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ラムネット  作者: ラムネ
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31話 男子の一言金鉄の如し

男子の一言いちげん金鉄きんてつごと


男がひとたび口にしたことばは、絶対に守らなくてはならないということ。


約束破ったら、指切り拳万ですから♪

 このまま死んだら、みんな悲しむのかな?

 お母さんは、お父さんは、兄さんは・・・泣いてくれるのかな・・・

 熱いよ・・・なのに、どこか寒い・・・


りゅう、大丈夫? 辛そうだね」

しゅん・・・僕が死んだら・・・悲しい?」

「・・・柳死んじゃうの? もう会えなくなるの? やだな・・・悲しいよ」

「・・・・・・良かった・・・」


 隼の顔がくしゃくしゃになって涙をこぼし始めた。


「なんですって、勝手に有馬の子供を家に入れたりして! 冗談じゃありませんよ、あんな家の子供! おうぎの面汚しよ・・・」

「奥様、お静かに・・・中に坊ちゃんと、有馬の隼くんがおります」

「構わないわよ、あんな子供に何が分かるものよ。とにかく、早く帰らせなさい! たかだか風邪に見舞いとか必要ないのよ」

「はい、奥様・・・」


 扉の外から聞こえる言葉に、隼は唇を噛みしめまた涙をこぼした。小さな手で必死に涙を拭う。

 自分が歓迎されないことを知りつつ、あえて隼は柳の家までやってきた。

 それが、柳には申し訳なくも少し嬉しく思った。


「申し訳ありませんが、今日はこの位で・・・またすぐ学校でお会いできますので・・・」

「迷惑かけて申し訳ありませんでした。僕が無理を言って・・・怒らせてしまいましたね」

「お気になさらないで下さい。坊ちゃんの従兄弟でご親友なのですから。しかし、嫌な思いをさせてしまいます。今後はどうかお控ください」

「はい・・・それじゃあ、柳・・・早く元気になってね」


 待って、一緒にいてよ、とすがりたかった。しかし、この家は隼を認めていない。

 バタンと無情に扉の閉まる音がする。

 自分は、これでまた一人になったと思った。誰も自分を必要としてない。自分が死んでも何も変わらない。

 誰も泣いてくれない・・・


 熱い・寒い・苦しい・息が詰まる・・・



【31話 男子の一言金鉄の如し】



 柳の失神は数秒ほどだったが、念のため医者を呼び往診してもらったところ熱中症と診断された。睡眠不足なのに、いつも通りのランニングをこなし、食欲がないと水だけで済ませていた。さらに、りんに数秒程度だが絞め技を極められ、体力的にも精神的にも弱っていた。

 当然といえば、当然の結果だなとぼんやりした意識の中、柳は思った。


「柳くん、すごい汗・・・大丈夫ですか?」

「ああ・・・嫌な夢見ただけだ・・・」


 様子を見に来た美玖みくが心配そうに顔を覗きこむ。水や食事の有無を聞いたり、濡れタオルで顔を拭ったり、かいがいしく世話をしてくれ、それを黙って柳は受け入れた。きっと世間の母親はこういう感じなんだろうと漠然と思った。


