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烙印の子  作者: あねむん
《第五章》
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[EP.5-9]守りたいもの

船倉は、先ほどの朝焼けの海とは別の世界だった。

灯りはない。

上の甲板の隙間から落ちてくるわずかな光だけが、檻の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせている。


板の隙間から潮の匂いが染み込み、船体の軋みが腹の底へじわりと伝わる。

その上を竜人たちの重い足音が行き来していた。


四人は一つの檻に押し込められている。

両手は縄で縛られ、動けるのは肩と指先だけだった。


波の音、軋む木材が船倉を埋める。

しばらくの沈黙のあと――


「……坊」


最初に口を開いたのはシレイだった。

苦虫でも噛んだような顔で言葉を絞り出す。


「俺のこと、助けてくれて……ありがと、よ」


短く言うとすぐに視線を逸らした。


「……だけどよ、お前はアリアの領主だ。俺のこと見捨ててでも――」


レイヴンは小さく笑った。


「……馬鹿だな、シレイ。 友達なら助けるのが普通だろ。 ……お前の言葉だったはずだ」

「そうじゃねぇよ!」


シレイの声が船倉の中で反響した。

格子を握る腕に力が入る。

縄がきしみ、骨ばった指が白くなった。


「お前はアリアの領主なんだ! お前ひとりの命じゃないんだ。

 もし……お前が死んだら……」


言葉がそこで詰まる。

フィレーナ動乱――戦火から逃れ、家族と流れ着き、迎え入れてくれた港町アリア。

そこで剣を振るい、飯を食い、仲間と夜を共にし、肩を並べて笑った。

その中にいた若き領主は、貴族らしく振る舞うことよりも民と共に立つことを選んだ男だった。


泥だらけで剣を振るう姿も、税の帳簿に頭を抱える姿も、港で子どもに腕相撲で負ける姿も――

そんな奴を、失わせるわけにはいかなかった。


レイヴンはしばらく黙っていたが、やがて小さく肩をすくめた。


「……すまない。確かに行き過ぎた行動だったかもしれない。

 けど、目の前で仲間を見捨てるほど、できた人間じゃない」


「ちっ……少しは自分の心配をしろって言ってんだよ」


それ以上、言葉は続かなかった。

そこで、ギーグがわざとらしく咳払いを一つした。


「まったく……こんな船倉で湿っぽい顔を並べるのも趣がないのう。

 そういえば、おヌシらはヒュムと竜人。 ……馴れ初めでも聞かせてくれんかの?」

「気色悪いこと聞いてくんなよ! こんな檻の中で話す話題か!?」


ギーグは肩をすくめた。


「それもそうじゃな。 落ち着いた時にでも聞かせてくれ」


セレンが小さく微笑む。


「そうですね、私も、レイヴンとシレイさんの出会いは気になります」


レイヴンも小さく頷いた。


「……そうだな。まずは、この状況を何とかしないとな」


先のこと。

それは、この状況から脱し、生き抜くこと。

仲間を解放すること。 そして――精霊との契約を止めること。

レイヴンはゆっくり口を開いた。


「……この船、いずれどこかの港に着くと言っていたな」

「きゃつら、そこで石のようなモノを取りに行け、と言っておったな」


セレンが頷く。


「それも、“命の保証はない”って言ってましたね……」

「場所の見当はつかないが、現状分かっているのはそれくらいだ」


レイヴンが静かに言うと、シレイがすぐに食ってかかった。


「まさか、馬鹿正直にあいつらの言い分飲むってのか?! 裏があるにきまってる!」

「なぁシレイ、ダルクたちの狙いが何か分かるか?」

「いや、分からねぇけどよ……」


「何かを取りに行かせる以上、価値がある物だ。 それを手に入れれば、交渉材料になる可能性もある」

「ダルクを侮ってるぜ、坊。 奴は自分のことしか考えない男だ。 捕虜の事情を聞くわけねぇ」


その言葉にセレンが静かに視線を向けた。


「……やけに、ダルクさんのことに詳しいんですね」


シレイは少しだけ黙り込んだ。 視線を天井へ向ける。


「まぁ、幼馴染だからな。 ガキの頃から一緒だった」

「……そう、だったのですね」


声が、ほんの少し沈んでいた。

時が二人を割いたのか。

それとも立場がそうさせたのか。


ダルクがシレイを呼び戻していた理由を、つい考えてしまう。

シレイはそれに気づいたのか、苦笑した。


