38話 人を見て法を説け
人を見て法を説け
人を説得する時は、相手の人柄や能力を見て、その人にあった方法で話をすべきだということ。
☆簡単人物紹介☆ 分かんなくなったら、確認したって
花立 美玖(中2) 引きこもり美少女。対人恐怖症。
花立 君孝(35) 美玖の伯父。温和な画家。影が薄いのなんの。
扇 隼(高1) 花立家の下宿人。さわやか腹黒少年。
扇 柳(高1) 隼の従兄弟。同じく下宿人。俺さま純情少年。
ルイ(21) 同じく下宿人。大学生。
吾妻 月桂(34) ヤクザなお手伝いさん。ロリコンじゃないって。
信家 凛(高2) モデル。外出時は男装がセオリー。猪突猛進です。
京介(21) ルイの元彼。見ためはチャラい。ルイに未練たらたら。
扇 桔梗 隼の母。美玖を娘のように溺愛している。
【38話 人を見て法を説け】
「あのねメイド喫茶って、思ってたよりキレイだったわ。雑居ビルにあるんだけど、中はおしゃれでカフェみたいな感じだし。ただメニューとかすごいのよ。みらくる☆みるくてぃトキメキよ届け! とか、ちょーっと理解出来なかったわね」
「いや、聞いてねーし、興味ねーし」
メイド喫茶から帰ってきたルイが、嬉しそうに柳に報告していた。
「女の子のメイド服は可愛かったけど、美玖ちゃんの観たことあるからどうしてもね~」
「え・・・何で、いつ?」
「あら、そこは食いつくのね。凛ちゃんから貰ったのよ、可愛いメイド服。そうね、まじ天使だったわ。不思議の国のアリスってあるでしょ、あれのイメージでね~超かわいいのよっ」
「いや、別に・・・興味ねえって」
「うふふ本当にね、すごい破壊力なのよ。凛ちゃんって美玖ちゃんの似合う服よく分かってるわ。そうそう、凛ちゃんと隼と一緒に歩いてるとさ目立つっていうか、何回も声かけられてたわ。スカウトとか、あたしなんて水商売のスカウトしかされたことないってーの」
「あっそ・・・それで、隼たちは?」
「あれ、まだ玄関の外かな? おーい、凛ちゃん達~」
ルイが呼びに行って、玄関を開けた瞬間、聞き覚えのある情けない声が聞こえてきた。
「ルイ、助けに来てくれたんだね~!」
「うわぁっ! 京介っ・・・何でここにっ!」
涙目で駆け寄る京介に、凛が足払いをして、すかさずルイが玄関を閉じたので豪快にドアに顔面から激突した。
「ルイ、何だこいつは。ずっと尾行して気持ち悪い男だ。声をかけたら、お前こそルイの何だと逆ギレしたクズだが、一応知り合いみたいだな」
「なっ・・・何するんらっ・・・ちょっとイケメンだと思って調子乗りやがって!」
「あーごめん、ちょっと思いこみ激しい男なんだ。放っておいていいから、早く入って。ごめんねー」
「信家、いいから行こう。あの人は、しょっちゅうルイねえの待ち伏せしてる人だから気にしなくていいよ」
隼に押されて、家に入ったが凛は何か釈然としなかった。京介は、鼻を押さえながらルイをじっと見つめていた。ルイは軽くため息をつき目をそらした。
「ねぇ、ルイ・・・何で連絡くれないんだよ。俺、あんなことあった後だからすげー心配してたんだけど。ルイに何かあったんじゃないか、とか」
「別にあんたに心配される義理ないし。他人なんだから」
「何で他人とか言うんだよ! 俺の気持ち分かってるくせに、何でそんな酷い事言うんだよ・・・」
隼は、他人が口出しすることじゃないと思い何も言わなかったが、凛は聞いてて我慢がならなかった。
「待ち伏せして、好意の押し付け、お前ストーカーか。ルイが迷惑してるの分からないのか!」
「待ち伏せとか! お前は知らないだろうけど、俺達はこの前恐い目にあったんだよ! だからまたそういう事が無いように、自発的に警備してるんだよ。ストーカーっていうのは、好かれてもないのに勘違いして行動してるアレだろ。俺は違うよ、だって元彼だし!」
ダメだこいつ・・・という空気が、一同を包んだ。京介は怒った顔で凛を見たが、そうだよね?と言わんばかりにルイに視線を戻した。
「悪いけど、帰ってくれる? この前は成り行きでああなったけど、もう会うつもりないし。より戻すつもりもないから。メールも電話も警備も一切いらないから。京介、あんたさ今さら何言ってるわけ? 何ヶ月も音沙汰なしで、急に言われてもあたしも困るし。それじゃあね」
「ちょっと待って! 頼むよ・・・話聞いて・・・ルイ・・・俺が、この数カ月どんな思いで・・・うぅ・・・」
「やだ・・・泣かないでよ・・・バカじゃないの!」
困惑するルイに向かって、京介は座り込み手をついた。まさか、と思ったが泣きながら土下座して頭を地面につけた。
「全部俺が悪かったです! 俺と恋人に戻ってください。気が済むまで殴ってもらっても構わない! どうか話だけでも聞いてください!」
「ひぇぇ・・・」
何を血迷ったのか、このアホは! とルイは心の中で罵ったが、驚きのあまり口には出せなかった。
復縁をもとめ、泣きながら土下座までする京介に柳と隼、ルイの3人はドン引きだった。
「あぁ、もうっ! バッカじゃないの! 近所迷惑なのよっ! 話聞けばいいんでしょ、ったくもー」
「ルイ、だめだ。相手にするとストーカーはつけあがるから無視が一番だって!」
「ああ、ルイ・・・ありがとう。やっぱり俺に優しくしてくれるんだ・・・俺にはやっぱりルイしかいないんだよ。ダメなんだ・・・あぁぁぁぁ」
殴りたい衝動を抑え、凛はぴくぴくと眉間の皺を寄せ京介を見下ろした。ルイが出て行こうとするが、二人きりにするのは危ないと思ったので仕方なく家の中に招き、1階のリビングで話を聞く事にした。
机を挟んで、ルイと京介が対峙し、ルイの横に凛が座っていた。隼は面白半分だったが、凛の暴走があったら制止するために近くのソファーで座っていた。柳は特にいる必要もないと思い2階に戻ろうとしたが、隼に声をかけられた。
