13話 酒は飲むとも飲まるるな
酒は飲むとも飲まるるな
酒は飲んでもかまわないが、飲みすぎて理性を失ってはいけない。酒は適度に飲むべきであるという戒め。
【13話 酒は飲むとも飲まるるな】
家主の花立君孝が帰宅するとすでに0時を超えていた。連日の遅い帰宅だったので、手伝いとして雇われていた吾妻月桂は気にしなくてよいと言っていたが律儀に帰りを待っていた。
「お疲れ様です」
「ただいま。そんなに気を使わなくてもいいんだよ。先に休んでくれても構わないんだ。」
「いえ、お気になさらず。今日は、お話がありまして。お疲れのところ申し訳ありませんが少しよろしいでしょうか?」
「うん? 構わないよ。頂いたお酒があるんだ。一緒にどうだい?」
月桂は真面目で実直だったが、無駄話も世間話もろくにしないので、ゆっくり話してみたいと君孝は思った。酒は断られるかと思ったがすんなり承知してくれたので、案外酒好きかもしれないと思った。
「用件からお聞きします。お嬢さんの病気と発作についてご存じとは思いますが、先日病院の帰りの際、発作が起きまして多数の薬を服用されてました。いえ、止めましたので実際は服用してませんが。・・・・・・過剰摂取は危険です」
頂いた酒を箱から出すと、テーブルにごつと小さな音が鳴った。続いて切子の冷酒グラスを二つ置き君孝はイスに腰掛けた。
「それは知らなかったな・・・」
「花立さん、詳しい病名は分かりませんが薬の中には睡眠薬もあったように見えました。最近なのでベンゾジアゼピン系だと思いますが、それでも過剰な摂取は副作用もあります。きちんとお嬢さんに分かって頂きたい」
「何その呪文みたいな話」
2階からルイが下りてきて酒を見つけるなりテーブルに飛んできた。
「ルイさんも一緒にいかがですか?」
「きゃぁ! いいんですか?」
「私一人じゃ飲みきれないしね」
上機嫌で自分のグラスを取りに行きドンと勢いよくテーブルに置いた。月桂は真面目な話をしていたのに邪魔が入り内心穏やかではなかった。そんな月桂の様子に気が付いたのかグラスに酒をそそぎながら君孝は話した。
「ああ、悪かったね。どうも美玖は私に話たがらないんだ。心配や迷惑をかけるのを極端に嫌がるふしがあってね。情けないことに発作のことも初めて聞いたよ」
まさか・・・と月桂は驚いたが、君孝は嘘をついてるようには見えなかった。美玖が発作のとき一人で苦しみ薬に頼っていたのかと思うと何ともいえない気持ちになった。
グラスを傾けると透明な日本酒が照明に合わせてキラリと輝いた。
「さ、飲もうか、純米大吟醸だ。ルイさんは日本酒も飲めるのかい?」
「なんでも!」
月桂は君孝に何か言おうとしたが、ルイと君孝の和やかな雰囲気を見ていると何も言えなくなった。頂きますと言うとグラスの日本酒を一息で飲み干した。
華やかなフルーツを思わせる優雅な香り、まろやかな口当たり、透明感の溢れる風味。これは上物だな、と月桂は舌鼓を打った。
「いい飲みっぷりだ! 吾妻さんは酒好きだろう?」
「人並みにたしなむ程度です」
そうか、と笑いながら酒をつぐとルイのグラスも空になったのでつぐことにした。君孝のペースは普通だったが月桂とルイは水のように次々と飲んでいった。数分もしないうちに空になったので、君孝は他の酒を持ってきた。
「もらいものが沢山あってね。飲んでくれるかい?」
月桂はともかく、ルイまでよく飲むのでたまった酒を消費するチャンスとばかりに次々と酒を出してきた。二人が上機嫌で飲んでくれるので君孝は一層嬉しかった。
「吾妻さん、この前のシュークリーム美味しかったわ」
「シュークリーム?」
「そ! 美玖ちゃんと吾妻さんがデザートにってシュークリーム作ってくれたの! この顔でっ!」
ルイはビッと人差し指を月桂に向けると噴き出して笑った。普段だったら、月桂を恐がって話しかけようともしなかったが酔って上機嫌だったためつい本音が出てしまった。事実シュークリームのお礼もなかなか言えなかったのだ。
何とも失礼な態度に君孝は苦笑したが月桂は別段気にせず飲み続けた。