「嫌な夢見た時は、ぎゅうって抱きしめるといいですよ」

「じゃあ、遠慮なく・・・」


 柳はぐいと美玖の手を引くと、覆いかぶさるように両手でしっかりと抱き締めた。


「あっ・・・あの、そうじゃなくて、この羊さんの抱き枕なんですけど・・・」

「そうか・・・お前主語抜けてるから紛らわしい」

「ごめんなさい・・・あの・・・羊さんの冷たくて気持ちいいですよ?」


 一向に離してくれない柳に、困ったように美玖は話しかけるが、いつもより弱って熱もある柳に対して強く言うことも出来なかった。


「羊さんの中に、水枕が入ってて・・・えと可愛い上にひんやり気持ちいいんですよ」

「お前の方が可愛くて、気持ちいいな・・・」

「え・・・えと・・・柳くん・・・」


 あたふたする美玖を横目に、柳はすやすやと気持ちよさそうに寝息を立て始めた。

 一部始終を見て、ルイと隼は笑いをこらえるように口元を抑え肩を震わせていた。


「あのっ・・・隼くんも、ルイねえも助けてください・・・」

「え・・・いやぁ、すごいデレっぷりに関心しちゃって」

「よっぽど凛ちゃんの存在がショックだったのねぇ」

「ある意味、吹っ切れて良かったんじゃないかな? 柳自身なかなか認めてくれなかったからね」

「リアルツンデレって見てるとたまんないわね、ほんと・・・これが萌えってやつかしら」

「アハハハッ・・・笑わせないでよ、ルイねえ」


 ルイと隼が、笑って会話してる間に柳の体重が美玖に強くかかってきた。抱きしめられてるというより、潰されそうな感覚に美玖はたまらず柳の背中をパタパタ叩き声を上げる。


「助けて・・・おっ・・・重い・・・」

「ああ、ごめんごめん、美玖ちゃん。ほら柳・・・美玖ちゃんは抱き枕じゃないよ。そんなに寂しいなら僕が代わってあげるから」


 柳を持ち上げ、美玖から離すと、冗談めかして隼はくすくすと笑った。ベッドから離れようとした時、突然手を掴まれた。虚ろな表情で柳は話す。


「隼・・・見舞いに来てくれてありがとな・・・泣かせて悪かった・・・」

「え・・・泣いてないけど・・・何の話?」

「わざわざ俺の家まで来てくれたのに・・・嫌な思いさせた・・・」


 ずいぶん古い話をしてるのだと、隼は気がついた。10年くらい前に、柳が熱を出して寝込んだ時。柳の家に行くことは、禁止されていたし、歓迎されないことも知っていたので、後にも先にも言ったことがあるのは、その一回だけだった。


「ああ・・・突然、古い話を・・・どうしたのさ?」

「夢で見た・・・あいつらお前のこと有馬だとぬかして・・・悪かった」

「うん、別に気にしてないよ。向こうにとって、僕は『扇』じゃなくて『有馬』の方が都合いいからね。そんなの今さら何とも思わないよ」

「嘘つくな、ぼろぼろ泣いてたくせに・・・」

「あれは・・・柳が死ぬかもって言うから悲しくなったんだよ!」


 子供のころの話をされて、さすがに隼も照れた。しかも、手をぎゅうと掴まれたまま。


「お前だけ・・・俺にはお前だけだった・・・」


 そう言うと、ことんと眠りについた。

 よく分からない展開にルイも美玖も、どう反応していいか分からなかった。


「相当疲れて、まいってるみたいだね。ああ、変な勘違いしないでよ」

「うん、何か柳くん変です・・・とっても・・・」

「あー・・・とりあえず寝かせてあげよっか」


 三人はゆっくりと柳の部屋を出た。

 柳は次の日、羊の抱き枕とともに目覚めなんとも言えない気分だった。





 翌日、柳は通常通り学校へ登校した。

 朝食の時の美玖が、なぜかよそよそしく感じたが昨日の凛との一件だと思ったので、隼から事情を聞いた時は冗談だと本気で思った。


「俺がそんなこと言う訳ねぇだろ?」

「本当だよ、ベッドで押し倒して、可愛くて気持ちいいって言ってた」

「嘘だろ・・・俺が?」

「うん。信家しんやさんに文句言ってた割に、柳だって大胆だったな」

「・・・な・・・あいつ・・・何て言ってた?」


 恐る恐る聞く柳に、隼はありのままの状況を伝えた。


「重いってドン引きしてた」


 あまりの無様ぶざまな失態に、言葉を失いぐったりと机に顔をうずめた。

 元気のない様子に、友人の浅葉が声をかけた。


「やっぱ調子悪いんじゃね? 熱中症で倒れたんだろ? 保健室行くかー?」

「違うよ、恋煩こいわずらい」

「ついに振られたか?」


 隼の返答と、浅葉の無神経な言葉にピクリと柳が反応した。


「振られてねーよ・・・ちょっと、き・・・嫌われただけだ」

「似たようなもんだろ。むしろ嫌われた方が最悪じゃん。ま、俺はつい先日彼女が出来たんだがな。悪いな、一般人の俺だけ何か幸せそうにしちゃって。アドバイスくらいしてやんよ、ほら言ってみろよ?」