「柳、美玖ちゃんは?」
「部屋で寝てるよ」
「そう・・・柳の部屋で?」
「なっ・・・何で知ってるんだよ!!」
「え、冗談のつもりだったけど・・・」
「おい、何だって・・・美玖が・・・何だって!?」
しまったという顔をした柳に向かって、凛が針のような視線で突き刺す。
「うるせーな、疲れたから寝てるだけだろ・・・」
「疲れたって、君たちすぐに家に帰ったきたじゃないか」
「あいつ、引きこもりだから外出すると疲れるんだよ」
「だとしても、気に食わないな。どうして、君の部屋なんだ・・・まさか二人きりをいいことに・・・」
「おい、勝手な妄想を炸裂させるな。お前、そのストーカーの話聞くんだろ、俺は部屋に戻るから絡むなよ」
「待て、部屋に戻るって・・・寝てる無防備な美玖と二人っきりってことか? ありえないな、そんなの許されると思うなよ」
「お前な、俺は自分の部屋に戻るだけだぞ。ふざけんな」
「戻って何するんだ」
「何って、勉強」
「勉強? 嘘つくなよ、可愛い女の子が自分のベッドで寝てて、その横で正気で勉強なんてできるやりたい盛りの童貞男がいるのか?」
「ないない、フル勃起確定。確実にやらしい妄想とかするわ。それなんてエロゲ? って突っ込みたくなるレベル」
いきなり京介が話に入って来たので、一同ポカンと京介を見る。
「あんた、京介・・・何にやにやしてんの、きっも・・・」
「違うって! 一般論を言ったまでだって。君たち高校生くらいだろ? その頃の性欲ってマジで凄いからな。あ、俺は大丈夫、二次元しか興味なかったから!」
「は! じゃあ3次元のあたしには興味ないわね! 帰れこのキモオタ!!」
「違うって、早とちりだな。ルイは別、ルイに会ってから、リアルの女の子と話せるようになったし、こうやってルイと付き合うこともできたし、ルイのおかげで・・・世界が変わったんだ。君が変えてくれたんだ、俺のこと・・・」
「へぇ、あんたをオタクからチャラ男に変化させたってわけね、このあたしが。それで、浮気しまくった言い訳おわり? さっさと帰れ、マジで!!」
別れの原因となったのは、京介の浮気。それを知った時、ルイの悲しみや怒りを直接京介にぶつけることは無かった。ただ、たんたんと別れを切り出し、自分の世界からシャットダウンした。それを今さら蒸し返そうとしてる、京介の無神経さにただひたすら嫌気がさした。
そっと柳が2階に上がろうとし、凛が肩を掴む。ムッとした表情で見返すと、凛の睨むような目と合った。
「そういう訳で、君にもここにいてもらう。どうしても部屋に戻りたかったら僕も一緒に行く」
「アホか。何でお前みたいな妄想迷惑女、俺の部屋にいれなきゃいけないんだよ!」
え、女? と京介が、凛をまじまじと見る。男の恰好をしていたが、言われてみれば線も細く色気のようなものも感じる。
「本当に女の子? ルイ、ねぇあの子女の子なの?」
「えーと、うん女の子。それよりあんた早く帰りなさいよ」
「ボクっ娘キターーーーーッ!! すげ、かなりクオリティ高い。このクソリア充シネ!! とかさっきまで思ってたのに、女の子だって分かったとたん、猛烈に萌え対象になった!! うはーーーーーなんてこったーーーーーー!!」
相変わらず京介の異常テンションに、凛もビクっと身体を震わせた。
「何だ、とんでもない変態じみてる男だな。いいか、ルイはお前のようなゴミ虫の分際で浮気するようなクズ野郎にもう用は無い。分かったらすぐさま家に帰ってお前にお似合いの二次元の世界に浸ってろ。そして二度とルイの前に顔を出すな」
「わ・・・ボクっ娘に罵倒されてる俺・・・へへへ」
汚いものを見るような目つきで凛は京介を見たが、なぜか京介は嬉しそうに凛を眺めていた。あまりの気持ち悪さにそれ以上何も言えなくなってしまった。
「凛ちゃんを視姦 (しかん)すんな、このド変態。あんたさ、本当にあたしとやり直したいとか思ってるの? そんなキモイ態度じゃあたしじゃなくても、新しい彼女できないわよ」
「もちろんルイのことは本気だって! しかし、男の本能でつい興奮してしまうことなんて日常ありすぎて困ってるくらいだ!! 男はみんな変態なんだ、分かってくれるだろルイなら」
大真面目な顔で京介が語るので、ついルイは吹き出しそうになり懸命にうつむいて口元を押さえた。もともと、下ネタは好きだし笑いの沸点が低いルイにとって我慢するのは実に辛いことだった。
逆に凛は少しよろけながら、額に手をおいて冷静になろうと必死だった。
「そ・・・そうなのか・・・?」
「ボクっ娘よ。残念だが、君も彼らの夜のオカズとなっているかもしれない。そして俺も今の状況を脳内保管して今夜スパークするつもり・・・」
言い終わる前より早く、ルイが机の下から京介めがけ蹴りを入れた。思い切り蹴飛ばしたので、京介の顔が分かりやすく苦痛に変わった。
「私のことはともかく、凛ちゃんに変態発言すんなって言ってるでしょお!?」
「そ・・・それは、俺に対する・・・嫉妬ってやつ?」
「あんた・・・どんだけハッピーな頭ん中なのよ・・・」
「大丈夫。俺はルイだけのものだよ・・・だから・・・」
京介が立ち上がると同時に、玄関の開く音が聞こえた。時刻は5時過ぎ。こんな時間に君孝が帰ってくることは滅多にないので、住人は月桂が帰ってきたと思った。
案の定、リビングの扉がスッと開くと冷徹な鋭い視線で周りを見渡しながら月桂が入ってきた。
漆黒のスーツに、かなりの長身、獲物を見つけたら食い殺しそうな雰囲気に京介は血の気が引いた。誰だ、この殺し屋!?
「ただいま帰りました」
「ああ、お帰り月桂。ねぇルイねえ、本当に京介さんが迷惑だったら月桂を貸すけど・・・どうする?」
月桂、という名前に凛はピクリと反応する。噂には聞いていたが、これが・・・?
