第五章
シグと彼の中に宿った精霊たちはノイアールに全ての事情を説明した。ノイアールはしばらく信じられないといった顔をしていたが本当なのだから仕方がない。
「精霊のことは御伽噺でしか聞いたことはありませんでした」
それが人間の率直な感想だろう。シグも同感とばかりに頷いていた。
「僕もだよ。ゼル・リアの伝説として彼らの国があるということは知っていたが、実際に見たわけではなかったから」
『聞けば聞くほどシグんとこの世界ってあたしたちに関する情報がないんだね』
シグの意識の中からネルが話しかけた。
『だけど、その一方で妖精と間違えられた精霊たちが商人たちに売られていくのを私は見たんだ』
「え?どういうことだいマリル?妖精は君達の仲間じゃないのか?」
『私たち精霊と妖精はまったく別種族です。精霊はそれぞれのエレメントを司る神の分身、妖精はそれらの中から生まれた種族です』
「つまり、君達の子孫に当たるってこと?」
『平たく言えばそうだね。でも、あたしたちと妖精たちとはまったく接点がないし、妖精も自分たちがあたしらの力の欠片から生まれたことは知らないんだ』
「何だかややこしい話だな…」
『この辺りの歴史のことはファナちゃんが一番詳しいと思います』
『だね。何しろ季節の精霊たちを統べるリーダーだもの』
シグは四人の精霊たちの話を聞いて、正直頭が痛かったが少なくとも妖精と精霊がまったく別の種族だということはわかった。
ラーヌ湖畔はドーガ山脈を越えたふもとの大きな湖である。ここから、モルグナードの水が生まれているのだ。正確に言えば、これから助けに行く水の精霊が作り出しているのだが。
いつもなら立ち寄るオールゼットの街も今回は通過していく。シグは正直アリルには戦力的に来てほしいと思ったが、前に「旅人と冒険家は違う」と言われた時のことを思い出して、街に立ち寄ることを思いとどめた。
「少し休憩しよう」
ドーガ山脈の頂上まで来るとシグは言った。四人の精霊も宿主から離れ、思い思いにくつろいでいる。
「ふぅ…」
シグは適当な大きさの岩に座るとため息をついた。
「キュ〜?」
「ああ、大丈夫だよ。ちょっと頭が痛いだけだから」
心配そうな顔をするテイルをシグは頭を撫でながら弱々しく笑う。その表情には明らかに苦悶が浮かんでいた。
「大丈夫ですか?」
話を聞いていたノイアールの影がシグの上に重なって、一瞬涼しくなったように思えた。
「横、いいですか?」
「ああ、どうぞ…」
ノイアールは了解を得て、シグの横にちょこんと座る。
「顔色が優れないみたいですけど、本当に大丈夫ですか?」
「本当に大丈夫。ノアのほうこそ、病のほうは?」
ノイアールことノアは首を小さく横に振った。
「今は全然平気です」
ノアは細い腕を直角に曲げて本当に小さな力瘤を作ってみせる。
「私、まだ信じられないです。精霊の街が本当に存在していたこと」
「だろうね。僕もけっこうすぐに順応したけど、半信半疑だったし。でも、彼女達の力を見て改めてわかったんだ。あそこはラ・ジェラーデ。彼女たち、季節の精霊の住む世界だって」
「季節の精霊。水の精霊や火の精霊は聞いたことがありますが、彼女達の力はどんなものなのでしょう?」
「さぁ?少なくとも僕が聞いているのは彼女たちは四季の巡りを見守る存在であって、意図的に変える存在ではないという――」
「やっと見つけたぞ」
シグの声を遮るように新たな声が山の反対側から聞こえた。
「あ…」
「!!」
ノアは驚嘆の声をこぼし、シグは信じられないと言わんばかりにその人物を凝視していた。兵隊を三人ほど連れている。
「やはりお前だったか。ノアにつきまとっている男を見かけたものだから軽く払ってやろうと思ったが、まさかお前とはな」
身長は百七十センチ弱、どこか男のような髪型の女性は吐き捨てるように言いながら小さく笑った。
「シグレット・アルグース!」
「………」
シグは黙ったまま、両手の握りこぶしをさらに固く握った。
「シ、シグ様、こちらの方は…?」
セラが話に入りづらそうにしながらも初対面であるこの女性の事を聞く。
「ふん、女を両手にハーレム気分か?堕ちたものだな、瞬撃のアルグース」
『???』
「ルミネ、その名で呼ぶのはもう止めてもらえないか?僕は帝国軍人ではない。ただの旅人だ」
「確かに二年前にお前は軍人の地位を捨てた」
ルミネの言葉にはどこかしら怒気と殺意のようなものを感じた。そしてシグもまたそれを感じ取れないほど鈍感ではなかった。平静とした顔つきのまま頭の中では彼女への言い訳を考えている。
「…まぁいい」
予想に反してルミネはこれ以上追撃してこなかった。
「今はお前にかまっている暇はない。さっさと妹をこちらに渡してもらおうか」
「妹!?この娘が?」
シグは思わずノアの顔とルミネの顔とを見比べた。言われてみれば髪の長さが違うが顔の形そのものはどこかしら共通点があった。
「姉さん、もしかしてこの人が…」
「お前が私のことを心配してこいつを探す旅に出たことは知っている。が、それは余計なお世話というものだ。病弱なお前に頼るものなど何もない」
「!!」
「ルミネ!」
「あんた、妹に対してその言い方は何だ!」
ローナも怒りをあらわにするが、ルミネは鼻で笑うだけだった。
「さっさと帝国に戻るぞ。病院の医師たちもお前のことを心配している」
「嫌です!この人が、私の、姉さんの捜していた方ならばなおのこと!この人から理由を聞きだすまでは!」
「…今の私の任務はお前を祖国に連れ戻すこと。お前は年幼いが帝国軍魔術小隊に所属する軍人の身。身勝手な行動は許されない」
「ですが…!」
「お前も知っていると思うが、私は気が長いほうではない。これ以上反抗するのならば……」
なおも食い下がるノアにルミネは腰に下げた騎士剣に手をかけた。ノアはそれ以上何も言えずに押し黙る。
「そうだ。お前も一緒に行くか?そのほうが手間が省けていい。お前には問い詰めたいことが山ほどあるからな」
不適な笑みを浮かべて言うルミネにシグは黙ったまま微動だにしなかった。そんなシグをルミネは一瞥し、ノアに向かって右手を差し出した。
「やっぱり私は行きません。この耳で彼の真相を聞くまでは」
「そうか…」
ルミネは残念そうに俯いた。
「それでは私を手に回すと宣言したということでよいのだな?」
「ち、違います!そんなつもりじゃ…!」
「そんなつもりじゃなくても、今のお前の返答はそういうことだ。是か非かの二つのみで、そこからお前は非をとった」
ルミネは手にかけていた剣の柄から勢いよく収まっていた得物を抜きさった。
「軍隊に所属したからにはその辺りの甘さも改善していくことだ!」
ルミネは軽やかに地面を蹴ると、そのままノアに向かって突進した。精霊の少女達はおろか、シグすらもその場から動けなかった。
ガキィン!
