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ラムネット  作者: ラムネ
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34話 闇の夜に灯火を失う

闇の夜に灯火を失う


頼りとしていた物や人を失い、途方にくれること。


☆簡単人物紹介☆ 分かんなくなったら、確認したって


花立はなたて 美玖みく(中2) 引きこもり美少女。卑屈でめんどくさい子です。

花立はなたて 君孝きみたか(35) 美玖の伯父。温和な画家。影が薄いのなんの。

おうぎ しゅん(高1) 花立家の下宿人。さわやか腹黒少年。

おうぎ りゅう(高1) 隼の従兄弟。同じく下宿人。俺さま純情少年。

ルイ(21) 最近影の薄い下宿人。ファッション学科に通う学生。

吾妻あがつま 月桂げっけい(34) 住み込みお手伝いさん。本職はヤクザ。現在本職に勤しんでおります。


信家しんや りん(高2) モデル。美玖が好きすぎる。外出時は男装がセオリー。


【34話 闇の夜に灯火を失う】


 美玖みくはカレンダーを見ながら、もうすぐ帰ってくるはずの月桂げっけいのことを思った。帰ってきたら、何から話そう、りんのことも紹介したいし、しゅんの家に滞在したときの話もしたい。カレンダーをなぞりながら、もう一か月近く会ってないのだと気がついた。

 階段から落ちたと知ったら、心配するかもしれない。だけど、大丈夫。私は、まだ大丈夫だと自分に言い聞かせた。


 ただカレンダーを見ているだけなのに、それは月桂を想っているのだと、君孝きみたかにもりゅうにも隼にもルイにも分かった。ケガをして以来、学校は休み、病院に通院以外一歩も外に出なかった。昼間は一人でいることが多いので、みんなも少なからず月桂の帰りを待っていた。


 だから、週末を過ぎても連絡のない月桂に隼は胸騒ぎを感じた。

 美玖は、日を追うごとに元気を無くしていった。表面上はにこやかにしていたが、ふと一人の時はぼんやりと遠くを眺め、夜もあまり眠れていないようで睡眠薬を日常的に服用していた。

