表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ほしのなまえをよぶとき

掲載日:2025/12/24

ショーウィンドウのいちばんまん中で、

そのぬいぐるみは、まるで宝石みたいに光ってみえた。


青いオオカミだった。

毛並みは星空みたいに深い青で、

灰の瞳は光を受けて、きらりと銀色に輝いていた。


「ねえ、お母さん。」


気がついたら、私はガラスに顔を近づけていた。


「これ。この子、ほしい。」


お母さんは少し困った顔をしてから、私の目と、青いオオカミを見くらべた。

それから、ふっと笑った。


「そんな顔されたら、しかたないわね。」


家に帰って、棚のいちばんいい場所に、青いオオカミをすわらせてあげた。

なんだか胸を張ったみたいに見える。


「名前が、いるよね。」


私はしばらく考えてから言った。


「シリウス。」


冬の夜空で、いちばん明るく光る星の名前だ。

シリウスは何も言わないけれど、うれしそうに見えた。



その夜だった。


「——ねえ」


私を呼ぶ声がして、目が覚めた。


暗い部屋の中で、なにか大きな影が動いている。

目を開けると、月明かりの中に青い大きなオオカミが立っていた。


ぬいぐるみじゃない。

私の背よりも高くて、毛並みは夜空そのものだった。でも……


「シ、シリウス……?」


そう言うと、オオカミは目をキラッと光らせて、やさしく笑った。


「うん。僕の名前だ。」


「こわがらなくていいよ。きて。君に、僕の友達を紹介したいんだ。」



気がつくと、私はシリウスの背に乗っていた。

窓は開いていないのに、ふわりと体が浮く。


夜空は、思っていたよりもずっと近かった。


星たちは、きらきらと瞬いている。


「まずは、ペテルギウス。」


赤く大きな星が、どっしりと光った。


「それから、プロキオン。ちょっとせっかちなんだ。」


白い星が、ぴかっと強く光って、また瞬いた。


星たちはみんな、名前を呼ばれるたびに、少しずつ輝きを増した。

私は胸がいっぱいになった。


「星の……友達がいるのね。」


「そうだよ。僕らは、名前を呼んでくれる人がいるから、光れるんだ。」


シリウスの声は、夜みたいに静かだった。



その日から毎晩、

私とシリウスは夜空で遊んだ。


シリウスには友達がたくさん居て、

毎日色んな友達を紹介してくれた。


ミルザム、フルド、アダラ、みんな名前を呼ぶ度に輝いて、私は星がもっと大好きになった。


夜が楽しみで、前よりうんと早く部屋に行くから、

お母さんがふしぎそうな顔をしていたくらいだ。



でも、ある夜。


ペテルギウスの光が、いつもより弱いことに気づいた。


「どうしたの?」


シリウスは、しばらく黙ってから言った。


「星はね、忘れられると、少しずつ暗くなるんだ。」


「地上で、名前を呼ぶ人がいなくなると、ここでも光れなくなるんだよ。」


私は夜空を見回した。

星はたくさんあるのに、名前を知っている星は、ほんの少しだ。


「ペテルギウス!」


私が名前を呼ぶと、星は一瞬だけ、ぱっと明るくなった。

でもすぐに、また元の弱い光に戻ってしまう。


「だめだ……」


私は胸がぎゅっとした。


「もっと呼べばいいの?」


「それだけじゃ、足りない」


シリウスは静かに言った。


「星は、名前といっしょに、思い出ももらってる」


「思い出……?」


「初めて名前を知ったときの驚きとか、

 寒い夜に見上げた空とか、

 きれいだなって思った気持ち」


私は考えた。

ペテルギウスを見たことが、あっただろうか。


——あった。


冬のはじめ、帰り道。

吐く息が白くて、手がかじかんでいた夜。

空を見上げたら、赤い星が、ぽつんと光っていた。


「さみしそうだな、って思った。」


私は、ペテルギウスに向かって言った。


「でも、あったかそうだな、とも思ったの。」


すると、ペテルギウスの光が、ゆっくりと広がった。


赤い光が、じんわりと、夜空ににじむ。


「いいよ、その調子。」


シリウスの声が、少しだけ弾んだ。


私は、思い出せるかぎりのことを話した。


寒い夜のこと、赤い色が、火みたいだったこと、

ひとりじゃなかった気がしたこと。


そのたびに、ペテルギウスは、少しずつ、少しずつ、明るくなった。


でも——


急に、風が吹いたみたいに、光が揺れた。


「……もう、時間だ。」


シリウスが言った。


「え?」


「これ以上は、君の夜が減ってしまう。」


私は、意味がわからなかった。


「君が星を思うほど、

 君は、ここじゃなくて、地上にいるべきなんだ。」


ペテルギウスは、さっきよりは明るい。

でも、前みたいには戻っていない。


「全部は、なおせないの?明日また来れる?あさっては?」


シリウスはだまったまま、首をふる。

胸の奥が、じんじんと痛くなる。


シリウスは、そのまま私を見ていた。


その灰色の瞳に、星の光が映っている。


「ねえ」


私は、シリウスの毛をぎゅっとつかんだ。


「私、もっと覚えるよ。

 星の名前も、思い出も、ぜんぶ」


「だから……」


言葉のつづきが、うまく出てこなかった。


しばらくして、シリウスは、ゆっくりと口をひらいた。


「君は、もう十分だよ。それ以上やると、君の夜が、星のものになってしまう。

 ……それは、だめなんだ。」


「どうして?」


「君は、地上で生きる子だから。」


その声は、やさしくて、少しだけ遠かった。


「夜空は、いつでも戻ってこれる。

 でも、子どもの夜は、今しかない。」


星の光が、さっきよりも静かになっている。

ペテルギウスは、かすかに、赤く光っていた。


「だから、僕が戻る」


シリウスは、そう言った。


「僕は、形をもらった星なんだ。

 地上と夜空を、つなぐ役目。」


「君が名前を呼ぶかぎり、

 僕も、あの星たちも、消えない。」


私は、シリウスの背に顔をうずめた。


「……また、会える?」


「うん。」


すぐに返事が返ってきた。


「夜空を見て、名前を呼んでくれたら」


「それだけで、ちゃんと、ここにいる」




部屋に戻ると、青いオオカミは、また小さなぬいぐるみになっていた。


棚のいちばんいい場所に、ちょこんとすわっている。

でも、触ると、ほんのりあたたかかった。


それから私は、夜が来るのを、少しだけ、ゆっくり待つようになった。


眠る前、窓を開けて、空を見る。


「シリウス」


小さく、名前を呼ぶ。星は何も言わない。


でも、その夜。

私は、もうひとつの名前も、そっと口にした。


「……ペテルギウス。」


すると、夜空の中で、

赤い星が、ほんの一瞬だけ——

前よりも強く、あたたかく光った。


私は、胸の奥が、ふわっと明るくなるのを感じた。


「よかったね」


返事はない。

でも、赤い光は、しばらく消えずに、そこにあった。


棚の上の青いオオカミは、今日も誇らしげにすわっている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