14話 肝は大きく心は小さく持て
肝は大きく心は小さく持て
大胆で度胸は大きく、しかし注意は細かく払うべきということ。
【14話 肝は大きく心は小さく持て】
隼と柳が、朝食を食べに階段を下りると、どこか嗅ぎ慣れない匂いがした。キッチンの脇に並べられた相当数の空きビンを見つけ、それが酒の匂いだと分かった。
ソファーの上では死人のようにうつ伏せで動かないルイの姿があった。
「酒くせーな・・・」
うんざりした顔で柳が吐き捨てた。ルイの手がピクリと動き、リビングのテーブルに置いてあった水を飲むと頭を押さえ「うー」と呻いていた。
朝食の準備をしていた月桂がおはようございますと挨拶をした。
「何? ルイ姉さん二日酔い? まさか月桂と飲んだんじゃないよね?」
隼が冗談のように笑いながら聞いたが、ルイはビクと体を硬直させて何も答えなかった。
酔いが覚めると自分が昨夜、恐ろしいことを月桂に言ったような気がして思い出すのが恐かった。ガンガン鳴り響く頭を抱えて、またソファーにうつ伏せになった。
「ん? 姉さん大丈夫?」
「ルイさんはただの二日酔いです。大して飲めもしないのに飲みすぎるからでしょう。自業自得です」
月桂のとげのある言い方に隼はピンと来た。
「何不機嫌になってるの、大人気ない。でも珍しいね、二人が飲むなんて」
「花立さんが、酒をすすめてくださったので」
「ああ、君考さんがね・・・それで三人で飲んでたんだ。楽しそうでいいね」
くつくつ笑いながら隼は言ったが、月桂の表情を見ると単純にそうでもないのが分かった。
美玖も二階から降りて来たのでおはようと声をかけた。
「おはようございます・・・えと、ルイねえどうしたの?」
いつもと様子の違うルイを確認すると、美玖は心配そうに近寄り声をかけた。
「む・・・おはよ・・・大丈夫・・・」
手をひらひらとさせて、またルイは動かなくなった。
「お酒の飲みすぎなんだって。休んだら治るから平気だよ」
隼が朝食を始めながら言った。
「そうなんだ。ルイねえ、お部屋で横になったら? 手伝おうか?」
「美玖ちゃん・・・」
顔をけだるそうに上げ、美玖の方を向くとすぐ近くに顔があり心配そうに自分を見つめる美玖と目があった。
この顔・・・そう、この顔が可愛すぎるのよ!とルイは夢ご心地だったがキッチンの方からこちらを見ていた月桂に気が付き血の気のひく思いをした。
「大丈夫よ」
ルイは美玖の頭をなでると、のそのそとだるそうに二階に上がっていった。心配そうに見送った後、美玖も朝食を始めた。
「暑い・・・」
食べ終わった柳が、つぶやいた。すでに夏も近づき湿気を帯びた熱が部屋にも漂っていた。
「お前ら・・・その格好で今日も行くの?」
美玖と月桂に向けた言葉だった。美玖は冬服の長そでセーラー服で、月桂も今は長そでのシャツだが通学の時は黒のスーツに袖を通す。学校ではすでに衣替えの時期だろうに、揃いも揃って真っ黒の格好で見ている方が暑かった。
「うん・・・中間服持ってないし・・・」
「はあ? 夏服着ろよ、暑苦しいやつらだな」
月桂は相変わらず黙ったまま後片付けをしていた。見かねて隼が答えた。
「月桂のスーツは、戦闘服なんだよ」
「何だ、ピストルでも隠してんのかよ」
おどけて柳はオーバーなアクションをした。
「まさか。気が引き締まるって意味だよ。まあ、防弾ジャケットかもしれないけどね。隠してるとしたら墨だよ」
「あー・・・なるほど。月桂さんのは立派だからな」
そう言って柳と隼は無邪気に笑った。その後柳は登校の準備をしに二階に上がっていった。
美玖は一人意味が分からなかったので、すみ・炭・済み?と考えたがちっとも隠す理由が理解できなかったので、くつろいでいた隼に聞いてみた。
「すみって何ですか?」
美玖が尋ねると、隼はうーんと考えた後小声で言った。口元に微かな笑みが見える。
「気になる? 月桂の秘密」
「え・・・と・・・少し・・・」
「月桂に聞いてみなよ。墨を見せてほしいって。ただし、周りに人がいるときは絶対ダメだよ。二人っきりの時に聞くんだよ? 分かった?」
隼が小声で話すので美玖も黙って頷いた。興味もあったが、自分と同じ隠しごとかもしれないと思った。今度、思い切って聞いてみようと美玖は思った。
