ファイル7:人類の知恵の結晶は、考えようになって武器になる
「――なんで小型ロボットが」
帰りの帰路を辿ろうと、車椅子を押して坂道を登り切った時だった。
この河川敷で本来見る予定が無いと思っていた、小型ロボットが飛んで見回りをしていたのだ。
僕と花梨の居る位置からは離れている分、音を立てなければ気づかれないだろう。それでも、小型ロボットが滞在している場所は、帰り道の一直線となっている。
回り道をしようにも、ここは生憎だが河川敷であり、他に迂回ルートは無い。
花梨を車椅子から下ろせばいくらだって道はあるだろう。だけど、花梨を無理させるわけにもいかないし、僕が守らなきゃ、彼女は誰が守れるっていうんだ。
ふと花梨を見れば、花梨も小型ロボットの存在に気づいたのか、真顔でじっとその方角を見ているが、瞳は驚きを隠しきれていない。
僕は思考を巡らせつつ、片方の手をポケットに突っ込んだ。
――この感触、紙。……アイが高性能だっていうのなら、あるぞ!
ちょっとくらい、一つの望みにかけてみますか。
僕と花梨、お互い安全に帰れる、一掴みの方法を。
とりあえず僕は、小型ロボットに気づかれないように、坂道から外れた道沿い……木の陰へと花梨を車椅子ごと運ぶ。
小型ロボットとの距離は離れており、まばらに生えた木の数にして数本以上先だ。
声を潜めていれば、外なのが幸いして温度で感知されることは殆どない。
また花梨に関しては、感情が無い、というよりも隠すのが上手いタイプかも知れないので、離れても問題は無いだろう。
問題は、僕が上手くやれるか……ただそれだけだ。
車椅子を止めてから、物音を立てないようにして花梨の視線の高さで腰をかがめた。
「……なすぅ、アイ、いるよ」
花梨もやはり理解しているらしく、小さな声で話してくれた。
「ああ、分かってる。花梨、すぐ戻るから、待っててもらってもいいか?」
「うん」
花梨の後押しを得た僕は、堂々と立ち上がる。
そしてポケットから小さな四角い紙を取り出し、ささっと折って形を整えた。
花梨がじっと見てきているのもあり、あまり惨状は見せたくないのですぐに終わらせた方がいいだろう。
僕は折った紙を手に持ち、木々の裏を次々と音を立てずに移動していく。
生憎、僕の身体能力は小型ロボットの反応を上回ると知っているので、これくらい造作もない。
それでも、足元の草花で音が鳴る場合もあるから、そこは充分注意している。
小型ロボットとおよそ木の数一本の距離を詰めた僕は、手に包んでいた最終兵器の持ち手を指で持った。
簡単な折り方で作られ、ましてや空を切る機種をモデルとし、折り方一つで飛距離が変わる兵器を持っている。
――人類の知恵の結晶が生み出した最終兵器『紙飛行機』!
確かに、機械仕掛けの小型ロボットの方が、こんな紙よりも性能は比べることなく上だ。
しかし小型ロボット――アイよ。貴様は何か勘違いをしている。
たかが小さな物でも、使い方一つで戦況を変えるという事を。
僕は知っている、小型ロボットの温度感知は曖昧だが、何かと近くの物音への反応は高いと。それはすなわち、付け入る隙の一つになるという事。
僕は心の中で、三、二、一、と数えてから、紙飛行機を小型ロボットの居る場所より少し先の所へと飛ばした。
紙飛行機は、小さくアスファルトを叩いて音を鳴らした。
そして小型ロボットの視界には案の定映らなかったらしく、紙飛行機の落ちた方へと向かっている。
僕はその一瞬の隙でスタートを切り、距離を詰めた。
小型ロボットの反応よりも速く、拳を振り下ろして地に落とす。
僕の拳はロボットの装甲を破り、地に落ちた衝撃で本体についていた周囲の部品を散らばせた。
「ふぅ、どうにかなった」
花梨の安全、ましてや僕も安全に生き残る方法を考えての一か八かだったので、成功したのもあってか息をこぼさずにはいられなかった。
「見回り、ここまで拡大していたのか……仲間、大丈夫かな……」
壊れた小型ロボットを見て、心配しか湧かなかった。
反逆者は今でも少数で隠れていると思うが、アイの活動範囲が広がっているとなれば、ただでは済まないだろう。
僕に関しては、恩人兼師匠に恵まれていたからこそ、こうして小型ロボットとタイマンを張れるに過ぎないのだから。
