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ラムネット  作者: ラムネ
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20話 矢も楯もたまらず

矢も楯もたまらず


思いつめて、自分を抑えきれないこと。

【19話 矢も楯もたまらず】


 二回、小さく扉を叩く。

「お嬢さん、少しいいですか?」

 一拍の後、扉が開く。

 月桂げっけいを見上げるように美玖みくが顔を上げる。

「はい」

 と、遠慮がちに答える。西日のせいで月桂の表情がよく見えなかった。

「えと・・・中で話しますか?」

 月桂が頷くので、部屋の中に案内した。

 美玖は月桂が口を開くのを待っていたが、沈黙が続いた。

 気まずい雰囲気の中、月桂を見上げるとじっと見つめていたのですぐに顔をそらしてしまった。


「少し・・・痩せましたか?」

 薄明かりの中、顔をそむける美玖に向かって話しかけた。露出した細い痩せた鎖骨が少し病的に見えた。

 美玖の部屋は、元々あったベッド・机以外に家具はなく、思春期の少女の部屋とは思えない程の質素な部屋だった。真っ白な壁にかけられた制服がひどく寂しげに見えた。

「え・・・と・・・病院のご飯・・・あんまり好きじゃないので」

 どこか緊張した面持ちで美玖は微笑した。実際、美玖は病院での食事をいつも半分も食べていなかった。好き嫌いだけじゃない要因があるのだと月桂にはすぐに分かった。

「早く退院して、月桂さんのご飯食べたいって思ってたんです」

「そうですか」

 またも、沈黙が続いた。美玖は困ったように視線を泳がせている。何か変なこと言っただろうか?


「傷・・・痛みますか?」

「・・・あ、いえ。少しだけ・・・なのでもう大丈夫です」

 月桂は無言のまま、美玖の右手の甲を手に取り少し力を加えた。

 瞬間、美玖は電流が全身に駆け巡るような痛みを感じた。

「いたっ・・・」

 美玖は痛みで顔を歪めると、その場で膝をついた。

「やはり痛いのですね。どうしてやせ我慢するのですか」

「いえっ・・・少し・・・痛いだけです」

「少し痛いだけで膝をついたり涙が出たりしますか」

「えと・・・ごめんなさい」

 必死に痛みをこらえる美玖の姿は痛々しくて、見ていられなかった。これが自分の行動の結果だと自分に言い聞かせようとしたが上手く整理できなかった。

「謝らないでください。自分こそ、傷口を圧迫してすみませんでした」

 美玖の前に片膝をつくと、今度は優しく手を包みこんだ。

「いえ・・・」


 痛みが少し収まったので安心して腰を下ろした。月桂を見ると、白い包帯で隠された傷口をどこか悲しそうに見ていた。

「お嬢さん・・・」

 月桂は次の言葉が出てこなかった。どうやって自分の言いたいことを伝えればいいのか見当もつかなかった。

 そんな月桂を不思議そうに美玖は眺めていた。

 潤んだ瞳で上目づかいに見られ、思わず抱きしめたくなる衝動にかられ苦笑いした。

「お願いします。二度とこんなことしないで下さい」

 静かだが、強い月桂の口調だった。

 美玖はすぐに理解した。それが、傷のことだと。

「自分をかばって、お嬢さんがケガをするなんて困ります」

「あの・・・ごめんなさい・・・」

「謝らないでください」

 射るような強い視線で見られたので、美玖はビクッと体を震わせた。

 月桂はもどかしかった。困らせたり、驚かせたり、謝らせたりしたいのではないのに美玖の反応はそればかりだった。


「私・・・勝手なことして・・・皆に迷惑かけたって分かってます。だから・・・謝るしか・・・できないんです。他にどうしたらいいか分からないんです」

 悲痛な叫びだった。いつだって美玖は自分が人に迷惑をかけたと恐れている。なぜこんなに自信がないのか月桂には理解できなかった。

 ふと、自分が美玖の年齢の頃を思い出した。すばるに言われたからかもしれない。

 確かに14の頃だった。自分が母親を刺して逮捕されたのを生々しく思い出した。

 母親の言葉、刺した時の手の感触。

 いつも母親は自分の境遇を人のせいにしていた。不遇な生活をしているのは、月桂の父親のせいで、そのあて付けでお前を生んだと言われた。お前なんか、生まなければよかった。お前なんか死ねばいいのに。

