8話 有為転変は世の習い
有為転変は世の習い(ういてんぺんはよのならい)
激しく移り変わるのはこの世の常であるということ。
【8話 有為転変は世の習い】
日曜だというのに、朝から激しい雨が降っていた。
1階のダイニングでは、美玖と柳の日課である勉強会が行われており
その横では隼とルイが他愛もない会話をしていた。
ガチャリ
静かに玄関の開く音がした。
時刻は昼前。
君孝が帰宅したのだと思った。
相変わらず多忙の君孝は、美玖達が起きるより先に出かけ、
夜の帰宅も遅く一緒に食卓を囲む事も少なかった。
「ただいま。丁度良かった。みんな揃ってるね」
久しく会えなかった君孝に、たくさんの話をしたかった美玖は思わず駆け寄って
おかえりなさいと言った。
ポタリ。雨の滴が落ちて気がついた。
君孝の後ろの人影に・・・
「紹介するね。遅くなったけど、例のお手伝いさんの人だよ。
今日から住み込みで働いてもらうことになった吾妻さんだ」
後ろから、ス・・・と大きな男が歩み出た。
いつもと変わらぬ笑顔で紹介した君孝だったが、周囲の空気は凍りついた。
男は黒のスーツを着て、雨に濡れた髪を拭おうともせず無表情のまま静かに頭を下げた。
年の頃は30代半ば程で、身長は扉の上枠にピタリと着いてしまう程の大男だった。
眼光鋭く、どこか異質な感じがした。
「月桂・・・」
ポツリと隼が呟いた。予想だにしなかった展開に茫然としていた。
「久方ぶりで。吾妻 月桂と申します。よろしくお願いします」
月桂は、丁寧な口調で挨拶をした。
「どうして・・・月桂が・・・?」
「小間使いの求人がありましたので応募させて頂きました」
小間使いって!思わず口に出しそうになり慌ててルイは口を噤んだ。
まぁ、確かに家政婦とかお手伝いさんとかそんな言葉は似合いそうもないけどね。
思ったが、そんな突っ込むような雰囲気では無かった。
「隼くんのお知り合いなんですか?」
不思議そうに美玖が聞いた。
それには答えず、困ったように月桂を見つめていた。
「応募って・・・こんな奴っ! 雇うって本気かよ!?」
人差し指で月桂を刺し、君孝に詰問した。
月経は眉を僅かに上げ柳を見た。
早速怒らせてどうする!とルイは内心びくびくした。
この男を怒らせると恐ろしいことになりそうだと本能的に思ったからだ。
「本気だよ。何か不都合あるかな?」
「ありだ! こいつが何してる奴か知ってるのかよ!」
「柳・・・」
諌めるように隼は柳の肩を軽く叩いた。
「君孝さんは、ご存じなんですか?」
何が? とは君孝は聞かなかった。
柳と隼が何を心配しているのか予想がついたからだ。
「詳しくは知らないけど、とやかく言うつもりはないよ。
この家でのルールは吾妻さんにも守ってもらう。
それに、強い推薦もあったしね」
「ちなみに聞くけど、推薦って?」
柳も隼も嫌な予感がした。
「柳くんと隼くんの親御さんだよ」
がっくり。
二人とも目に見える程、肩を落とした。
「俺は反対だ・・・」
珍しく弱々しい声で柳は反論した。それは叶うはずもないと分かりながら。
「強く不愉快だけどしょうがないね・・・」
隼も珍しく嫌味めいた口調で答えた。
「どうして?」
いぶかしげな表情で美玖は聞いた。
「月桂とは知り合いなんだよ。こんな親父達の手下みたいな奴と一緒に住めるか!
何で住み込みなんだ! 百歩譲って通いにしろよ!」
柳は月桂に向かって激しく抗議した。
月桂は無表情のまま返答した。
「賊が侵入したら、すぐに対応できますので」
「来ねーーーーーーーーーーよっ!!」
「ねぇ、分からないよ・・・そんな事言ったら吾妻さん可哀そうだよ。
それに・・・吾妻さん、せっかく見つけたお仕事かもしれないのに・・・
えと、すごくいいお手伝いさんかもしれないよ?」
しん・・・と場が静まり帰った。
何かマズイ事言ったか美玖は心配になっておろおろ周りを見渡した。
「お嬢さん」
沈黙を破るように月桂は低い、静かな声で言った。
「それは、はなはなだ見当違いな見解です。不憫に思って頂かなくて結構です。
務めは真面目にさせて頂きますのでご安心を」
「えと・・・?ごめんなさい・・・」
「謝罪の必要はありません」
美玖はそれきり何と言って分からなかったので沈黙した。
柳と隼は顔を見合わせ深いため息をつきをついた。
ルイはいまいち状況が飲み込めずポカンと成り行きを見ていた。
「じゃあ、悪いけどこれから打ち合わせがあるから。後のことは美玖、よろしくね。
吾妻さんにいろいろ教えてあげてね。部屋は2階の空いてる部屋を案内してね」
始終変わらぬ柔和な表情だった君孝は、一同を残し仕事に向かった。
しばらくの間、気まずい雰囲気が部屋に流れた。
部屋にもどるね、とよそよそしい笑顔でルイは2階に戻って行った。
ポタン・・・とまた雨の滴が落ちた。
美玖は思い出したかのように、部屋を出て行きタオルを手に戻ってきた。
「気がきかなくてごめんなさい。えと・・・これ使ってください」
「お気づかいなく」
月桂は眼だけでタオルの受け取りを拒否した。
「月桂・・・床が汚れるから。それと美玖ちゃんの好意を無駄にしないでほしいね」
苦笑しながら隼はタオルを受け取るよう促すと、月桂は頭を下げ素直に従った。
月桂は、隼の父親が代表する組織の一員だった。
隼の小さい頃から自宅に出入り・警備していたので、柳とも顔見知りであった。
性格は、よく言えば謹厳実直・悪く言えば融通のきかない堅物で羽目を外す事もない男だった。
身長は180をゆうに超えるので、無表情と相まって恐怖を感じさせることもあり
二人の警護・見張りに適任だと思われた。
隼は月桂のことが嫌いなわけじゃなかった。
小さいときは不器用ながら一緒に遊んでもらったりもした。
だが、あまりにもこの家の住人としては異質であった。
この堅物をどうやって馴染ませようか考えただけで、頭が痛くなった。
外はまだバケツを引っくり返したような雨が降っていた。