15話 悪を長じて悛めずば、従って自ら及ばん
悪を長じて悛めずば、従って自ら及ばん
悪心を増長させて改めないと、やがて災難が自分の身に及ぶことになるだろうという意で、早く悔い改めないと身が破滅するという戒め。
【15話 悪を長じて悛めずば、従って自ら及ばん】
ゴツ・・・鈍い音が聞こえた。
美玖はいつも人通りの少ない裏門から入る。運動場の裏にクラブ棟があり朝の通学時は静まり返っていた。
呻き声と、荒い声が聞こえた。
行かなければいいと思いつつ、美玖は向かってしまった。
建物の裏に制服姿の男が四人いた。見るからに柄の悪い三人とあと一人は腹を抱えうずくまっていたので顔は分からなかった。
「もうこれ以上は無理ですよ・・・」
「無理じゃねーよ、何とかして来いよ」
うずくまった男の腹部に蹴りをいれると、続いて他の二人も蹴り付けた。
「言っておくけどな、俺らだって好きでこんなことしてんじゃねーよ。上からやれって言われてるんだよ」
「そーそー人助けだと思って協力してよ」
「ふざけ・・・んなよ・・・」
美玖はその光景をぼうと眺めていた。自分も、以前こうだったのか・・・違うな・・・顔つきが違う。映像を見ているようで、あまり感情が湧かなかった。
「どうして・・・好きでもないのに蹴るんですか?」
美玖は口に出したつもりはなかったのに、うっかり口に出てたらしい。
男たちは顔を見合わせ、知り合いか?と聞きあった。誰も首を縦に振らないので突然の来訪者を不審そうに見た。
「何だよ、何か用かよ」
「あ、ごめんなさい。用はないんです。続けてください」
「はあ?」
「あ、やっぱり・・・蹴るのはやめてあげてほしいです・・・」
「何いってんだ」
男たちは茫然と立ち尽くしていた。うずくまっていた男が慌ててカバンを拾い逃げて行った。おい、という男の怒声が響いたが、追いかけようとはしなかった。
「逃げられた」
「そーだなー・・・で? 誰?」
三人の目線が美玖に集まる。美玖はどうしていいか分からず目線を下にずらした。
「見ない顔だから下級生じゃね? なんで邪魔したわけ?」
「ごめんなさい。そんなつもりはなかったんですけど・・・」
「いいけどさ、他の人には黙っててくれる? 面倒だからさ」
いきなり手をつかまれ、美玖は壁際に背中をつける格好になった。
「え・・・と」
「それよりさ、可愛いね、なんて名前?」
「・・・あの、何でこんなこと・・・」
「聞いてどうするの? 代わりにお金払ってくれるの?」
「・・・お金?」
慌てて男が一人の男の肩を掴む。
「アキラ、余計なことしゃべるなよ」
よく分からなかったが美玖にもよくない話だというの分かった。後ずさり逃げようとしたら、男が髪をつかみ引っ張るので痛みで顔をゆがめた。よろけて膝をついた。
「あ、ごめん、つい」
腰をかがめ、一人の男が美玖の髪を再度強く引っ張る。思わずカバンを力まかせにふると、鈍い音とともに男がのけぞった。どこに当たったかは分からなかったが男は顔をおさえ喘いでいた。
「いてえな・・・てめぇっ!」
男のおさえた手の隙間から赤いものが流れ出た。急に恐ろしくなりカバンを投げつけると出口まで走った。まだ、近くに月桂がいるかもしれないと思った。それじゃなくても、ここに居たくはなかった。
後ろから男達の声と足音が聞こえたが、振り向かず逃げた。
学校を出て、しばらく走り後ろを確認したら誰も追いかけてなくて美玖は少し安心した。しかし、これからどうすればいいか分からず途方に暮れた。
学校に戻る気にはなれなかった。かといって家に戻っても何と説明していいか分からなかった。カバンも置いてきてしまった。
憂鬱な気分になり、堤防の近くで一人たたずんでいた。
「柳、話はどうだった?」
休憩時間に、隼が聞いてきた。クラスが違うので廊下で立ち話だった。
「別に・・・なにも・・・」
不機嫌そうな顔はいつもだが、妙に元気がないので隼は不思議に思った。
「その割には、機嫌悪そうだけど?」
「・・・ああ、悪いけど月桂さんに電話してくれるか? あいつに何かあったみたいなんだ・・・」
