表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/20

ファイル6:自然と共鳴する感情に名前を付けて

 あの覚悟を決めた夜から、数日が経っていた。

 今日は太陽が煌々と輝く中、僕は車椅子を押している。

 もちろん、車椅子に座っているのは病院で出会った少女こと、花梨だ。


 何故かはわからないが、花梨はアイから外出の許可を得られたらしく、外に一回だけ出られる機会を設けている。

 そして本日、アイにバレないよう病院に迎えに行って、エントランスの途中まで出てきた花梨を連れ出した形だ。


 外に出て落ちついたのか、花梨はいつも通り真顔でおっとりした様子だが、太ももの上に上品におかれている手が気楽そうに見える。


 花梨は病院服を着たままであるが、病院服の隙間から見える白い肌は、太陽の光に当たって血色の良さが垣間見えていた。

 今まで夜に出会っていたのもあってか、こうして太陽の下を一緒に歩めるのは嬉しいものがある。


 花梨に関して、体が悪いという訳ではないらしいが、長く病院生活を送っていたのもあり、自分の足で歩くのは人の手を借りないと困難なようだ。

 リハビリで歩くことはしていても、初めて外に出たとなれば、何かしらの恐怖もあるだろう。


 花梨を安全に考慮してエスコートしつつ、決めていた場所へと向かっている。

 場所は、河川敷だ。あそこなら、見回り用の小型ロボットが少ないのと、花梨も少しは気が楽になると思ったからだ。


 紙に沢山まとめていたが、まさかこの情報が役に立つとは思わなかった。


 今日くらいは、花梨の感情が見られたらな、と思ってしまう僕は子どもっぽいのだろうか。


 風が柔らかに吹く中、僕たちは道沿いを進み、河川敷の方へと近づいていた。


 河川敷に近づいているのもあってか、生えている木々を緩やかに揺らし、水分を含んだ風が優しく肌を撫でてきている。

 その時、花梨がピクリと震えた。

 花梨の震える瞬間を見てしまったのもあり、車椅子が変に揺れたのか、もしくは不慣れな気候に体調を崩してしまったのではないか、と色々な思考が脳を巡る。


 顔を後ろから覗いても、花梨は顔色一つ変えておらず、本当に何で震えたのかが分からない。

 花梨は、僕がのぞき込んできていると察したのか、僕の方に視線を向けた。


「花梨、どうした?」


 と聞いてみれば、彼女の瞳は柔らかに揺れた。

 感情がないとはいえ、瞳は嘘をつけないらしい。


「……空気、冷たい」

「ああ、そういうことか……」


 ふと思えば、花梨は今まで病院生活をしていたのだから、水を含んだ自然の風に肌が触れるのは初めてだったのだろう。

 とはいえ、自然も小悪魔だ。


 感情が無い人間にすら、好奇心を刺激してくる妖精が住んでいるのだから。


 僕はもしもの事も考えて、間を置きつつ周囲を見渡した。

 小型ロボットが巡回している可能性は低いには低いが、絶対とは言い切れないのだから。また、他の人間はアイに飼われているため、街中を歩いていることは基本的に無い。


 周囲の安全を確認してから、僕は車椅子を止めて、花梨の前に腰をかがめて視線を合わせる。


「それはな、人が知らず知らずに持っている、自然を感じる、っていう感情さ。……もしくは、自然に触れ合う神経、って言った方が花梨には聞こえがいいかな?」

「……自然を、感じる」


 この世の中……主に反逆者の間ではあるが、顔や気持ちだけにとどまらず、普段の日常にあるものをとらえる現象を、総称して感情と呼ぶようにしている。


 人によっては、当たり前のことに感謝する、という感情に近い。


 反逆者の間では、アイに支配された世界で小さな感情を知る喜びに浸れる、魔法みたいなものだ。


 感情が支配されてしまった世界で生きているからこそ……感情があった世の中の時に、ひと時の感情に任せて『面白くない』の一言でまとめていた者を許すつもりはない。


 身近になりすぎて、当たり前だと思い込んでいる愚か者に対しての『怒り』という感情だろう。


 面白くないというのは、固定概念に阻まれ、視野を広く持てない者が口にする、逃げるための口実に過ぎない。考えることを止めた人間は、人の思考を理解したがらないのだから。


