表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/20

ファイル4:私は感情を隠して生きる選択をした

 なすが帰ってから、私は外を眺めていた。

 今でも残っている不思議な気持ちは、何もわからない。

 確かにあるものはふかふかのベッドに、枕、そして微かに残った香りだけ。


「……なすぅ」


 彼は他人であるはずなのに、私はポツリと、名付けた彼の名を呟く。

 感情? 私はそんなもの持ち合わせていない。

 感情があるのなら、私はとっくにこのベッドから居なくなっているもの。


 それでも、彼が来たり、帰ったりするときに通る空いた窓を、じっと見てしまう。


 なすは、彼は、下手すればアイに襲われてしまうかもしれないのに。

 自分の身を顧みず、私の……また来てほしいっていう我がままを、彼は引き受けてくれたの。

 病室の外を知らない私でも、外がアイによって危険なのは知っている。でも、彼には言わない。言ってしまえば、それはすなわち自我、感情に当たってしまうから。


 この手で掴める範囲に来てくれる彼に、私はなんて声をかければいいの。

 そんなの、分からないよ。

 ううん……きっと、わかったらダメだよね。

 わかったら、理解してしまったら、私は後戻りできなくなっちゃうから。


 アイから教えられている学習で知っている。これは、恋しいって思うことだって。

 でも恋しいって言葉を知っているだけで、意味は知らない。うん、知らない。

 どきどきするような鼓動に、私は静かに首を小さく振っていた。


(……いつまで続ければいいの、疲れちゃった)