「あいつって? もしかして美玖ちゃん?」
「俺には何も言わねえから・・・」
月桂は隼の父親の部下なので、隼からなら事情を説明するだろうと柳は思った。肩を落とす柳に「分かったよ」と返答すると隼は月桂に電話をかけた。
「もしもし、月桂?」
「はい」
「美玖ちゃんに何かあったの?」
「・・・学校から登校してないとの連絡が来たと。家には帰ってないようなので、少し近場を探してみます」
「そう。分かったよ。頼んだよ」
「はい」
電話を切った。柳が耳を近づけていたので、聞こえただろうと思い「だって」と隼は言った。
柳は真面目な顔で外を見た。しばらく考えてたかと思うと、教室に戻りカバンを持って出てきた。
「どこ行くの? まだ授業残ってるよ」
「・・・俺も探しに行く」
「どうして?」
その問いに柳は不快感をあらわにした。
「どうして・・・だと? 隼は心配じゃねえのかよ?」
「・・・落ち着いたら? 学校サボってるだけかもよ?」
「そんな訳ねぇだろっ」
柳はカチンときた。美玖は学校をサボるような人間じゃない、と思った。
「分からないよ、そんなの。もともと不登校だったんだし、行きたくなかったから休んだだけかもしれいよ」
「だったら家に帰るだろ」
「どこか遊びに行ってるのかも」
隼がいつも通りの和やかな雰囲気で話すので、柳はさらにイラついた。
「あいつは引きこもりの人間恐怖症なんだ! 今までだって学校以外ほとんど外出なんてしてねえだろ! お前何見てきたんだ!」
柳が興奮して、怒鳴りつけた。周りが何事かと遠巻きで見ていた。
「心配性なんだよ。月桂に頼んだから柳が行ってもしょうがないよ」
「何だとっ!」
柳が隼の胸倉をつかみ壁際に力強く押すと、ドンという低い音が廊下に響いた。一気に周りが静まり返った。教室の中の生徒たちも、何があったのかと覗き出した。
「それに、藤原さんに言われたでしょ? 安全のために今日は二人一緒に帰ってくれって」
藤原は二人の警備をしているので、バラバラに帰ると困るのだ。別に帰る日もあったが、今朝ケンカ騒ぎがあったので今日は絶対一緒に帰るよう言われていた。
「知るかよ」
「ずいぶん自分勝手だね。第一、美玖ちゃんが自分のせいで柳が早退したって知ったら自分のせいだって落ち込むと思うよ。軽はずみな行動ばっかして他人に迷惑かけるのは関心しないね・・・離してくれる?」
次の瞬間、隼の顔面に衝撃があった。殴られた反動でよろけて、倒れかかったがなんとか踏みとどまった。
わざと怒らせるようなことを言ったので、殴られた驚きはあまりなかった。その後見た柳の泣きそうな困惑した顔の方に隼は驚いた。
「お前が・・・そんなやつだと思わなかった・・・」
静かに言うと柳は歩き出した。周りで驚いている生徒たちを睨みつけると、サッと道が開いた。
騒ぎをかけつけた教師がやって来るのが見えた。クラスメート達が次々に大丈夫かと聞いてきた。隼は殴られた頬に手をあて微笑した。
「いてて・・・ああ、大丈夫だよ」
教師が「また扇柳か」とつぶやきながら駆け寄ってきた。
「大丈夫か?」
「はい、お騒がせしました」
「どうしたんだ、いったい・・・」
「単なる痴話ケンカなので、気にしないでください」
「は? 痴話ケンカ? ああ、ほら君達も次の授業が始まるからクラスに帰りなさい」
隼は頬をさすりながら、柳の顔を思い出し小さく笑った。
途方に暮れていると知らない間に下校時間になっていた。
美玖はもしかしてカバンがそのまま放置されてるかもと思い、朝の騒動があった場所を見に行った。部活動や下校の生徒がいたため少しホッとしたが、カバンはやはり無かった。どこかに届けられてるかと思い教室に向かおうとした。
その時、急に誰かに呼びとめられた。
「立花美玖だろ? カバンの中に名前あったし」
朝の男の一人だった。少し疲れた顔で立っていた。
「お前が殴ったやつ、アキラってんだけど目ケガして病院行ってる」
病院、ということはケガがひどかったのかもしれない。美玖は逃げた自分を後悔した。