「まじうぜーな。黙ってろこの色ボケ!」

「お前な、その口の悪さなんとかした方がいいぞ。もしかして、相手の女の子にもそんな感じじゃないだろーな、だったら嫌われても当然かもなー」

「・・・・・・そんな口悪いか?」

「自覚ないのかよっ!? あー悪い悪い。いいのは顔と頭だけ。口も性格もオレ様すぎ。もーちょい女ごころってもんを理解しないと女の心はつかめないぜー」


 浅葉は自分に彼女が出来たため、つい偉そうに柳に説教じみたことを言っていた。

 その見当違いな浅葉の言葉にたえきれず、女たちが浅葉を廊下まで連れ出し一気に怒声を浴びせた。


「浅葉、あんたね、さっきから聞いてたら勝手なことばっか言ってバッカじゃないの!?」

「あんたなんかに女ごころがどーとか言われたくないっつーの」

「柳さまは柳さまのままでいいのよっ!」

「あーやって、普段は高圧的な柳さまが恋に悩んでるセクシーな表情が私たちにはたまんないのよ。そして隼さまに相談し、慰められるお二人を見てるのが最高なのっ!!」

「そうよ、何あんたみたいな凡人が偉そうに意見してるのよ!」


 思わぬ反撃に遭い、浅葉は唖然とした。


「意味分かんねー・・・気持ちわりー」

「浅葉に理解してもおうなんて思ってないし! 柳さまに意見していいのは隼さまだけなのよ!」


 いくら廊下にいても、聞こえてくる大声に柳はさらにうんざりした。

 勝手ばかり言う、女たち。どうせ、面白半分だろう。見た目が良くて話題性のある奴だったら誰でも良かったんだろう。そうやって非日常の世界を勝手に楽しんでるだけだ、うっとうしい、と苛立ちがつのる。




 9月に入り新学期が始まった。あれからりんが来ることは無かった。柳もどこかよそよそしく、未だに月桂げっけいも帰ってこない。何かもやもやとやり切れない気持ちのまま、学校に行く事になった美玖は久しぶりに制服に袖を通した。

 月桂が不在の間は、君孝きみたかと美玖が食事の支度をしていた。月桂が来る以前もこうしていたので、特に不都合は感じ無かったがキッチンに立つ度にどこか物寂しさを感じる。


「美玖ちゃん、一人で大丈夫? あたし、帰りは無理だけど朝だったら今日は時間あるし学校まで付き合おうか?」

「いえ、大丈夫です。ルイねえありがとです」


 少し元気の無い美玖に、ルイは余計なことかと思いながらも声をかける。以前よりは他人行儀でな無くなったがそれでも頼ってくることはない美玖に、まだまだダメねとルイは苦笑する。




 美玖は久しぶりの学校に憂鬱な気分だった。自分とクラスメートにある隔たりをハッキリと感じていた。そしてその原因を自分で作っているであろうことも自覚していた。

 転校当初は、あれこれと話しかけてくれたクラスメートも美玖の堅苦しい物言いと、打ち解けない態度に次第に距離を置いて行った。誰かと関わり合いになるのを無意識に恐れていた。だから、これでいいのだと自分に言い聞かせていた。

 誰も自分に興味を示してくれなくてもいい。関係を持たなくてもいい。一人でも大丈夫。自分には帰る家があるのだから。

 そう思っても、些細なことでくよくよしてしまう自分が、弱くて許せなくて辛かった。


 ―― 僕のこと覚えてる? 信家凛、あなたと友達になりに来たんだ。美玖って名前で呼んでもいい?


 以前、モデルの仕事で会った少女。いきなり再会して、そう言われた時は驚きとともに嬉しかった。ほとんど会話もしたこと無かったのに、わざわざ家まで来てくれた凛。

 年上で、背も高く、見た目も話し方、仕草、すべてが自身に満ち溢れカッコ良かった。再開時の恰好はなぜか男物の制服で一人称も「僕」だったが、あまり違和感もなく「似合ってるでしょ」と自画自賛だったので尊敬すら感じてしまった。

 自分には無い、キラキラと光り輝く意志の強さに憧れた。

 あんなことになって、もう会えないのだろうか・・・と寂しく思った。

 柳が、勘違いだが自分のために凛を殴ったのは分かった。その行為自体は許せないものだが、それで柳を非難することは出来なかった。だが、どうしていいかも分からなかった。

 どうして自分はあの時、逃げてしまって何も言えなかったのだろう、卑怯で弱虫の自分が、柳も凛も傷つけてしまった気がしてならなかった。

 どうしてこんな事に・・・

 どうすれば良かったんだろう・・・




「ねぇ、花立はなたてさんのお兄さん帝秀って本当?」


 考え事をしていたら、急に声をかけられ驚いた。まともに話したこともない、同じクラスの男子だった。名前が思い浮かばなかったが、名札を見て「桜庭さくらば」という名前だと分かった。