また見回りがここまで回っていたのもあり、これ以上は河川時に来られない覚悟はするべきだろう。
その時、こちらへ近づく音が聞こえてきた。
地をはじいて回るゴムの音……車椅子、花梨だ。
花梨は、僕の様子を終始見ていたのか、安全と分かって隠していた木陰から出てきたのだろう。
「……花梨」
「なーすぅ……」
いつものおっとりした声だと思うのに、何処か心配しているように聞こえる。
花梨は僕の名前を呼んだあと、小さな手で弱弱しくもどうにか車椅子を動かし、壊れたロボットへと近づいていた。
壊れたロボットへと向ける花梨の視線は、冷たいように感じる。
僕が勝手に感じているだけなので、花梨は冷たい目で見ていない可能性だってあるだろう。
ただ、勝手に感じただけだから。
そんな花梨の様子を見つつ、僕は花梨の視線に合わせて腰をかがめる。
「花梨、惨状を見せてすまない」
「なすぅ、どうして、謝るの」
そう言えば、花梨はいつも僕が謝れば、疑問気に尋ねてくる。
多分だけど、花梨は謝られる、というよりも謝る感情を知らないのかもしれない。
そうやって考えれば、いくら僕が花梨に謝罪をしたとしても、彼女の心には響かないだろう。
僕は悩んだ仕草をして、どうやって感情を伝えればいいのかを考えた。
謝ることは出来ても、簡単にできるようなものでは無い。だって、本当に相手を思っていなければ、謝った言葉、それは口から出た嘘になるのだから。
「それは……僕が、花梨を大切に思っているから」
「たい、せつ……」
「そう、大切。謝るっていうのは……僕が考えるには、相手に嫌われたくない、相手との溝を生みたくない、っていうエゴが生み出した言葉の感情だと思っているんだ」
正直、自分でもなにを言っているのか不明だ。
それでも、僕が思っていることを伝えるために、言葉を紡ぎ合わせる。
「でも、僕は違う。相手と、花梨と心から仲良くなりたいと思っているから、どんな些細なことでも、気遣うようにしたい……その気持ちから現れた、僕から花梨に送る感情だ」
「なすの、感情」
花梨は真顔でぽつりと呟いた。
内心では感情の花が芽生えていることを祈るしか、僕にはできない。
そう、感情があるからこそ、世界がどれだけ闇に包まれようと、世間が騒ごうと、見ている世界は明るく見えるのだ。
日々の幸せに、当たり前に、その全てに感謝する感情を胸にしているから。
「なすぅ、これ」
その時、花梨は壊れたロボットを漁っていたのか、小さな手を伸ばし、謎のチップを見つけていた。
見た目的には、電子機器の外部へデータを保存するためのものだ。
跡形もなく壊したつもりだったが、これだけ頑丈となれば、アイの秘密が眠っていてもおかしくないのかもしれない。
「……花梨、ありがとう。受け取らせてもらうよ」
「はい」
花梨から手渡されたチップは、僕の見立て通り間違いなさそうだ。
ふと気づけば、花梨がじっと見てきていた。
「それ、持ち帰るの」
「ああ、持ち帰る」
「どうして」
「好奇心っていう、人が未知を解明するための……恐怖や心配、ワクワクとかが混ざった複雑な感情、かな」
花梨は病院内で何度か感情の質問をしてきたので、好奇心という感情は持っているだろう。
僕自身、感情を全て理解しているわけではない。だって、花梨を思うこの気持ちは、未だに分からないから。
――僕はこの気持ちの心理を知った時、何を思うのか。
そんな考え事をしつつも、不思議そうにじっと見てきている花梨を横目に、僕は車椅子の持ち手を持つ。
小型ロボットと遭遇してしまった分、ここに長居はしづらいのだから。
また花梨の帰る時間を考えても、ちょうどいいのかもしれない。
「……感情って、色々あるんだね」
「……ああ、僕たちが知らない程、身近にな」
この時、彼女が微笑んだように見えた。
日差しが当たって眩しかったからではない、確かにこの目で僕は、花梨の微笑む横顔を見た気がする。
――僕は彼女に、感情を教えられているのだろうか。
空が夕焼けになりかけた頃、花梨を病院まで送り届けていた。
道中とくに心配事がなかったのは、不幸中の幸いと言えるだろう。
病院が近づくにつれ、花梨の瞳からは色が抜けているように見えたが、アイの場所と意識してしまったからだろうか。