 呪詛のように、自分の頭の中で鳴り響く。逃れようと母親を刺したが逆に一生縛れられることになったのだ。

 そうだ、自分は死ねばよかったのだ・・・


「嫌いに・・・ならないで・・・」

 なんて、危うい存在なんだと思った。見ているだけで胸が苦しくなり気付いた時には力任せに美玖を抱きしめていた。

 細い首に頭を寄せ目をつぶる。あまりにも華奢な体だったので抱いただけで壊れてしまいそうだった。

 まったく無意識のうちに行動していたので、自分でも驚いてすぐに後悔した。戻れなくなる、と。

「なりませんよ」

 絞り出すような声で月桂は答えた。他の言葉は何も思いつかなかった。ただ腕の中の少女を守ってやりたいと、それだけ思った。

 美玖は左手で月桂の背中をつかみ、離れないようにしがみついた。締め切った部屋の湿度が高いからか、気持ちが高ぶっているからか、抱く力が強いからか美玖には分からなかったが、頭がしびれるような感覚におちいった。

 嬉しい、恐い、戸惑いがない交ぜになり、自然と美玖の体が震えた。月桂の体は大きく、抱きしめられると逆らいようのない強い力があった。

「お嬢さん・・・そんなことは他の人には言わないでください。誤解されます。暗に、好きだと言わせる卑怯な手です・・・計算でやっていたら」

 不思議と言葉が出た。思わず悔しくてこんなことを言ったのかもしれない。しかし、抱きしめた力を弱めることは無かった。

「嫌われるのが、そんなに恐いですか?」

 しばしの沈黙の後、小さく美玖が頷いた。


 自分はどうだろうか、と月桂は考えた。身近な人物であった母親には、忌み嫌われていた。常に問題児だった大人達にも悪態をつかれていた。暴力を振るうことも、振るわれることも沢山あった。憎まれもしただろう。

 ・・・服役後、ヤクザになって汚いことも当然やってきた自分は嫌われてばかりじゃないか。それは当然だ。

 むしろ、誰かに好かれようと思ったことがないのでは?

 考えたことも無かったな、と苦笑する。

 しかし、今腕の中にいる少女にはどうだろう?

 少なくても、自分の本性を知られたくはないと思った。

 美玖は、きっと潔癖症なのだろう。育ちが良かったために、人間はもともと善だと根本にあるのかもしれない。自分が暴力や誹謗中傷にあっても、相手をそうさせてしまった経緯や理由は自分にあり相手は悪くない・・・と。だからすぐに迷惑をかけたと思い謝って問題を解決しようとする。

 そう思えてならなかった。


 全てを自分のせいにする美玖。

 全てを他人のせいにする母親。


 なんて、極端な考えなのだろう。

 少し考えれば間違った考えだと分かるものだろうに・・・いや、分かっているのかもしれない。ただ、きちんと思考し行動することが出来ないほど、精神的に追い詰められていたのかもしれない。

 それでも、このままでは不幸になるのが目に見えている。


 助けてやりたい。

 美玖と関わってから微かに思っていた。無理に考えないようにしていたが、日に日に積もっていった。

 それは仕事には関係のない個人的な感情であったし、考えること自体ひどく後ろめたいことだった。

 

 いや、恐れていたのだろう。

 美玖に深入りする自分を。


「分かってます。誰からも嫌われないなんて・・・そんな事は無理だって」

 美玖の声は、思ったより落ち着いていた。

「でも・・・好きな人に嫌われたら・・・とっても悲しいです」

 月桂は思わず体を離し、美玖の顔を見た。だいぶ部屋も薄暗くなってきて表情がよく見えなかった。

「お嬢さん・・・私に言ってるのですか?」

 話の流れで、自分に向けた言葉と分かっていても、どうしても確認しなければ気が済まなかった。

「・・・・・・はい・・・えと、月桂さんのこと・・・好きです」

 自分が恐れていたことを、美玖があっさりと言うので月桂は愕然とした。

 まさか、こうもストレートに好意を表現されると面食らってしまう。

 自分があれこれ考えていたのが、ひどく無駄なことのように思えてきた。


「お嬢さん、そういうことは軽々しく言わないでください」

「・・・どうして・・・ですか?」

「・・・・・・誤解します」

「誤解?」

 月桂は軽くため息をつく。人から好意を与えられて、自分は当惑している。

「お嬢さんは、花を見てその花が好きだと思う。それと一緒の感覚で、好きと言われると勘違いします」

「よく・・・分からないです。違いますか?」

 やはりそうかと、月桂は美玖から手を離し改めて顔を見る。

「相手が違います。物と人です。お嬢さんに好きだと言われたら・・・言われた相手もその気になるかもしれません。特に異性には言わないでください。こう言うのもなんですが、お嬢さんには隙が多いように見受けられます。もっと考えてから口に出してください。悪い人間に騙されます」