「そんな悲しそうな顔すんなよ。 ……俺がフィレーナから離れたのが原因よ」

「あいつ、部下連れてたし出世してたっぽいな。 何となくそんな気がしてたがよ」


空気が重くなる前にシレイが話を切り替えた。


「あいつは軍人だが、同じヒトだ。 

 手柄さえダルクの前に差し出せば、話は変わる可能性もある……かもな。

 けど、坊がそんな危険なとこに行く理由はねぇ。 行くなら俺が行く!」

「ワシもこんな船倉で待ちとうないわい。 ワシもおヌシについていこう」

「私は……」


セレンが口を開きかけた瞬間、レイヴンの声が先に落ちた。


「セレン、君はだめだ」


その一言で、船倉の空気が止まる。

セレンは瞬きを一つして、ゆっくりとレイヴンを見た。


「……どうしてですか?」


声は穏やかだった。

責めるでも、怒るでもない。

ただ理由を知りたいという、静かな問いだった。


「俺は……これ以上の精霊との契約を止めたい。

 セレン、君は事が落ち着いたらエンデに戻れ。 戻ってマザーのそばにいてやってくれ」


セレンは黙っていた。

その沈黙を破ったのはシレイだった。


「……端折っててまったく分かんねぇぜ、坊」


ギーグも腕を組みゆっくり頷く。


「そもそも、セレン嬢の願いは自分が何者かを知る旅、じゃったの?

 闇のセイレイ様との契約を交わすことで、その先に求めるものがある、と――」


レイヴンは小さく頷いた。


「そして同時にこうも言った。 ”本来の姿に還る”と。 俺はその言葉を最初は深く考えなかった。

 だが……違う意味があると気づいた。

 あの言葉の意味は、セレンを媒介に別の存在が“還る”――

 つまり、セレンを生け贄となる可能性がある」


沈黙。

船体がぎしりと鳴る音だけが響く。

シレイがぽつりと漏らした。


「……おいおい。そんな話、初めて聞いたぞ。 それってつまり神様を生き返らせるってことなのか?」


ギーグは顎に手を当てた。


「なるほどの、 闇のセイレイ様との契約で仰った言葉はその意図とも捉えられる……。

 ワシはてっきり解放かと思っとったが……。 じゃがなぜ、今この時に打ち明けた?」

「シャドウ本人から聞いた。 奴ははっきり言った。 “セレンはフィーネ顕現のための器だ”と」


再び沈黙が落ちる。

その静けさの中でセレンが口を開いた。

胸元に指先を当てる。


「……私の身を案じてくれて、ありがとうございます。

 でも……もし、それが本当でも――私は、逃げません」


セレンは、まっすぐ彼を見ていた。


「私は……自分が何者か知りたいんです。 どうしてこの烙印が刻まれているのか。

 なぜ、私は捨てられたのかを。 ……生まれた意味を知ることは、誰にでも平等にあるべきです」


視線を逸らし、声が小さくなる。


「もし……この身が、フィーネ様復活のための器だとしても。 それが私の生きている意味なら――」

「安直に考えるな!」


レイヴンの声が鋭く響いた。


「そんな理由で自分を当てはめるな! 君はそんなことのために自分を捨てるのか?!

 君はセレンだ! 生きている人間だ! ならば強欲に、自分を持って生きろ!」


息を荒くしながら、言葉を続ける。


「君はフィーネ教のシスターだ。 マザーを慕い、人を思いやれる優しい心を持っている。

 それだけで、君は十分――」


セレンは静かに首を振った。


「でも、それだけです。 私は空っぽなんです。

 過去がないから……捨てられた私は空っぽなんです。

 マザーは愛をくれました。 教会も、私を受け入れてくれました。

 でも今は……その場所さえ、もうありません」


レイヴンの視線が落ちる。


「……それは、俺のせいだ。 俺が君を巻き込んだ。 だから――」


セレンはやさしく遮った。


「違います」


小さく微笑む。


「あなたがが心配してくれていること……ちゃんと分かっています。

 だから……あなたの言葉は忘れません。

 でも――それでも私は、自分の答えを探します」


沈黙。

波が船腹を打つ音が、ゆっくりと船倉に満ちていく。


レイヴンは何も言えなかった。

止めたい。

守りたい。

それでも――彼女の意思を折る言葉が見つからない。


セレンも、もう何も言わない。

ただ、同じ檻の中で静かに座っていた。


同じ船に乗りながら、それぞれ違う場所を見つめるように。

船倉は、再び静寂に包まれた。

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