 りんが遊びに来た時は、それでも大分ましで楽しそうに会話していた。そして凛が帰ると、その反動か少し不安定になる。




「ごめん、信家にばっかり頼って。仕事も忙しいんだよね?」

「仕事は忙しいが、そんな事は関係ない。僕が美玖に会いたいから、好きで来てるんだ」


 この日も、美玖に会うためおうぎ隼と信家しんや凛は待ち合わせをし、家に向かっていた。凛はれっきとした女性だが、今日も男物の制服を着て颯爽と歩いている。

 隼は、月桂がいない今どうしても美玖のことは信家に頼ってしまう。自分や、柳がその役目を果たせたら良いのだが、それは難しかった。


「扇・・・君な、そうやって周りに気を使ってばかりで疲れないか?」

「そういう性分なんだよ」

「そうか・・・扇が女だったら、八方美人ってやつだな」

「それ、褒め言葉? それとも皮肉かな?」

「両方だ。しかし、人の良さそうな顔して、案外毒舌だ。この前、病室で言ったセリフ僕は恐ろしかったよ。脅しに慣れた悪党みたいだ。インテリヤクザになれるな」


 ま、極道一家なんだけどね。と隼は口に出さずくつくつと笑った。


「面白いこと言うね、信家は」

「褒め言葉だ。狡猾こうかつで悪賢い。間違ってるか?」

「全然褒められた気がしないけど・・・正直正解だよ。僕って腹黒いらしいから。目的のためなら手段は選ばないし」

「そんな感じだ。扇は見た目よりよっぽど恐ろしい奴だよ。僕には、わりと正直に話すみたいだけど?」

「うん、そうだね。信家は、そんな僕でも否定しないと思うから」

「君のそういう恥ずかしいセリフを、笑顔で言うところが益々悪党じみてるな」

「信家のそういう邪険にした冷たい態度が、益々そそられるね」


 フン、と鼻で笑うと凛は本題に入った。


「このところ、美玖が元気ないな。何か原因があるんだろうか?」

「多分、月桂が帰ってこなかったからだろうね」

「ゲッケイって・・・お手伝いさんだろ? そんなに仲が良いのか?」

「うん、割とね・・・」

「どうして帰ってこないんだ?」

「分からない・・・」

「確か、扇のところの社員なんだよな」

「まぁ、一応」

「歯切れの悪い返答だな。その月桂さんが帰ったら、美玖は元気になるんだな?」

「・・・そうじゃないかな、と思うけど。状況次第だね」


 隼の顔が一瞬曇る。そうだったら、早く呼び戻せばいいだけじゃないか、と凛は思った。


「何だ、嫌そうな顔して。扇は、月桂さんが嫌いなのか?」

「違うよ・・・嫌いじゃない。けど・・・正直、帰ってきて欲しいかは別問題なんだ。今は、それで解決するかもしれない。でも今後を考えると、少し悩む・・・」


 珍しく思い詰めたような表情をする隼に、凛はそっと肩に手を触れた。


「らしくないな、悪党のくせに。もうすぐ家だぞ。美玖の前でそんな顔するな」

「分かってるよ、ありがと」


 隼は苦笑すると、家のカギを開ける。

 いつもは、凛が来ると喜んで出迎えるが今日は姿が見えなかった。

 家に入ると、リビングのソファーに柳が座っていた。


「ただいま、柳」

「ああ・・・」


 凛は、柳には目もくれず美玖を探すが、見当たらなかった。


「・・・美玖は?」

「静かにしろよ・・・」


 ムッとした表情で柳は視線だけを向ける。

 凛は、構わず美玖を探しに二階に登ろうとし、柳の横で美玖がもたれるように寝てるのを見つけた。


「な・・・何して・・・」


 声を荒げようとした凛を、隼が口元に指を当て「静かに」と制した。声をひそめながら続けて言う。


「このところ、あまり眠れないみたいで。せっかく信家が来てくれたけど、寝かせてあげよう」

「分かった・・・」


 柳にたいして、変なことするなよ、どうしてこの状況になったのか、など聞きたかったが、話すと起こしてしまいそうだったので大人しく引き下がった。

 しばらく凛は隼と護身術の練習などしていたが、気になり美玖の様子を見た。寝ている美玖の瞼が微かに濡れていた。顔色も悪い。凛は心配になり隼を問いただす。


「病院はちゃんと行ってるのか?」

「行ってるみたいだけど・・・」

「何か、前より悪化してないか? 眠れないって・・・どうして?」

「分からない・・・」

「そうか・・・心配だな」

「うん・・・」


 ここで隼に文句を言っても仕方無かったので凛は諦めて帰ることにした。

 美玖がとても辛そうなのに、凛は何も出来なかった。ただ、寝ているのを見ていただけだった。しかし、それは隼も柳も同じことだった。近くにいながら、一緒に住んでいながら、だんだんと衰弱していく美玖をどうすることも出来なかった。

 それを思うと、凛は自分よりずっと二人の方が無力感を感じているのだろうと思った。きっと美玖が起きた後、凛が来て何もせず帰ったと知ったら、残念がるだろう。それでも、一時の安息を願うばかりに、起こそうとは思えなかったのだろう。


「何だか切ないな」


 どことなく閉塞感に満ちていた。何がいけないのか凛には分からなかった。だが、この切羽詰まった状況はどうにかしなければ、マズイ気がすると思った。


 凛が帰ると、隼は柳に小さな声で聞いた。


「また、発作?」

「・・・ああ」


 このところ、美玖には発作が数回起こっていた。不安になると動悸や息切れ、心臓の痛み、震え、発汗、めまいなどの症状が現れる。ここ数日、明らかに体調が悪い。にもかかわらず、やせ我慢をして頼ろうとしない。

 原因を聞いても、「平気、大丈夫」とばかり言い対処のしようもない。そんな美玖の態度に柳はそろそろ限界だった。




 9月も終わりに近づいて、少し涼しくなったある夜、突然ガラスの割れるような音で目が覚めた。君孝が音のしたキッチンの方に駆け寄ると、美玖が薄明かりの中立ちすくんでいた。落ちたコップがバラバラになって、水と一緒に床に散らばっていた。


「美玖、大丈夫かい?」

「え・・・何が・・・」

「コップが割れている・・・」

「・・・本当だ・・・」


 ちらりと足元に目をやると、きらきらと光るガラスの破片が見えた。美玖には、自分が落としたのかどうかまるで記憶に無かった。

 夜中の寝静まった時間帯なので、大きな音だったがまるで気付いてないような美玖に君孝は嫌な予感がした。音を聞きつけて、隼と柳とルイが様子を見に来た。ルイが君孝に声をかける。