隼は、ストーカー被害という程ルイが深刻そうにしてなかったので、今まで黙って話を聞いていたがさすがに聞くに耐えなくなってきたので、話を切り出した。
「・・・そういう訳でごめんね、京介。帰ってくれる? 素直に帰ってくれないと、横にいる背の高いお兄さんにお願いすることになるけど?」
月桂がじろりと京介を睨むと、後ずさって「いえ、帰ります」と震える声で即答した。慌てて玄関に向かう京介の後ろを、ゆっくり月桂がついて行く。
京介は、なぜか殺される!と思いこみ、振り返らず靴も適当に履き玄関の扉を開けようとするが、パニック状態のためロックの外し方が分からずあたふたとしていた。
ふいに、ガチャリと男の腕が伸び、ロックを外した。高そうな腕時計をはめて、逞しく大きな腕だった。拳には生々しい傷あとがいくつも見えた。自分の真後ろに、恐ろしい気配を感じたが振り返る事など出来はしなかった。
耳元で、血の気が引く感情の一切感じられない、ただ冷徹な低い月桂の声が響いた。
「どうした、手が震えてるぞ。この辺も物騒だからな、暗い夜道は背後に気を付けることだな」
京介は悲鳴をあげながら、逃げ出すように玄関を出て行った。それを一瞥すると、玄関のロックをまた掛けた。
月桂の登場で、さっきまで好き放題していた京介があっさりと帰宅した。ルイはホッとして、月桂に軽くお礼を言った。
凛は、隼の近くに行きひどく動揺したように話しかけた。
「おい、扇・・・話が違うじゃないか。月桂さんって・・・あの人なのか?」
「ああ、そうだけど?」
「お・・・男じゃないかっ!? てっきり僕は女の人だとばかり・・・」
ルイは、凛が動揺しているのを見てくすくす笑った。確かにこの強面で、ただいるだけで威圧感を与える月桂は想像出来なかっただろなと普通に思う。
「信家、月桂のこと女の人だと思ってたんだ? そっかごめんね。それは・・・驚いただろうね、アハハ。改めて、うちのお手伝いさんの月桂。こっちは、信家。美玖ちゃんの友達だよ。誤解があると面倒だから言っておくけど、信家は男の恰好してるけど女性だから」
凛が振り向くと、凍てつくような月桂の双眸と目が合った。月桂は普段からこういう目つきだが、初めて会った凛には睨まれてるようにしか感じなかった。だが、負けるかと思い正面からじっと見つめた。
「吾妻月桂です」
「信家凜です。以前、扇の電話であなたに失礼なこと言いました。気が立っていたもので、すみませんでした」
「・・・ああ、あの時の広島弁の? いえ、自分こそ迷惑をかけました。お嬢さんの側にいて頂いたようでありがとうございました」
「いえ、僕は・・・あなたに帰ってきて欲しいのに言い出せない美玖の気持ちを勝手に代弁したかったんです。それで、僕が嫌われようがあなたが美玖の側に戻ってきてくれるならいいと思って・・・打算的なんです、僕。物理的に側にいてもあまり約に立たないから苛立っていて・・・扇に立場ってものがあるから口出しするなと怒られました」
凜は当時本当にそう思っていた。月桂が帰ってきてさえくれれば、美玖が元気になると漠然と信じていた。
柳の時みたいに、ケンカ腰になったらたまったものじゃないと思っていたが、月桂と凛が普通に会話していたのでルイも隼もホッとしていた。
「だけど・・・僕、すごく勘違いしてました。月桂さんは・・・女性だと思っていたので、母親的存在なのかと勝手に・・・だって・・・そうだったら・・・男性だったら・・・美玖が、あなたに恋してるみたいじゃないですか・・・」
「・・・ありませんね」
凛は涙目になりながら話したが、月桂にすぐに否定され、美玖の気持ちまで否定された気分になり思わず目を伏せた。
「あっ・・・あの、月桂さんおかえりなさい! あ、隼くんたちも帰ってたんだ・・・おかえりなさい・・・」
慌てた様子で美玖が2階から降りてきた。凛はもやもやしてた気持ちが、美玖を見た瞬間に少し晴れた。寝ぐせを手で直しながら、みんなをきょろきょろ見回す仕草がとても可愛かった。
「あの、月桂さん。私のお友達の凛さんです。ずっと紹介したくって」
「はい、先ほど隼さんから紹介されました」
「え・・・あ・・・そうですよね・・・やっぱり・・・」
満面の笑みで紹介した後、すでに紹介済みだと言われ、美玖は分かりやすいほどがっくりと落ち込んだ。なぜ、落ち込むのか訳が分からずリビングに静寂が訪れ、仕方なく隼がフォローする羽目になった。
「えーと・・・何かよく分からないけど美玖ちゃんごめんね。信家のこと、紹介したかったんだ? あ、でもまだ名前とかしか紹介してないし。いろいろ教えてあげなよ、美玖ちゃんが」
「あっ、はい、分かりました。凛さん、今日はお時間大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。今日はあまり美玖と一緒にいれなかったからな。ゆっくりしていくよ」
「良かったぁ。月桂さん、凛さんの分もお夕食お願いしてもいいですか?」
「分かりました。アレルギーや食べれないものはありますか?」
「いえ、特にないです。あ、でも体重制限してるのであまりカロリーの高いものは食べられないです」
「ああ、凛ちゃんそれは大丈夫よ。吾妻さんの作るのっていつも、ヘルシーだから」
ルイが2階に上がりかけながら、凛に教えた。凛はそうなのか、と納得しやけに嬉しそうな美玖を見つめた。そのまま、ぎゅうと抱きしめて凛はやっと一安心する。美玖は少し驚いたが、いつもの凛だと安心し、照れながらも嬉しそうに笑った。
「充電。やっぱ美玖は抱き心地いいな。ねぇ、部屋に行こうか」
「おい、あんまりベタベタすんなよ。人のことは散々言っておいて自分は二人っきりになるつもりか」
「何だ、また嫉妬か。僕と君じゃ立場が違うんだ。僕は友達だから一緒に部屋で遊んでも問題ない。君はただの同居人だろう、部屋で二人きりとかありえない。いいか、美玖。男と部屋で二人きりなんてダメだからな。男のベッドで寝るなんてもっての他だ、分かった?」
「えと・・・ごめんなさい、つい気持ちよくてうとうとしちゃって・・・」
気持ちよくて・・・と言われ、柳はドキリとした。ベッドで抱きしめながら一緒に横になっていたら、いつの間にか美玖が寝ていた。自分から誘ったくらいだから、嫌ではないだろうが、気持ちよくてと言われるとどう反応していいか分からなくなる。
柳の反応を見て、隼はくつくつと我慢しきれずに笑いだす。その隼の反応を見て、凛はつんと顔を背ける。いつもの反応だった。
その日は、凛と一緒にみんなで夕食をし美玖は大満足だった。夕食が終わると、凛はそろそろ帰宅することにした。いつものように、隼が見送りをしようとするともう遅いからと月桂に止められてしまった。
「大丈夫だよ、駅までだから」
「隼さん、護衛なしは危険です。車を呼びます」
「いえ、結構です。扇も、別に送ってくれなくていい。それじゃあ、ご馳走さまでした。美玖、おやすみ」
ニコリとほほ笑むと美玖の頭を軽く撫でて、あっさりと凛は帰っていった。その後を追うように、隼も靴を履いた。
「やっぱり行ってくるよ」
「隼さん、自分も行きます」