「え・・・あの・・・はい」


 なぜか柳と隼のことを兄と勘違いされていたが、訂正するのも大変そうだったのでたまに質問されると適当に受け答えしている。


「凄いねー俺も帝秀狙ってるけど、難しいよなー最近諦めかけてる」

「そうなんですか?」

「だってあそこ有名進学校じゃん。頭良い兄さんで羨ましいな。やっぱすげー勉強してる?」

「・・・えと・・・真面目に勉強してます」

「だよねー。あのさ・・・その・・・兄貴紹介してくれない?」

「え・・・えと・・・どうしてですか?」

「やっぱさ、現役帝秀生にコツとか勉強法聞いてみたいな、って思ったんだけど・・・やっぱダメだよな。ごめん」

「あの・・・いえ・・・」


 桜庭はそう言うと、照れくさそうにすぐに去って行った。以前も、他の生徒から帝秀は有名な高校だと聞いた。二人とも本当に優秀なんだなと改めて思った。そして、誇らしく思った。

  


 今日は始業式だけだったので、早めの下校時間だった。帰り支度をし、廊下を歩いていると何か視線を感じた。


「来たよ、幽霊・・・」

「イケメンの兄貴使って、男釣ろうってすごくない?」

「桜庭って確か、高木さんと付き合ってるんだよね、ありえなくない?」

「って、本当にイケメンなの? 帝秀ってだけで補正入ってんじゃないの~?」

「あははっありうるー。きっと眼鏡かけたガリ勉君だって。幽霊の兄貴だよぉ?」


 わざと聞こえるように女たちは美玖に向かって話しかけた。自分に言っているのだろう、と思いながらも周りを見たが近くに他の人影が無かったのでやっぱり自分に向けたものだと分かった。

 女たちは、美玖が長い黒髪で大人しい内向的な性格なのを見て「幽霊」とあだ名をつけて呼んでいた。


「・・・・・・あの、違います」

「はぁ? 何言ってんの? 別にあんたの話なんかしてないしー」

「自意識過剰だってのー」


 精一杯の気力で美玖は返答したが、呆気なく否定されてそのまま何も言えず逃げるように階段を下りた。

 悪意のこもった目と、嘲笑には慣れることなど無かった。

 少し下りたところで、桜庭と目が合った。話を聞かれたのかと思うと、胸が痛くなった。


「ひでーこと言うよな・・・気にするなよ・・・」


 伏し目がちの桜庭の表情が申し訳なさそうな顔をしていた。小さく頷くと急いで下駄箱まで走った。

 何か、嫌なことを思い出しそうになって必死で走った。


 裏門を抜けしばらく歩くと、いつもは月桂が待っていた。それだけで、嫌なことがあっても平気だった。そばに居るだけで安心できた。

 でも、今はいない。

 その事実が、ずしりと胸に来た。

 何となく、根拠も無いのに学校が始まるまでには月桂が帰ってくるものだと思っていた。でも、もし、もう帰ってこなかったら・・・と考えると、たまらなく絶望的な気分になった。




 家に帰ると、すっかり息が切れ汗だくだった。発作があるかもと思い、荒い息のまま、薬を取り出し水で飲み込む。誰もいない家の中で一人苦しむのは辛いが、誰かに見られて心配をかけるのも辛かった。

 ふと、電話に目がいった。携帯を持たない美玖のためにと、君孝が用意してくれた皆の携帯番号の紙が電話の前に置いてあった。

 震える手で、ほとんど無意識のうちにボタンを押していた。

 コール音がなる。

 めまいがして、その場に座り込み祈るように受話器を握りしめた。


吾妻あがつまです」


 約半月ぶりに聞く月桂の低く静かな声に、美玖は心底ホッとした。電話でも、声だけでも繋がっているのだと思うとそれでけで救われた気がした。


「・・・・・・お嬢さんですか?」


 混乱していて、すぐに声が出ない美玖だったが、月桂には何となく美玖からの電話だと分かった。花立家の自宅電話はほぼ受信専用となっていた。携帯電話を持たない美玖以外は使用することなどほぼ無かったのだ。