隼は席を立ち、月桂を見やり、美玖に墨の質問をされ困ってるところ想像した。おかしくて思わず口元がゆるんだ。
美玖を学校に送り月桂は家に帰宅した。天気がよく、さすがにこの格好は暑かった。ここ花立家に来る以前も同じ黒スーツの格好をしていたが、ほとんどが車での移動だったため特に不便はなかった。美玖の中学校まで片道20分、往復だと40分。真夏になった時のことを考えると憂鬱だった。
片づけを終え、軽く掃除をし、報告書に目を通した。ふいに眠気に誘われた。そういえば一睡もしていないことを思いだした。結局、君孝達と飲んだ後、片付けをし、気持ちが悪いというルイの介抱をし、朝食の仕込みをしていたら寝る時間など無くなっていた。
そのままテーブルの上に両肘をのせ、額の前で手を組むと意識が遠のいた。
瞬間、ベルの音がした。
ハッとして顔をあげ、電話の音だと気がついた。携帯ではなく、固定電話の音だった。
「はい、花立です」
月桂は花立家の電話なので、当然のように対応したが、電話の相手はすっかり月桂のことを花立氏だと勘違いしたようだった。
「もしもし。花立さんですか。帝秀高等学校の学年主任、小金井と申します。扇柳くんについてお話したいことがありますので、今から学校に来ていただけますか?」
「・・・・・・しかし・・・」
「分かります。花立さんは扇くんを預かってる立場だということ。しかし本人から、保護者のような方だとお聞きしています。ご両親は遠いところに住んでみえるようですし、お手数をおかけしますが来て頂けませんでしょうか? こちらも、お話したいことが色々ありまして・・・」
「・・・・・・分かりました」
「ではお待ちしてます。本館の生徒指導室に扇くんと待ってますから」
月桂は軽くため息を吐いた。至急の学校からの呼び出しなど、そうそうあるものじゃない。しかも、自分は花立氏ではない。自分が行ってもいいものかしばし悩んでいたら、今度は月桂の携帯の音が鳴った。
柳からだった。
「はい」
「おう、月桂さんか。悪いけど学校まで来てくれ」
「・・・何をされたのですか?」
「大したことじゃねーよ。そのうち学校のやつから電話くると思うからさ、適当に対応して来てくれ」
「先ほど電話がありました。花立さんと勘違いされたかもしれませんが」
「だったら君孝さんのふりして来てくれ。それじゃ!」
そう言うと一方的に電話が切れた。
月桂は深いため息をつき、また暑い外を歩くこと、学校についたら厄介事が待ち受けているだろう事実に辟易とした。
柳と隼の通う高校まで、歩いて約10分。遠くはないが日中のため、その距離でも体がじっとりした。日差しが強かったのでサングラスをかけ早足で歩いた。途中見かけた電子温度計は32℃と今日の暑さを示していた。
正門に来ると施錠してあり「御用の方は西門まで」と張り紙があった。西門に行くとインターフォンがあり、来訪を告げると「本館は入って右の大きな建物です」と説明された。
受け答えをしていると、ちょうど昼休みらしく通りかかった生徒たちが月桂を見てヒソヒソと話していた。気にせず本館を目指し進み始めると、二人の男が走り寄ってきた。
「あの、どちら様でしょうか?」
緊張した様子で二人の男が話しかけてきた。一人はジャージ姿で一人はスーツ姿だった。歳は月桂よりも上で雰囲気から先生だろうと思った。
「先ほど、インターフォンで説明した」
明らかに不審がられ、暑さもあり月桂は不機嫌になった。
「どのようなご用で?」
同じような事を聞かれ、月桂はうんざりした。
「用だと? そちらから来いと言ってきただろう」
思わず強い口調で月桂は言った。騒ぎに気付いた生徒たちが遠巻きに三人を眺めていた。
「大きい声で威嚇行為ですか? 生徒の目がありますので、こちらへ」
そう言うと顔を赤くしたジャージの男が、グイと月桂の肩を乱暴に押した。左の建物を指さされたが、月桂が行くのは右の本館だった。
「そんな所へ用はない。本館に用がある」
気にせず本館へ進もうとする月桂に、慌てて二人の男が制止した。まさか殴るわけにもいかなかったので月桂は困惑した。これでは完全に不審者扱いではないか。
「おい・・・俺は呼ばれて来たんだぞ!」
いぶかしげに二人の男は月桂を見た。
「詳しい話はあちらで聞きますので、どうか・・・」