「大丈夫? 大きな音がしたけど」

「ああ、ごめんね、皆起こして。美玖がコップを落としたようで。後片付けはしておくから、美玖を部屋まで連れてってくれるかい?」


 ルイは頷くと、美玖に行こうと促す。美玖は、いくつもの破片を見ながら不思議な感覚になった。


「私が壊した? そうですよね、落ちたら壊れる・・・」

「え?」

「壊す気がなくても、たとえ無意識でも、私が壊したことには変わらない。それって、壊そうと思って壊したこととあまり変わりありませんね・・・君孝さん」

「美玖・・・全然違うよ・・・」


 君孝には、美玖が割れたコップを見て何を連想していたのか分かってしまった。


「でも、壊れた事実は一緒。こんな簡単なことにずっと気が付かなかったんです。そうやって、お父さんは悪くないって思いたかっただけなんだって。こうやってコップが壊れるように、人も落ちたら壊れる・・・」

「美玖! いい加減にしないか。兄さんの時と、今回の事故は何も関係がない。まったく違う」

「違わないです・・・階段から落ちて、死んだか・・・死ななかっただけの違いです」

「美玖・・・違う・・・いいんだ、関係ない。美玖が気にすることじゃない。どんな理由があれ、兄さんの罪を君が負う必要はないんだ」

「罪・・・・・・」


 君考は必死に美玖に向かって話しかける。だが、美玖はずっと割れた破片を見ている。どうして、いつも悪い方へと考えてしまうのか、歯がゆかった。


 柳は、ふと以前美玖に言われた「人殺しじゃない」という美玖の言葉を思い出し、少し納得した。同じ状況なのだと。


「ごめんなさい・・・変なこと言って・・・」


 急に我に返り、美玖は狼狽した。自分がとんでもない失言をした気になって周りを見ると、みんな驚くような困った顔をしていたので急に怖くなってしまった。


「あの・・・ごめんなさい・・・私・・・」

「分かってる、美玖ちゃん疲れてるのよ、ほら部屋に戻ろう!」


 青ざめる美玖に、ルイは優しく声をかける。美玖とルイが二階に上がる間、無言で君考はコップの後片付けをした。隼と柳がそれを手伝うと、君考は「すまないね」と力なく言う。

 柳が、思い切って君考に聞いてみる。


「・・・親父さんの事故って、似たような状況だったんですか?」

「・・・同じ、階段の事故なんだ。兄さん・・・美玖の父親が加害者で、それで相手は亡くなった。小さい村だったからね、それで美玖は辛い目にあったんだ」

「それで、あんなに・・・落ち込んで、元気が無かった?」

「それだけじゃないと思うけどね。元々の発端は、自然災害で人が亡くなったんだが、色々あってね責任者は兄さんだったんだよ。公共事業とか、地元の有力者とか、企業とか、まぁよくある談合とかが露見して・・・それで、揉めに揉めてね。本当に田舎の小さな村だったから、噂はすぐに広まるし、排他的で、実に閉塞的な所だったんだ。ああ、こんな話してもしょうがないね、愚痴になってしまった」

「いえ・・・全然知らなかったです。そんな事があったなんて・・・」


 君孝は疲れ切った顔をしていた。いつも忙しそうにしている理由は、仕事だけじゃなく、もしかして美玖の父親に関する雑事も関係しているのだろうと柳と隼は考えた。


「それで・・・学校でいじめとかに遭ったんですか?」

「学校・・・だけじゃなく、私が行った時は村全体そんな感じだったよ」

「・・・まさか、今どきそんな・・・」

「言葉通り、比喩じゃなく村八分だよ、あれは。見るに堪えない惨状だった・・・だから、連れて来たんだよ美玖を。無理やりね」


 噛みしめるように君孝は話す。黙って聞いていた隼がぽつりと呟く。


「それで、対人恐怖症になったのか。学校や外出、人混みが恐いのもそのせいでしょうか?」

「そうだろうね。ここ2年でがらりと性格が変わった。以前は明るくて、活発で、わがままなくらい人に甘える子だったんだよ。今は人目を気にして、顔色をうかがって、すぐに謝る。それでも、ここに来て皆によくしてもらって大分笑顔に戻って・・・本当に感謝しているんだ」

「君孝さん・・・」

「仕事ばかりで、ろくに構ってあげられなかった。それでも、美玖が笑顔でいてくれたから安心しきっていた。でも、本当はずっと無理していたんだろう。私は、保護者失格だな・・・自分だけが、あの惨状から美玖を助けだせると思って行動したのに。実際は、ほとんど支えになってやれてない・・・」

