[EP.4-11]風神縛封
洞窟の入り口は、まるで岩の裂け目が偶然に口を開いたかのようだった。
風が吹き抜けるたび、中から微かな音が響く――まるで誰かが息をしているかのように。
「おお……ワシの鼻もまだ鈍っとらん! あの中、"食い物"の匂いがするぞ!」
「洞窟に食料って……幸グマでもいるのではないでしょうか?」
セレンが眉をひそめると、レイヴンが首を振った。
「ここは空の国だ。地上の獣はいない。……だが“何か”はいるかもしれない」
「ならば、せめて友好的であることを祈るとしよう。 逃げる体力はもう残っておらんからな」
三人は互いに目を交わし、裂け目の闇へと足を踏み入れた。
湿った空気が肌を撫で、呼吸のたびに古い石の匂いが肺を満たしていく。
セレンは掌を胸の前にかざし、静かに祈りの言葉を紡いだ。
「灯りを」
指先から溢れた光が岩壁に金色の線を描き、洞窟の中をゆるやかに照らした。
そこに眠っていた時間が、まるで息を吹き返したかのように、静かに震える。
天井の裂け目から差す光が微かな靄を透かし、舞い上がる粒子が揺らめく。
壁には古代文字のような刻印が並び、風に削られてなお淡く光を放っていた。
「……人の手が入ってるな。だが、随分と……荒れている」
足元には崩れかけた木箱と陶器の残骸。
中には乾いた果実や干し肉の影が残る――だが、死んだ年月の匂いしか漂っていなかった。
「おぉ! 食い物じゃぞ!」
ギーグが目を輝かせて駆け寄るが、セレンが慌てて腕を伸ばす。
「待って、ギーグさん! ……これ、腐ってます!」
セレンが顔をしかめた瞬間――掠れた声が闇の奥から漏れた。
「う……うぅ……」
三人は同時に振り向く。
倒れていたのは、ハーピィ族の女だった。
黄金の羽が床に散り、一方の翼は根元から失われている。
乾ききった血と無数の裂傷が彼女の苦痛を物語っている。
「誰か、います!」
セレンが駆け寄ろうとした瞬間、ばさりと風が鳴った。
女は跳ね起き、鋭い金の瞳で三人を射抜く。
片翼を広げる動作は、なお威厳を保っていた。
「……お前たち、どうやってこの島に……“神殿”に入った……?」
「神殿、だと……?」
明るさに目が慣れ、三人は気づく。
洞窟の中央――岩を削り出した“祭壇”がある。
その表面に刻まれた文様が、かすかに脈動していた。
風が鳴る。
石盤が震え、砂が舞い上がる。
壁に刻まれた古文が青白く光を放ち、洞窟全体が呼吸を始めた。
「な、なんだ……これは!?」
「! いけない! 今すぐ逃げなさい!」
ハーピィの女が叫ぶ。だが遅かった。
突風が入口を塞ぎ、洞窟は轟音とともにうねり出す。
祭壇の光が凝縮し、やがて一点の輝きとなって空間に溶けた。
そして――その光の中に“影”が現れる。
それはゆっくりと形を取り、やがてひとりの少年となった。
細い体。
肩まで伸びた翠の髪が、吹き荒ぶ風にゆらりと揺れた。
瞳は深く澄み、まるで空の底を覗き込むような蒼。
だがその表情には、年齢には似つかわしくない――底知れぬ“空虚”があった。
風の精霊——フェイルーン。
光が彼を包み、風がひざまずく。
少年はゆっくりと唇を開いた。
《……やっと来たね。おもちゃたち》
フェイルーンは視線をゆっくりと動かし、倒れたハーピィを見つめた。
《僕が招いたんだよ――アルマ。 いや、"お母さん"。
壊れたおもちゃを、いつまでも取っておく子なんていないでしょ?》
「フェイルーン!」
アルマと呼ばれた女が立ち上がる。
「彼らは関係ない! 今すぐ彼らを解放して!」
《やだよ》
少年の笑みはさらに深まる。
《僕が見つけた“おもちゃ”だ。僕の好きにさせてよ》
次の瞬間、三人の足元を風の刃が駆け抜けた――音すら追いつけない速さで。