「・・・月桂、分からないかな? 信家と二人きりで話したいんだよ、僕のささやかな権利を奪いたくなかったら大人しく美玖ちゃんと待っててよ」
そう言って笑うと、隼も家を出て行った。そう言われたら、ついて行く訳にもいかず月桂は大人しく引き下がるしかなかった。
すぐに出てきたつもりだったが、凛の歩くスピードが速く追いつくのに少し時間がかかってしまった。肩にポンと手を置くと、ビクリとし凛の驚く顔が見えた。
「なっ・・・なんだ、扇か。びっくりさせるなよ! てっきり変質者かと思った・・・別に送らなくていいと言ったじゃないか」
「そう? 信家が寂しそうな顔するから、放っておけなかったんだ」
「扇はいつもそんなこと言ってるのか? まったく呆れた奴だ。君が僕と一緒にいたい口実じゃないのか?」
「そうだよ」
ニコリと微笑む隼の笑顔があまりに爽やかで、凜も思わず微笑する。自分に対する好意をこうも包み隠さず示されると凜としても悪い気はしなかった。
「変な奴。まぁ、本当のこと言うと僕もちょっと気が滅入ったいたから・・・話し相手が欲しかったところだ」
「京介さんのこと? それとも月桂のこと?」
「どっちもだ。あのストーカー男は単純に気持ち悪くて吐き気がする。本人にストーカーとしての自覚がないからさらに腹が立つ。ああいう独りよがりの人間は嫌いだ」
「まぁ京介さんはストーカー寄りだよね。でも、そこまで深刻なことにはならないと思うけどね」
「そんなこと・・・分からないじゃないか」
凛は以前、ストーカー被害にあったことがあると言っていた。そのことについて、詳しく聞いたことは無かったが凛の表情が曇っていたので隼は心配させまいと気を使った。
「ストーカーも心配だが、美玖も心配だ。見ていて分かったよ、吾妻さんのこと好きなんだな。すごく嬉しそうに彼を見て、幸せそうにしてるから何も言えなかった・・・負けた気分だ」
「・・・月桂のことはどう思った?」
「吾妻さんは僕の予想とは、三回転ひねり位違ったけど・・・確かに料理は本格的で美味しかった。あの人、プロだろう。それから優しかったよ、美玖にはね。言葉遣いも丁寧だった、感情はこもってないけど。何だろうな、見た目というか雰囲気とか言動から、危険な感じがするんだが・・・美玖は恐がらないんだな?」
「そうだね、初めて会った時も平気そうに話しかけてたよ。普通の人は、凍りついたり逃げ出したりするんだけどね。ルイねえだって最近ようやく慣れたみたい。でも、自分から積極的に話したりはしないね。信家が案外普通に話していたから、僕は少し驚いたけどね」
「普通なものか。僕に見せびらかすように、美玖とアイコンタクトしたり、仲良く配膳の準備したり・・・」
思い出しながら、凛はよほど悔しかったのかわなわなと拳を震わせた。
「いや、見せびらかしはしてないと思うけど」
「それにな! あの身長! 僕のことをせせら笑うのかと思う程の身長、190はあるだろ」
「さぁ、聞いたことないけど。身長って・・・そんな気にする?」
「僕はな、どう足掻いても170手前なんだ。それをあの男は、僕より20㎝も高いのかと思うと・・・すごく劣等感を感じる・・・」
「え? でも女性で170って高い方じゃないの?」
「・・・僕はモデルだ。理想は180だけど・・・さすがに17じゃこれ以上伸びない」
「そうか・・・コンプレックスは人それぞれだもんね」
凛は突然立ち止り、じっと隼を見た。隼はどうしたのかと、立ち止り振り返った。電灯の青白い光の下で、凛の整った顔が一層絵画のように幻想的だった。
「・・・そうか、僕が扇と普通に接することができるのは・・・君が、背も高くなくて、男っぽくなくて、マイルドだからか」
「あれ? それ褒めてるのか、けなされてるのか分からないな」
「僕は男は嫌いだ。だが、扇は特別だ。それだけだ」
「そう、光栄だね。でも、僕はまだ背伸びるよ。男らしくないっていうのは、少し気になるけど」
「別になよなよしてると言ってる訳じゃない。女々しい男は、嫌いだしな」
そう言うと、凛はまた歩き出した。秋の夜風が涼しく凛は少し機嫌が良さそうになった。
「・・・扇は、彼女とかいないのか?」
「・・・いないよ。どうしたのさ、突然」
「そうか、良かった。彼女がいたら、僕とこうして二人きりで夜の道を歩いたり出来ないからな。分かるだろ、僕にその気がなくてもこの顔だから勝手に嫉妬されるんだ。友達の彼氏には浮気相手と間違われ、男の知り合いの彼女からも浮気かと誤解される」
「信家が魅力的だから、心配になるんだね。友達や知人の恋人は」
「そうだ。僕は魅力的だからな・・・って、流すなよ。ナルシストだと思われるだろ、僕が」
「そうじゃないの?」
「・・・だったら楽だったのにな。口に出す程、自信家じゃないよ僕。大好きな女の子は、僕の苦手な男らしい高身長にとられるし。体重や肌の管理はできても、身長なんてどうにも出来ないからな、悔しくて・・・悲しくなるな」
隼に話を聞いてもらうと、どこかスッキリした気分になった。月桂のことはショックだったが、美玖が嬉しそうだったので仕方ないかと無理に自分を納得させた。
身長に対して自分が強いこだわりを持って、それがコンプレックスになっているのも理解していた。こうして誰かに吐露して聞いてもらうだけで、凜は気持ちを切り替えようとしていた。
「信家は、彼氏いないの?」
「どうして、僕にそんなものがいるんだ。彼女だったら欲しいけどな、美玖みたいな」
冗談めかして凛は言い、隼もそれに対してくすりと笑う。
駅に着くと、隼は塾帰りのクラスメートの中嶋と会った。ふんわりした黒髪に、アニメのような甘い声で満面の笑みを浮かべていた。凛に気が付くと、ペコリと頭を下げた。
誰に対してもそうなのだろう、優しい口調で隼は話し、中嶋はそれを嬉しそうに聞き少し恥ずかしそうにうつむいていた。凜はその光景を少しつまらなそうに見た後、隼に話しかけた。
「それじゃ、僕は帰る。またな、扇」
「うん、帰ったら連絡してよ」
「覚えてたらな」
駅まで送った日は無事に帰宅したら、連絡するのも隼と凛の日課になっていた。遅い時間というのもあり、心配だからと隼がいつも決まっていう。面倒だ、バカか、と言いながらも凛はいつも短いメールを帰宅後送信していた。
中嶋にも別れを告げ、隼も帰宅することにした。隼が帰って行くのを見ながら、凛は静かに中嶋に声をかけた。
数日がたち、文化祭の準備もだんだんと進んでいき忙しくなってきた。隼は、部活のかけもちをしているので部の仕事もありいろいろと駆り出されていた。さらに、友人からバンドでベースを弾いてくれと言われ承諾したのでさらに忙しくなった。
「隼くん、ギターも弾けるんですね」
夕食中に、美玖が感心したように聞いてきた。
「うん、ギターも弾けるけど、最近練習してるのはベースね。文化祭で頼まれてさ。音うるさかった?」
「いいえ、大丈夫です。柳くんも一緒に弾くんですか?」
「ああ、キーボードな。まだ譜面覚えてねーけど」
「何、あんた達楽器出来るんだーバンドかーいいわね、若者は楽しそうで」
