[EP.3-1]契約の旅
静けさが戻った神殿跡地。
崩れた柱の影から風が吹き抜け、瓦礫の隙間で小さな砂塵が舞う。
戦いの気配が去った後も、空間にはなお張り詰めた余韻だけが残り、
まるで時間が止まったかのように漂っていた。
レイヴンは壁にもたれて膝をつき、深く息を整えていた。
片手は血に濡れた肩口を押さえ、指先にはまだ微かな震えが残っている。
シレイと他の衛兵たちもそれぞれの無事を確認し合っていた。
ようやく戦いが終わったという安堵と、これからどうすべきかという不安が入り混じる。
シレイが歩み寄り、傷ついたレイヴンを見下ろして声をかけた。
「おい、大丈夫か……?」
「なんとかな……あいつの剣は尋常じゃなかった。お前たちこそ無事か?」
「ああ。……すまねえ、坊。
あの夜、教会で爆発音を聞いて駆けつけた時には、もうマザーが倒れていた。
お前と嬢ちゃんの姿は見当たらなくてな……。とにかく、まずはマザーの介抱が先だったんだ」
レイヴンが顔をしかめながら頷く。
「それで……マザーは?」
一人の衛兵が前に出て答える。
「……搬送されました。エンデの医療施設に引き渡すそうです。」
「……そうか」
レイヴンの心に鈍い痛みが広がる。あの夜、女刺客の狙いは明らかに自分だった。
なのに、無関係なマザーとセレンを巻き込んでしまった。
ふと視線を向けると、少女が崩れかけた柱にもたれ洞窟から差し込む光を見上げていた。
声もなく、涙も見せず、それでもその小さな背中は全てを抱え込むようにじっと揺れている。
傷ついた身体が警鐘を鳴らす。
それでも立ち上がらなければならないと、レイヴンは奥歯を噛みしめた。
石畳に手をつき、足に力を込める――そのたびに痛みが全身を貫いた。
それでも彼は歩き出した。
どうしても彼女に伝えなければならない言葉があった。
「……セレン」
その名を呼ぶ声はかすれていたがしっかりと届いた。
少女の肩がぴくりと揺れ、ゆっくりと振り向く。
「……あの夜の襲撃は俺が狙いだ。君やマザーを巻き込んでしまったこと……本当に、すまない」
レイヴンの額から汗が滴り、傷口から滲む血が足元に落ちる。
それでも彼は彼女を見据えていた。
セレンはレイヴンの前に立ち止まると、じっと彼を見つめた。
「……確かに、私やマザーは巻き込まれた形かもしれない。
でも、それはレイヴン様一人のせいじゃない。
世の中には誰にも止められないことがある。私にも、マザーにも。
あの夜……私が助けられたのはあなたがいたからです。それをなかったことにはしたくありません」
「だが、俺は……」
レイヴンが言葉を継ごうとしたとき、セレンはふっと微笑んで言った。
「……レイヴン様は、いつも誰かの痛みを自分の責任だと思ってしまうんですね。
だったら、こう決めました。もう、“レイヴン様”って呼ぶの、やめます」
「……え?」
「だって私は、守られるだけの女じゃないから。
あなたの罪を“許す”んじゃなくて、“背負わせない”って決めたんです」
その言葉にレイヴンの瞳がわずかに揺れる。
「だからあなた一人で抱え込まないで。――“レイヴン”。」
「……マザーは、私に“あなたと一緒に行きなさい”って言いました。でもそれが全てじゃない。
私があなたと行きたいと思ったからです」
レイヴンは目を伏せほんのわずかに口元を歪めた。
(俺が一人で背負うべきだと思っていたのは、俺が“信じること”から逃げていたからなのかもしれない)
やがて彼は顔を上げセレンの瞳を見据えて、静かに頷いた。
「分かったよ、セレン。大変な旅になるだろうが――よろしく頼む」
―――
神殿の中。
崩れかけた祭壇跡に陽が差し込み、瓦礫に包まれた空間にひとときの静けさが戻っていた。
レイヴンはセレンの隣に腰を下ろし、傷の痛みを堪えながらゆっくりと息を吐く。
その周囲には、シレイと数名の衛兵、そしてギーグの姿があった。
険しい目つきのままシレイが声を上げた。
