表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラムネット  作者: ラムネ
22/39

22話 情けは人の為ならず

情けは人の為ならず


人に情けをかければ、その相手のためになるだけでなく、巡り巡ってやがては自分によい報いとなって返ってくるということ。

【22話 情けは人の為ならず】


 7月ともなると、早朝でもランニングをしていると大粒の汗が流れる。風は生ぬるいばかりで不快な気分になるが、日課であるランニングをやめようとは思わなかった。

 りゅうしゅんにとって早朝ランニングは、体力向上や健康目的もあるが無心でいられる貴重な時間だった。外出時には大抵ボディーガードの藤原がつくがこの時はいない。なぜなら、時間外だったからだ。

 約一時間の運動を終え家に近づくと、黒塗りのいかにも厳つい雰囲気の車から男たちが降りてきた。スーツ姿の男たちはやや疲れた面持ちで後部座席のドアを開けると長身の男が出てきた。一際異彩を放つ月桂げっけいの姿だった。


「毎度忙しそうだな、月桂さん」


 柳が額の汗を拭い、朝のさわやかな鳥のささやき等似合わないスーツ姿の男達を見ながら呟いた。

 月桂が車から出ると、周りの男たちは「お疲れ様でした」と頭を下げた。


「カシラ、いつまでこっちに?」

「・・・しばらくだ」


 素っ気なく言う月桂に、一人の若い男が苦渋の表情で話す。彼には直接月桂と話す機会があまりないので、思い切って自分の内実を吐露した。言わずにはいられなかった。


「龍門会のやつら、カシラが姿を見せないんで調子乗ってますぜ」

「またその話か、風間に任せてある」

「オヤジに手ぇ出すなって言われてるから、俺達・・・」


 言いかけて、自分を見ている少年に気づく。柳と隼のことを知らないので、憮然とした態度でこちらを見ている柳に苛立ちを感じ、思わずドスの利いた声で威嚇いかくする。


「なんやガキが! さっさと・・・」


 ゴッ・・・鈍い音がした。

 言い終わらぬ内に月桂に頭をつかまれ男は腹部に衝撃を受ける。そのままゆっくりと地面に倒れる。月桂は軽く息を吐き他の男に低く静かに言い放った。


「このバカ連れてさっさと帰れ。疲れてんだ」


 男たちは慌てて指示に従い車を発進させた。

 見送ると何事も無かったかのように隼は月桂に近づきあいさつをした。


「朝帰り大変だね。おはよう」

「おはようございます。お見苦しいところ、失礼しました」

「いいよ。でも部下はちゃんと躾けておいてね」


 話しながら三人は家に戻る。柳もさすがにこの展開には慣れてきた。こんな暴力が日常なのだ、隼も月桂も。同じ「扇」でもやっぱり違うんだな、と再認識した。

 柳がシャワーを浴びて戻ると、珍しくルイが起きてコーヒーカップ片手に上機嫌だった。


「おっはよー毎朝よく続くわねー走り込み」

「おはよ。珍しく起きるの早いじゃん」

「暑かったのよー寝苦しくて。ねぇ・・・カシラって何?」


 月桂の包丁の音がピタリと止まる。無言ののち、また包丁を動かす。


「何だよ、ルイねえ聞いてたのかよ・・・」

「だってあのとき庭にいたんだもん。声しか聞こえなかったけどね。吾妻さんそう呼ばれてるの?」

「あー・・・そうみたいだったな。確か若頭わかがしらの意味だと思うけど・・・舎弟頭しゃていがしらだっけ?」


 月桂はまったく答える気がないようで、始終無言だった。

 ちょうどシャワーを終えて着替えた隼が、含み笑いをしながら柳の隣に座る。


「カシラの意味教えてほしいって、ルイねえが」

「へぇ、いいけど。若衆は直参の子分でそのトップが若頭、舎弟は弟分でそのトップが舎弟頭。月桂は若頭・・・だったよね?」

「・・・ええ」


 隼の問いかけには、嫌々ながら月桂は答える。隼には逆らうことが出来ないからだ。

 ルイには、呪文にしか聞こえずまったく意味が理解できなかった。


「んん? 聞きなれない言葉ばっかりでよく分かんない」

「そっか。ヤクザの世界って親子関係に例えるんだよ。一番上の組長が親分、若頭が長男、舎弟頭は親の兄弟分だから小父さん」

「ああ、だから「オジキ」って言うんだ」


 柳は瞬時に理解したが、ルイには漠然としか分からず頭が混乱した。


「えー・・・つまりその組長が隼のお父さんで若頭が吾妻さんってこと?」

「違うだろ。大きいグループ企業があって、そのトップの総裁とか会長ってのが隼の爺さんで、社長とか取締役が隼の父さん、子会社の社長が月桂さんとこの組長、ナンバー2の副社長とか専務で月桂さん。どうだ?」