ルイが、柳と隼を見ながらにやにやして言った。確かに柳の部屋にキーボードが置いてあったが、隼に至っては弾いているところなど一度も見た事が無かったので少し意外だった。ルイが隼と柳にバンドのことを聞いていると、月桂が携帯を手にし奥のテラスへ出て行った。
月桂は、一緒に食事をとることは無い。食事の用意をし後片付けをすると夜には出て行き朝方帰ってくる。住み込みという建前だが、他にマンションでも借りているのであろうことは暗黙の了解だった。もともと、通いにすればいいと思っていたので隼と柳には好都合だった。ルイも特に不都合には感じなかったが、美玖は夜中に起きた時月桂がいないことに少し寂しさを感じていた。
美玖の夜の寝付きが悪いのはいつものことだった。睡眠導入剤を使えば眠れることは出来たが、薬に頼るのはどこか後ろめたい思いがありどうしても辛い時しか使わなかった。
学校に行くのは、週に2・3日程で月桂に送り迎えをしてもらうことも無くなった。一度「送迎は必要ですか?」と尋ねられ、つい「大丈夫です」と答えてしまった。後悔したが、今さらお願いする訳にもいかず学校の行き帰りがひどく億劫だった。
以前より二人だけの時間が少なくなった・・・というより、意図的に月桂が減らしているような気がして美玖はそのことを考えるとひどく辛い気分になった。
文化祭当日、隼のクラスはメイド喫茶の準備でみんな忙しそうにしていた。女の子の選抜数人は交代制でメイドの恰好をし接客をし、他の生徒は調理や呼び込み・雑用などを交代制でこなしていた。みんな他の仕事や、遊びに行きたいので担当ごとに2時間交代だった。
隼は午前中、茶道部のお茶会の手伝いをしてから、メイド喫茶の手伝い交代のためクラスに戻った。教室の中はパーテーションで区切ってあり、座席部分と調理部分に分かれていた。混みあっているようで、廊下に待ちも出ていた。
調理場は手狭なので、調理といってもドリンク類を作る程度なので手順さえ覚えれば誰でも出来る仕事だった。
「忙しそうだね、ここ交代するよ?」
「あ、扇くん・・・扇くんは、みらいのとこ行って? 隣の教室にいるから」
隼を見ると、調理場にいた女の子3人がハッとした顔で顔を見合わせ、そわそわした様子で隣の教室を指差した。
隣の教室に行くと、中嶋みらいが緊張したように中に入るよう促した。この教室は、女の子たちがメイド服に着替えるための更衣室替わりに使っているので扉を閉めると中はしんと静かだった。そこに、隼とみらいは二人きりだった。
「それで、僕は何を手伝えばいいの?」
「あのね、扇くん・・・そのぉ・・・急な話で驚かないで聞いて欲しいんだけど・・・」
「・・・えっと、何?」
何か変な状況になってきたな、と思ったが隼はニコリと笑顔で対応した。
「・・・これに、着替えてくれる?」
恥ずかしそうに、みらいが隼に手渡したのはクラスメートの女の子たちが自作した、派手なメイド服だった。一瞬何を言われたのか分からなくて、笑顔のまま「え?」と声が出ていた。
「いや、僕は着ないよ。もしかして中嶋さん用事ができてメイド役代わって欲しいの? だったら僕、誰か他の子に頼んでみるけど?」
「違うの、みらいはさっきまで接客してたし。これは、扇くん用だよ?」
「・・・えーと? だから僕は、メイド服着ないよ?」
「大丈夫だよ。扇くんが女装趣味があるの秘密にするから。本当はメイド服着たいって、信家さんに聞いたの。みらい協力するから着てもいいんだよ?」
顔を赤らめながら、みらいはうっとりと隼の顔を見た。隼はなんてことだと苦笑いをした。
「それ、騙されてるよ。僕は女装趣味は本当にないから、ごめん。まったく、信家もひどい嘘つくな・・・」
「いいから、さっさと着替えろ扇。メイクの時間がなくなる」
「うわっ・・・何で新家がここに!!」
頑としてメイド服を着ない隼に苛立ち、パーテーションの後ろに隠れていた凛が出てきた。まさか新家がいると思わなかった隼は、驚いて後ずさった。
「自分で脱がないなら、僕が脱がすぞ」
「絶対着ないよ? 何で僕がそんな恥さらししなくちゃいけないんだ」
「大丈夫、僕が完璧な女の子に仕立て上げるから。いいじゃないか、メイド服着て接客するなんて滅多にない機会だぞ」
「いやいやいや、そんな機会いらないよ。無理だから、ごめん、本当に嫌なんだよ」
じりじりと、間合いを詰めてくる凛に恐怖を感じ、隼は扉の方に後ずさった。みらいが逃がすものかと、扉のカギをカチャリとかけてじっと隼を見つめた。
「なっ中嶋さん!? だから、僕は女装趣味はないって。悪いけどどいてくれるかな?」
「ごめんね扇くん。そんなこと本当はどうでもいいの、みらいも・・・扇くんのメイド服姿見たいのよっ!!」
「えぇぇぇ!?」
凛もみらいも、奇妙なうすら笑いを浮かべて見てくるので、さすがにこれはキツイと隼は感じた。じりじりと感じるプレッシャーに変な汗が出てきた。申し訳ないが、強行突破してクラスに帰ろうと思ったが、凛に先を読まれたのか真顔で忠告された。
「逃げたら、みらいちゃんの服脱がせて大声で「助けて~」と叫ぶ。そしたら扇・・・分かってるよな?」
「な・・・何言ってるんだよ・・・そんなの、中嶋さんにも迷惑かかるじゃないか」
「そうだ。扇が逃げたら、みらいちゃんは男に性的ないたずらをされたと誤解される。扇は犯人だと誤解される。僕たちは楽しみにしてた女装が見れない。つまり皆不幸になるわけだ。分かったら、早く脱ぐことだ」
「そんなの・・・脅迫じゃないか・・・」
隼はもうどうにでもなれと、服を脱ぎ始めた。みらいは慌てて扉に向き、目を閉じて着替えが終わるのを待っていた。凛は特に気にする様子もなくメイク道具を嬉しそうに机に並べ始めた。
着替えが完了すると、すぐに凛がメイクを始め言われるがまま大人しくメイクされた。仕上げにブラウンのロングウィッグをつけると凛が口に手を当て恍惚の表情を浮かべていた。
みらいも、隼の姿を見た途端、顔を赤らめて「可愛い」と呟いた。しかし隼は、あまりの恥ずかしさにいつもの笑顔が出来なかった。新家は教室から隼を追い出し、みらいは恥ずかしがる隼をクラスまで先導した。
「お待たせ―メイドさん交代するよーん」
「助かる―超忙しくてさーみらい悪い・・・え・・・?」
「・・・誰?」
調理場サイドの扉から元気に入ったみらいと、メイド姿の隼を見て、一同ギョッとした。みらいの友達は、みらいが隼を隣の教室に呼び出したのは知っていたが、まさか女装させて戻って来るとは思わなかったので驚愕の出来ごとだった。
隼はもともと顔の整った、中性的な美少年だったので化粧とウィッグ・服装で少し変装すれば、細身ということもありかなりの美少女に変身していた。
皆の視線がこれほど恐ろしく感じたのは、隼にとって初めてだった。何で自分は女装して、しかもメイド姿で、いきなり現れたんだ・・・死にたくなってきた・・・とまったく余裕が無くなってしまった。
「可愛い・・・嘘・・・扇くん? 嘘―やばい・・・」
「うえぇぇ~ちょっ・・・ありえない・・・何でそんな色っぽいわけ?」
「まさか~隼の双子の妹とかだろ? 可愛すぎるって・・・」