 美玖自身、電話を苦手としていたので憂慮するべき何かがあったのかと月桂は心配した。


「何かありましたか?」

「・・・月桂さん・・・」

「はい」


 自分の名前を呼ぶ美玖の声が、月桂にはひどく懐かしく感じた。他の誰とも違う、愛らしい澄んだ声。どこか悲しそうな、辛そうな声に思わず眉をしかめた。


「・・・お仕事忙しいですか?」

「少し立て込んでます」


 やっぱり忙しいから、帰ってこれないのだと美玖は重苦しい気持ちになった。

 「早く帰ってきてほしい」と何度思っても、口に出すのはためらう。言っては迷惑をかけ困らせてしまう。


「何か、ご用事があったのでは?」


 黙り込む美玖に向かって、月桂は単刀直入に聞いた。


「いえ・・・月桂さんの声が聞きたかっただけです」

「・・・そうですか」


 意外な答えに若干動揺したが、月桂は顔には出さず冷静に受け答えた。月桂自信も、美玖の声を聞き穏やかな気持ちになり、早く会いたくなったが、とても口には出せなかった。


「来週末までには、帰ります」

「本当ですか? 良かった・・・待ってますね!」

「はい」


 美玖の声が一気に弾むように明るくなり、月桂も安堵した。たったこれだけで、ガラリと表情の変わる美玖はやはり精神的な脆さを持つ少女なのだと再認した。


「じゃあ小指を出してください」

「は・・・?」


 意図は分からなかったが、月桂は自分の左手の指をじっと見た。


「指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ーます指きった♪ 約束ですよっ」


 明るい美玖の声が脳内に響く。

 まさか、ヤクザの自分に指を切る約束の歌をしてくるとは思わなかったので、珍しく声を出して笑ってしまった。美玖にとってはただの約束事のつもりだろうが、自分にとってこれ程滑稽な歌はない。ずいぶんと皮肉だなと思った。


「ど・・・どうして笑うんですか? 確かにちょっと子供っぽいかな、と思いましたけど・・・」

「いえ・・・失礼。分かりました、必ず戻ります」

「・・・はい、待ってます」


 電話を切ると、美玖はこれで大丈夫だと一安心した。さっきまでの焦りや苦しみが何だったのかと思うほど気が楽になった。

 早く会いたい。




 月桂の部下たちは、車から出て電話中の上司を見てギョッとした。いつも冷静沈着だが、その反面怒らすと誰にも手がつけられないほど残虐で容赦の無い男がたった数秒だがおかしそうに笑っていた。自分にも仲間にも厳しく、一切の妥協も裏切りも甘えも許さない冷酷な月桂の見たことのない姿に、気でも違ったかと背筋が寒くなった。

 車に戻った月桂はいつもの鋭い表情に戻っていたが、部下の風間は恐る恐る聞いてみた。


「カシラ、何かありましたか?」

「・・・約束破ったらエンコ詰めて死ぬほど殴る、さらにひどい目に遭わすってことだよな・・・」

「は・・・? 何です、脅迫ですか?」

「可愛いじゃねえか、挨拶みたいなもんだろ」


 いや、そんな恐ろしい挨拶ありませんよ! と部下たちは思ったが、冷ややかにくつくつ笑う月桂にそんなことは言えなかった。

 特にここ半月行動を共にしてきた部下たちは、月桂の圧倒的な力と行動力に畏怖の念を感じていた。ここ数カ月の問題ごとを、自分たちでは思いつかないような方法で次々に解決していった。

 自分たちとは、違う次元の男だと思った。もちろん、厳しくて冷酷だと分かっていたがそれ以上に頼りがいのある侠気な月桂に誰も逆らうことなど出来なかった。


 早く仕事を片付けて戻ろうと、月桂は心の中で思った。




 柳と隼が学校から帰宅すると、美玖がキッチンの前で膝を抱え顔を伏せ座っていたので何事かと不審に思った。最近はずっと無かったが、発作かと思い柳は慌てて駆け寄る。


「おい、どうした。大丈夫か?」

「あ・・・えっと・・・おかえりなさい。うっかり寝てしまいました」


 とろんとした目つきで美玖は顔をあげた。とりあえず発作ではなさそうで柳は安堵した。


「そうか・・・って、うっかりこんな所で寝るやつがいるか! ビックリするだろ」

「えと・・・ごめんなさい・・・走って帰ってきたら疲れちゃって・・・」

「走る? なんで・・・こんな暑い時に・・・」


 不思議に思ったが、やけに嬉しそうな美玖に面食らってしまった。


「美玖ちゃん何かいいことでもあった? 何かご機嫌そうに見えるけど」

「そうなの、聞いてください。月桂さんが来週までに帰ってくるって!」

「そうなんだ・・・良かったね」

「はいっ」


 このところ元気が無さそうだった反動か、溢れんばかりの美玖の笑顔にそんなに嬉しいのかと隼はクスリと笑った。

 その横で柳は面白くなさそうな顔をしていた。

 やっぱり、美玖にとっての月桂は特別な存在なんだな、とひしひしと伝わってきた。




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