まるで、警察のようなやり口だな、と月桂は心の中で悪態をついた。通用口から別の男が慌てて駆け寄ってきた。
「は・・・花立さんですか・・・もしかして?」
男は肩で息をしながら、月桂に問いかけた。ここで違うと答えたら面倒なことになりそうだったので、しょうがなく答えた。
「・・・そうです」
「1年の扇くんの保護者の方だ・・・目ためで判断しちゃいけませんよ。さ、こちらへ」
二人の先生らしき男は、保護者という言葉に目を丸くし、失礼な態度への謝りなどはしなかった。
「すみませんね。最近物騒な事件が多いもので。先生方も神経質になってるんですよ。ああ、申し遅れました。学年主任の小金井です。先ほど電話した者です」
学年主任の小金井は中年で人のよさそうな男だった。月桂の姿を見て驚いたようだったが、すぐに平静を装い対応した。学年主任は申し訳なさそうに、月桂の顔を見やり生徒指導室まで案内した。
二階に上がると窓際で、柳と隼が談笑していた。他の生徒は月桂を見かけると複雑な表情で後ずさって行った。
「すげー不審人物だったぞ。サングラスなんか掛けてるからだろう」
そう言いながらも、楽しいものを見たと言わんばかりに柳は嬉しそうだった。
確かにそうかもしれないと思い、サングラスを外した月桂だったが疲れと不機嫌で眼光は鋭く目の下には隈ができていた。その顔を見た一同はぎょっとして固まった。
「なんだ、余計恐くなったな。まーいーや。早いとこ終わらせよーぜ」
陽気な口調で柳はバンバンと月桂の背中を叩いた。
「扇くん、あ、扇柳くん! 君はなんで外に出てるんだ。中で待っててくれって行っただろう」
学年主任は、困り果てて早く中に入れと促した。柳は「はいはい」と大人しく入っていった。それを見送り、隼は月桂に小声で話した。
「悪いね、迷惑かけて。なんとか上手くやってよ」
「・・・分かりました」
失礼しますと挨拶し、月桂は生徒指導室に入って行った。
教室の中には、先に入った学年主任と柳の他に二人の男がいた。禿げ上がって小柄な男は教頭で、冴えない中年のメガネを掛けた男は担任だと紹介された。
「扇柳の保護者代理の花立です」
君考の名を語るのは気が引けたが、成り行き上仕方ないと思い月桂はそう名乗ることにした。教頭と担任は月桂の風体を見て顔色を変えた。
「どうぞ、お座りください」
案内されたイスに一礼し座ると、学年主任が首もとの汗をぬぐいながら話し始めた。
「実はですね、今朝のことなんですが扇くんと他校の生徒が騒ぎを起こしていると連絡がありまして。私たちも慌てて向かったんですよ、そうしたら他校の生徒たちとケンカ騒ぎをしていてですね」
「あいつら待ち伏せしてやがったんだ」
「扇くん、ちょっと黙っていてくれるか」
柳は肩肘をつくと足を組み冷めた顔で一同を見渡した。
「それでですね、ケンカはまあ、落ち着いたのですが、こういう騒ぎは前にもありましてね、困るのですよ。うちは進学高ですし・・・そうじゃなくても、困りますけど・・・扇くんに言っても全然聞く耳をもってくれませんし」
「何だそりゃ。ケンカする俺が悪いっていうのかよ! あいつらが俺に恐喝してきたんだぞ、まぁ返り討ちにしてやったけどよ。帝秀ってだけでなめやがって。知ってんのかよ、ココのやつら集金とか言って金巻き上げられてるぞ」
「そんな・・・まさか・・・」
「いや扇くん、そんな話は一度も聞いたことないよ」
柳の言葉に教師達は驚き、信じられないといった顔をした。
「そりゃあ、先生に言ったって金が返ってくる訳じゃないし面倒ごとになりたくないんだろ。だがな、俺はそんななめた態度とったやつに優しく金をばら撒く程お人よしじゃねーんだよ!」
「何も、扇くんが悪いって言ってる訳じゃないんだよ。ただね、暴力で解決しようとするのはいかんよ。まず先生か、警察の人に助けを求めなさい」
柳の横柄な態度に、困惑していたが学年主任は諭すように言った。
「その間に俺は好き放題ボコられて、金取られろっていうのかよ?」
「そういう事を言ってるんじゃないよ、落ち着いて。現に君と一緒にいた扇隼くんはケンカなんかしていなかったじゃないか」
「あいつは関係ないからだろ」
担任の男が口を挟んだ。
