表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ほしのなまえをよぶとき

ショーウィンドウのいちばんまん中で、

そのぬいぐるみは、まるで宝石みたいに光ってみえた。


青いオオカミだった。

毛並みは星空みたいに深い青で、

灰の瞳は光を受けて、きらりと銀色に輝いていた。


「ねえ、お母さん。」


気がついたら、私はガラスに顔を近づけていた。


「これ。この子、ほしい。」


お母さんは少し困った顔をしてから、私の目と、青いオオカミを見くらべた。

それから、ふっと笑った。


「そんな顔されたら、しかたないわね。」


家に帰って、棚のいちばんいい場所に、青いオオカミをすわらせてあげた。

なんだか胸を張ったみたいに見える。


「名前が、いるよね。」


私はしばらく考えてから言った。


「シリウス。」


冬の夜空で、いちばん明るく光る星の名前だ。

シリウスは何も言わないけれど、うれしそうに見えた。



その夜だった。


「——ねえ」


私を呼ぶ声がして、目が覚めた。


暗い部屋の中で、なにか大きな影が動いている。

目を開けると、月明かりの中に青い大きなオオカミが立っていた。


ぬいぐるみじゃない。

私の背よりも高くて、毛並みは夜空そのものだった。でも……


「シ、シリウス……?」


そう言うと、オオカミは目をキラッと光らせて、やさしく笑った。


「うん。僕の名前だ。」


「こわがらなくていいよ。きて。君に、僕の友達を紹介したいんだ。」



気がつくと、私はシリウスの背に乗っていた。

窓は開いていないのに、ふわりと体が浮く。


夜空は、思っていたよりもずっと近かった。


星たちは、きらきらと瞬いている。


「まずは、ペテルギウス。」


赤く大きな星が、どっしりと光った。


「それから、プロキオン。ちょっとせっかちなんだ。」


白い星が、ぴかっと強く光って、また瞬いた。


星たちはみんな、名前を呼ばれるたびに、少しずつ輝きを増した。

私は胸がいっぱいになった。


「星の……友達がいるのね。」


「そうだよ。僕らは、名前を呼んでくれる人がいるから、光れるんだ。」


シリウスの声は、夜みたいに静かだった。



その日から毎晩、

私とシリウスは夜空で遊んだ。


シリウスには友達がたくさん居て、

毎日色んな友達を紹介してくれた。


ミルザム、フルド、アダラ、みんな名前を呼ぶ度に輝いて、私は星がもっと大好きになった。


夜が楽しみで、前よりうんと早く部屋に行くから、

お母さんがふしぎそうな顔をしていたくらいだ。



でも、ある夜。


ペテルギウスの光が、いつもより弱いことに気づいた。


「どうしたの?」


シリウスは、しばらく黙ってから言った。


「星はね、忘れられると、少しずつ暗くなるんだ。」


「地上で、名前を呼ぶ人がいなくなると、ここでも光れなくなるんだよ。」


私は夜空を見回した。

星はたくさんあるのに、名前を知っている星は、ほんの少しだ。


「ペテルギウス!」


私が名前を呼ぶと、星は一瞬だけ、ぱっと明るくなった。

でもすぐに、また元の弱い光に戻ってしまう。


「だめだ……」


私は胸がぎゅっとした。


「もっと呼べばいいの?」


「それだけじゃ、足りない」


シリウスは静かに言った。


「星は、名前といっしょに、思い出ももらってる」


「思い出……?」


「初めて名前を知ったときの驚きとか、

 寒い夜に見上げた空とか、

 きれいだなって思った気持ち」


私は考えた。

ペテルギウスを見たことが、あっただろうか。


——あった。


冬のはじめ、帰り道。

吐く息が白くて、手がかじかんでいた夜。

空を見上げたら、赤い星が、ぽつんと光っていた。


「さみしそうだな、って思った。」


私は、ペテルギウスに向かって言った。


「でも、あったかそうだな、とも思ったの。」


すると、ペテルギウスの光が、ゆっくりと広がった。


赤い光が、じんわりと、夜空ににじむ。


「いいよ、その調子。」


シリウスの声が、少しだけ弾んだ。


私は、思い出せるかぎりのことを話した。


寒い夜のこと、赤い色が、火みたいだったこと、

ひとりじゃなかった気がしたこと。


そのたびに、ペテルギウスは、少しずつ、少しずつ、明るくなった。


でも——


急に、風が吹いたみたいに、光が揺れた。


「……もう、時間だ。」


シリウスが言った。


「え?」


「これ以上は、君の夜が減ってしまう。」


私は、意味がわからなかった。


「君が星を思うほど、

 君は、ここじゃなくて、地上にいるべきなんだ。」


ペテルギウスは、さっきよりは明るい。

でも、前みたいには戻っていない。


「全部は、なおせないの?明日また来れる?あさっては?」


シリウスはだまったまま、首をふる。

胸の奥が、じんじんと痛くなる。


シリウスは、そのまま私を見ていた。


その灰色の瞳に、星の光が映っている。


「ねえ」


私は、シリウスの毛をぎゅっとつかんだ。


「私、もっと覚えるよ。

 星の名前も、思い出も、ぜんぶ」


「だから……」


言葉のつづきが、うまく出てこなかった。


しばらくして、シリウスは、ゆっくりと口をひらいた。


「君は、もう十分だよ。それ以上やると、君の夜が、星のものになってしまう。

 ……それは、だめなんだ。」


「どうして?」


「君は、地上で生きる子だから。」


その声は、やさしくて、少しだけ遠かった。


「夜空は、いつでも戻ってこれる。

 でも、子どもの夜は、今しかない。」


星の光が、さっきよりも静かになっている。

ペテルギウスは、かすかに、赤く光っていた。


「だから、僕が戻る」


シリウスは、そう言った。


「僕は、形をもらった星なんだ。

 地上と夜空を、つなぐ役目。」


「君が名前を呼ぶかぎり、

 僕も、あの星たちも、消えない。」


私は、シリウスの背に顔をうずめた。


「……また、会える?」


「うん。」


すぐに返事が返ってきた。


「夜空を見て、名前を呼んでくれたら」


「それだけで、ちゃんと、ここにいる」




部屋に戻ると、青いオオカミは、また小さなぬいぐるみになっていた。


棚のいちばんいい場所に、ちょこんとすわっている。

でも、触ると、ほんのりあたたかかった。


それから私は、夜が来るのを、少しだけ、ゆっくり待つようになった。


眠る前、窓を開けて、空を見る。


「シリウス」


小さく、名前を呼ぶ。星は何も言わない。


でも、その夜。

私は、もうひとつの名前も、そっと口にした。


「……ペテルギウス。」


すると、夜空の中で、

赤い星が、ほんの一瞬だけ——

前よりも強く、あたたかく光った。


私は、胸の奥が、ふわっと明るくなるのを感じた。


「よかったね」


返事はない。

でも、赤い光は、しばらく消えずに、そこにあった。


棚の上の青いオオカミは、今日も誇らしげにすわっている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