彼女を、花梨の感情を、どうにかしてあげられたら。
車椅子の音鳴り響く中、病院のドアより少し離れたところに着いたところで、花梨は僕の手を小さな手で優しく叩いてきた。
「なす、出口の別れで、大丈夫」
僕は花梨の言葉を信じて、車椅子から手を離した。
花梨は、僕がアイに会ってしまう範囲になる可能性を考慮して、離れた場所で大丈夫と言ってくれたのだろう。
僕がエントランスから自由に出入りできるのなら、花梨を病室まで送り届けたかった。
今日は見回りの範囲も含め、花梨と夜に会うのは危険と判断して、ここでお別れになってしまうのだから。
僕は目元に溜まりかけた水を拭い、そっと花梨の横に腰を下ろした。
そして、じっと見てくる花梨を横目に、花梨の耳元へと口を近づける。
「花梨、また明日。今日は楽しかった」
「……なすぅ、その言葉は、なに」
花梨は、楽しい、という感情すら知らなかったのか。
花梨が感情を知らない、と言っていたのだから、知らなくても当然か。
「楽しかったっていうのは、心が温かくなったり、頬が緩んじゃったり、一緒に居て輝いている、的な感じかな」
花梨にわかりやすいように、身振り手振りで説明して見せた。
花梨は理解したのか、静かにうなずいている。
「……また明日、は」
「また明日、か……さようなら、を意味する感情、っていうよりも言葉かな」
「感情じゃない、言葉」
なんというか、ちょいちょい復唱してくる花梨、可愛いな。
さようなら……それは本来であれば、寂しさを湧き上がらせる感情、孤独を覚えてしまう感情、といったマイナスイメージもあるだろう。
それでも僕は、この言葉には感情というよりも、魔法のようなおなじないだと思っている。
「ああ……その時間では相手との別れを意味するけど、また笑顔で会おう、っていう魔法の言葉だって僕は思ってる」
「私、笑顔になったことも、表情を変えたこともない」
うん、正直そういう返答をしてくるとは思っていたよ。
だって、花梨が「表情を変えたことがある」って言ったら僕が驚きを隠せないから。
気づけば僕は手のひらを軽く握り、花梨の方に向けていた。
そして手の甲を、花梨の胸元へと当ててみせる。
言葉で伝えながらも、行動で伝えるために。
「大丈夫だよ。ここにある、感情だから」
「……感情」
笑顔になる必要は無い。
だって言葉には魔法がかかったように、温かな感情がぎゅっと詰まっているのだから、
言葉だけではない、心から湧き上がる、人間の持つ本能の意思が、感情が。
人間じゃないアイが絶対に知ることのない、人類の持つ、繋がる力。
僕は花梨に感情を教えていくうちに、彼女の感情を頂いているのかもしれない。
にこやかに言い切ったのはいいが、花梨はじっと見てきていた。
思わず僕は、自分の伸ばした手の甲に目をやった。
それは確実に、花梨の柔らかなふくらみに触れている。故意的では無いにしろ、意識してしまったのもあり、手の甲から確かな感触が脳へと送られてきていた。
僕は本当に、花梨に対しては、生きる罪を背負うべきだ。
いや、男としては確かに触れてみたい気持ちがあるにはある。だけど、嫌われるために触れる愚か者はまれだろう。
僕ははっとなって、花梨に触れていた手を離した。
中央上だったので、まだギリギリセーフだろう。いや、セーフであってくれ。
花梨は何を思ったのか、僕の手の甲が触れていた場所を触るように、小さな手で撫でていた。
「えっと、その、すまない」
「……気にしてない」
気にしていない、と花梨が言ってくれても、僕は気にするしかない。
でも、花梨に嫌われていないのなら、ありがたいものだ。
――僕の手よ、自重してくれ。
ただ、心から願うしかなかった。
ふと気づけば、花梨は僕の耳元に口を近づけてきている。
今にでも温かな吐息がかかる距離は、心臓の鼓動を速めてくるようだ。
「……なす。楽しかった、また明日」
「えっ。……花梨、また明日」
気づけば僕は、花梨に笑顔を見せていた。
僕が笑顔のお手本を見せて、花梨がいずれ笑顔を見せてくれるようにと願って。
僕は、花梨が病院に入ってアイに迎えられるのを確認してから、病院を後にするのだった。
花梨から貰った、温かな気持ちを胸にして。