「カバン預かってるけど。返すかわりに金工面してくれる? アキラが集めるはずだった金まだ集まってないんだ。病院代もかかるし・・・5万でいいや」
「私のせいでごめんなさい・・・でも、お金は無理です」
「適当に親の金とか、持ってこれない? こっちも困ってるんだよ」
凄むような威圧的な態度では無かったので美玖は申し訳ない気持ちになった。しかしそんなお金は中学生の自分には払えないし、もちろん自分がお金を払うのも違うとは思った。でもどうすればいいかも分からなかった。
「女に手をあげる趣味もないけど、本当困ってるんだよ。痛い思いすんの嫌だろ? 3万でもいいんだけど」
「何? 3万でいいの?」
急に後ろから声が聞こえたので「わっ」と飛び上がって男は驚いた。美玖もその聞き慣れた声に驚いた。
「隼くん・・・」
どうしてここに、という驚きと、見られたという心苦しさがあった。
隼はニコリと笑うと男に向かって自分のカバンの中から紙の束を取り出した。
「困ってるんでしょ? 10万で足りる?」
男は呆気にとられていたが、現金を確認すると奪い取るように取り紙幣を確認した。どこかホッとした顔になり、改めて隼を見返した。
「・・・お前誰だよ・・・どういうつもりだよ」
脅して殴って金を出させることも何度かした。しかし、こう簡単に10万もひょいと渡す人間は今までいなかった。男はそれが不思議で、気味が悪かった。
「別に。金があればいいんでしょ? その代わり、うちの妹には二度と手を出さないでくれる?」
「・・・・・・ああ・・・」
男はカバンを美玖に返すと、どこかに電話をしながら慌てて走って行った。それを眺めながら美玖は茫然とした。
どうして?何がおこったのか分からなかった。隼がいつも通り優しい声で「帰ろう」と言って手を引いてくれた。
歩きながら隼は、柳と月桂に美玖と会えたことを知らせた。二人とも近所を探していたので、堤防沿いで落ち合う約束をした。
その間、美玖は一言も話さなかった。隼の顔を見ようともしなかった。
「どうして・・・お金・・・」
懸命に声を出したがそれ以上はうまく言葉にならなかった。立ち止り自分の胸のあたりを強く握った。思いつめた表情の美玖に隼は驚いた。
「別にいいんだよ。ああゆうの、面倒だし。お金で方が付くならその方が楽でしょ」
青白い顔で地面を見据えてままの美玖に隼は優しく言った。
「それとも、そんな解決法をとった僕に失望した? まあ、柳や月桂が見つけてたら彼は間違いなく血ダルマになってただろうなぁ」
「違う、の・・・失望なんてしてない・・・私が・・・何も、できないから・・・迷惑・・・ばっかり、かけて・・・」
「そうだね。柳と月桂はこの暑いのに2時間以上美玖ちゃん探してたみたいだし」
美玖は声が震えてめまいがひどくなってきた。
「だから、二人に会った時は、労ってあげてね。お金のことは内緒にしておこう」
隼は美玖のことを責めたり怒ったりしなかった。隼だって好きでお金を払ったわけじゃない・・・本当に黙っていていいのだろうか・・・考えるときりがなかった。
ただ、隼の優しさに甘えてばかりではいけないと思った。
隼にひかれて歩き出す。茫然とした感覚で、ただ足を前に出した。それ以上のことは今は考えられなかった。
しばらく歩くと堤防沿いのベンチに座り込む月桂と柳が見えた。柳は足を投げ出し天を仰ぎうつろな表情で、月桂は上着を脱ぎ前かがみで額に手をおいて難しい顔をしていた。二人とも一目見て分かる程疲れていた。
おーい、といつもの調子で隼が声をかけると二人はぐったりとしながらこちらを見た。
「・・・どこに居た?」
立ち上がり額の汗をぬぐうと、不機嫌な顔で柳は聞いた。
「学校」
「なんだ、行ってないんじゃなかったのかよ!」
美玖の近くに行くと、異変に気が付いた。顔色が悪く目がうつろ、柳の問いかけにもほとんど無表情だった。
「・・・どうした? 何があった?」
「何もないよ。疲れただけだよ。ね?」
隼はそう言ったが美玖の反応はほとんど無かった。