「そんな事ないと思います。君孝さんは、十分美玖ちゃんの支えになってますよ。それに、僕と柳だってほとんど役に立ってないですよ。ルイねえと信家の方がよっぽど優秀だ。やっぱり女性は強いですね」


 君孝も、誰にも相談できず一人抱え込んで必死だったのだと、隼は思った。独身の君孝が、中学生の姪を引き取り育てようとするのは、相当に考え抜いて出した結果なのだろう。そしていつも温厚な君孝が、そうせざるを得なかった状況が美玖にはあった。

 思ったより、ずっと深く暗い闇が巣食っているのだと実感した。


「ずっと年若い、君たちに励まされてしまったね。私も少し感傷的になってしまったようだ」

「・・・君孝さん、月桂が必要ですか?」


 隼は、ハッキリ聞いてみた。自分でも迷っていた。もしかしたら、自分が強く言えば月桂を呼びもどすことが出来るかもしれない。だが、それはあくまで最後の手段だと思った。


「隼くん・・・美玖がそう言ったのかい?」

「いえ、美玖ちゃんは言いません。帰ってくると連絡を受けた時は嬉しそうに、僕に報告してくれました。それで・・・予定を過ぎても帰ってこなかったのに何も僕に言わない。いつ帰ってくるのか、何かあったのか、聞かれると思ったのに、何も聞いてこない」

「・・・そうだろうね。公私混同はしたくないんだろうね。吾妻さんが、家にいるのはあくまで『仕事』だ。自分がただ会いたいから早く帰ってきて欲しいなんて、今の美玖には死んでも口に出せないだろうね。そんな自分勝手なことを言うのはよくないことだと思っている」

「・・・・・・君孝さんは?」

「私はね、吾妻さんから帰省の前に、仕事を終わらせてから帰りますと言われたんだ。まだ、その仕事が終わってないんだろうね。帰る日にちだって、何か不測の事態が起こって守れなかったと思うんだ。簡単に約束を反故するような人ではない。彼はそういう人物でしょう」

「だめですよ、ヤクザなんか簡単に信用しては」


 隼が冗談めかして言うと、やっと君孝は小さく笑う。つられて隼も柳も苦笑した。

 深夜に起きた小さな事件だったが、それぞれ考えされる結果となった。




 休日の仕事が早く終わり、凛は美玖の家に向かうことにした。前回は、美玖が寝ていたので会えなかったこともあり凛は意気揚々と向かった。しかも今日は、待ち望んでいた商品が入荷したので早速取りに行き上機嫌だった。

 ルイに今から向かうと連絡すると、電車に乗り込む。元気のない美玖を見ていると辛いが、その分自分が何とかしなければという使命感に燃える。

 家に着くと、美玖とルイが出迎えてくれた。隼と柳は出かけていたので都合がいいと凛はほくそ笑んだ。今日の凛は、仕事帰りということもあり普通の女物の恰好をしており、口調も女口調だった。


「今日は、とろけるお土産を持って来た。美玖、脱いでちょうだい」

「え・・・えと・・・凛さん、どうしたんですか?」


 美玖に会って早々、凛は紙袋の中から服を取り出し着るように命じる。有無を言わせない凛の態度に、美玖は戸惑いながらも素直に着替える。髪をかしカチューシャを付け、黒の二―ソックスを履き、メイクをし、完成した。


「うわ~・・・やばぁ・・・だめっ・・・とろけるっ」

「でしょう、ルイ。ずっと入荷するの待ってたの。アリスのアリスメイド服!」


 以前、美玖とルイがモデルの仕事をした【Alice et bijou】通称アリスのオーダーメードメイド服。不思議の国のアリスをイメージした水色ベースのワンピースに、ふんだんにフリルを用いて女の子らしいテイストとなっていた。背後には大きなリボンが付いており、ふわりと広がるスカートもたまらなく可愛かった。何より、美玖の黒髪に乗ったウサ耳カチューシャがふさふさ揺れて思わずうっとりと魅入ってしまった。