「……んで、なんでしれっと魔物がいるんだ?こいつ、妙におとなしいが」
「魔物じゃないと言うとろうに……ワシ、地上ではずっと魔物呼ばわりされるんかのう?」
ギーグが不満そうに口をとがらせる。
「まぁ、いつまでも“魔物”呼ばわりじゃ不便だろう。ちょっと顔を上げてくれ」
そう言ってレイヴンは自身の左腕の装束を外し、ギーグの体に羽織らせた。
「少し暑苦しいかもしれないが、急場凌ぎだ。苦しくないか?」
「おぉ……ありがとう、レイヴンよ。じゃがヌシの左腕の防具が露になっておるぞ?」
「構わないさ。隠す必要もないし、こっちのほうが動きやすい」
軽く笑って言うレイヴンに、ギーグは素直に感謝のまなざしを向ける。
そんなやり取りを見守りながら、シレイが腕を組んで問いかけた。
「……あの夜の間に何があったのか、聞かせてくれないか?」
「ああ、シレイ。実は――」
―――
全てを聞き終えたシレイは深く黙り込む。砕けた石の床に突き立てた槍の刃が微かに震えていた。
「そうか、嬢ちゃんにも烙印が……んで、嬢ちゃんが精霊と契約したと」
その低く絞り出すような声が静まり返った神殿の空気に重く染み込んだ。
レイヴンは頷き、静かに口を開く。
「あぁ、……どの道、救国の盾歯向かった今、俺はアリアには戻れない。
恐らく指名手配も出されているだろう。」
シレイはしばし俯いたまま黙っていたが、やがて顔を上げまっすぐにレイヴンを見据えた。
「……それで、坊はこれからどうするつもりだ?」
「ここから東のノルヴァン山岳地帯にある――ウィンダに身を寄せようと思う。
あそこは他国の干渉を避けている。俺の手配書もまだ届いていないだろう。
それに、ノルヴァンには風と土の精霊が祭られている。……そこで精霊の意思を聞く。
——まるで、教皇の手のひらで踊らされている様だな」
「ならば、俺も同行しよう」
レイヴンは小さく息を呑んだ。だがすぐに、真っ直ぐな目で彼を見返す。
「……シレイ。この旅はお前には関係ない。自国に戻り妻と子どもを守れ。それがお前の役目だ」
だがシレイは、かぶりを振った。その目に宿るものは迷いではなかった。
「確かに、レイヴンの言葉は正しい。だがな――
俺たちアリアの民はお前が思ってるほど脆くねぇ。
ここでお前を無事に連れて帰らずに、どうしてアリアに帰れるってんだ」
その言葉に、後ろで控えていた年長の衛兵が一歩前に出る。
「……レイヴン様。私たち衛兵も、恐らくは指名手配の報せに巻き込まれているでしょう。
アリアに戻れば尋問を受けるかもしれないし、身柄を拘束される可能性もあります」
一瞬、その場の空気が張り詰める。だが彼はまっすぐレイヴンを見据えて続けた。
「ですが、私たちはアリアに戻ります。レイヴン様が守ってきたアリアを……今度は俺たちが守ります」
「だから……どうか帰ってきてください。アリアは、あなたの帰る場所です」
その言葉に他の衛兵たちも静かに頷き、剣を胸に当てて敬礼した。
レイヴンはしばらく何も言わずその姿を見つめていた。
そして小さく息を吐き、シレイに目を向ける
「……いいのか? シレイ」
「レイヴンが進む道を切り開き、守るのが――俺の誓いだ」
「……ありがとう」
レイヴンは静かにその言葉を噛みしめるように呟いた。
すると、ギーグが短く咳払いをしながらのそのそと前に出る。
「ワシもお主の旅に同行するからの。元々ワシはセイレイ様の導きに従うのが目的じゃが、
お主の旅の目的と合致する。それに、ワシにくれたこの布の恩は、返したいからの」
「あぁ、俺たちには知らないことが多い。……君という存在を、歓迎する」
「ふむ、こちらこそよろしく頼む。……それじゃまずは、ここまで喧騒続きだったわけじゃし、
ひとまず、休憩としようぞ」
神殿跡地の瓦礫の隙間から差し込む陽が、静かに彼らを包み込んでいた。
それは長い旅路の始まりに訪れた、束の間の平穏だった。




