[EP.2-4]白銀の影
大広間の扉が静かに開き淡い光が差し込む。
ここは《世界会合》の場。
教皇からの正式召集を受けた者だけが立てる神聖な空間だ。
例年は各国の王侯貴族や使節が集い、貿易や治安、魔物の出現などを話し合う。
だが今年は異例だった。火の国フィレーナと風の国ウィンダの緊張が戦火寸前にまで高まっている。
教皇自らが両国王を招き仲裁に臨むとの噂があった。
……それにもかかわらず。壇上は空虚だった。出席すべき王たちの姿はない。
「……俺だけ、か」
静まり返った空間。不自然なまでの沈黙。
まるでこの場が、ただ一人のためだけに設えられた舞台であるかのようだった。
《君の采配を期待していたが……残念だな》
脳裏に響く、影の囁き。
シャドウの囁きが淡く波打つが彼は答えなかった。
その時、奥から一つの気配が近づいてきた。
銀の仮面が光を弾き、白銀の法衣に金糸の神聖文字が流れるように縫い込まれている。
この大陸における信と秩序の象徴――教皇その人である。
だが、彼は一人ではなかった。
その右隣には、まるで影のように、黒い甲冑の騎士が寄り添う。
──通称、《救国の盾》。
教皇直属の近衛騎士団である。
数年前、レジスタンス《アルシェン》による蜂起を鎮圧し、エンデを守ったとされる英雄。
今この場にいるのは、その4人の筆頭――すなわち、教皇の意志を直接執行する者。
これは会合ではない。
これは──“裁定”か、あるいは“交渉”だ。
教皇は壇上に立ち静かに言う。
「……ようこそ。アリア当主のレイヴン殿。まずは、無事に到着されて、何よりです」
レイヴンは一礼し、静かに応じる。
「お心遣い、感謝いたします。……教皇様もお元気そうで何よりです」
「ふむ……見かけはそうでも、中は年々、錆びつく一方でね」
軽く笑ったかに見えた仮面が再びまっすぐこちらを向く。
「……不思議に思っているでしょう。他国の王たちがいないことを」
「……はい。まさか、私一人のためとは」
「その通りです」
教皇は静かに頷いた。
「例年通り、和平交渉の場を設けることも考えました。しかし、それでは間に合わない。
フィレーナの王・カムヴラはすでに全面戦争の準備に動いています。
話し合いの場では、今や抑えられぬほどに」
「そして、“星の巡り”――精霊の流れにも、近年にない異常が観測されています。
とくにフィレーナ周辺、火の精霊の座標にて、大きな“乱れ”が発生しています」
「かの国に祀られし精霊は不安定な魔力波を発しており、まるで“訴えかけてくる”ようにも見える」
「だが……ご存じの通り我々人類は精霊の言語を解せません。けれど――貴方は、例外だ」
レイヴンの左腕が静かに疼いた。
「その“烙印”により、貴方は闇の精霊と交信した実績を持つ。
通常の契約者では不可能な、“意思疎通”という段階に至った、唯一の例です」
教皇の声が一段と低くなった。
「だから、お願いしたい。 各国の地を巡りそれぞれの精霊たちと“対話”してほしい。
この世界に、破滅の火が灯る前に――」
一瞬の静寂ののち、レイヴンは言葉を返す。
「……他の烙印を持つ者では、なぜいけないのですか?
精霊と対話するための“鍵”として、私だけが選ばれる理由があるのでしょうか」
「もちろん、他の烙印保持者の所在は把握しています。
しかし、精霊との“対話”にまで至った例は後にも先にも貴方しかいないのです」
教皇の仮面がわずかにレイヴンへ傾いた。
「通常、烙印が刻まれた者は、精霊の存在を感知し、力を借りる“契約の印”に過ぎません。
ですが、貴方の烙印は構造そのものが既知のものと一致せず、
実際に“意思疎通”を成した唯一の事例です」
「つまり、記録上、“精霊と人の間に対話が成立した唯一の存在”──それが貴方なのです。」
その言葉は冷静で、決して感情に訴えるものではなかった。
だが、その分だけ重く静かに広がる沈黙の波を呼んだ。
しばしの間を置きレイヴンは口を開いた。
「……恐縮ですが、その役目をお引き受けできません」
教皇の仮面がわずかに動く。
「まず第一に、私はアリアの当主です。中立を旨とする我が国は、軍備を最小限に留めています。
私の不在は、即座に国の空白を生みます。これは私個人の判断で済む問題ではありません」
「第二に、“精霊の異常”は、本来エンデが主導して調査すべき事象です。
予算も権限も人員も、すべてがそちらに集中しているはず。
それを差し置いて、地方領主の私に任せるのは、道理に合いません」
「私にできるのは、ただアリアを守ること。それ以上でも以下でもないのです」
教皇はしばし黙し、表情は仮面に隠れて見えないが確かにその瞳がレイヴンをじっと見つめていた。
そして、静かにゆっくりと頷いた。
「……筋の通ったご意見、確かに受け取りました」
その声に失望も苛立ちもない。静かな敬意すら滲んでいた。
「忠義を捨て、使命に生きる者は多い。
だが、自らの地を離れぬことを信条とする者もまた、貴重な存在です」
「無理にとは申しません。
アリアの均衡が貴方の存在により保たれていること、我々も理解しております」
「──しかし、仮に世界がその均衡すら呑み込むような炎に包まれたとき。
そのとき、再び貴方に声をかけることがあるかもしれません」
沈黙のまま、その仮面を見つめ、そして静かに頷いた。
「……その時は、状況を見極めたうえで、判断いたします」
「ええ。そうしてくだされば充分です」
やがて、レイヴンは一礼し、踵を返す。
重厚な扉が再び音もなく開き、淡い光が差し込む。
彼はそのままひとつも言葉を残さずに歩き出した。
足音が空虚な空間に静かに響く。
──これは交渉であったのか、それともただの確認であったのか。
その答えは誰の口からも語られることはなかった。
扉が閉まりきったあと教皇はひとり、静かに呟いた。
「……困った坊やですね。」
その声に、感情はなかった。この会話自体、想定通りだったから――