 気づけば僕は、花梨を見ている際に考えごとをしてしまい、眉を下げていた。

 考えることを止めた人間……それの行きつく先が、人工知能に飼われること、なのだから。


 花梨は僕の話をしっかり聞いていたみたいで、じっと見てきている。

 光のあたった茶色の瞳に、僕の姿は暗く映っている。

 駄目だ。花梨が居る前で、弱音を吐く気も、落ち込む姿を見せる気も無い。


 僕は、彼女の、花梨の為に今こうして、河川敷へと向かっているのだから。


「……感情って、多いね」

「ああ。アイだって、人間の感情は全て理解できていないだろうな。だって、人間は生きるためなら、どんな逆境だって超えていくんだから」

「そうなんだ」


 花梨のおっとりした声の中に、初めて温かな感情が聞こえて気がした。


「えっ、ああ……僕の行きたい場所にもうすぐ着くから、話はこれくらいにして行くか」

「うん」


 僕は立ち上がり、花梨の膝上に掛けてあったブランケットを整えてから、車椅子を再度押した。


 ――なんで、花梨と話しているだけで、こんなにもどきどきするんだよ。


 僕の心の中にあるもやもやは、きっと彼女に気づかれていないだろう。

 数日前、口についた感触が未だに離れていないように。


 しかし河川敷に行くついでとはいえ、花梨の思わぬ様子を窺えたのは嬉しいものだ。

 空気が冷たい、って言う前にピクリと震える仕草とか、可愛らしいにも程がある。


 まあ、僕はそれ以前にあたふたしたので、もうちょっと冷静さを保つ必要はあるだろう。


 そうこうしているうちに、僕たちは河川敷へとやってきた。


 昼間から外出したのもあり、太陽は斜めから光を川に当て、銀色に光輝く世界を見せてきている。


 僕自身、久しぶりに河川敷に来たが、未だに綺麗に流れる川を見られるのは言葉が上手く出てこない。


 河川敷の坂上から見ているだけでも、心が安らぎそうだ。


 車椅子を止めてしまったのもあってか、花梨はじっとこちらを見てきていた。


「なすぅ……ここは」

「ここは河川敷、って言われる場所だ。今でもアイの手が加えられていない、自然そのままの、な」


 花梨は納得したのか、静かにうなずいていた。

 また川の方を見ている辺り、きらきらと輝いているのが気になるのだろう。


 僕はそんな花梨の様子を見て鼻で小さく笑ってから、車椅子を進める。


 アスファルトの引かれた道沿いを通り、横に生えた木々の近くを通り抜けていく。

 木々が手つかずのままになっているのもあってか、差し込む太陽と共に、揺らした葉で影をちらつかせ、僕らの進む道を守ってくれているようだ。


 花梨の日焼けを心配していたが、日光的にはそこまで強くないので、よほどのことがない限り日焼けはしないだろう。


 今居る河川敷は、様々な種類の石が転がっているタイプというよりも、以前人々が人工的に生み出した敷地に、草花が生え放題となっている場所に近い。また、川辺の方はしっかりと四角い石畳が引かれているので、半々といった形だ。


