行くぞ赤パンマン
1.プロローグ
近藤翔太は子供時代に大人しい、泣き虫な子だった。よく近所のガキ大将にいじめられて、泣いて帰宅することも度々だった。弱いくせに正義感だけは強かったが、ガキ大将に逆らったのがいけなかった。その結果、彼に目の敵にされていた。当時、折り紙を折ったり、漫画を描いたりすることが好きで、それから中学、高校と美術の成績は良かった。それと、女流俳人の母親の影響で、翔太は俳句も詠んでいた。当時の句を一句挙げる。
鬼ごっこ母の呼ぶ声日脚伸ぶ(徹斎句)
徹斎というのは、母親の考えた彼の俳号である。しかし、翔太は大人になっても、うだつの上がらない一生を送るのだろうなあと、漠然と考えていた。ところが、意外な展開が待っていようとは、その頃の翔太には想像もつかなかった。
2.翔太の大学生活
翔太は大学として、美大の漫画科に進学した。そして、漫画同好会に入ろうと、初会合の日に指定の教室に行くと、彼と同じクラスの白石麻奈も来ていた。その時、麻奈が声をかけてきた。
「近藤君、ここの席が空いているわよ」
と言って、隣の席を指差す。
「やあ、白石さんも漫画同好会に入るの。宜しく」
「こちらこそ宜しく。私のことは麻奈と呼んでね」
「分かった。麻奈さん、それじゃあ、僕のことは翔太と呼んで下さい」
「翔太君、後で漫画の話をしたいから、これが終わったら喫茶店に行かない」
「いいですよ」
麻奈は勝ち気な性格で、自分の思い通りにするのが好きだったので、大人しそうで気立てもやさしそうな翔太に興味があった。喫茶店に彼女から誘われたことで、早くも彼は麻奈にリードされていた。その後、二人は個人的な付き合いを続けるようになり、一緒に同好会活動にも熱心に取り組んでいった。
話を初会合の時に戻すと、同好会の活動内容の紹介と共に、新歓コンパの話も出る。その話に、麻奈は嬉しそうだったが、翔太は浮かない顔付きだった。そして新歓コンパの当日、最初にジョッキの生ビールで乾杯した。翔太は付き合いで一口だけ飲んだが、それだけで顔は赤くなり酔ってしまった。隣席の麻奈は驚いて、彼に話しかける。
「翔太君、大丈夫?お酒は駄目みたいね」
「うん、酒は弱くて」
彼が苦しそうだったので、気を利かせて彼女は、
「翔太君、私の膝枕で少し横になってなさい」
と勧める。彼は素直に従い、横になる。麻奈は彼の横顔を見ながら、悪い気はしなかった。それ以後、彼女が酒席で一緒の時は、翔太にソフトドリンクにしなさいと指示していた。
翔太は酒に弱いだけでなく、生来気も弱くお人好しだった。そんな彼のエピソードを記しておく。ある日のこと、大学キャンパスを歩いていた彼が、建物の角に差し掛かった。すると向こうから女性が駆けてきて、出会い頭にぶつかってしまい、その女性が持っていた建築模型を壊してしまった。その女性がこう言う。
「何するのよ。大事な建築模型が壊れちゃったじゃない。弁償してよ。材料費として、三千円頂戴」
そう言われた翔太は、言われるがままにこう応じる。
「すみませんでした。おっしゃる通りに弁償致します」
そして、相手の要求額のお金を渡してしまった。争い事を好まない彼は、一事が万事この調子だった。それでいて、正義感の強い所もあり、矛盾した存在だった。例えば、こんなことがあった。ある晩盛り場を彼が歩いていると、路地で女性の悲鳴が聞こえた。翔太が路地に入っていくと、三人の男性が一人の女性を痛め付けていた。彼が、
「やめて下さい。女性に暴力を振るうのは男らしくありませんよ」
と止めに入ると、振り向いた男達が口々に、
「何だ、この野郎は。痛い目に合わせてやれ」
と言いながら、彼に襲いかかった。簡単にやられてしまい、気を失う。それから気が付くと、誰もいなくなっていた。翔太はトボトボと、痛む体を支えながら家路についた。
こんな翔太であるが、漫画の才能は確かで、四コマ漫画が得意だった。彼は、漫画家のいしいひさいちと東海林さだおを敬愛していた。いしいひさいちは、初期の頃野球四コマ漫画を得意としていたが、一般新聞に連載するようになって、そのオールラウンドプレーヤー振りが、翔太は称賛に値すると考えていた。一方、東海林さだおは、その軽妙洒脱さが際立ち、文筆家としてもその滑稽さは、比類無きものと翔太は捉えていた。翔太に言わせると、この二人は四コマ漫画界の双璧であった。翔太にとって、連載の長編漫画を文学における長編小説に例えると、四コマ漫画は短歌か俳句に当たると思えた。どちらも極短い定型の中に、その意図を全て盛り込む点が似ていると、翔太は感じていた。彼は四コマ漫画を、漫画の俳句と呼んでいた。
翔太の四コマ漫画の話に戻ると、彼は起承転結の展開が上手く、又最後の落ちが効いている作品が多かった。その一例を挙げる。
(一コマ目)友達AとBが、ここにしようかとパチンコ店に入る。
(二コマ目)二人共負けて、店を出て別れる。
(三コマ目)Aが、どうもあいつと来ると出ないなと、引き返す。
(四コマ目)Bが先に一人で座って、パチンコをしている。