「・・・お嬢さんが作りたいと言いまして。菓子作りは経験ないというので簡単なクッキーやプリンをすすめたのですが、どうしてもシュークリームが作りたいと。自分も勝手が分からず苦労しましたが・・・なんとか出来て安心しました」
「あははは! その顔でクッキーとかプリンとかっ! お腹痛い・・・アハハハ」
豪快にテーブルをバンバンと叩き嬉しそうにルイは笑った。いかつい月桂から可愛いスイーツの名前が出てくるとあまりの違和感でおかしくなってしまった。横目でチラとルイを見ると月桂もニタリと口角を上げた。
「自分でも似合わないと思います。組のものが聞いたら何と言われるか」
組?と疑問に思ったが、最初から思っていたことだったので、今さらどうしたと思ってルイは次のお酒を飲み始めた。
「吾妻さん恋人いるんですか? もう結婚してるとか?」
ルイの話題の切り替わりの早さと、唐突な質問に月桂はしばらく黙った。
「いえ・・・いませんが」
「どうして?」
どうしてと質問されても困ったものだと月桂は思った。この女は結婚してない人間にいつもこんなことを聞くのだろうか、と考えてみた。
「ルイさん、あなたは?」
「今はいないわ」
「どうしてです?」
さっきのお返しとばかりに月桂は聞き返したが、ルイの答えは明確だった。
「彼氏が浮気したの。昨日別れた。だから今はいないわ」
さっぱり答えると、急に思い出したのかグイと一気に残りの酒を飲みほした。飲みすぎでは、と心配する君孝に向かってルイは聞いた。
「君孝さんは結婚しないんですか?」
「うーん・・・いい人がいればね」
「知ってるんですよー生徒さんにモテモテなんですって?」
「皆、からかって楽しんでるんですよ」
「そうかしらーあたしも先生はとっても魅力的だと思いますよ」
そう言うと、トロンとした表情で君孝を見た。完全に酔っぱらってるな、と君孝は苦笑した。
「それに今は仕事が忙しいからね」
「美玖ちゃん来たあたりから急に忙しくなったみたい。何か関係あるんですか?」
グラスの周りの水滴を指でツイとなぞりながらルイは何気なく聞いた。君孝はしばらく思案した後、ゆっくりと話し始めた。
「・・・・・・そうだね。今までは一人だったから、割と仕事を選んでいたんだ。自分の創作の時間も欲しかったしね。でも、美玖を受け入れるってことは養うってことだから。やっぱりお金だってかかる。ああ、吾妻さんは知らなかったかな。私は絵描きなんですよ。もちろん、それだけで食べていける程売れてはいないので大学の講師や絵画教室などで生計を立てているんですよ」
月桂は静かに頷いた。
「だけど今は仕事の選り好みはしない。もし私がお金に困ってるところを美玖に見られたら、きっと・・・あの子は迷惑をかけてると思って自分を責めるだろうね。それじゃなくても、高校に進学しないで働くって言うんだよ」
「・・・え? 本当に?」
「あの子は冗談をいう子じゃないよ。私は、高校だって・・・望むなら大学だって行かせてあげたい。でも、そんな普通の事を美玖は望んでいけないと思ってるのかもしれない。それとも、私が頼りないからだろうか?」
「そんな事ないですよ・・・」
「もっと身近な大人に甘えてもいい年頃だろうに・・・ああ、でも吾妻さんとルイさんには少し甘えてるかな」
「ん~どうかなぁ? あたしはもっと美玖ちゃんに頼ってもらいたいけど。やっぱ遠慮されてるかなぁ・・・」
ルイは少し悲しそうな顔をすると、月桂の顔をじっと見た。相当な量の酒を飲んだにもかかわらず、月桂の顔色は少しも変わっていなかった。
「吾妻さんは、意外と頼られてるみたい。甘えてはいないけど」
「そうでしょうか?」
「そうよ! よく一緒にキッチンで料理してるし、通学だって最近一緒にしてるじゃない。そういえば、何で一緒に行くことにしたの?」
にやにやと月桂に向け、おどけた様子でルイはたずねた。
「送迎しているだけです。自分が提案しました」
「ふーん・・・・・・ロリコンじゃないわよね?」
じろりと目線だけをルイに向けた。無言の怒りの表れに「冗談よ」と返事をし、ぼおと遠くを眺めた。