覗きこむ友人の向井が、隼の恥ずかしがる顔と目が合うと、あまりの可愛さに顔が赤くなってしまった。
「なっ・・・何顔赤くしてるのさ・・・笑いたかったら笑えよ・・・」
「え・・・や・・・ごめん。何だ、本当に隼なのかよ・・・ヤバイな・・・」
隼の指を軽く噛み恥ずかしがる仕草があまりに可愛すぎて、事情を知らない客の男たちも遠目で見ながら悶絶していた。
女装なんかして、頭がおかしくなったのか、キモイと思われると危惧していたが、意外にも皆可愛いと絶賛の嵐で、客もみな普通の女の子だと思ってデレデレしているので、ますますどうしていいか分からなくなった。
「可愛いね、メイド服すっごく似合ってるよー! ねぇ、携帯のアドレス教えてよ」
「後で一緒に遊びに行かない?」
「写真撮っていいですか?」
「彼氏いるの? 名前教えてよー」
接客中も、隼の周りは人だかりで、おろおろとする隼を見ていつもの余裕に溢れたさわやかな隼とのギャップを感じ、クラスメート達もにやにやとデレデレと魅入ってしまった。
体育館には、バンドや演奏、ダンスなどの舞台関係で使用されていた。裏の自転車置き場で、柳たちのバンドは待ち合わせていたが一向に隼が来ないうえ、携帯にも出ないので仕方なく柳が探しに行くことにした。クラスのメイド喫茶の手伝いをしてるかもと思い、隼のクラスまで見に行くとけっこうな混み具合でやれやれと思った。
友人の向井が、クラスの外で行列整理をしていたので声をかけた。
「向井、隼いるか? そろそろバンドの時間なんだけどよ」
「・・・いるといえばいるけど。柳の知ってる隼はいないかもな・・・」
「はぁ? 何だそりゃ」
一応いると言われたので、出入り口のドアから中を窺うが接客中のメイドの女の子ばかりしか見えず、奥の調理スペースかなと考えていたら自分を呼ぶ隼の声が聞こえ、一瞬訳が分からなかった。
駆け寄って来る、ふるゆわカールのロングヘアーでぱっちり目の女。フリルが派手についたミニスカートのメイド服に、でかでかとリボンが付いていて、化粧なのか香水なのか女性的なフローラルな香りが漂っていた。
「ごめん、もう時間だったね。すぐに着替えるから待ってて」
「・・・あ・・・え・・・ああ。早くしろよ・・・」
声は確かに隼だったが、幼馴染のあまりの変貌ぶりに軽くショックを受けた。隼も気まずくなり、申し訳なさそうに柳を見ると、調理場の方に顔を出し時間だからもう行くと伝える。クラスメートも客たちも隼がいなくなるのを残念がり、絶対戻ってきてねと念を押された。もうごめんだと思ったが、適当にごまかすと着替えのため隣の教室に向かう。
ようやく、着替えができると思ったが制服がどこにも見当たらなかった。誰かが間違えて着るなんてことは考えられなかったので絶望的な気分になった。
「向井、お前の言った通りだった。俺の知ってる隼じゃなかったわ」
「だろう? なんか、中嶋たちが無理やり着せたみたいだけど・・・女子より似合ってるよな・・・」
「・・・・・・よく出来るな、あいつこんなこと・・・」
ごてごての分かりやすい女装だったら「アホだな」と笑って済ませられたがあまりにも似合いすぎていたので、女の子たちは大興奮して男連中はぐっと黙りこくってしまった。
柳は複雑な心境になり、ため息をついた。時計を見ると、自分たちの演奏開始時間まであと10分しかなかったのでヤバいなと焦った。
その時、隣の教室から思いつめたような表情で隼が出てきた。まだメイド服のままだったので柳は驚いた。
「お前、まだ着替えてないのかよっ! 時間ないぞ!?」
「柳・・・どうしよう・・・制服がない・・・」
「はぁ~~~!?」
美少女メイドの制服が無くなったと聞いて、周りの男たちが一斉に反応した。じっと沢山のがっつくような視線に晒されて、思わず柳の手を引いてその場から逃げだすように走った。
何だこの状況、と隼も柳も軽くめまいを感じた。どちらにせよ時間が無かった。
「とりあえず、体育館裏に行くぞ。ジャージか何か借りれるかも」
「そうだけど・・・教室ならまだしも、体育館までこの格好で行くの恥ずかしい・・・」
「何言ってんだ、今さら。そんな格好してる時点で十分恥ずかしいんだよっ!」
「わ・・・分かってるけど・・・仕方なかったんだよ・・・」
「いいから、行くぞ! カケルたちが待ってんだよ」
「人事だと思って・・・」
ただでさえ目立つメイド服の上、かなりの美少女に変身した隼は歩いているだけで周りの視線を一身に浴びていた。
二人の前に、見覚えのある顔が見覚えのある制服を着て笑顔で立っていた。
「そんな怒った顔してたら、折角の可愛い顔が大なしだな」
「信家・・・君だったのか・・・それ、僕の制服だよね」
「そうだ、少し借りてるぞ。帝秀の制服はデザインがいいからな、一度着てみたかったんだ」
「ちょうど良かったよ。これからバンド演奏があるから、服返してくれる?」
「ふふ・・・そのままでいいじゃないか」
「嫌だよ。どうして一人だけメイド服で演奏するのさ」
「可愛くて似合ってるから問題ない。制服で演奏なんて普通でつまらないだろ」
「・・・信家、頼むよ。さすがにこの姿で演奏出来ない・・・」
いつもの余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)な隼からは想像できない、困った表情に凛はぞくぞくと感じてしまった。
「そんな顔するな、ますますイジメたくなるじゃないか」
「おい、お前さっさと脱げよ。時間がないんだ」
「恐いなぁ、暴力は勘弁してくれ。みらい、はるか、ねね、逃げるぞ」
「はーい」
クラスメイトの女の子たちを連れて、信家たちは楽しそうに走っていった。実際、無理やり脱がす訳にもいかないので柳も隼も追いかけたりしなかった。がっくりする隼を引っ張り、体育館裏に行くとメンバーの姿が見えなかった。
実行委員の人から、すでに舞台袖に入っていると聞き慌てて向かった。舞台袖で、メンバーのカケルと優斗を見つけ声をかけると二人はホッとした表情になった。
「まじおせーって! 早く用意・・・って、隼は?」
「ここにいるだろ」
隼のメイド服姿を見て、カケルと優斗は思考が固まる。俺もこうだったのかと、柳は二人を見ながら楽器の準備をした。
「まぁいろいろあって。誰か着替え、ジャージとか持ってないかな?」
「えー・・・持ってないけど・・・でも、アリだな」
「ああ、完全にアリだな」
「何がだよ・・・」
隼を見て納得するカケルと優斗に隼はうんざりしていたら、係の人間に次の人お願いしますと言われた。結局、着替えが出来ずメイド服のまま、ベースを持ってステージに上がった。どう見ても、制服姿の男3人の中に一人メイド服の女装男がいたら変だろうと隼は暗い気分になった。
しかし、演奏が始まると弾いてるのが楽しくて段々といい気分になってきた。演奏に集中してる間はいつもの自分で、程良い緊張感のなか音に包まれた。