「それだけじゃないんですよ。扇くんは、私たち教師に対してもこのような態度で困ってるんですよ。彼の成績は申し分ないし、クラスの子達とも仲良くやってます。しかし彼の授業態度は・・・どうも、不真面目というか、ちゃんと授業を受けてくれなくて困っているのです。もう少し、普通の学生らしくしてもらえませんかね?」
教師たち三人は、懇願するような非難するような顔で月桂を見た。
「申し訳ありません。よく言っておきます」
仕方なく月桂は謝罪をしめし軽く頭を下げた。くだらない言い合いにうんざりしていたので、早く帰りたいと月桂は考えていた。
「まぁ、今回の騒ぎは大事にはならなかったし、特に処分などは考えてません。よく花立さんからも言い聞かせてください。」
月桂の態度が案外普通だったので、教師たちはホッと胸を撫で下ろした。
「扇くんも、少しは反省するように」
柳は「はいはい」と言うと勝手に席を立ち出て行こうとした。呆れた教師たちも、もう話は終わったとばかりに席を立った。月桂もそれに続き部屋を出た。
教室を出ると、すでに昼休みは終わったらしく人影はなく静かだった。
「柳さん、恐喝の話は本当ですか?」
教師と別れ、二人きりになった途端月桂は話を始めた。
「ほんとだって。頭の悪そうな不良たち。安心しろよ、隼には関係ないからよ。ああ、わざわざ来てもらって悪かったな。もう帰っていいぞ」
振り返らず、歩きながら柳は言った。追いかけるように月桂は歩いた。
「なぜ、手を出したんです?」
「お前がそーゆーこと言う? バカが来たから追い払っただけだろ」
「そういう事ではなく、藤原さんがいるでしょう」
「藤原はただのボディーガード」
「そうです。分かっているなら話は早いですね。危害を加える者がいたら藤原さんに任せてください」
「ただの不良だろー? いいじゃねーか、それくらい」
「よくありません。万一があったら困ります。相手が刃物を持っていたらどうします。次は複数で待ち伏せているかもしれません。その時若がいたら、若にも迷惑がかかります」
月桂は隼のことを「若」と呼ぶ事がある。
「うるせーな、お前が隼の心配してるのは分かったよ! そんなに隼が心配だったらお前が隼の護衛しろよ!」
速足で歩きながら大声で柳が言う。いつまでもついてくる月桂に嫌気がさしてきた。
「・・・自分の仕事は護衛ではありません」
隼の護衛ができたら月桂も安心できた。しかし柳と隼のボディーガードは別の人間の仕事だった。あまりの無鉄砲な柳の態度に月桂は口出しをしてしまった。自分の言動が行きすぎた行為だというのは理解していた。だが、万一隼に何かあったら・・・そう考えると口を挟まずには居られなかった。
「藤原もお前も口うるせーなー」
「柳さんに問題があるからでしょう」
思わず月桂は嫌味を言った。柳は足を止め月桂を睨みつけた。
「お前誰に口を聞いてんだよ」
「柳さん、少しは自重して頂かないと困ります」
月桂も柳を見据えた。歩き通しだったので息が少し上がっていた。
突如、電子音が鳴った。月桂の携帯の音だった。
拍子抜けした柳が、「どうぞ」と手を振った。
「・・・もしもし」
誰からの着信かも見ずに出たので、電話先の声に驚いた。
「あたし、ルイ。家の電話がうるさくって、今出たんだけど・・・美玖ちゃんって一緒?」
「いえ・・・まだ学校だと思いますが」
「そうだよね、朝制服着てたもんね・・・変だよね・・・」
「誰から何の連絡あったのですか?」
微かに嫌な予感がした。
「無断欠席で・・・何かありましたか?って美玖ちゃんの学校の先生から」
「・・・今自宅ですか?」
「そうよ。連絡しようにも君孝さんには連絡つかないし。吾妻さんがいないから、もしかして二人で出かけてるのかなぁって思って。そうだったら、それで良かったんだけど・・・じゃあ美玖ちゃんどこ行ったのかな?」
ルイの声もどこか力なく不安のようだった。
「ではそのまま家にいて頂けますか。お嬢さんが帰ってきたら連絡をください。自分は少し見てきます」
「・・・分かった。何か分かったら連絡してね。何もなければいいけど・・・」
電話を切った。顔色の変った月桂を、不審そうに柳が見てきた。
「おい、あいつに・・・何かあったのか?」
「気になさらず。失礼します」
「おいっ!」
そう言うと有無を言わさず駆けて行ってしまったので、柳は仕方なく教室に戻った。
暑くけだるい空気に気分が悪くなった。