 自分は何を言ってるのかと月桂は困惑した。少女相手に狼狽して必死に平静を保とうとしている。

 美玖は少し首を傾けると、控えめに月桂の顔をチラと見た。

「月桂さんの、そういうところも好きなんです」

 さっきまでの悲痛な声から一転、和やかでどこか嬉しそうな美玖の声だった。

 逆に月桂は苛立ちにも似た胸の動悸に苦しんでいた。

 早く話をつけなければ、と思い切って話を切り出す。


「ケガの・・・つぐないをさせてください」

「そんなの・・・いいです」

「お嬢さんがそう言うと思って、なかなか話しだせませんでした」

 部屋の中は閉め切っていたので、暑く閉塞感に満ちていた。月桂がカーテンと窓を開けると、生ぬるい風が部屋に入ってきた。思わずため息をつく。

「本当に・・・いいんです」

「そういう訳には。自分を不義理な男にさせないでください」

「ふぎり・・・?」

「不誠実、不作法、恩知らず・・・という意味です」

 カーテンを開けたので、少し部屋も明るくなった。美玖は困ったように手もとを見ていた。

「そんなつもりじゃ・・・」

「何か自分に出来る事はありますか?」

「・・・・え・・・と」

 急にそんなことを言われても困るだろうと、予測はついた。だが、月桂自信もどうしたら美玖に償いができるのか分からなかった。結局は本人に聞くしかないのだと、困らせるだろうと分かっても、それが不器用な自分には最善なのだと、昴に分からされた。

 長年の付き合いになるが、昴には何もかもお見通しなのだと実感した。だったら美玖の「望み」を教えてくれてもよいものを、昴はそうしない。干渉は思い切りしてくるが、甘やかさすことは決してしない。

 それが昴らしいな、と月桂は口元の端で笑む。


「朝起きて・・・一階に降りると、しゅんくんとりゅうくんがいて、月桂さんが朝食の支度してるの」

 美玖が唐突に話しだす。口調は穏やかだった。

「私が「君孝きみたかさんは?」って聞くと「もう仕事に行きました」って月桂さんが言うの。しばらくしたら、ルイねぇが起きてきて、すっごく眠たそうに「コーヒーだけでいい」って言うの。それで学校に行くの」

 月桂は黙って美玖の話を聞いていた。そういえば朝は大体そんな感じだな、と思った。 

「学校はね・・・正直苦手だけど・・・でも、何とかやっていけそうだな、って思うの。だって、どんな事があっても月桂さんが迎えに来てくれるから。帰ったら、皆がいるから。こういうのってすごく幸せで恵まれてると思うの」

 頼ってもらえなくて悲しいと言っていた、ルイの言葉を思い出した。ただいるだけで、美玖には支えになっているのだと知ったら彼女はどんな顔をするだろう、と月桂は思った。

「だって前はね、ここに来る前は・・・支えなんて何もなかったから・・・死にそうな目に遭った時も、死んだら楽になるかなって思ったけど、そうしたらお母さんが一人になっちゃうって思って・・・でも、結局お母さんが・・・死ぬとき・・・」

 美玖は母親が命を落とす瞬間を思い出した。見殺しにした無力な自分を。

 ふいに、そんな自分が「幸せ」なんて口に出したのを後悔した。

「助けられたかもしれないのに・・・わたし・・・」

 急に、なんて言っていいのか分からなくなった。

 今幸せだから、何もいらない。そう言おうと思ったのに、そんな自分でいいのかと急に不安になった。

 

