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烙印の子  作者: あねむん
《第五章》
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[EP-5-1]痛みの上に築かれる救済

深く、深く。

落ちているのか、浮かんでいるのかさえ判然としない水底のような虚空が全てを包んでいた。

広く静かで、時間だけがゆっくりと溶けていく──そんな場所だった。


光の粒が雪片のように舞い、沈み、弾けては消える。

肉体はそこにあっても声は届かず意識だけがふわりと分離して漂っていた。


——ここは、どこだ。


思考が声にもならず闇へと溶けていく。


やがて虚空にひとつの“円”が灯る。

淡い光が八席の輪を形作り、そのうち三つだけが存在の重みを帯びていた。


(……あれはシャドウ? それにテラ、フェイルーン……?)


認識した瞬間、影の玉座の主・シャドウがこちらに視線を投げる。

ただし一瞥だけ。他意なく、興味を失うような淡い視線だった。


(俺を見ている? ……いや、気づいていないのか?

 テラとフェイルーンは……俺の存在を感じていない?)


理解が追いつかぬまま、土の精霊テラが静かに始める。


《久しいわねシャドウ。 あなたとこの場で言葉を交わせるとは思いませんでした》


《私もだ。この座に戻るなど二度と無いと思っていた。

 君たちの顔を見ることすら……な。 変わらぬというのは、皮肉なものだ》


柔らかな会話を嘲るように、風の精霊フェイルーンが笑う。


《あっはは! ねぇ、世界はめまぐるしく変わるのにぼくらは何ひとつ変われない!

 本当に参っちゃうよねぇ~?! ……惨めだよねぇ》


テラは伏し目がちに言葉を落とす。


《……もしヒトとの戦いがなければ——》


刹那、虚空を裂くような風鳴り。

フェイルーンの笑みは鋭く細く折れた。


《やめてよ。……争いがなければ?

 あの“黎明聖戦”があったからこそヒトの本質を知れたじゃないか》


黎明聖戦——ヒトと神との闘い。

そしてフィーネ教の端緒。


本で見た歴史が今は生々しい声となって響く。

過去ではなく――傷跡そのものとして。


《母さんを殺し、死を神格化し宗教に変えた。

 美談にして蓋をしたんだよ?! ……ぼくらは忘れない》


テラは肩を強く縮めるように沈黙し、言葉を紡げずにいた。


《現実を見なよ。 ぼくらは今でも母さんの"烙印"という首輪に繋がれてる。

 だったらさ──他の精霊たちと協力して、この鎖をなんとかしてさぁ!》


シャドウは静かに首を振った。


《夢物語を語るな。 我々は所詮、ヒトの“飼い犬”の域を出ない。

 だが——だからこそ、この旅路が我々に"変化"があると確信している》


《四大精霊との契約、ねぇ。 でもこんなこと初めてじゃないでしょ?

 このセレンていう子の“器”、前の連中より優れてるとしても──結果は変わらないさ》


《……四大精霊との契約は確かに過去にもあったわ》


テラは淡々と言葉を継いだ。

まるで歴史の授業の続きを読み上げるような、感情の起伏の薄い声で。


《けれど四大の重圧に耐えられる者は一人もいなかった。

 精霊との契約は私たちの波長——つまり精霊と同化し、力を引き出すこと。

 彼らは同化に耐え切れず自分を見失ってしまい世界に溶けて還った。

 ヒトのままでいられなかった……。 そして──私たちの"帰還"も叶わなかった》


“帰還”。"精霊と同化"だと?

言葉の意味は掴めない。 けれど、その言葉はやけに胸に刺さった。


沈黙の中、シャドウが静かに語りかけた。


《期待していないならなぜ彼女と契約した? あの子に何かを見出したからではないのか?》

《その言葉、そっくりそのまま返すわシャドウ。

 あなたこそなぜ今更、この円卓に現れたの? ……あなたは何を考えているの?》


影は微笑むでも歪むでもなく言った。


《もちろん、思いは一つだよ。

 セレンを器とし――フィーネを顕現させる。 そして我ら精霊は母の元へ帰る。 そのための旅だ》


その瞬間。

レイヴンの意識が深海から浮上するように鮮明になった。

聞いてはならない言葉を聞いてしまったのだ。


信じた仲間。

同じ方向を見て歩むと疑わなかった影。

そのシャドウの声があまりにも冷たかった。


(セレンを器として? 彼女を犠牲にして成就するつもりなのか?!)


テラは苦しげに顔をそむけ、フェイルーンも笑わない。

二人は円座から離れるように気配を薄めた。


残ったのはシャドウとレイヴン、ただ二つ。


怒りが、憎しみがレイヴンを形作る。

脳裏で軋む音がした。

信頼がひび割れる音だ。


生涯の頼りであり、親の様に重ねていた者が手の届かない場所に立っていた。

言葉が形を持つ。


「……なんのために俺に聞かせた?」


声は震えた。怒りではない。

──裏切られた痛みだった。


《盗み聞きとは領主としては感心しないな》


かつてなら冗談として受け流せた。

だが今は、その軽薄さが胸を抉るだけだった。


「お前たちの都合でヒトの生死に関わるのなら、この契約の旅を止める。

 セレンが犠牲になる未来なんて――俺は飲まない。

 お前の計画に乗る気も、従うつもりもない」


声は怒りと傷ついた信頼で震えていた。

それでも言葉だけは真っ直ぐだった。


《それも君の選択だ》

「ふざけるな! 選択だと?!  お前らの願いはお前ら自身で叶えろ! 

 ヒトの人生を秤に乗せて選択などと言うな!!」


《ほう……》


シャドウは失望も驚きも示さない。

ただ観察対象を見るように瞳もない影の面が揺れる。


《それが君の答えなら構わない》


本当にどうでもいいとでも言うように薄い声。


《私はただ選択肢を示しただけ。 この情報を汲み取り君が何を考えるのかは自由だ。

 私の意思を超えてな》


影が滲み存在が薄れ始める。

その最後だけほんのわずかに声音が低く落ちた。


《だがレイヴン、私は思うのだ。 ――この世界は痛みでできている。

 彼女が私たちに救済を――》

 

虚空が静まり、残ったのは——怒りと決意だけ。

左腕の烙印が灼けるように脈動し、レイヴンの意識は深海から浮上する。

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