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エルフリートとロスヴィータは笑いが収まると、どちらからともなしに離れて仕事に戻る。ロスヴィータはエルフリートが考えている以上に己を持った人間だったせいで、エルフリートが相談に乗れる内容はほとんどなかった。
想像していたものとは違う結果に終わってしまった。その代わり、ロスヴィータとは素敵な時間を過ごす事ができたと言える。短いふれあいだったが、エルフリートはそれだけで十分だった。
普段、ロスヴィータの膝の上に乗せてもらう事の方が多いエルフリートだったが、今日は珍しく乗せる側だった。それが大きいのかもしれない。エルフリートは浮ついた気持ちのまま、バルティルデが作った書類を見つめる。
最後の最後で誤字を見つけてしまい、そこに修正を書き込んだ。
「二人とも! 相談があるんだけど!」
ばたん、と大きな音を立てて扉が壁にぶつかった。開け放たれたそこには、バルティルデが「あ」という表情で伸ばした自分の両手を見つめている。
「ごめん、ちょっと力加減間違えた」
「扉が壊れなかっただけ良いとしよう……本当に壊れていないよな?」
エルフリートは苦笑するロスヴィータの代わりに扉と壁の様子を見に立ち上がる。扉が壁にぶつからないようにする為の工夫はしていない。ぶつかる時が来たら、ぶつかるしかないのだ。
まずは扉の取っ手を確認した。取っ手自体が歪んでいるわけでもない。壁に取っ手はめり込んでいないし、大丈夫そうだ。
あとは蝶番が壊れていないか。エルフリートは扉の隙間を覗き込み、蝶番に使用されている部品が外れかかってはいないか、蝶番本体が歪んでいないかを確認する。扉は壁と並行を維持しているのも目視ではあるがチェックする。
「うん、大丈夫みたい」
「それは良かった」
「助かった!」
エルフリートの「無事」宣言に息を吐いて座り直したのはロスヴィータで、天を仰いで喜んだのはバルティルデだった。二人のほっとし方がそれぞれの性格を示しているようで面白い。エルフリートは二人にばれないように小さく笑う。
「バティはもう少し落ち着いてくれると助かる。その怪力は大剣を振り回して国民を守る為にあるのであって、扉を破壊する為にあるわけではないからな」
「ああ、まあこんなに慌てる事なんて滅多にないから多めに見てよ。それより、大変なんだ」
相談がある、大変だ、と来れば嫌な予感しかしない。それはロスヴィータも同じだったらしく、彼女は眉間にしわを寄せて机を指先で叩いた。
「……話を聞こう」
「助かる!」
バルティルデはロスヴィータのデスクの前に立つと、単刀直入に要件を切り出した。
「子供を連れてここに出勤したいのさ。というか、子供と一緒に寮で過ごしたい」
家にいたくないとも取れる彼女の発言に、ロスヴィータの背後という体位置についたエルフリートはおや、と思う。
「……家で何かあったのか?」
「ああ、例の流感に夫がかかっちゃって。子供は体力がないから、感染する前に避難させたいんだ」
普通の人よりも体力があるはずの新人女性騎士も苦しんでいた病気である。確かに子供がかかったらひとたまりもないだろうと簡単に想像がつく。
「そういう事ならば、許可を出そう」
ロスヴィータは大きく頷いた。
「寮にはまだ部屋が余っていたはずだ。部屋の空き室がないようなら私の部屋を貸しても良い。いずれにしろ心配はいらない」
ロスヴィータの表情は分からないが、きっとバルティルデを安心させるように微笑んでいるに違いない。バルティルデの表情が明るくなるのを見たエルフリートはそう確信する。
「ありがとう! 早速連れてくるよ」
「ああ。そうした方が良い。その間に手続きなどの準備は進めておこう」
「慌てて事故とか起こさないでね。気をつけていってらっしゃい!」
「ありがとう、二人とも」
バルティルデはそう言うなり、駆け出す勢いで背を向けて去っていった。この様子なら、そう時間をかけずに戻ってきそうだ。エルフリートとロスヴィータは顔を見合わせて頷き合うと、ほぼ同時に口を開いた。
「手続きを頼む」
「手続きしてくるよ」
同じ事を考えていたと分かり、二人は小さく吹き出した。
「ふふっ、同じだったね!」
「はは、まあ……これは悪い事ではないな。むしろ良い事だ。頼めるか?」
「もちろん!」
エルフリートは開け放たれたままになっていた扉に手を添えて振り向いた。
「万が一駄目だった時は、ロスの部屋を使わせる――で、本当に良いんだね?」
部屋を貸しても良いというのは、さすがに対応としてはやりすぎではないかと思っていたからだったが、その疑問はすぐに解消した。
「ああ、構わない。最近は寮を使わない日も少なくないから……少しくらいなら、あの部屋を譲って家から通っても構わないしな」
ロスヴィータが言う通り、彼女は結婚式の準備などで帰宅する事が増えている。寮に戻ってこない事もしばしばあり、それはエルフリートも把握していた。
書類に目を落とした彼女は、既に書類の方に集中してしまっている。彼女の様子を見て、エルフリートはそれ以上何も言う事はなく寮の手続きをしに向かうのだった。




