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平和な朝食の時間を過ごしたロスヴィータは、エルフリートたちに見送られて帰路に着いた。バルティルデ親子に寮の部屋を貸したロスヴィータが戻る場所は、実家である。
勤務場所のすぐ側である寮と違い、ロスヴィータの実家は距離がある。ロスヴィータは馬に乗って移動していた。
夜勤明けだからだろうか。ロスヴィータの馬の蹄の音だけが響いている。普段は喧騒に包まれているところですら、人通りが少なくしんとしてる。
通りすがった新聞の配達員がロスヴィータを見て会釈する。ロスヴィータは手を軽くあげて頷いた。
今いるのは彼のように早朝に活動する職業の人間が主で、あとは日課をこなしているであろうランニング中の騎士くらいだった。
たまに、騎士とすれ違う。少し前まで、ロスヴィータも同じ事をしていたのだ。ロスヴィータが担当していた所ではないから引き継いだ騎士とすれ違う事はないが、勤務中の仲間を見るのは何となく新鮮だ。
「おっ、ロスじゃないか。もしかして夜勤明けか? お疲れ様」
気さくに話しかけてきたのは、アントニオと同じく隊長の任に就いているキーンだ。彼とは何度か訓練で組んだ事がある。
そういえば、キーンはガラナイツ国との戦争の時に先行してカリガート領へ向かった騎士の一人だった。決着が着くまでの間、大きな負傷もなかった。
ロスヴィータは戦争が終わった時の彼のやつれた顔を見てしまったから、今こうして陽気な笑顔を見せてくれている事を感慨深く思ってしまう。
「ああ。キーンは朝番か。早朝からありがとう」
「今日は晴れてるから楽だ。この前なんか土砂降りの中の警邏できつかったんだよな」
「天気はな……選べないから仕方がない。私だって、外回りの勤務はいい天気の日が良い」
キーンがロスヴィータの正直な言葉に大笑いする。彼の隣にいる警邏のパートナーの騎士もこらえきれずに吹き出した。
「みんな考える事は同じってわけだ」
「悪天候の時にこそ勤務したいって騎士は……ああ、一人だけ心当たりがあるぞ」
キーンの今日のパートナーはオリバーだ。そばかすが愛嬌を誘う顔立ちの彼が指を一本立ててにやりと笑う。
「ロスは誰だか分かるか?」
「……いや、すぐには思い浮かばないな」
恐らく女性騎士ではないだろう。となれば、交流する機会の少ない騎士の可能性もある。少なくとも、ロスヴィータの騎士生活の中で悪天候の時に嬉しそうにしている騎士を見かけた記憶はなかった。
「ヴィーカだ」
「ヴィーカ……」
ロスヴィータは聞き慣れない名前に首を傾げる。そんな騎士はいただろうか。虚空に視線を向け、ロスヴィータは頭の中の名簿を探る。
「あー、ヴィクトル・バウリンって名前なんだが、知ってるか?」
オリバーが「悪い、愛称じゃ分からないよな」と頭をさすりながら謝ってくる。ロスヴィータは首を横に振って気にしていないと答える。
正確な名前を聞かされたロスヴィータは改めて名簿を思い浮かべる。
「ヴィクトル・バウリン。――……バウリン……ああ、バウリンの名は聞いた事がある」
ヴィクトルの方は怪しいが、バウリンならば聞いた事がある。詩を書く男だったはずだ。飲み屋で歌を歌っている騎士がいるという噂も聞いた事がある。それがバウリンだったはずだ。
「確か……歌うたいのバウリン」
「それだ!」
やっぱり知っていたかという反応に、ロスヴィータは首を横に振った。
「悪いが、その呼び名しか知らないんだ」
「まあ、そうだよな。けど、彼は悪天候でも楽しそうに仕事してるから、今度見かけたら気にして観察すると良い」
「そうか。分かった。情報感謝する。仕事の邪魔をして悪かったな」
仕事の邪魔をした自覚があったロスヴィータは軽く謝罪する。
「いんや? そもそも俺が話しかけたんだし、その話を広げたのはこいつだ。ロスは何も悪くないぜ」
「そうそう。仕事を始めて早々ロスに会えたのが嬉しいくらいだ」
そう言って騎士二人が陽気に笑う。ロスヴィータは彼らと一緒に笑った。
「はは、それはそうだったな。警邏、引き続き頑張ってくれ。平穏無事な時間であるよう祈っている」
「ご利益ありそうだな」
「ありがとう、頑張るよ」
騎士二人が下げている剣の鞘を持って軽く上下させて“任せろ”の合図をする。ロスヴィータはそれに合わせ、自分も腰に手を伸ばして同じ合図を返した。
三人は互いに頷き合い、離れる。数分間の交流が終わる瞬間だった。
キーンとオリバーの二人と別れたロスヴィータは、少しずつ人が増えていく光景を楽しみながら家へ向かう。繰り返される日常の営みがそこにはある。ロスヴィータたち騎士は、この光景を守る為に日々過ごしているのだ。
天候に左右される事もなく、日夜を問わずに仕事が入る。それくらいならば、頑張れる人間は多いだろう。だが、騎士は職業柄、命の危険だってあるし、誰かの命を守る為に別の命を奪わなければならない事もある。
取り返しのつかない取捨選択を迫られる事だってある。自分の命や精神をすり減らしながら、職務に当たらざるを得ない場合がある。
それでも騎士をやめずにいるのは、ひとえにこの国に住む人々の笑顔を、何気なく過ぎていく生活を維持する為なのだ。
「今日も、皆が幸せな一日であると良い」
ロスヴィータは昔から変わらぬこの光景を見つめながら小さく呟くのだった。