「アリスメイド服・・・ヤバいわ。二―ソックス・・・黒にレースってエロ可愛い」

「でしょう、私ニーソは白より黒が好き。黒の方がシュっとしてバランス良く見える。しかも幅広レースにリボン付! このニーソを見つけるのにどれだけ苦労したことか!」

「さすが凛ちゃんね、センス良すぎる。ネコ耳じゃなくて、ウサ耳なのも萌えるわ」

「ふふ、可愛さに貪欲なの、私」


 凛とルイは、うっとりと絵本から抜け出たような美玖のメイド姿を眺めた。美玖はあまりに二人がじっと見るので、恥ずかしくなって顔を赤くした。


「あの・・・こういうお洋服流行ってるんですか?」

「メイド服ってこと? まぁ割と一般的になってきたけど、着る人を選ぶわ。特にアリスのメイド服は美玖みたいな可愛い子じゃないと「帰れっ」って言いたくなるし」

「凛さんも似合いそうです」

「ありがと。でも、美玖は本当に似合う。自信持ちなさい、この私が言うんだから」

「・・・はい・・・あの、ありがとです」


 美玖は凛に向かってぺこりと頭を下げる。するとウサ耳がひょこりと動く。その動作が可愛らしくて思わず抱きしめたくなる程だった。


「うわぁ、だめ・・・柳が帰ってきたらどんな反応するかしら?」

「見せたくないわ、あの男に。分かりやすい性格して・・・」

「そこが柳の楽しいところなのよ。吾妻さんなんて、何考えてるか全然分からないんだから~」


 うっかり月桂の名前を出してしまって、ルイはハッとする。ここ最近、家の中で月桂の話をしないのは暗黙の了解となっていたからだ。


「吾妻さんって誰?」

「あの、月桂さんの名字です。吾妻月桂ってフルネームなんです」

「そうなの・・・中国人か何かでゲツが名字でケイが名前なのかと思ってた・・・」

「アハハ、凛ちゃんったら意外と天然なんだからー」


 ふと凛は、以前隼が言っていた「月桂が帰ってこないから元気がない」という話を思い出した。


「美玖は、月桂さんに早く帰ってきてほしいの?」

「え・・・」


 あまりの確信めいた質問に、ルイは息をのむが、凜はかまわず美玖に聞く。


「仲が良かったんでしょ?」

「いえ・・・私が一方的に頼ってたっていうか・・・えと・・・すごく優しいんです。それでつい・・・甘えてしまうっていうか・・・」

「そう。お母さんみたいな感じなのかしら」

「凜ちゃん・・・それは・・・」


 凜のあまりに的外れな推測にルイは苦笑いをした。美玖は少し微笑むと、少し切なそうにソファーに座り込む。


「それで、いつ帰ってくるの? それとも、もう辞めちゃったの?」

「あの・・・分からないんです・・・」

「みんなそう言うのね。本人に連絡つかないわけ?」


 美玖が困ったように下を向く。悲しそうな顔に、ルイは少し焦りを感じた。


「凜ちゃん、そういうのはちょっと・・・吾妻さんにも事情があるだろうし」

「別にいつ帰ってくるのか聞くくらい、いいでしょ? 美玖は気にならないの?」

「あの・・・気になります・・・けど・・・」

「携帯の番号知ってる? 連絡してみましょうよ」

「でも・・・迷惑かも・・・」

「嫌だったら、私が聞いてあげるわ。美玖、何て顔してるの、ちゃんと顔を上げて私を見なさい」


 凜に強く言われて、美玖はおずおずと番号を書いたメモを手渡すと、自宅の電話機から凜が電話をかける。

 美玖は心臓が高鳴るのが分かった。以前、電話をしたときのあの幸福感に満たされた自分を思い出した。せめて、声だけでも聞ければそれでいいと思った。そうしたら、まだ、もう少し頑張れる気がした。

 凜は、ため息をつき電話を切る。


「だめ、電源入ってないみたい。どこかで遭難してるんじゃないわよね」

「凜ちゃん冗談きついって、美玖ちゃんが心配するじゃないのー」

「だって、帰ってくる予定の日から二週間以上も帰ってこないんでしょ。音沙汰なしで、携帯も不通。失踪でもしたか、事件に巻き込まれた。もしくは自殺の可能性もあるわね」

「そんなっ・・・・・・」


 美玖が真っ青な顔で、立ちすくむ。あまりの深刻そうな美玖にルイは慌てて弁明する。


「何言ってるの、そんなの凜ちゃんの冗談に決まってるじゃない。だって、吾妻さんだよ? 携帯なんて、トイレにでも落としたのよ。それに・・・帰ってくるって約束したんでしょ? 美玖ちゃんだって・・・あの堅物が約束破るハズないって分かってるでしょ?」

