[EP.5-5]願いと欲望と
夜半の第三フィーネ教会は、昼とはまるで別の顔をしていた。
音楽で満ちていた礼拝堂も、今は深い静寂に包まれている。
燭台の火だけが石壁を照らし、影がゆっくりと呼吸するように揺れていた。
レイヴン、シレイ、ギーグ、セレン。
四人は祭壇から少し距離を置いた場所に集まっていた。
レイヴンは一度、皆の顔を見渡してから静かに口を開いた。
「二日も寝込んでしまってすまない。 だけど、それまで看てくれてありがとう。
……シレイも、思いがけない形だったが合流できて助かった」
シレイは軽く笑い、肩をすくめる。
「はは、半分見捨てられたのかと思ってたがな!
俺もこんな所で再会するとは思わなかったがな。 これもフィーネ様の思し召しってやつかねぇ」
ギーグが腕を組み、低く唸る。
「しかし妙じゃの。
これだけの騒ぎを起こしておいて、2日の間もこの教会に捜索が入らんとは」
「ウィンダ城中で黒騎士と交戦した。
救国の盾が動かないはずがない。 それなのに、ここまで動きがないのは不自然だ」
その問いにセレンはすぐには答えなかった。
一瞬だけ視線を落とし、言葉を選ぶように間を置いてから静かに口を開く。
「……恐らくですが、捜索の優先順位が内側に集中していると思います」
「内側?」
「はい。 私たちは脱出手段がない状況で、フェイルーンの祠にあった転送紋を使って逃れました。
ハーピィ族から見れば、
ヒュムが城外へ逃げ切れる可能性は極めて低いと考えているのではないでしょうか?」
レイヴンが口を挟む。
「自分たちの庭だ。 半日あれば国内全域を洗えるはずだろう」
「広くて把握しきれてねぇんじゃねぇか? ……まぁ、詳しくは知らんがな」
セレンは少し困ったように首を振った。
「そこまでは分からないです……。
ただ、私たちがいるのはノルヴァンの中腹、第三フィーネ教会です。
ノルヴァン山岳全域を調べるにも時間が掛かるはず。
この場所に……教会に辿り着けたのも、きっとフィーネ様の導きだと信じています!」
「フィーネ……か」
レイヴンは小さく呟いた。
フィーネ教。
種族の違いを越えた共存、命の循環、死を終わりとしない死生観。
奇跡を約束する宗教ではなく、人が人として生きるための“姿勢”を説く教え。
そして魂は彼女のもとへ還るのだという。
具体的な教義を深く知っているわけではない。
だが彼女の教えがセレンのような信仰者がおり、少なからず救われている者がいるのも現実だ。
人はそこに救いを見るのだという。
信仰は希望だ。 しかし力を持たぬ弱者はいつも踏みにじられている。
現実には主にハーピィ族の人身売買はなくならず、
フィレーナとウィンダの戦争は、今も「起こるか否か」の瀬戸際にある。
それを押し留めているのは長年続けられてきた世界会合と、
教皇が場を取り繕ってきた政治的均衡に過ぎない。
だがその均衡も何十年も持つものではない。
対話が破綻すれば最後に残るのは武力だけだ。
レイヴンはフィーネ教を否定してはいない。
むしろその教義が人々に「生きる理由」や「踏みとどまるための希望」を
与えていることは理解している。
だが同時に思う。
祈る心と同じだけ、戦う覚悟もまた必要だと。
それは他者を傷つけるためではなく、自分と守るべきものを失わないための力だ。
フィーネ教は「希望」だ。
レイヴンにとって信仰とは、世界を救うものではない。
剣を取る理由を、忘れないための支えに過ぎなかった。
―――
顔を上げ静かに告げる。
「とにかく、ここに長居するのは得策じゃない。 今夜中にここを発とう」
「そうですね」
短く頷いたセレンの横顔を見て、ギーグはふと眉をひそめた。
「……のう、セレン。 精霊と契約してから身体に違和感はないかの?