ルミネの振り下ろされた剣は、突然割り込んできた鉤爪武器によって空中で受け止められた。
「アリル!」
シグがその人物に向かって叫んだ。ルミネは歯を噛み締めながら、後ろに飛び退いた。上官のピンチについに兵士達も各々の武器を取り、ルミネの前に出た。
「やめろお前たち!」
ルミネは兵士たちに命じてから悔しそうにノアと、それからアリルを睨む。
「今日はここで退いてやる」
彼女は宣言すると、彼らに背を向けた。
「ノア、私に逆らうことは帝国の意思に逆らうことと同じだ。それを肝に銘じた上でもう一度返答のチャンスをやる。よく考えておけ!」
冷淡な口調でそう告げると、ルミネは今度こそ部下を引き連れて山を下っていった。
足音が完全に消えるのを確認し、一行の表情がようやく緊迫から安堵に変わった。
「アリル、どうしてここに?」
「ちょうどクエストの帰りだったんだよ。山頂で一休みしていこうかと思っていたら、そっちの女の子が襲われそうになっていたってわけ」
「それにしても」と、アリルはさらに続ける。
「一体何があったんだ?女の子を攻撃してきたあの女、やたらすごい剣幕で叫んでいたけど」
「それは……」
シグは言葉に詰まった。果たして話すべきだろうか。確かに二人はもう赤の他人ではないが、このことを話すということは帝国との闘いに巻き込んでしまうことになる。冒険家である彼に重い荷を背負わせるわけにはいかなかった。
「……俺には言えないことか?」
アリルは口を開こうとしないシグの表情を読み取ってつぶやいた。
「ごめん」
としかシグは言えなかった。しかし、アリルは別段気にした様子もなく「別にいいよ」と笑った。
「だが、もう一つの質問には絶対答えてもらうからな!」
アリルは『絶対』という単語をやけに強調していた。声もさっきよりか格段に、むしろ去っていたルミネに引けをとらないくらい殺気立っていた。そして、むんずとシグの肩を取ると、誰にも見られないように岩の後ろに連れていった。そして――
「これはいったいどういうことだ?」
アリルはノアや精霊の少女達に聞こえないように声を押し殺す。
「どういうことって?」
シグはわけがわからないといった表情で聞き返す。
「あの娘達だよ」
そういうことか……。シグはそう言いたげな、いや半分以上そう言っているまなざしを向けるが、アリルには効果がないようだ。しかし、こちらのほうは特に隠し立てする理由がなかったので話すことにした。もちろん、精霊達の話は避けて。
「彼女たちは僕と同じ旅人なんだよ。五人で旅をしていたところを助けたのがきっかけで――」
「そんなきっかけで一緒に行動するわけがないだろう?」
アリルの鋭い指摘にシグは言葉を詰まらせた。確かに、一度助けたからと言って一緒に行動するなんてことは滅多にない。そこで――
「実は彼女達、さっきの女の人から逃げていてね。そのボディーガード役をかってでたんだよ」
「ふ〜ん…」
アリルは半信半疑、いやほとんど疑いのほうが強い。探るような目でシグの目をじろじろと見つめている。
やばい。シグは直感的に感じていた。シグは嘘をつくのが下手で、隠し通せていると思っても顔に出てしまって結局ばれてしまうのである。
握っている両手に汗がじっとりと滲んでいるのを感じる。このままではもたない、シグの中で観念してしまおうかという気持ちが浮かび始めた時――
「シグさん、そろそろ行きませんか」
いいタイミングでノアがひょっこりと岩の陰から姿を現した。
「あ、ああ、そうだね」
シグは安堵の息をつくと、そそくさと岩場から離れた。
「これからどこに向かうんだ?」
同じく岩場を後にしたアリルが尋ねる。
「ラーヌ湖畔に向かうんだよ。水の精霊が……ふぐぅ」
シグは咄嗟に言いかけるネルの口を塞いだ。
「精霊?」
「いや、そこで少し休憩を入れつつ北に向かうんだよ」
シグは咄嗟に思いついた嘘を早口で言った。
「ラーヌ湖畔か。北に冒険に行くときはいつも、あそこで休憩を入れているぜ」
「そんなにいいところなんだ」
「ああ、後は山を下りるだけだしさっさと行こうぜ」
アリルが目配せをすると、それまで思い思いに岩に座っていた精霊たちも腰をあげた。