「でも・・・帰ってこなかった・・・帰ってこれないなら・・・約束なんてして欲しくなかった・・・」


 美玖がよろよろと後ずさり、階段の縁にもたれかかる。口元を手で覆い、目には涙を浮かべていた。

 少し怒ったように、凜はキッパリと言い放つ。


「美玖! だから、早く帰ってきてほしいんでしょ?」

「欲しいけど・・・」

「けどじゃない。だったらハッキリ、月桂さんにそう伝えればいい」

「でも・・・連絡できないし・・・」

「私が何とかする! いい? そんなに思いつめてどうする!」

「だって・・・帰ってきて欲しいなんて月桂さんに言ったら・・・困らせちゃう・・・きっと、向こうに月桂さんの居場所があるの・・・だから私がわがまま言って困らせたくないの・・・嫌われちゃうよ・・・」

「嫌われたくないから、そうやって何もせず、うじうじしてる訳っ!? それでこのザマ!?」

「ちょっ、凜ちゃん落ち着いて・・・美玖ちゃん怯えてるじゃない」


 凛が美玖に言い寄り、両肩をがっしりと掴む。美玖はビクリと体を震わせると、逃げるように身体をよじろうとする。

 ルイは慌てて、凛を諌めようとするが凛は美玖を見据えたまま引き下がろうとしなかった。


「ねぇ、誰かに気持ちを伝えるって悪いこと?」

「・・・分からないです・・・」

「言わないとね、分からないわよ。どう受け止めるかは相手次第。何でそんなに自分を追い込むの?」

「・・・分からな・・・い・・・」

「言ってくれなくちゃ、手の貸しようもないのよ! 扇だって、ルイだって、それで困ってるんでしょ?」

「・・・ごめん・・・なさい」

「なんで謝るの? ちゃんと私の顔を見て答えて」

「凛ちゃん! いい加減にして! 美玖ちゃんは繊細なのよ、対人恐怖症だし、特にあんなことがあった後で困惑してるんだよ。凛ちゃんみたいに、何もかも上手くできる、強くて恵まれた人間ばかりじゃないんだから!」


 凛の強い口調に、美玖はすっかり意気消沈していた。凛の言ってることは、何も間違っているとは思わなかったがあまりに無神経な物言いに、ルイもカチンときて思わず嫌味ともとれるセリフを言ってしまった。


「・・・もういい」


 吐き捨てるように凛は言うと、一人去って行った。

 ルイには分かっていた。凛が美玖のことが大好きで、何とかしたくて憤っていたことを。でもそれは、この家の誰しもが思っていたことで、凛だけの感情ではない。誰もがもどかしい思いをしていた。




 隼と柳は友人の浅葉と向井と一緒に出かけていた。凛から電話がかかって来たので出ると、居場所を尋ねられたので駅近くのショッピングセンターと伝えた。


「なんだ、彼女からか? それとも、彼氏からかぁ?」

「アハハ、信家は友人だよ。何か急ぎの用事があるから、今から来るって」


 浅葉が、隼に冗談めかして聞く。ここ最近、実は隼は男の恋人がいるという噂があったからだ。実際に、キスしてる場面に遭遇した向井は何も言わなかったが、「シンヤ」という名前を聞き、例の男だと思いだした。


「友人なら構わないな、ちょっと休憩して待ってようぜ。それとも別行動の方がいいか?」

「いいや、構わないよ。ちょうどコーヒーが飲みたかったんだ」


 あくまでも「友人」と言っていたが、カフェで雑談をしながら凛を待っている間、浅葉も向井も内心「シンヤ」との関係を疑っていた。こうして休日に出かけるような仲でも、どこか謎に包まれた隼のプライベート。それを垣間見えるのかと思うと興味深かった。

