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烙印の子  作者: あねむん
《第四章》
30/50

[EP.4-1]痛みの中で

――息が、できる。


それだけのことが、どうしようもなく奇跡のように思えた。

セレンはゆっくりと目を開けた。

天井の白い木目がぼんやりと視界に広がり、窓から差し込む朝の光が、淡く部屋を満たしている。

あたたかくて、穏やかで、静かな光。


けれど、身体の芯には、ひびのような痛みが走っていた。

彼女は起き上がろうとして、思わず息を詰めた。


「……ッつ……!」


全身が軋む。

肩、腕、背中、脚、どこもかしこも、鈍い痛みが波のように襲ってくる。

打撲のような、痣のような痛みが全身に染みわたっていた。

まるで高い場所から転げ落ちたみたいな――いや、もしかしたら本当にそうだったのかもしれない。


身体が起きることを拒んでいる。


セレンは深く息をつき、そっと目を閉じた。

そして、闇の中にあの光景が戻ってくるのを待った。


——みんな、戦っていた。

地面を割って現れた異形の蛇。ガルメロス。

恐ろしく異質で、全てを食らいつくすかの如くの凶暴性だった。


でもその目は、何かを訴えているような気がした。

誰に? わたしに? それとも……ヒュムに?

あれは……怒り? 悲しみ?


どうして、そんな風に感じたんだろう。

答えは出ないまま、セレンの目から静かに涙がこぼれ落ちた。


ぽたり、と頬を伝うその涙に、自分自身が一番驚いた。

「……わたし、なんで……」


自分のことなのに、わからない。

あのとき、自分は何を感じていたのか。何をしたのか。

どうして気を失って、どうして生きているのか。

胸の奥に黒い霧が残っているみたいに曖昧でもやもやする。


「……ふぅ……」

深呼吸して、気を落ち着かせる。

そして、ぐぅ、とお腹が鳴った。


「……おなか、すいた……」


ぽつりとつぶやいた声が、静かな部屋に落ちる。

痛みは相変わらず全身を責めてくる。それでも、空腹はどうしようもなくて——


「……行かなきゃ……」


小さくつぶやいて、腕を突っ張るようにして起き上がる。

布団の上で身体を折りたたみながら、少しずつ動かしていく。

痛みがまるで「まだ休んでろ」と責めてくるようだったけれど、腹の虫の主張のほうが勝っていた。


セレンは一歩ずつ足を踏み出した。

ぎこちない足取りで、少女は廊下へと出た。


——いつの間にか涙は止まっていた。


パンの香ばしい匂いが、朝の空気に溶け込んで漂っていた。

その香りに導かれるように、彼女の影は、廊下の角を曲がっていく。


―――


小鳥のさえずりと香ばしい匂いに誘われて、レイヴンは静かに身を起こして廊下に出た。


階下の食堂からは、軽いやり取りの声が聞こえてくる。

彼が階段を降り、戸口をそっと覗くと、そこには予想もしない光景があった。


パンを両手で大事そうに抱えているセレン。

頬にはまだ眠気の名残がありながらも、笑みが浮かんでいた。


「こ、このパン、とってもおいしいです! も、もうひとつ……いただいても、いいでしょうか……?」


「ん~……そこのは今夜のぶんも混じってるんだけどね~?」


エプロン姿の女将が片眉を上げると、セレンはすぐにしゅんとうなだれて、

上目遣いに財布の口を開いた。


「す、すみません……! ちゃんと払いますので、えっと……このぐらいで、足りますか?」


「ぷっ……あははっ、冗談冗談!」


女将は手を振って笑い飛ばすと、焼き窯の中を覗きながら言った。


「看板も壊れてるし、修理が済むまでは臨時休業さ。遠慮せず食べな」


「……ありがとうございます。迷惑にならない程度に、少しだけ……」


そのやり取りを見ていたレイヴンは、肩の力がすっと抜けるのを感じた。

昨日まで、生気の抜けたような顔で横たわっていた少女が、今こうして笑っている。


「……おはよう、セレン」


声をかけると、セレンはパンを頬張ったまま顔を上げ、ぱたぱたと手を振った。


「あっ、おはようございます、レイヴン!」


「やれやれ……若旦那、あんたも腹ぺこだろう?

 あの二人も起こしてきておくれよ。もたもたしてると、この子が全部食べちまうよ」


女将の声に、レイヴンはふっと微笑んだ。


「それは大変だな。すぐに呼んでくるよ」


軽口を返しながら階段を上る背中には、どこか晴れやかな空気が漂っていた。

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