 マズイ・・・発作が・・・

 思ったときは、いつも遅い。

 不安な気持ちを抑えきれなくなり、涙が溢れてくる。

 手足が震える。

 母親の最後の顔を思い出す。

 あんなに大好きだったのに、恐怖しか無かった。


 美玖の異変に気付き、月桂はすぐに薬を探すが、一階だと思い出し、水と共に持ってこようと考えた。

「発作ですね。すぐに薬をとってきます。待っててください」

「大丈夫・・・いい・・・」

 ひどく苦しそうな、擦り切れた美玖の声に、やはり薬を取りに行こうとドアへ歩き出した。

 美玖は慌てて、月桂の袖を手で掴もうとしたが、思わず包帯を巻いた右手を差し出したため掴めるはずもなくスルリとかわされ、そのままバランスを崩し前のめりに倒れた。

「お嬢さん・・・大丈夫ですか?」

 思いっきり顔面から倒れた美玖を抱き起こし、ケガがないか確認をしようとするが、美玖がしがみ付いてきたのでそれが出来なかった。

「行かないで・・・」

「わ・・・分かりました。分かりましたから・・・」

 突然の出来ごとに、月桂は虚をつかれた。

「そばにいて」

「分かりました」

「独りにしないで・・・」

「・・・分かりました。側にいます・・・お嬢さんが必要とする限り」


 思わず口をついて出た。

 これでは、まるで主従契約だな、と苦笑したがこれでいいのだとも思った。

 美玖が自分を必要とするなら、側で見守ってやればいい。発作の時も冷静に対処すれば問題ないだろう。

 この程度なら仕事と割り切れるだろう。

 そして、いつか美玖にもっと特別な存在があわられたら自分は元の仕事に戻るだけだ。

 自分の役割が分かったような気がして、月桂は安堵した。


「お嬢さん、血が出てませんか?」

「え・・・」

 月桂が電気をつけると、顔面から倒れたせいで美玖は鼻血をボタボタと垂らしていた。泣きながら慌てて鼻血を気にする美玖はまるで小さな子供みたいで思わず月桂は軽く笑ってしまった。

 初めて月桂が笑ったところを見たような気がして、美玖は少し驚いたが、笑われてる事実に口をとがらせた。

「笑うなんてヒドイです・・・」

「すみません、つい。一階に行きましょう。衣服についた血はすぐに落とさないと」

 少し不満そうな美玖だったが、自分にも月桂にも血がついていたので頷いて部屋を出ることにした。

 そんなに変な顔してたかな、と美玖は思わず顔を隠した。




 部屋を出ると、後ろから美玖がついて降りてきた。

 階下では、二人が降りてくると気付いたようで、しんと静まり返っていた。

 月桂は額に汗を浮かべ、シャツの胸元には赤いシミが出来ていた。さっき昴と暴れたときについたのかと思ったが、後ろから降りてきた美玖がガーゼで顔を抑え、同じく服に赤いシミがあったので美玖の血だと分かった。

 柳とルイは一気に凍りついたが、隼は普通に「ああ、鼻血か」と冷静に判断した。


「おい・・・どうした?」

 柳が無言で通り過ぎようとする二人に、やっとの思いで声をかけた。

 美玖はビクッとして視線だけ柳に向けると、顔を隠すように洗面台へと逃げるように去って行った。

 美玖は顔を見られると、柳にも笑われるような気がして慌てて去ったのだが、柳はそんなことも知らず恐ろしい光景を思い浮かべてしまった。ルイも似たような想像を膨らませていた。

 柳とルイの驚愕と恐怖の表情を見て、二人が盛大に勘違いしているだろうと月桂は理解した。

「昴さんは?」

「兄さんはもう帰ったよ」

「そうですか」

 月桂と隼が普通に会話をするので、柳はだんだんと苛立ってきた。

「月桂さん、あいつに何かしたんじゃないよな?」

 ルイは心底柳がいてくれて良かったと思った。自分はとても月桂にそんな恐ろしいことは聞けないと思ったから。

「何か、とは?」

 月桂の挑戦的な目線に、柳はこいつこんな性格だったか?といぶかしむ。

「・・・・・・殴る・・・とか」

 話を聞いていた隼が思わず吹き出して笑う。

「何がおかしいんだよ?」

 ジロリと隼をねめつける。

「ごめんごめん。月桂はそんなことしないよ。大丈夫だって言ってたじゃん。美玖ちゃんのはどう見ても鼻血だよ。もし月桂が殴ったりしたら鼻血じゃすまないよ、いつも頭狙うから一発で終わるし・・・月桂、手加減できないから」

 ニコリと笑顔で恐ろしい事を言う隼に柳とルイは、改めて月桂という人物に恐怖感を覚えた。

「お前・・・やっぱ昴さんに似てるな・・・」

 皮肉交じりに柳は呟く。

「そうかな? 自分じゃ分からないけど。やっぱり兄弟だからかな」

 にこやかな隼を見ていると、やっぱり極道の家に生まれると感覚が変わるのかしら・・・とルイはため息をつく。


 月桂はいつもの無表情だった。

 そういえば、美玖の発作が知らないうちに沈静していたな、と今さら思い出した。

 少しでも自分が役に立てたかと思うと、それだけで月桂は安堵した。


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