 だから、実際凛が来た時は度肝を抜かされた。

 すらりと長い生脚、サングラスをかけ颯爽と歩く雰囲気が、いかにもモデル然とした美女だった。


「扇・・・頼みごとがある・・・」

「信家? その格好・・・似合うね、とってもキュート」


 隼も柳もいつもの男装の凛を想像していたので、私服姿の女性的な凛を見て少し驚いた。男装の時とはまったく印象が変わり、まるで別人のようだった。

 隼の言葉に、すこし苛立つような顔をしたが、蜂蜜色の短い髪をかき上げると立ったままじっと隼を見つめた。


「座ったら? どうしたの、急に?」

「扇・・・月桂さんと連絡がとりたい。携帯は繋がらなかった。他の方法で連絡できる?」


 隼はコーヒーを一口飲み、ゆっくりと声をかけた。


「できるよ。でも、何で?」

「話がある。どうしても連絡がとりたい」

「・・・・・・理由は?」

「こっちこそ、理由が聞きたいの。何で帰ってこないのか」

「だったらダメ」


 あっさりと拒否され、凜は見えない壁のようなもので阻まれた気がして気分が悪かった。


「扇、だったら美玖にちゃんと説明してよ。何も情報も無くて分からないばっかりじゃ不安になるの当然じゃないの」

「そうだけど・・・納得させられる説明は出来ないと思う」

「どうして? 本人に理由は聞いたの?」

「聞いてないけど・・・何となく想像はつくよ、仕事関係だろうし。だったら僕には口を挟む権利はない。もちろん、信家にもだ」

「そうやって面倒事から逃げてるだけじゃないの? 理由聞く位いいじゃない、私が頼みごとをしているのに、のん気に泥水どろみずすすって・・・この腑抜け野郎」


 チッと舌打ちした凛に、ただ黙って聞いていた浅葉と向井はビクリとする。突然現れた、年上のお姉さま的存在にすっかり緊張してしまった。

 凛の不躾な態度に、柳はたまらず口を挟む。


「お前、事情も知らないくせに隼に無理言うなよ。だいたいあいつが、月桂さんのこと聞いてくれって頼んだのかよ? どうせお前が一人で突っ走ってんだろ? いない人間について、あれこれ言ってもしょうがねーだろ、あいつだってそれ位分かってるから何も言ってこないんだろ」

「お前こそ、その頭はピーマンで出来てるみたいだな。まるでスカスカだ、ドアホ。口に出さないと何も分からないなんて、もてない童貞男の寝言か!」

「ケンカ売ってんのか、てめぇ!」


 段々といつもの口調に戻る凛に、隼はため息をつき、仕方なく二人を諌める。まったく、いつも自分はこんな役割じゃないかと思った。隼は、渋々月桂に連絡を取るのを承知した。

 カフェを出ると、隼は月桂の部下の風間かざまに電話をかける。


「もしもし、風間? 月桂と連絡取りたいんだけど。そう、すぐに。折り返し電話するよう伝えてくれる?」


 一旦電話を切る。凛が満足そうに自分を見るので、複雑な心境になった。


「言っておくけど、満足いく回答は期待しないでよ。それから、月桂相手に絶対に罵倒とかしないこと。いい?」

「しないわ、初対面の相手だしね」

「・・・もし、帰ってこれないって言われたら、美玖ちゃんにどう伝えるの?」

「そのまま伝えるわ。帰ってこれないなら、そう伝えた方がいいもの。いつまでも、気にしてたってしょうがないじゃない。それに今日見た感じ・・・美玖また体重減ってたわ。今が大事な時期なのに・・・せっかくの服が似合わないじゃない」

「・・・え? 何の話?」

「さっきまで美玖に会ってたの。オーダーメイドの服なのに、少しサイズ合わなかったのよ。はぁ、今成長期なのに・・・」

「確かに、ちょっと小柄っていうか、身長が低いよね」

「バカね、身長より胸よ。さわり心地も形もいいから、あとはもう少しボリュームがあれば最高ね」


 凛の心配するベクトルが今一つ分からず隼は苦笑いをする。こっそり後ろからついてきた柳が呆れて声を出す。


「お前・・・そんなことが心配かよ。やっぱ電話なんかさせねー方がいいじゃね?」

「そんなことですって? 何、盗み聞きしてるのよ。だいたいね、お前は美玖の体重知ってるの?」

「はぁ? 知らねーよ」

「31kg。ちなみに14歳の平均体重は50kgよ」


 男にとって、体重の話はいまいちピンと来ないがそれでもやせ過ぎなのだと分かった。隼も美玖は小柄だと思っていたが、実際数値を聞くと衝撃に感じ、凛に向かって聞く。


「え、美玖ちゃんそんなに軽いの? でも身長だって関係するでしょ?」

「まぁね、それでも身長140cmで理想体重は41kgよ。モデル体重でもあと2・3kgは欲しいわね。別にダイエットしてる訳じゃないから、拒食症ってわけじゃないと思うけど・・・ちょっと危険レベルだわ。モデルの私が言うんだから、相当よ」

「うーん・・・よく分からないけど、結局は精神的な要因もあるってこと?」

「当たり前よ。本人にやる気が無かったら人生だって美容だって順調にいかないわ。あの子、ちょっと病んでるとこあるでしょ? だから少しでも不安要素を取り除いてあげたいのよ」