 自身ありげに柳は解説をはじめた。有名進学高に通うだけあって、さすが頭の回転が速いなとルイは感心した。


「ああ、そんな感じ。それだと舎弟頭は顧問か相談役って感じだね」

「なぁーるほど、あたしにはよく分からん。でも、それだったら吾妻さんって結構お偉いさん?」

「うん・・・たぶん・・・」


 曖昧な質問だったので、隼も曖昧な返事で返した。


「だったら、こんなとこで料理作ってていいのかよ。自分とこの会社放っておいていいのか?」


 朝食の準備をする月桂に向かって、どうせ返事なんかしないと思いつつ柳は声をかける。


「本当は、月桂も嫌だと思うよ。自分たちのシノギにも影響あると思うし。何より義理事ぎりごとに行くの大変そう」

「ぎりごと・・・って?」

「ああ、これも一般用語じゃないのかな? 出所祝いとか冠婚葬祭、襲名披露、兄弟盃きょうだいさかずきとか、とっても大事で絶対に義理事を欠くことはできないんだよ」

「ふーん・・・あたしの知らない世界ね、ほんと・・・」

「たぶん、普段よりずっと部下に任せてると思うんだけど、月桂がどうしても行かなきゃいけない義理事もあると思うんだ。昨日だってそうだと思うんだけど?」

「・・・・・・ええ」


 月桂はテーブルに朝食を並べ、短く答える。


「えー二重生活ってこと? 大変そうね。だいたい吾妻さんっていつ寝てるの? 出かけてるか家事してるかどっちかなんだもん。外で気晴らししてるのかしら? 休みってあるの?」

「僕も心配してるんだけど・・・お酒飲む機会も多いし、肝臓とか壊す人結構多いんだよね。土日は休みとかにすればいいのにね」

「料理も凝りすぎなのよ。もうちょっと気軽な感じでいいのに。仕込みとか毎日してて・・・私のヤクザのイメージとずいぶんかけ離れてるわね・・・無愛想だけど敬語だし、真面目で料理上手・・・微笑ましいんだが、怖いんだか」


 言いながらルイは微笑む。出会った当初の怖い印象より、ずっと人間味を感じる。

 ヤクザの世界のことだって、前は聞いてはいけないような雰囲気だったがすばるが堂々と「ヤクザだ」と宣言してからは聞きやすくなった。聞いたら丁寧に隼が教えてくれるので、ただの興味本位だが気楽だった。


「いいな、それ。土日は月桂さん休めよ。あんたの部下だって戻ってほしそうだったぜ?」


 柳は期待をこめて言った。毎日顔を合わすのはハッキリ言ってうんざりしていた。何かことが起こるとすぐに扇の人間に報告されると思ったし、月桂がいない方が美玖を連れ出しやすいと思ったからだ。


「月桂が本当に戻りたかったら言ってよ。僕から父さんに言ってみるよ」


 隼は本気で月桂を心配していた。今まで深く考えなかったが、若頭の地位にある男が長く自分の組を離れるなど、本来なら考えられない。そして、そんなことを命令できるのは月桂の組の組長である海部かいふか、大親分である父親か・・・あるいは、兄の昴・・・しかしわざわざ自分のところに月桂を派遣するメリットのない海部は除いていいだろう。

 自分の推理が当たってるとしたら、自分が動いて月桂を解放してやった方がいいのかと隼は考えた。


「いえ、気づかいは無用です」

「でも、海部親分だって・・・」


 隼はいいかけて、二階から美玖が降りてくる雰囲気を察して口をつぐむ。


「おはようございます」


 ニコリと爽やかな笑顔で美玖はみんなに癒しを振りまく。彼女の前では、いくら和やかな雰囲気でもヤクザの話をしようとは誰も思わなかった。

 月桂はイスを引き、美玖の着席を促す。


「今日は学校の日?」

「はい。そろそろテスト近いので・・・」


 ルイは制服姿の美玖を見てニヤケながら話す。柳は対照的に、テストという単語に反応し顔をしかめた。


「お前、ケガしてから勉強してるとこ見なかったけど大丈夫か? この前みたいな点とるなよ。補習で夏休み無くなるぞ」

「・・・えと・・・頑張ります」

「柳こそ、次一位とれなかったら家庭教師でしょ?」


 隼は柳を見ながらクスクス笑い、柳はフンと鼻で笑う。

 前回のテストの結果が悪かったので、扇の教育係が家庭教師を派遣するという話になった。ボディーガードの藤原、表向きお手伝いさんの月桂に加え、家庭教師【どうせ扇の関係者】まで増えたら、家を出て下宿生活している意味がない。

