[EP.4-3]風の都ウィンダへ
ノルヴァン山岳地帯を越え、ついにウィンダへと続く峠の手前にたどり着いた。
切り立つ峰々の間に抱かれる空中国家――ウィンダは、地を歩むことを許されぬ国。
翼を持つ者のみが立ち入れる、ハーピィ族の聖域だ。
人の足でそこへ至る術はなく、唯一の例外が「風精石」を動力とする浮遊舟だ。
碧色に淡く光る石が、重力を裏切るように舟を宙へ押し上げる。
だが、乗船の前には必ず番兵の審問を受けなければならない。
二人のハーピィが、槍を交差させて進路を遮った。
鋭い金の瞳が、こちらを刺すように射抜く。
「止まれ、ヒュムよ。ここはお前たちが踏み入ることを許されぬ地だ。即刻、引き返せ」
「女王アリセラに謁見を申し入れたい。私はレイヴン・F・アリアだ」
その名を聞いた瞬間、番兵の瞳がわずかに細まった。
「アリア……? アリアの領主がなぜここに? ……貴公が領主という証を示せ」
レイヴンは静かにフードを外し、胸元と左腕のガントレットに刻まれたアリアの紋章を見せた。
さらに服の下から、家紋を彫り込んだ鋳造を取り出す。
「……確かに、懐かしい印だ。 本人に相違ないだろう。
だが、貴公は指名手配の身だ。 我らの国に厄介を持ち込む気か」
「そこを何とか頼みたい。 私は地の国エルナードのタル爺に託されたものがある」
懐から取り出した銀笛が、風を受けてかすかに鳴った。
番兵の眉が動く。
「それは……アリセラ様の笛と同じ型……? ――そこで待て」
一人が翼を広げて空へ舞い、しばしの後に戻ると短く告げる。
「アリセラ様は謁見を許された。 ……だが、用が済めば速やかに立ち去れ」
視線がセレンの横に立つ竜人へと移る。
「そしてそこの竜人。 お前はこの国に入ることは許さん! ここで主の帰りを待て」
「シレイ……」
「気にすんな、坊。フィレーナとウィンダは今、喧嘩中だ。吹っ掛けてるのは竜人側だしな。
俺が一緒じゃ、混乱で謁見すら叶わないぜ」
セレンが心配そうに口を開く。
「シレイさん……」
「俺はここで待ってる。坊の聞きたいこと、嬢ちゃんの知りたいこと、聞いてくればいい。 ――だが」
シレイは番兵を射抜くような目で見据える。
「主に指一本でも触れてみろ。 お前の翼もぎ取ってでもウィンダに向かって助けに行くぜ」
「もがれたくなかったら……待ってる間、"世間話"でもしようや」
「心底、イラつかせる野蛮な種族め……」
「シレイ、その旺盛な態度は抑えろ」
レイヴンは小さく息をつき、番兵に向き直る。
「すまない。案内をお願いしたい」
鼻を鳴らした番兵は、槍を引き、翼を広げた。
「……浮遊舟へ案内する」
レイヴンたちは舟に乗り込み、シレイを峠に残して空へと舞い上がった。
―――
浮遊舟は「風精石」の淡い光を放ちながら、山風を切り裂くように滑空していく。
眼下には雲海が広がり、切り立つ峰々が白い波間から島のように顔を出していた。
時折、遠くの空をハーピィの哨戒隊が横切り、その影が雲に濃淡を刻む。
セレンは縁に吊るされた風精石を見つめ、身を少し乗り出した。
「……本当に、こんな宝石みたいな石で空を飛べるんですね」
「こ、これ! はしゃぐでない!」ギーグが慌てて袖を引っ張る。
「万が一落ちてみよ! 雲に隠れて地の果てまで真っ逆さまじゃ!」
「き、気をつけます……」セレンは小さく肩をすくめる。
レイヴンが横目でギーグを見て、口元を緩めた。
「……高いところが苦手なのか?」
「苦手どころではない!」ギーグは声を震わせた。
「人は地に足をつけて生きるもの。こんな船で宙を漂うなど正気の沙汰ではない……おお恐ろしい……」
「なら目を閉じていろ」レイヴンは淡々と告げる。
「見えるものが恐怖なら、見なければいい。……赤字の報告書から目を背けるようにな」
セレンが思わず吹き出す。
「それ、領主としてどうなんですか……って、あれ? レイヴンも目を閉じてる?」
「……下を覗くのは好きじゃない」
「それを世間では高所恐怖症と呼ぶんです」
「だからセレン、大人しく席についていろ」
「ふふ……はい、わかりました」
二人が揃って目を閉じてしまったので、セレンはこっそり窓辺に腰を下ろした。
やがて、雲海の向こうに白亜の尖塔と巨大な風車群――空に浮かぶ都ウィンダが姿を現す。
セレンの視線の先、雲海の向こうに、徐々に白亜の都が姿を現した。
切り立つ峰々の狭間に浮かぶ巨大な岩盤。その上に、天空を突き刺すような尖塔群が林立している。
尖塔のあいだを無数の風車が回り、陽光を浴びて銀の羽根がきらめいた。
「……すごい……」
思わず声が漏れる。
風に抱かれたその街は、まるで空そのものを住処とする存在の証のようだった。
建物の壁面には風紋を象った装飾が施され、半透明の膜のような渡り廊下が塔から塔へと架かっている。そこを軽やかに飛び移るハーピィたちの影が陽光に重なり、
まるで鳥たちの群れが街と共に呼吸しているように見えた。
舟が近づくにつれ、都市全体が巨大な翼のように広がっているのが分かる。
その中心には、白銀の宮殿が風の渦を背負うように建ち、
天を貫く尖塔の先端には碧色の光――巨大な「風精石」が燦然と輝いていた。
セレンは胸の奥が熱くなるのを感じた。
「こんな場所が……世界に、本当にあったんだ」
隣のレイヴンは未だ目を閉じたまま、ギーグも顔を伏せて震えている。
この瞬間の光景を目にしているのは、自分だけ――。
そう思うと、セレンはなぜか誇らしく、そして少しだけ大人になれたような気がした。
やがて舟は風の都ウィンダの外郭にある港台へと滑り込み、甲高い風笛の音が響いた。
番兵たちが槍を構えて待ち受ける中、セレンは深呼吸をして立ち上がった。
「行きましょう、レイヴン。……アリセラ様に会いに」