演奏が終了すると、思ったよりたくさんの人がいることに気が付いた。そして、自分がメイド服を着てることも思い出し急に恥ずかしくなった。そそくさと舞台袖に戻ると、メンバーからお疲れーと明るく声をかけられた。皆がとても楽しそうで、充実した顔をしているのに、なぜ自分はこんな目にあっているのかと切なくなってきた。
「君、女の子なのにベースめっちゃ上手かったねー」
「そーそーカッコ良かったよ、顔は可愛いのに」
知らない人に声をかけられたが、素直に嬉しいとは思えず隼は苦笑いしかできなかった。メンバーと別れ教室に戻る途中、一人だったので何度か声をかけられた。適当にあしらっていたが、露骨にナンパされることもありだんだんと苛立ってきた。
「ミニスカメイドって、エロイね。ねーメイド喫茶って、どこでやってるの?」
「北館2階。行けば看板があるから分かりますよ」
「いらっしゃいませご主人様とか言ってくれる訳? どんなサービスしてくれんの?」
「って、お前サービスとかっ! 風俗じゃねーっての!」
他校のいかにも不良っぽい男たちに話しかけられて、素っ気なく隼は答えた。他の女の子たちもこんな事言われてるのかと思うと不快に感じ、ジトリと男たちを睨みつけた。
「メイドさんに睨まれたー。ごめんごめん、ねー君はいつ接客してくれるの? お触りとかオーケーなん?」
「・・・・・・もちろんダメですけど?」
「この子は可愛いけど、ブスが出てきて接客とかされたら腹立つよな? そういう場合はチェンジ! とか言えるわけ?」
自分が今女だと思われてるからか、隼が睨んでも話をやめようとせず下劣な話を続けていた。こんなのを相手にみんな接客してるのかとがっかりしつつ、早く行こうとするが男たちに道を塞がれ先に進めなかった。
「・・・どいてくれる?」
「お、全然恐がらないんだ。ツンデレタイプはいじめたくなるな~」
「俺らと一緒に遊ぼうぜー」
肩を掴まれ、壁際に追い込まれ隼はさすがに限界を感じた。足払いから、投げて、踏みつけてコンボしようと考えた時、急に横から誰かが割り込んできた。
「お前ら、よくそんな顔で僕のハニーに声をかけれるな。顔面偏差値低すぎだな、大人しく家に帰って汁遊びでもしてるがいい」
「信家・・・ちょっと・・・それは・・・」
どうだ!と言わんばかりの張りきった顔で現れた凛は、制服姿が似合っていて頼もしい美少年だった。こんな助けられ方したら、惚れてしまうというシチュエーションだがその言い方は無いだろうと冷静に隼は考察した。
「誰が・・・顔面偏差値低いって!? ケンカ売ってんのか、彼氏かなんか知らねーが」
「ケンカなんか売ったことはないな。お前たちこそシャブでも打っているのか? お触りサービスとか希望なら、風俗に行ってこい。チェンジがなんだって? お前ら存在そのものがチェンジ希望されてるだろ。早く消えろ、包茎野郎が」
「信家、ストップ・・・ダメだって・・・」
男たちは茹でダコのように、怒りをあらわにしていたので、隼は凛の手を引き思いっきり走った。追いかけてくるかと思ったが、意外にもその気配もなく無事に更衣室替わりの教室に着いた。
走ったせいで、すっかり二人とも息が上がっていた。イスに座り、休憩する凛の前に隼がやってきて少し困った顔を見せた。
「信家、女の子なんだからあんまり変なこと言っちゃだめだよ」
「変? 絡まれてる女の子を助ける主人公役を演じてみたんだけど、「僕のハニー」はやっぱ古かったか」
「そこじゃなくて、もっと・・・性的なこと言ってたろ、やめなよ人前でそういうこと言うの」
「・・・何か言ったか? 童貞野郎・・・? あれ、短小野郎だっけ?」
「もういいよ・・・まったく、せっかく美人なのに・・・品性が疑われるよ?」
隼は、少し顔を赤らめて俯いた。凛はそれをじっと見つめ、そっと隼の手に触れる。
「何赤くなってるんだ、今日の扇は本当に可愛いな」
「・・・嬉しくないよ」
「どうして? さっきのライブも一番目立ってた。扇しか目に入らなかった・・・可愛すぎて」
「・・・こんな恰好で演奏とか、動きにくいし、髪は邪魔だし、何より屈辱的なんだけど」
「そんなに嫌なのか? 僕は最高に可愛くて好きなんだけど。彼女にしたいくらい」
「・・・どうせなら彼氏がいいね」
「彼氏はいらない・・・・・・」
隼は、何だかなと思いながら、凛を見ると手の平をなぞるように触り、こじ開け絡めた。普段はこんなことしないのに、いつになく積極的で隼はドキリとしてしまった。
「な・・・何?」
「どんなに扇が可愛くても、やっぱり男だな。手が僕より大きい。それに扇の制服、僕には少し大きい。背はそんなに変わらないのにな・・・」
「当たり前じゃないか・・・僕だって二人きりの教室で、手なんか絡められたら信家のこと意識するよ」
「へぇ、いつもはしてない? 僕のこと男友達として見てたのか?」
「・・・そうだね、サバサバしてるしあまり意識はしなかったかな」
凛は、手を離すとジャケットを脱ぎ、シャツのボタンを外し始めた。驚いて慌てて後ろを向く隼を気にすることもなく凛は、ベルトに手をかけズボンを脱ぐと制服を机に置いてくすくすと笑い始めた。すでに着替え終わったが、律儀に後ろを向いたままの隼が可愛らしかった。
「制服置いておくぞ。それから、今日僕を楽しませてくれたお礼・・・」
凛は後ろから隼に近づき、唇を絡めた。突然のキスで一瞬の出来事だったが、驚いてよろめいてしまった。そんな隼の様子を見て凛はまた嬉しそうに笑った。
「勘違いするなよ、誰にでもする訳じゃないからな」
「・・・え・・・?」
「じゃあな、僕は友人と待ち会わせがるからもう行く。またな」
茫然とする隼を残し、あっさりと凛は部屋を出て行った。口元を押さえながら、隼は翻弄されっぱなしの情けない自分に嫌気がさした。
教室を出た凛は、早足でその場を離れた。本当に可愛くてしょうがなかった、男なのに、と自分でも不思議なほど高揚して身体が熱くなった。唇を人差し指でついと触れ、もっとしたかったなと思った。
文化祭が終わり、隼のクラスでは打ち上げがあったが、断ることにした。隼のメイド服姿を見たのはクラスでは10人程度だったため、見てないクラスメートからは見たい見たいと言われ、なんとも困ってしまった。周りは隼が行かないことにかなりショックを受けていたが、打ち上げに行こうものなら、絶対にネタにされそうなので欠席に決めた。
いつも通り、柳と一緒に帰宅するとルイにクレジングオイルを借りて、隼は化粧を落とした。
「ねぇ、どうしてお化粧してるの、可愛いわ~メイド服やっぱり着たの?」
「信家凛が来て、隼のクラスの女とグルだったらしいけど、なんか着せられてたな」
「で、どうだった? 似合ってた? 写真ある?」
「写真ない。ってか、家でこの話題やめようぜ。学校でかなり騒がれてたから、隼のやつ不機嫌っつーか」
興味津津のルイが柳と話をしていると、私服に着替え2階から隼が降りてきた。
光沢のあるシャドウストライプが入った上品なテーラードジャケットと同素材のベストを着て、いつもよりフォーマルな印象だった。いつもは爽やかな高校生といった感じだが、今は由緒ある家柄の青年を思わせる大人びた印象だった。
「わぉ、カッコイイじゃない隼、お出掛けー? デートかしら?」
「そう、変じゃない?」