 花梨が車椅子なのもあり、川の方に繋がる坂道から下りていく。

 川に近づくにつれ、冷たい風が肌を撫で、生きていることを伝えてくる。


 車椅子、そして僕の靴は草を踏みしめる音を立て、転がる石をはじいて音を立てた。

 また自然のままに流れる川のせせらぎだけが唯一、近未来化していない、命の芽吹きを伝えてきているように感じる。


 花梨は川を見たのも初めてなのか、横からは真顔に見えるが、きょろきょろと見渡しているようだ。

 僕は思わず、花梨の仕草に微笑みを隠せないでいる。


「なすぅ、川ってなに」

「うーん……細かくは分からないけど、自然に流れている、生きた地球から湧き出た水の事かな?」

「なす、疑問気」

「まあ、地球の全てを解明する方が不可能に近いから」

「そうなんだ」


 花梨は納得したのか、ゆっくりと頷いて見せた。


 僕は花梨がうなずいたのをいいことに、川の方へと車椅子を進めていく。

 流れゆく川は透き通っており、輝く銀の世界を見せては、遥か彼方へと絶え間なく流れている。


 花梨が車椅子に乗っているのもあり、川に近づけるのは危険と判断して、石畳のデコボコしていない場所で止めた。


「花梨、ちょっと待っててくれ」

「……うん」


 花梨にそう言って、僕は川の方へと近づいた。

 川に手を入れてみれば、太陽の光とは違い、凄く冷たい。

 ひんやりとした感覚に、思わず手を入れたままにしたいと思ってしまう。


 というか、ぼんやりと川を眺めるために花梨を待たせているわけではない。


 僕は両手を上向きで重ね、水をすくう。

 水がこぼれないようにしているのもあり、手の平ですくわれた水は、太陽の光で煌めいている。


 水をすくった僕は、花梨の方に戻った。


「花梨、手を出して」

「うん」


 花梨は小さな手を伸ばし、花梨の足よりも先に出してくれた。


 心配が一つ消えたので、心の中でほっとしておく。

 そして瞬く間もなく、僕は花梨の手にすくった水をかけてみた。

 花梨は突然やられて驚いたのか、目を見開いて、僕の方をじっと見てきている。


 その瞳から理解できることは、冷たさに驚いている、という感情だろう。


「花梨、大丈夫か?」

「うぅん……もう一回」

「えっ……わかった」


 驚いたが、僕は彼女の要求を呑む。

 花梨は、僕に対して初めて我がままを、感情を見せてくれたのだから。

 川から若干離れているので、出来る限り車椅子を押して近づけ、すぐにでも花梨の手に水をかけてあげられるようにした。


 僕が水をすくえば、花梨は待っていました、と言わんばかりに小さな手を伸ばしている。

 なんか幼く見えるのに、可愛い。


「ほいっ」

「冷たい。……もう一回」

「ああ、花梨が満足するまで、何回でもやってやる」


 水をすくっては、花梨の手にかけて……それを彼女が望む度に、僕は何度も繰り返す。

 だって、彼女は初めて水に触れた子どもの様に、好奇心を露わにしたのだから。


 今まで真顔だった……いや、今でも真顔なんだけど。花梨は、我がままを、感情を口にはしていないが、言葉で表してくれた。


 河川敷に来てよかった、と心から思えた。

 キッカケは何だっていい、花梨の感情を揺らす出来事は嬉しかった。


 水をかけている際に聞いてみたが、花梨は川の水に触れたことがなかったらしく、冷たさから「もう一回」とねだっているらしい。


 何回か続けたのちに、花梨は満足したのか、じっと見てきていた。


「なすぅ……どうゆう感情」


 おっとりとした声で、初めて感情なのか質問された。

 僕は嬉しくなって、ついつい口角を上げる。


「驚きや興味、直で自然を感じたい、っていう欲求かな」

「そう、なんだね」


 花梨は自身が感情を持っていない、と思っていたからなのか、どこか息詰まったような感じを見せた。


 僕としては、アイにバレないで感情を持てるのなら、それで良いと思っている。

 僕や、反逆者に関しては、アイに隠れてコソコソ感情を持っているのが嫌だからこそ、こうして感情を表に出しているにすぎないのだから。


 とはいえ、こうしてアイに追われては隠れて生きているのだから、感情を隠し持っている方が安全だろう。

 結局のところ、花梨が感情を持っているのかは不明だが、少なくとも感情を知らず知らずに持っているのかもしれない。


 アイの場所では見る機会がないだけで、こうして外に出れば、人は人の持つ姿を見せてくれるのだから。


「なすぅ……優しいし、物知り、だね」


 優しいと思うのも感情だから、と言いたかったが、言葉にすれば花梨が否定しそうなので、僕は声に出さないで笑っておく。


 花梨は笑ったことを不思議に思ったのか、じっと真顔で見てきている。

 ふと気づけば、花梨は何を思ったのか、車椅子から下りて川に近づこうとしていた。

 歩けるのかと思ったが、花梨は自分の体を持ち上げるだけでも精一杯なのか、車椅子の足置きの時点で若干ふらついている。


 そして案の定、車椅子から手が離れようとした瞬間、花梨の体が宙に浮く。

 時がまるでゆっくりと流れて止まる中、僕は身体が無意識に反応して、花梨の真正面に体を差し込んでいた。


 そして落ちてくる少女を、全身で優しく受け止める。

 花梨が傷つかないように、勢いを殺しつつ抱きしめて、包み込むように。

 安心して息を吐いたのも束の間、花梨との距離感の近さに、僕の鼓動は速まっていく。


 受け止めるのが真正面からだったのもあって、花梨との体の距離は無いに等しく、ぴったりと柔らかな感触が伝っているのだから。

 やっぱり、男の性というのは、鼓動が嘘をついてくれない。

 羞恥心、この感情だけは慣れたものじゃない。


「えっと、ご、ごめん」

「なす、助けてくれた。なんで、謝るの」

「それは、その……距離感的な」

「……分からない」

「うん、分からなくていいと、思う」


 この子、ここら辺の感情が無いのか、僕は気まずいのに、彼女の質問に疲れそうだ。

 花梨とは長く居たいが、帰る時間等を含めても、あまり長居するのも良くないだろう。下手すれば、被検体一号と呼ばれた彼女を、アイが捜索する可能性もあるのだから。

 日差しは傾きつつあるので、病院までの距離を考えると、夕暮れ時には着くはずだ。


「花梨、その、帰るか」

「……うん」

「また、一緒に外を探検しよう」

「……外の世界、また見る」


 花梨の表情には感情が無いのに、言葉にはたくさんの感情が詰まっているようだ。

 そうして僕は帰路を辿るため、花梨の座る車椅子を押して、来た道を戻ることにした。


 病院に着いたら、今日の花梨との楽しかった時間に幕は閉じる。そんな、寂しさにも温かさがある思いで――坂を上りきった時だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