「お前、自分で話せよ。俺がどんだけ探したと思ってるんだ。せめて連絡ぐらいできただろ」
柳が美玖の肩を揺さぶり反応を確かめるが相変わらず黙って下を見つめていた。
「柳、とりあえず落ち着かせてあげよう。まず家に帰ってゆっくりしよう。月桂も疲れてそうだし」
横目で月桂を見ると慌てて立ち上がり深く頭を下げ「大丈夫です」と言った。律儀な態度にくすりと笑った。
「ふざんけんなよ・・・」
そう言うと速足で家に向かった。隼は美玖の手をひきながらゆっくりと帰った。昼間見たときより隈がひどくなった月桂を見て、月桂も休ませてあげようと心の中で思った。
美玖たちの学校から車で10分程の場所に、彼らの溜まり場はあった。スレート建ての年季の入った倉庫だった。
「央中の吉田です。集金して来ました」
吉田は「おう、入れ」という言葉を聞くと緊張した面持ちで中に入った。一足中に入れて異様な光景にぎょっとした。
仲間のアキラと、たまに見る高校生の男達が3人正座させられていた。一人は殴られたのか顔にひどい腫れができており、鼻と口から出血していた。
思わず後ずさりそうになったが、中の男と目が合い、立ちすくんだ。
「早く持って来い」
静かに言った男は、シャツにジーンズのラフな格好だった。ここで一番上の男で木島と呼ばれていた。体格がよく声も通るのでそれでけでも狂暴な印象だった。金に染めた髪を短く刈り上げていた。
「10あります」
震えるのを必死にごまかし、木島に手渡す。本当は5万の予定だったが、隼から多くもらったため多く渡した。5万だけ渡すこともできたが、恐怖のあまり全部渡すことにした。それに、前回は5万が用意できなくてひどい目にあったのだ。
アキラはお金を用意できたことに安堵しホッとした顔で吉田を見た。これで今日は解放されると思ったからだ。
「よかったな、アキラ。お前の友達は優秀だな。10も持ってきた。前回の足りなかった分もこれでチャラや。また次回も頼むわ」
ハハハと笑うと、アキラに立つように促した。ホッとしたのも束の間、また再来週までに5万集めないといけないかと思うと気が遠くなった。
「でも、さっきまでは集金できませんでした。とか言ってたんに、どうやって10も用意できたん?」
木島の問いに、アキラも、こんな大金どうしたのかと思い吉田を見た。
「あの、たまたまなんすけど。アキラをケガさせた女に、カバン代と治療費請求したらそいつの兄ってのが来て、ポンって払ったんですよ」
「え・・・今朝の?」
アキラが驚いて吉田を見ると、静かに頷いた。
「金持ちのボンボンってとこか・・・」
木島が金の束を数えながら吉田に聞いた。
「それっぽいですね。帝秀でしたから・・・」
隼の事を思い出した。いかにも育ちが良さそうだった。さらに帝秀。有名な制服なのですぐに分かった。
床に正座させられていた男3人がギョッとして体を硬直させた。
「帝秀・・・カカカ・・・確かお前たちのエリアだよな? いやぁ皮肉な話だな~中坊にできて、お前らにできねえのかよ」
そういうと、正座していた男の一人を後ろから蹴り飛ばした。勢いよく前のめりになり顔面からコンクリートの地面に激突した。ゴッという鈍い音と男の叫び声が聞こえた。歯が折れたのか、かなりの量の血が流れた。
吉田とアキラはゾッとして彼らを見た。今日金を用意できていなかったら自分達がああなっていたかもしれない・・・そう思うと人事とは思えなかった。
「勘弁してください・・・」
正座していた残りの男が恐怖に顔をひきつらせて弱々しく言った。
「いいか、俺は優しいからな。明日までに5万だ。できるな?」
「明日までなんて・・・」
鈍い音がまたした。正座の男がまた一人後ろから蹴り飛ばされた。とっさに手を出し顔面直撃は免れたが手のつき方が悪くゴキッと嫌な骨の音がした。「いてえ、いてえ」と騒ぐ男に木島は再度蹴り付けた。
「うるせえんだよ」
容赦のない木島の仕打ちに、吉田とアキラは絶句した。再来週までに絶対に金を集めないといけない。そう強く思った。だが、この集金はいつまで続くのだろう・・・そう思うと絶望しかなかった。