[EP.4-13]孤光
洞窟に残った熱気は、まだ天井の裂け目に逃げきれず渦巻いていた。
血の鉄臭さが混じる風が、肌に冷たく張りつく。
《お前たちを殺しはしない――殺してくれと懇願するまで、僕の相手をするんだからね》
ギーグは杖を支えにしながら震える声を絞り出した。
「ワ、ワシの封縛術が……通用せなんだ……!」
《……お前は例外。 まだ“めんどくさい”魔術を持っていそうだからね。
もう詠唱できないように、その口……切り裂いておこうか》
少年が指を鳴らす。
次の瞬間、風が牙を剥いた。
「ギーグさん!! ——守りを!!」
頭で考える前に、体が走っていた。
祈りの文言が息とともに溢れ、光が弾ける。
防御陣が展開し、雨のように降り注ぐ風刃を受け止めた。
風刃が雨のように叩きつけられ、腕に衝撃が走る。
痛みに顔が歪む。 それでも、彼女は崩れなかった。
息を切らせながら立ち上がる。
視界が白く染まるほどの激痛――それでも足は止まらない。
「セレン! 戻れ! 危険だ!」
レイヴンの声が遠い。
声の方に戻ることのほうが――今は、何より恐かった。
――今、この子の思いを汲み取らなければ、本当に戻れなくなる。
その確信だけが、彼女の足を前へ押し出す。
風の暴威をかき分け、セレンはフェイルーンと正面から向き合った。
「風の精霊フェイルーン……あなたは何に怯えているの?」
――その一言。
洞窟中の風が止んだ。
フェイルーンは一瞬、表情を失い――そしてゆっくりと歪む。
《は? 僕が? 怯えてる? ……君じゃないの、“忌憑き”》
その蒼い瞳が、底なしの深みに変わる。
「……ええ、恐いわ。 でもね……あなたを見捨てる方が、もっと恐い」
フェイルーンの眉が、わずかに動いた。
ほんの、ほんの一瞬。
その反応は――ここまでの“生贄”が誰も引き出せなかったもの。
《ふん、違うね。 忌憑きと精霊——それが意味するのは僕の力を求めに来たんでしょ?
——僕を利用しに来たんだ》
笑みの温度が、底へ底へと沈んでいく。
《ヒトってさ、本当に面白い生き物だよね! 特に知らなくてもいいことを知りたがるとことか!》
《"知りたがりの欲しがりさん"。
欲しいものを手に入れた途端、もっと――もっと力を、と渇望する。
“足りない”って気持ちが、永遠に満たされない心に穴を開け続けるんだ”》
《だから争い、奪い、裏切る。 ……賢くて、醜いよ》
笑うでも怒るでもない。
ただ淡々と事実を確認するような、残酷な声音。
《だから君も"何か"が足りないから僕を求めに来たんでしょ? ――教えてよ。
君は何が足りないのかな?》
セレンは胸元の烙印――キョウの烙印にそっと触れた。
「私は、この烙印が何故私にあるのかを知りたくて、旅に同行させてもらっています。
……旅の経緯は色々ありましたが、一緒にいさせてもらっています」
「……自分自身を知りたくて。
あなたたち精霊の力を借りれば真実に辿り着けると――そう信じています」
フェイルーンは、喉の奥で笑う。
《ほらね! やっぱり“欲しがりさん”じゃないか。 聖職者の皮を被った、ただのヒトの化け物だ!》
その言葉に、セレンは頷いた。
「それがヒトです!!」
洞窟の空気が震えた。
セレンの声は涙に濡れ、怒りに震え、恐怖を踏み越えていた。
《……うおっ、開き直った……?》
「私たちヒトは、生まれた環境や身分によって考え方や捉え方が変わります。
だから奪い合うこともあるし、裏切ってしまうことだってある。 ――弱い生き物だから!」
顔も体も震えている。
それでも、踏みとどまる足には揺るぎがなかった。
「でもね、弱いからこそ――痛みも恐怖も抱えたまま、それでも誰かを守ろうとできるの!」
「私たちには、“心”がある!
それは、あなたたち精霊だって持っているはず!