息の乱れ、意識の混濁、あるいは――」
セレンは一瞬きょとんとし、それから小さく首を振った。
「いえ、特に、何もありませんよ? ……精霊と契約をすると何か症状が出るものなんですか?」
「……いや、わしの考えすぎかもしれん、気にせんでくれ」
ギーグはそれ以上踏み込まなかった。
だが胸の奥に残る引っかかりは拭いきれない。
(二柱と契約して、“何もない”などありえん…… 嵐の前の凪、というやつかの)
その瞬間だった。 ――風とは違う音が静寂に混じった。
革靴が石を踏む乾いた音。 金属同士が擦れる、隠しきれない殺気。
シレイが即座に身構える。
「……人だ。三、いや……四人か?」
礼拝堂の側扉が軋む音を立てて開いた。
現れたのは四人。 先頭に立つのは商人風の男だった。
くたびれた外套を羽織り腰には短剣を二本。
その背後に、無言で控える三人――傭兵だ。
商人風の男が場違いなほど軽い声で言った。
「いやぁ、珍しい。……珍しく明かりがついていると思えば、なんだヒュムじゃないかぁ」
レイヴンが一歩前に出る。
「夜中に礼拝堂へ押し入るのが商談の作法か?」
「商売相手を選んでる暇はなくてねぇ。 ……特に、“羽の生えた獲物”がいるとなりゃあ」
その言葉に空気が凍りついた。
セレンが思わず前に出る。
「出ていきなさい! ここはフィーネ教会です。 神聖な場所ですよ!」
男は芝居がかった仕草で手を広げた。
「おぉすまないシスター! 目的の獲物がいなければすぐに立ち去りますよ。
フィーネ様の名にかけて、お赦しをぉ!!」
嘲りを隠しもしない笑み。
シレイが吐き捨てる。
「……あいつら、ハーピィ狩りだ。 ここで見逃せば山ン中に進んでくはずだ」
「止めるぞ、シレイ。 他国だが、民に危害を加える加える外道だ。 見逃さない」
「応!」
「騒ぎを起こしてどうするんじゃ! じゃから、速攻で片づけるぞ!」
「たとえフィーネがが見逃しても、このシレイ様が黙っちゃいねぇ!」
踏み込みと同時に、シレイが体当たりで四人を礼拝堂の外へ押し出した。
「なっ、何しやが――!」
「ふ、ふざけんじゃないよぉ! あの女でもいい! 全員叩き潰せ!」
合図と同時に傭兵たちが散った。
金属音が夜気を裂く。
レイヴンは迷わなかった。
間合いに踏み込み、利き腕じゃない腕で斧を横薙ぎに振る。
一人目が防ぐ暇もなく崩れ落ちた。
背後から二人目。
シレイの槍が脚を掠め動きを止める。
低く響くギーグの詠唱。
地面から立ち上る魔力が足を絡め取った。
「くそ……! 役立たずどもが!」
商人風の男が距離を取ろうとした瞬間、レイヴンが詰めた。
斧が振り下ろされ防御ごと吹き飛ばされる。
男は転がり喉元に刃が突きつけられた。
荒い息。 命乞いが言葉になる寸前で詰まっている。
「殺すのかい、兄さん?」
必死に言葉を繋ぐ。
「けどねぇ……俺みたいな商売してるやつなんていくらでもいる!
あいつらの女体は高く売れるんだ!」
「悪いのは国だ! この生き方でしか暮らしていけねぇんだよ!」
「――っ!」
怒りが腕に籠もる。
「――レイヴン!」
セレンの声が夜に走った。
「だめです……今ここで、その人を殺したら…… あなたは戻れなくなる!」
斧が止まる。
レイヴンは男を見下ろしたまま、低く言った。
「……分かっている。 人を罰するのは救国の盾だ、俺じゃない。
シレイ、手伝ってくれ」
数刻後。
傭兵たちの武器を回収し、山道脇の太い木に縄で縛り上げられていた。
「朝まで生きていられれば、運がよかったと思え」
「……さて」
ギーグが周囲を見回す。
「商人がここまで来とるということは、道があるということじゃ」
シレイが頷く。
「あぁ、足跡の向きは……山とは逆方向だな」
レイヴンは夜の向こうを見据え静かに結論を出した。
「海側か、それならこいつらの船もあるかもしれないな。 まずはここから離れよう」
闇の向こうで、風が潮の匂いを運んできた。




