩み寄ると、彼の頬に顔を擦り付けた。
「何をしているの?」
「おそらくシグさんに自分が帰ってきたことを知らせているのでは?」
「シグ、テイルを連れて帰ってきたぜ」
誰が話しかけてもシグが無反応なことに変わりはなかった。
「やっぱり駄目か…そういえばマリス以外の三人はどうしたんだ?」
「今、材料探しに行ってるよ」
「材料探しって?」
「シグさんが早く良くなるように邪を打ち砕くと言われているお守りを作ろうとしているんだけど、なかなか材料が見つからなくて」
「なんだ。俺たちに言ってくれれば探しに行くのに。なぁ?」
「はい。マリスさん、その材料って何なんですか?」
「探しに行ってくれるのはありがたいんだけど、皆が空から探しても見つからないものなの」
「マリスちゃん、もしかしてアミュレットを作ろうとしているの?」
「アミュレット?」
首を傾げたノアとは逆にアリルは「なるほどね」となにやら納得していた。
「昔から病に倒れたときにはアミュレットの首飾りを作って病人に持たせるというが、ラ・ジェラーデにもそういう習慣があったんだな」
「ううん。基本的に精霊は病気になんかならないよ。これは私の研究の賜物」
「でも、それを理由に巫女の修行をサボっちゃ駄目だよ」
「すみません…」
「それで、アミュレットの材料に足りないものは何があるんだ?」
「星屑の欠片ともう一つは、文字がかすれてわからないんだ」
マリスは言いながら全員に見えるように本を机に広げた。アミュレットと書かれたレシピ表にはものの見事に四つ目の材料の部分にだけ大きな染みがついていた。
「こりゃひどいな」
「でしょう。文字の部分的なところから何とかこの材料の正体を解読しようとしているんだけど……」
「ふ〜む、オールゼットの図書館で俺も少し調べてみるかな。ゼル・リアで作られたものだからきっと西方が書いてある本くらいあるはずだ」
「私も行きます」
「キュ、キュ!」
アリルたち二人と一匹があわただしく部屋を出て行き、マリスも作業の準備をしておくといって自分の隠れ工房へと帰っていった。
「アミュレット?う〜ん、どこかで聞いたことがあるような…」