だから…… あなたが抱えてきた孤独も、痛みも――私が、受け止める!!」
「フェイルーン……あなたはひとりじゃない!!」
その瞬間、少年の瞳が――初めて、ほんの一瞬、揺らいだ。
《そんなの……詭弁だね。皆が君のように物分かりがいいと思うな!》
その時、背後から重い声が響いた。
「そうだ。みんなが同じ認識を持てるはずがない」
レイヴンだった。
右腕を押さえ、血を流しながらも、真っすぐにフェイルーンを見ていた。
「だが俺たちには――それに気づく時間がある」
「弱いから争う。弱いから間違える。 …だが、弱さを 自覚することができる 」
その言葉は、フェイルーンが最も理解できず、しかし最も羨んだ部分を突いていた。
風の精がざわめく。
フェイルーンのまなざしに揺らぎが走る。
レイヴンは呼吸を乱しながらも言葉を続けた。
「弱さを知っているから、過ちを繰り返さないために工夫ができる。
感情は、その変化を起こすための起爆剤にすぎない」
風がわずかに凪ぐ。
レイヴンは、痛みに顔を歪めながら続けた。
「――お前が見てきた“ヒトの愚かさ”も、その変化の過程のひとつだ」
フェイルーンの蒼い瞳に、迷いとも怒りともつかない揺らぎが生まれる。
その揺らぎは、彼の狂気の根幹――“孤独”――を露わにし始めていた。
「ねぇ、フェイルーン」
彼がこちらを向く。
その目には怒りではなく、寂しさが層になってこびりついている。
「私なら……あなたを、ここから解き放ってあげられるわ」
《それは――君が僕と契約を結ぶということ》
「ええ。これは契約よ」
セレンは震える指先で、胸の中央――自分の信仰の核に触れた。
「でもね、これは“聖職者として”じゃない。 “あなたをひとりにしたくないヒトとして”よ」
「……外に出ましょう、フェイルーン。
外には、あなたが知らない痛みもあるけど……同じくらい、知らない“救い”だってあるの」
《……ここには……悲しみしか、なかった》
「だからこそ、あなたを連れ出したいの」
セレンは一歩踏み出す。
その歩みは恐怖よりも覚悟の方が強かった。
「私の内側から世界を見て、それでもヒトに絶望したら、私を切り刻んでもいいわ
私はあなたの感じた思いを、一緒に育てていけたら……」
風が泣いた。
フェイルーンの輪郭がかすかにほどけるように揺れる。
セレンの声は、小さく、優しく、でも絶対に折れない調子で重なった。
《……本気、なんだね》
短い沈黙。
洞窟の奥に祀られた古びた風の祠が、微かに光を帯び始めた。
《……ならば、君の生の証を寄越して》
「私は——セレン。精霊・フェイルーンよ、貴方の契約を受け入れさせて」
その瞬間、風がセレンの中心に舞う。
セレンの足元に淡い光の魔法陣が浮かび上がり、文様が彼女の身体に流れ込んでいく。
《契約成立だ。セレン》
その瞬間――洞窟全体が震えた。
床に描かれた転送紋が、まるで眠りから覚めるように淡く脈動し始める。
「……あれは、転送紋?」
《あの紋様の上に集まればいいよ ……"お母さん"も連れてい行きなよ》
セレンは叫ぶ。
「皆さん! 急いで!!」
―――
世界が反転するような浮遊感。
次の瞬間、乾いた冷気と木の香りが鼻を掠めた。
「……ここは……どこ?」
セレンは咳き込みながらも、仲間の姿を探す。
ギーグは杖を抱え、アルマは横に倒れている。
だが、レイヴンの姿が――足元で崩れ落ちていた。
「レイヴン……!」
腕から血を滲ませ、右腕を押さえたまま、意識を失っていた。
転送の衝撃と疲労が重なり、深い眠りのように彼を包んでいる。
セレンは静かに膝を折り、手を差し伸べた。
「……大丈夫、目を覚ますまで守るから……」
転送紋は静かに消え、セレンの胸の中には、フェイルーンとの契約の余韻が温かく残っていた。
外には悲しみも痛みもある。だが、守るべき仲間と共に歩める道も――確かに、ここにある。