「うん、似合ってる! いいわね、イケメンはお洒落のしがいがあって」
ルイは、お世辞抜きに隼の恰好を褒めた。あと数年したら、とんでもないいい男になるわねと内心ときめいてしまった。
「え、お前打ち上げじゃなくて?」
「うん、そんな気分じゃないからね」
「だよな、打ち上げの格好じゃないもんな」
「ハハ、そうだね」
家に帰るまでの、少し疲れたような不機嫌な雰囲気が嘘のように、いつものにこやかな隼に戻っていて柳は何か違和感を感じた。
「月桂、唄子さんとディナーに行くから、出かけてくるよ」
キッチンで下ごしらえをしていた月桂に声をかけると、包丁の手がピタリと止まり月桂が隼に返事をした。「唄子」という名前を聞き柳はなるほどと納得してしまった。
「・・・了解しました。あまり遅くなりませんように。車の手配は?」
「必要ないよ、唄子さんが迎えに来てくれるから」
微笑みながら隼は出かけて行った。唄子さんって誰?とルイが聞いても、柳も月桂も微妙な顔をして答えようとしなかったので、ルイもそれ以上追及しなかった。名前からすると、年配な気もするがまさかねと苦笑いした。
夕食が終ると、柳は自分のクラスの打ち上げに行き、帰宅する頃にはすでに月桂はいなくなっていた。ルイもどこかに出かけたようで、君孝も隼もまだ帰宅しておらず家の中はやけに静かだった。
2階に上がると、ベランダにゆらゆら揺れる光が見え、近づくとろうそくの不規則な火が揺れていた。その横で美玖が静かに立っていた。
「あ、柳くんおかえりなさい」
「何やってんだ、お前・・・ろうそくなんか持って」
「これね、倉敷ろうそくって言って桃のいい香りがするろうそくなんです。桔梗さんに頂いて・・・せっかくだから、少しつけてみようと思って」
「わざわざ外で? 部屋でやればいいだろ・・・」
「えと、部屋を暗くするの嫌なので」
「・・・あーそう・・・」
ベランダの手すりにろうそくを置き、ぼんやりと灯る明かりを美玖はじっと見ていた。何が面白いのか分からんな、と思いつつ柳もイスに腰を降ろし、美玖の横顔を眺めていた。
しばらくすると、びゅうと強い風が吹きはじめろうそくの火が消え、美玖はくしゅんと寒そうにくしゃみをした。
「中戻ろうぜ、お前寒そうじゃん」
「はい・・・でも、これもこもこなので暖かいんですよ」
美玖が着ているルームウェアは、ベビーピンクのもこもこしたパーカータイプで、ショートパンツだが同色のレッグウォーマーを履いているので寒さはあまり感じなかった。
帽子部分をかぶると、うさ耳になっており美玖は嬉しそうに柳に見せた。
「凛さんとお揃いなんです、これ。凛さんは、黒いネコ耳でそれもとっても可愛いんですよ」
「あー・・・そう」
お揃いアピールがしたかったみたいで、美玖は上機嫌で家の中に戻って行った。後ろから見ると、歩く度にうさ耳がひょこひょこ動きたまらなく可愛らしかった。柳の部屋の前に行くと、美玖がピタリと止まり振り返った。
「えと、お願いがあるんですけど・・・」
「何だよ」
「あの、迷惑じゃなかったら・・・その、キーボード・・・触らせてもらえませんか?」
「え、ああ、別にいいけど」
「わぁ、ありがとうございます」
満面の笑顔で感謝されて、柳はおもわず照れてしまった。こんな簡単なことで喜ぶんだと苦笑いをしつつ、簡単な操作を教えあとは好きなように使えと言い、シャワーを浴びに行った。
柳がシャワーから戻ってくると、メロディが響いてきた。ショパンの「子犬のワルツ」か、と少しつたない演奏を聞いていた。
「あれ・・・なんか違う・・・」
「・・・こうだろ」
美玖がうろ覚えの個所を、柳が後ろから弾いて教えた。美玖は、柳が後ろにいたことに気が付かずビクリとしたが柳の完璧な演奏に聴き惚れてしまった。
「わ・・・柳くん上手・・・もっと弾いたとこ見たいです」
「いいけど・・・俺も、最近練習してないから大した事無いぞ?」
「うん、聴きたいです」
「じゃあ、ショパン繋がりで【英雄ポロネーズ】・・・」
静寂の中、柳の奏でる豊かな音の世界に美玖はすっかり魅せられてしまった。滑らかに流れる指先が紡ぐ圧倒的表現力に涙が出そうになった。約7分の演奏を楽譜も見ずにやり通した柳に感動してしまった。
「だー・・・指つるかと思った、ミスしまくった。練習不足だな・・・どうしたボケっとして?」
「え・・・っと、感動して・・・柳くんすごい・・・」
「まぁ、去年コンクールで弾いたやつだからな」
「そうですか、本当にとってもステキなショパンでした・・・すごいな、柳くんは」
「別に・・・ほら、お前も弾けよ。楽譜欲しかったら、パソコンでダウンロードすればいいし」
「え、パソコンで楽譜見れるんですか?」
「ああ、何がいい? 弾くの久しぶりなんだろ?」
「はい、ここに来てからずっと弾いてなかったので・・・久しぶりに弾いたら楽しかったです。とりあえず子犬のワルツちゃんと弾きたいです」
パソコンのモニターに楽譜を表示させると、久しぶりだというピアノの演奏が楽しいらしく美玖が生き生きと弾き始めた。
「楽譜他のが見たかったら言えよ、それから絶対勝手にパソコンいじるなよ」
「はい、分かりました」
柳はベッドで横になり、携帯でメールの返信をしつつ何気なく携帯のカメラで美玖を写してみた。ピアノの音でシャッター音がかき消され美玖は写真にまったく気が付いていなかった。
いいのが撮れたと思い、ルイあたりに冷やかしでメールを送ろうと思ったが、なぜか誰にも見せたくない気分になりそっと携帯を閉じた。
そのまま、疲れがたまっていたのかうとうととピアノの音を聞きながら自然と瞼が落ちていった。
美玖が夢中になってピアノの練習をしていると、携帯の着信音が聞こえてきたので柳の方に視線を向けると携帯を片手に眠っていた。時計を見るとすでに0時を過ぎていることに気が付きハッとしてしまった。2時間近く柳の部屋でピアノを弾いていたみたいだった。あわあわと立ち上がり柳の近くに行って、小声で話しかける。
「あの、柳くん・・・遅くまでごめんなさい・・・えと・・・眠ってます・・・よね?」
美玖は、返事のない柳の顔に近寄りそっと髪をなで、頬に口づけた。
「ありがとう、柳くん。おやすみ・・・」
耳元でそっと囁くと、美玖は自分の部屋に戻って行った。扉の閉まる音を聞くと、柳はパチリと目を開け思わず起き上がり扉の方に視線を向けた。美玖の声で軽く覚醒していたが、いきなり口づけされ起きるに起きれなくなっていた。
頬に柔らかい感触と、フルーティーないい香り、耳元で囁かれた甘い口調がいっぺんに来たので興奮を抑えるのが大変だった。
―― まったく、どういうつもりなんだ!
この前は美玖と一緒にベッドで寝たり、さっきのようにキスしてきたり、親密なのか誘っているのか分からない状況が多々あり困惑していた。一度はっきりと否定されている(と思いこんでいる)柳としては、今の関係を壊したくないがこう何度も気持ちを掻き立てられたら、自分の感情を抑えきれなくなると思い堅く目をつむった。
柳は、この時感じた情欲を処理しなかったことを翌朝、ひどい後悔することになった。