[EP1-3] アリアの槍
港の風が心地よく吹き抜ける、昼前の通り。
その涼やかな空気の中を歩いていると、不意に背後から声が飛んできた。
「おーい、坊!」
振り返れば、赤銅色の鱗の肌をした竜人族の男――シレイが手を振りながらこちらへ向かってくる。
屈強な体に警備隊の制服をまとい、その顔にはどこか親しみのある笑みが浮かんでいる。
「こんな時間に街にいるなんて珍しいじゃねぇか。屋敷はサボりか?」
「……気分転換だよ。教室に顔を出して、ちょっと外の空気吸いに出てきたところだ。仕事中だろ?」
「一応な。でも今は巡回の合間だ。坊と偶然会ったのも、運命ってやつだな」
肩をすくめて笑うその様子はいつもの調子そのものだ。
「なぁ、久々に一汗流さねぇか? 訓練場、午前は空いてるはずだぜ。ちょいと手合わせでも――」
「……惹かれる提案だけどね」
レイヴンはふと目を伏せ、小さく息を吐く。
「まぁ、領主さまは忙しいよなぁ、10年前はお互いボロボロになるまでやり合ってたのにな」
「お互い、立場がついて回る」
そう言ってレイヴンは少しだけ笑みを浮かべ、遠くを見やるように視線を逸らした。
「でもまぁ、お前さんが根を詰めすぎるのは今に始まったことじゃねぇ。
せめて遠征中くらい肩の力抜いてけよ。明日からだったろ、教皇からの会合は」
「あぁ。いつものことだ。シレイも同行だろう?」
「もちろん。港町アリアの名物、厄介な竜人衛兵ってことでな」
シレイは笑い、胸を張る。
「ほかの衛兵の面子も変わらずだ。毎年のことだしな、ルートも宿も顔ぶれもほとんど同じ。
……楽しみなのはエンデの酒場よ!」
「シレイはいつもそれだな、俺には行きたくても、行けない場所だよ」
「グァハハ!一時の休みだっての! 坊も毎度とはいえ、外に出るのはいいだろ?
現に今も屋敷から出てるしな!」
「……痛いところを突くな」
レイヴンは思わず口元を緩め、ふっと小さく笑った。
肩の力が少しだけ抜けたように見える。
「こうして街を歩くのもたまには悪くないと思ってるさ。ただ、堂々と休むってのは慣れないな」
「だったらなおさら、旅の途中くらいは気張りすぎんなよ。
なに、俺がついてる。トラブル起きたらこの槍で片づけてやるさ」
胸を叩くようにしてシレイは自信満々に笑う。
レイヴンは笑みのまま、いつものように手を差し出した。
サムズアップ――互いに親しみを込めて指を立て、拳を軽くぶつける。
「期待していいのやら。まぁ、頼りにしているよ。……そろそろ会議の時間だ。」
「よし、それじゃあそろそろ戻るとするか」
レイヴンがそう言って軽く手を振ると、シレイは頷きながら、
「また手合わせしたくなったらいつでも呼べよ」と冗談交じりに言った。
レイヴンは振り返り屋敷へと向かって歩き出した。
港町を撫でるように吹き抜ける風は、心なしか彼の背中を押しているようだった。
通りを抜けるたびにほんのわずかに、重く背負ったものが和らいでいくような気がした。