こんな四コマ漫画を、同好会活動として翔太は描いていたが、将来もプロの漫画家になりたいと思っていた。というのも、大人しい翔太は、人を出し抜くことなど苦手で、競走社会に身を置く会社勤めは、自分に向いてないだろうから、普通の就職は諦めていた。
3.翔太の大変身
ある晩、麻奈が誘って翔太と居酒屋に入る。彼女は梅酒サワーを注文したが、例によって翔太はオレンジジュースにする。飲食しながら二人が話していた時。テーブル上に一匹のクモが這い出てきた。それを見た翔太は、
「ヒャー、助けて」
と飛びのく。彼のあまりの気の弱さに、少しは気が強くなるかもと期待して、麻奈は彼に梅酒サワーを差し出し、
「翔太君、これを一口飲んでみなさい。少しは気強くなるかもしれないから」
と勧める。それを仕方なく一口飲んだ彼は、顔付きがキッと引き締まり、目がらんらんと輝いていた。そして、叫んだ。
「こいつ、死ね」
と、素手でクモを叩き潰した。その変貌振りに驚いた麻奈は、梅酒サワーをもう一口勧める。それを一口飲んだ翔太は、腕をまくり大きな力こぶを、作って見せて、
「何でもかかってこい。やっつけてやる」
と豪語する。そして、勢いの止まらない彼は店を出ると、
「麻奈、今夜うちに来て泊まっていけ」
と言い出した。これには驚き、自分のリードでないのが彼女には面白くなかったが、変身した時だけは従うかと気を取り直して、承諾する。そして翌朝に、翔太が、
「僕は梅酒サワーを飲むと、大変身出来るようだから、それに似合う勇ましいトランクスを作ってくれないか」
と頼んだ。それから麻奈は、プロボクサーが履くような光沢のあるトランクスを作ってあげた。それを試着した翔太は、見違えるように凛々しく、勇ましさを感じさせる容貌だった。しかし、しらふの時は相変わらず、大人しい気弱な態度で学生生活を送っていた。
4.怪力ヒーローのデビュー
四年生の冬のこと、忘年会シーズンとなり、翔太と麻奈は同好会の仲間数人と、居酒屋に入る。そこには、女子会のグループが居合わせた。その場に、町のチンピラ連中と思しき男達が、入って来た。そして、女子会の子達にちょっかいを出し始めた。既に酔っていた連中である。
「姉ちゃん、ちょっと付き合えよ。一緒に飲もう」
などと言って、女子達の手を引く。
「やめて下さい。誰か助けてえ〜」
と叫びながら、周囲に助けを求めた。見かねた麻奈が、
「今こそ出番よ、翔太」
と言うなり、彼に梅酒サワーをたっぷりと飲ませた。すると、筋肉がモリモリと盛り上がり、服が弾け飛んで真紅のトランクス姿となる。そして、チンピラ連中をつかんでは放り投げていった。
「この野郎、やっちまえ〜」
と、起き上がった男達が殴りかかってきたが、それをバッタバッタと殴り倒してしまう。麻奈が、
「赤パンマン、頑張れ〜」
と翔太に声をかけると、女子会の面々も、
「赤パンマン、頑張ってえ〜」
と応援する。その時、背後に倒れていた男が、赤パンマンを捕まえようと上半身を起こし、手を伸ばした。すると、その手が真紅のトランクスに掛かり、ずり下ろしてしまい、丸いお尻が剥き出しになってしまった。その時、
「キャア〜」
と、嬌声が湧き上がる。そして、一撃の下にその男を殴り倒すと、次から次へとチンピラ連中を店外に、放り出してしまった。一件落着である。正義の味方のヒーロー、怪力無双の赤パンマンのデビューの一夜であった。
その後、赤パンマンの翔太に魅せられた麻奈は、押しかけ女房よろしく、彼と同棲生活を始めた。既成事実を作られた翔太は、お人好しのところを見せて、彼女に、
「こうなった以上は、結婚しようよ」
とプロポーズする。麻奈は思惑通りに運んだことに気をよくして、
「ええ、いいわよ」
と、二つ返事で承知する。入籍は三学期のことだったが、卒業を控えて就職に関し、翔太は会社勤めを敬遠していた。彼女にも働いて貰って、アルバイトでもしながら、漫画家を目指すつもりで居た。
5.エピローグ
それ以後の三月のこと、麻奈は、彼が大変身した時の怪力無双振りを、放っておくのは惜しいと考え、私立探偵として活躍出来るのではと思い付いた。そして、翔太に事情を説明して、私立探偵事務所の開設を持ちかけた。彼女が助手として常に同行して、いざという時は、彼女のクーラーバッグに入れた缶入り梅酒サワーを彼に飲ませて、手助けしようという算段を考えていた。仕事のない時は、事務所で好きな四コマ漫画を描いていていいから、という約束で翔太に了承させた。四月に入り、小さな住居兼用の事務所を借りて、近藤探偵事務所を旗揚げした。かくして、赤パンマンの活躍の場が整った。インターネットのホームページを開設して、身辺警護、暴力対抗、怪力無双と謳って、広告を出す。事務所開設の一週間程のちのこと、初めての依頼の電話が入った。麻奈が応対する。
「分かりました。それでは、これからお伺い致します」
と応じて、電話を切る。そして、彼女は翔太に、
「仕事よ。行くわよ」
と声をかけるや、颯爽と事務所を後にする二人だった。行くぞ赤パンマン。
陽春に赤パン映えるヒーローと(徹斎句)
(完)