「そう。ずいぶん積極的っていうか・・・過干渉っていうか・・・柳も直情的だけど、信家も相当な直情径行(ちょくじょうけいこう)だよね」


 凛は自信に満ちた表情のまま、人差し指をちょんと隼の口に置く。


「好きだからに決まってるでしょ!」


 下手すりゃストーカーだな、と柳は思ったがあえて口に出さなかった。

 いい性格してるな、と隼が思っていたら携帯の着信音が鳴った。風間からの着信だった。


「もしもし。・・・うん、分かったよ。そんな事はないけど、アハハ、誤解だって。そういえばそんな事あったね、すっかり忘れてたよ。もしかして、それが何か関係してるの? ああ、違うんだ良かった」


 隼は、風間から以前会合の時にあった、月桂と隼の母親である桔梗ききょうとの騒動を聞いた。もしや、それで桔梗から圧力がかかり帰れなくなったのかとも思ったが、そうでは無く組のごたごたがあって帰れないだけだと説明を受けた。


「それで、月桂は今どうしてるの? 電話直接できるの? ・・・分かったから、ちょっと代わって」


 隼の和やかな雰囲気に、すでに月桂と会話をしていると思った凛は少しもどかしさを感じた。


「・・・月桂、久しぶりだね。・・・そっちは大変だったみたいだね。アハハ、いいよ。月桂が組織の人間なのは分かってるよ。こっち? 別に、変わらないよ」

「かっ・・・変わらなくないでしょ! 扇っ」


 凛は隼の物言いに怒りが込み上げてきた。自分に代わってくれと、目線と手でアピールしたが、一向に隼は電話を変わろうとせず何か話しこんでいた。

 凛が痺れを切らし、隼の手をがしりと掴むが、すぐに払われ、小さく頭を振る。


「・・・僕もそう思うよ。別に、月桂がどうしても必要な訳じゃないし。無理して帰ってこなくていいよ」

「アホなこと言いんさんなや・・・そんなんゆうたら・・・」


 隼が顔色一つ変えずに、淡々としゃべるので凛は仕方なくじっと隼の顔を見た。手を掴んで携帯を無理に奪おうとしても、隼相手ではすぐに抵抗されてしまうので、咄嗟に両手を腰に回し、顔をぐっと隼の口元に近づけた。

 まるで抱き合ってるような格好に隼も一瞬、驚いたようで言葉が止まる。ようは、自分の言葉さえ相手に届けば問題ないと凛は思い、隼の持っている携帯に向かい大声で叫んだ。


「ゆうとったるがの! 美玖にとって、吾妻月桂の変わりはどこにもおらんのじゃ! 美玖が待っとるけぇ、はよういねや!」

「ちょっ・・・信家・・・いねって・・・死ねってことじゃないよね!?」

「え、あー・・・っと、早く帰ってきんさい?」


 ああ、そういう意味か、と隼は納得したが、どうにも耳がきんきんと響いて痛かった。凛がとっさに携帯を掴もうとしたので、慌てて通話を切ろうとしたが、後方からひょいと柳が携帯を取った。


「あー月桂さん? 柳だけど。悪いな、変な女が何か言ってたけど、気にすんなよ。え、あいつに何かあったかって? 別に、逆恨みで殺されかけて、体調崩して、引きこもってるだけだよ。じゃーな」


 言って、仏頂面のまま柳は通話を切り、隼に携帯を返した。

 もちろん「あいつ」とは美玖のことだ。


「あぁもう・・・柳まで、どうしてそういう事言うのさ・・・」

「俺は別に、ウソなんか言ってねえよ」

「そうだけど・・・信家だって、何であんな言い方するのさ」

「・・・ちょっと方言が出ただけじゃない。扇こそ、ちっとも私に電話変わってくれないし・・・帰ってこなくていいとか言うし・・・ひどいんじゃないの?」


 はぁと隼はため息をつき、億劫そうに壁にもたれる。


「立場ってものがあるんだよ。僕にも月桂にも・・・」

「・・・悪かったわ、大声出したりして。でも、本当のことを伝えただけよ。後は、どう考えて行動するかは本人次第よ。それで扇の立場が悪くなったなら・・・それは私の責任かもしれないわね。その時は、責任とるわよ」


 隼が口の端だけで笑う。怒ってるのだと凛は思い、自分の軽率な行動を恥じた。


「今日は美玖にも、扇にも、月桂さんにも・・・ひどいこと言ってばかりね。ただ伝えたいだけなのに、心をえぐってるみたい・・無様なものね・・・帰る」


 言い捨てて、凛は去って行った。隼も柳も何も言わなかった。伝えるということは、とても困難なことだと分かっていたからだ。




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