 そのため、柳は教育係と「次のテストで一位をとったら家庭教師は無し」という約束をとりつけたのだ。


「大変ねー柳のとこも。でも夏休みかーいーいーなー・・・」


 ルイが美玖の髪を手にとりながら言う。


「ルイねえは夏休みないの?」

「んー・・・あるけど、卒業制作とかバイトとかショーの準備とかあって忙しいのよねぇ」

「そうなんだ」

「でも、美玖ちゃんとお祭りとか海とかにお出かけしたいわ。浴衣に水着・・・夏っていいわね」


 ほわほわと妄想をかきたて、にやにやするルイに柳は呆れ、次に美玖を見て疑問を口にする。


「でも、お前人混み嫌いだろ?」

「あ・・・はい。苦手っていうか・・・えと、たくさん人がいると緊張して、すごく焦るっていうか・・・落ち着かないっていうか、すごく疲れます・・・」


 申し訳なさそうに美玖が自分を見るので、ルイはきゅんとしてしまった。


「いいのよ。ちょっとずつ慣れてこ! もしかしてこの前の駅も緊張した?」

「えと・・・少し・・・こっちの汽車きしゃっていつも人が多いので」

「きしゃ・・・え、汽車?」


 汽車と言われ、ルイの頭には蒸気機関車のもくもくと煙を出すSLのイメージが出てきた。


「いつの時代だよ、汽車って。東京に汽車なんてねーよ」


 笑いながら柳が口を挟む。言われて美玖はきょとんとする。


「あれ、じゃあ何て呼ぶんですか?」

「何、マジで聞いてるの? 電車だろ。お前変わったこと言うな」

「そうなんですか・・・?」


 どうも腑に落ちない表情で、美玖は普通に汽車と使っていたことを考えてみた。記憶の中では周りも当然のように汽車と言っていた。


「っとに、柳は失礼ね。まぁ、電車は確かに混んでるし複雑だからあたしも苦手なのよねー。車借りてあたしが運転してもいいんだけど・・・どこか行きたいとこある?」


 聞かれて美玖は困ってしまった。東京に来て2ヶ月と少しなので、周りに興味はあったがどこも人が多いのでつい遠慮してしまう。ただ、せっかくの夏休みなのでどこかに行ってみたいという思いはあった。


「オペラはどう? ちょうど見たいのがあったんだ」


 映画のような気楽さで隼が提案するので、ルイは思わずコーヒーを吹きそうになった。


「なんてやつ?」

「イル・トロヴァトーレ」

「ああ、ヴェルディの。時間も2時間位だろ。いいんじゃねーの」

「何よ、あんた達オペラなんて見るの!?」


 ルイが口を挟む。何だか、柳も詳しそうだったので流石金持ちは違うなと思った。


「付き合いでな。隼は割と好きみたいだけど」

「美玖ちゃんは見たことある?」

「えと、ないです。オペラ・・・音楽の授業くらいです」

「そう、じゃあ行こうよ。一度見ておいても損はないよ、すごくドラマティックでいいよ」


 隼の誘い方はごく自然で断るという余地を与えない、さわやかさだった。これはモテるわ、とルイは舌を巻いた。

 そのルイの考え通り、隼は皆の予定を聞き4人分のチケットの手配をその日のうちに終え意気揚々と報告してきた。見たことは無かったがチケットが高そうというのは予想ができた。その事を隼に聞くと


「チケットは貰ったから、金額のことは心配しなくていいよ」


 と、やんわり言われた。貰った?というのは、もう、何だかアレな話だったが突っ込んでも無駄だと思ったのでルイもお言葉に甘えることにした。どうも、扇の人間は金銭感覚がおかしいと実感している。

 それでも、ルイはオペラ観劇なんてめったにないオシャレできるチャンスだと思い美玖に何を着せようか考えた結果、やはりバイト先のアトリエに行って先日のように思いっきりコーディネートしようと思った。


 それが、一騒動巻き起こすとはルイは思いもよらなかった。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