[EP.2-6]闇からの刺客
夕食後、マザーに案内された教会内の一室へと移る。
部屋は静かで街の喧騒は遠く、時折吹く風が古い木の窓をわずかに軋ませる。
一人、窓際に椅子を置いて腰を下ろす。
窓を少し開けて夜の冷たい空気を取り込んでいる。火照った思考を冷ますように。
……落ち着かない。
教皇との会談──その言葉の裏にあったものは何だったのか。
一人で抱えることには慣れていたはずなのに、あのやり取りが脳裏を離れなかった。
立ち上がり、窓を閉める。
「……少し歩くか」
気を紛らわすように外套を手に取り部屋を後にする。
夜の教会は静まり返り、廊下には灯火の揺れる光だけが並んでいた。
しばらく進むと、開け放たれた扉の向こうから祈りの声が聞こえてくる。
小さな礼拝室。中ではセレンがひとり、膝をついて祈っていた。
扉の外で立ち止まり、静かに声をかける。
「……こんな時間まで祈っているのか」
振り返ったセレンは一瞬驚いたがすぐに柔らかな笑みを浮かべる。
「レイヴン様……いえ、私こそ、気持ちを落ち着けたくて」
「……そうか。俺も、似たようなものだよ」
その言葉に、自然と息が抜けるような安堵がこぼれる。
「少しだけ、話してもいいか?」
セレンは静かに頷いた。彼女には、どこか親しみを覚えていた。
それがシスターとしての優しさか、年の近さか。
ただ、彼女の前では“ただのレイヴン”でいられる気がしていた。
「セレン。この世界で、もし精霊と対話ができるとしたら──君なら、どうする?」
問いに、セレンは一瞬目を伏せ、胸元で静かに手を組む。
「……お話してみたいです。怖くても、耳を傾けたいです」
「……即答だな。躊躇はないんだな」
「ええ。誰かが声をかけてくれるなら、それは何かを伝えたいから。
それが相談事なら聞いて、一緒に悩んであげたいと思います。
打ち明けるだけでも、救われるものですから……。耳を傾けることは、自由だと思いますから」
レイヴンはしばらく黙っていたが、やがて微笑む。
「……そうだよな。話を聞いてほしくて、共感してほしくて頼るんだよな。
──今まさに、俺がそうしてる」
その言葉に、セレンは何も言わず、ただ穏やかに微笑みを返していた。
「……レイヴン様がこうして悩みを打ち明けてくださるの、珍しいですね」
「俺だって人間だ。誰かに聞いてほしくなることくらいある」
「ふふ、なんだかレイヴン様が身近に感じてしまいます。」
セレンは少しだけ目を細め、ステンドグラス越しに滲む月明かりが、頬をやわらかく撫でた。
「……不思議です。私とレイヴン様とは正反対なのに、どこか似ている。そんな気がして」
「どうしてそう思う?」
「居場所がないと思っていたから……でしょうか。
私は、捨て子としてここに拾われて、生まれた場所も知らない。
レイヴン様も、家族の記憶がないと……」
レイヴンはわずかに眉をひそめたが、すぐに目を伏せて言った。
「……ああ。俺も、生まれた時には家族はいない。一人だ。でも、寄り添ってくる人がいた。
執事のゴードンや、シレイ、街の皆。……領主の経験もない俺を、皆が支えてくれた。
今のアリアがあるのは、そんな皆のおかげだ。……だから俺は、支えてくれた皆を守りたい」
「セレンも、マザーがいてくれたから今があるんだろう?」
セレンは小さく頷き、そっと目を伏せた。
「……はい。マザーがいてくれたから、私はここにいます」
その声は、祈りにも似た静けさを帯びていた。
「でも、ずっと思っていました。拾われた命に、意味なんてあるのかなって。
マザーの“善意”にすがって生きているだけなんじゃないかって……」
一瞬、声が震えた。けれど、彼女は顔を上げて続ける。
「それでも、マザーは優しくしてくれました。
修道女としての務めを与えてくれて、居場所を与えてくれました。
だから……この命は、もう“借りもの”じゃなくて、自分のものにしたいと思ったんです」
彼女の瞳はまっすぐに、迷いなくレイヴンを見つめていた。
「誰かに与えられたものを、今度は私が“誰かのために”使いたい。
──レイヴン様がそうであるように、私も……そうなりたいんです」
月光と灯火が交差する礼拝堂で、二人はしばし言葉なく佇んでいた。
どこか肩の力が抜けたような、穏やかな時間が、静かに流れていく――
だが、その静寂を破るように微かな足音が響いた。
レイヴンが顔を上げた瞬間、影のように一人の人影が現れる。
黒の外套、顔を布で覆ったその姿は、ただ者ではなかった。
「誰だ……?」
黒衣の者は応えず、ただ一言だけ口にする。
「貴方を──保護する」
(……女の声?)
月明かりに、刺客の手に握られたダガーが鈍く光る。
「なっ……!」
腰の剣に手をかけるより早く、女が間合いを詰める。
その動きは、訓練を積んだ殺し屋のそれだった。
レイヴンは反射的に剣を抜いて構える。だが――
キィンッ!
斬撃はことごとくいなされた。
刃を受け止めるのではなく、流し、逸らし、無力化する洗練された技。
レイヴンの剛剣は直線的で力強いが、相手は風のように受け流しその力を逆手に取ってくる。
「──これで終わり」
刺客がそう囁いた瞬間、ダガーが一閃。
その刃がレイヴンの首元を狙った、まさにそのとき。
「レイヴン様――っ!!」
セレンの叫びが空気を裂いた。
彼女は咄嗟にレイヴンの前へと身を滑り込ませる。
「セレン、下がれ――!」
その声は、届かなかった。
ズンッ──!
三人の間で何かが爆ぜた。
空間が歪み、閃光が世界を白く塗りつぶす。
まるで、異なる次元がぶつかり合うような衝突だった。
刺客とセレンが接触した瞬間。
光の波紋が礼拝堂全体に広がり、すぐに吸い込まれるように収縮していく。
内側へ、強く、容赦なく。
レイヴンの視界が崩れ重力の感覚すら失われていく。
そして──三人の姿が、忽然と消えた。
礼拝堂に残されたのは、白く焦げた床の跡と、深い静寂だけだった。
それをようやく警備隊が察知し、駆けつけたのは、それから数分後のことである。