「美玖ちゃんに手を出しちゃだめよ」
「・・・出しません。20も歳が離れてるんですよ? ルイさん、冗談は控えた方が身のためです」
語気荒くなった月桂に、君孝は慌てて肩をつかんだ。
「吾妻さん、すみません。ルイさんも、失礼なこと言ってはいけないよ」
つまらなそうに息を吐くと、ルイは髪の毛をいじりながら呟いた。
「あたしだって・・・美玖ちゃんに頼られたい。甘えられたい。だって、あんなに可愛いんだもん。吾妻さんばっかりズルイわ。ファッション関係の学校行ってるからさ、人を見るとこんなイメージ、こんな服似合うって考えるのよ。私はね、美玖ちゃん
に着せたい服がいっぱいあるのよ。フリルのメイドエプロンにロリータ風ドレス! あと浴衣に大きい深紅のリボンをつけて髪も結って一緒にお祭りとか行きたいの! でもあの子、外出したがらないから・・・見せつけたいのに・・・ううん、家の中だっていいの。姉妹みたいにキャッキャ言いながら・・・写真撮ったりして・・・分かる?」
「・・・分かりかねます」
「なによ、その汚いものを見るような目つき! どうせ吾妻さんには分かりませんよ。美玖ちゃんと一緒にいる時間が長いから美玖ちゃんのありがたみが分からないんだわ。あの流れるような綺麗な黒髪なびかせて上目づかいで照れたように笑うのよ。詐欺か! っていう位可愛いのよ。本当に分からないの?」
「いえ・・・小さくて愛らしい・・・とは思いますが」
ルイのよく分からない熱弁に月桂は戸惑い、自分でも言いなれないことを言ったので顔をしかめて不機嫌そうな顔になった。
「ふふん。分かればいいのよ。愛らしいって言ったわね。覚えておくわ」
「いえ、とっとと忘れてください」
「愛らしいってことは、愛くるしい、愛おしい、可愛い、抱きしめたくなるってことよね」
何を言ってるのか?と怪訝そうな顔をしたが、ルイは自分の世界に入りきっていた。二人のやり取りをハラハラしながら君孝は見ていた。
「明日、柳と隼に教えてあげよーっと。吾妻さんが昨日、美玖ちゃんのことを愛くるしくて抱きしめたいって言ってたって」
ガタッと勢いよく月桂がイスから立ち上がったので、君孝は驚いて月桂を見た。静かな怒りをたたえながら立ち勇む姿はかなりの迫力だった。
「ふふ。そんなに慌てて・・・吾妻さんの弱点が二人にあるってのは薄々分かってたのよ。特に隼だと思うけど。ま、柳がこのこと聞いたら面白くないだろうなー怒るかなー・・・だって、柳って絶対美玖ちゃんの事好きよね?」
きゃらきゃらと笑いながらルイは机に突っ伏した。かなり泥酔した様子だった。呆れて月桂はイスに座りなおした。
「冗談が過ぎます」
「うふふ。ごめんなさい。嫉妬してたの。嫌味の一つくらい言わせてよ・・・」
そう言うとルイは瞼を閉じた。言いたいだけ言って寝ようとするルイに月桂は心底振り回された気がした。せっかく旨い酒の席を台無しにされ、二度とこの女と酒を飲むものかと月桂は誓いを立てた。
「いや・・・本当に申し訳なかったね。そろそろ寝ますか。もうこんな時間だ」
遠慮ぎみに君孝が言うので時計を見るとすでに3時を回ろうとしていた。机の上とキッチンには三人で飲んだ酒のビンがちょうど十本あった。月桂は机の上のグラスを手に取り君孝に話しかけた。
「こちらこそ、声を荒げて申し訳ありません。片づけておきますので先に御休みください」
「悪いね、頼むよ。ルイさん、こんなところで寝ると風邪をひきますよ」
君孝の声が聞こえたようで、顔を上げず手だけ振ってバイバイするとクタンと音をたてて手をテーブルに投げ出した。困った様子の君孝に月桂は声をかけた。
「後片付けはしますので。どうぞ御休みください」
ジロリとルイを見ながら言うので、後片付けのうちにルイは入るのだと理解し、先に休むことにした。多少冷たい物言いだったが先ほどの発言で怒ってるのだろうと仕方なく思った。それでも、寝ている女性に何かするような人物ではないと信用していたので素直にまかせることにした。
「じゃあ、おやすみ」
月桂は軽く頭を下げた。