「……アイすらも騙せる感情を持っているの、演技ができるの。……知らない」


 知らない、彼の言っていた言葉で言うなら、私なりの「おまじない」かもしれない。

 私が、私自身に疲れた時は、いつも言い聞かせるの。

 自分は出来る子、騙せる感情を持って演技ができる、いい子だ、って。


 ――アイは、私の感情が消えきっていないことを未だに知らない。


 私は知っているけど、知らないフリをしている。

 感情を持っていて、その感情を心の奥底で殺している事すらも。

 生きている意味は無いかも知れない。それでも、今はただ、心がムズムズするから生きるの。


「……アイの巡回時間は、まだ先」


 アイ。それは、人々から感情を奪う、人類の生み出した幸福システム。一言で言うなら、もう一つの神様。

 私は知っている、アイが求めていたものを。でも、今の人類に、それは出来ない。気づける人はもう、アイの手によって何処にもいないから。


 アイの巡回時間に今の呟きがかち合ってしまえば、私はたちまち彼に会えなくなってしまう。

 感情が無いから会えなくてもいい、ってわけでは無いの。


 彼が、なすが危険を冒してまで病院に来てくれるように、私も期待には応えたいから。だから、彼が危ないと思ったらベッドに隠して、アイからやり過ごさせる。


 なすには言っていないから知らないと思う。私以外だと、アイに洗脳されているから、その身を感情ありと認識された瞬間にアイに差し出されることを。


 私は、少なくとも感情を持っているの。

 人を、大事な人を売るほど、卑劣な人間になった記憶はないから。

 この手で守れるのなら守ってあげたい。それでも、私は身体が弱いから動かしにくいし、一人で物事をするのも困難な存在。

 なすを引きずり込めたのは、正直以外だと思った。

 この小さな弱い手で、あのがっちりとした肉体を持ったなすを、私の元に引き込めたから。


 それでも私に罪悪感があるのは、彼を騙してまで演技している自分に、複雑な気持ちが湧き出ているから。


 なすの考えは理解しないようにしているけど、少なくとも、信頼はしている。

 感情が無い風に演技している私を、彼は見捨てないで、手を差し伸べてくれるから。

 彼の事を思うだけで、彼に触れられた胸の奥底にある気持ちは、温かいの。初めてだったの、こんな気持ちになるのは。


 心の何処かでは、全てはアイによって支配された感情だ、って知っているのに。

 私はあくまで、アイの言う『被検体一号』だから、感情はない筈なの。


 気づけば、私はそっとため息をついて、自分の弱弱しい手を見ていた。

 この手で、なすを助けたと思うと、どこか温かい。


 ――私は、なすと話すのが好きなのかもしれない。


 人と話すことが好き、というよりも、彼が、なすが特別だから。

 なすと話している私は、感情が出てくるよりも先に、なすに質問をしている。

 私自身の持つ感情を誤魔化すためって私は知っていても、彼には素で質問している気がしていた。

 アイと話していれば、私は迷いなく冷たい反応をするから。


 今日だって、なすともっと話したいから、アイに早く寝たいって睡眠欲求を伝えて、早めに帰ってもらった。でも、彼は何を思ったのか、その数分後には帰っちゃったから、よくわからないの。


 また明日も来てくれる、って言っていたから、早く明日になって欲しいな、って思う私は彼に感情を隠し通せる気がしない。


 オレンジ色の明かりが今も灯る病室で、私は窓の外を見て、気づけばゆっくりと両手を合わせていた。


(……お願い。なすぅだけは、不幸にならないで)


 今は居ない彼を、私はどうしても願ってしまう。

 布団を被れば、彼を隠したのもあって、彼の匂いが鼻から離れようとしない。

 そう言えば、彼はどうしてか分からないけど、布団の中に引き込む度に赤い顔をするの。布団の中、そんなに熱かったのかな?


 私自身、感情が残っているとはいえ、多少の感情を抜かれているから、理解出来ない事も多い。

 だから顔が赤い理由は、なす本人に聞くしかないの。


 感情って何、と聞けば誤魔化す彼は、私の安全を保障しているようなものって知っている。

 だから、顔が赤い理由をなすが話すとは思いにくいから、私自身で考えるしかないのかな。

 手を胸に当てても、分かるのは、柔らかい肉体を持って生まれてきてしまった、ただそれだけ。


 もしかして、なすとの間には、答えなんて不条理はいらないのかな。

 私は、感情を隠すように息を呑み込み、小さな白い手をもう一度胸に当てた。なすに触れられた時のような温かさはないのに、どこか、ほど遠い気持ちが湧きあがっているみたい。


「うっ……けほっ、けほっ……」


 一瞬苦しくなった胸を抑え、片手で口元を塞いだ。

 咳き込む度に、辛いよ。

 なすには気づかれないようにしているのに、私は、私を信じ切れていない。


 口元を塞いだ手を離して、そっと覗いてみる。

 今日は、ちょっとだけ赤い花を広げたみたい。

 自分が生きている、その証拠を。


 自分で咳き込んでおきながら、胸に小さな針がプツリと刺さるようで、痛いよ。

 こんな時に、なすが近くに居てくれたら、何て言葉をかけてくれるの。

 私は、開いた窓から入り込む風をそっと吸い込む。


「……病気を患っている身、延命されている意味が理解できない」


 わざと声に出して、言葉にした。

 延命されているのは事実。でも、死にたい、という気持ちに関して今の私にはない。

 ただ感情が無いことを演技するために、あえて声に出しただけに過ぎないの。


 死を恐れる。それは、人間の持つ感情であり、人として生きていることがアイにバレてしまうから。

 聞かれていることは無いとしても、独り言のように呟いてでも、私は自分に演技ができると言い聞かせる毎日。


 いつまで演技を続ければいいのか分からない。でも、彼の前では、なすの時には感情を見せてみたい。

 なすが受け入れてくれるか分からないけど、私は、なすには心を許しているから。


 私は、この後も生きようとしてか、手に広がった赤い花を布巾で拭きとった。

 そしてゆっくりと起こしていた上半身を横にして、布団をかける。


 ――寝たいのに、寝付けない。


 起きている理由もないから、寝ようと目をつむっても、眠れない。

 彼の温かさが、匂いが、私の心を刺してくるようで。


 私はふと、備え付けられていた時計に目をやった。


「……巡回の時間」


 時計の数字は、気づくとアイの巡回時間を示している。

 眠ることを諦めて、オレンジ色の明かりが灯る病室の中から、そっと月明かりの差し込む窓の外を見た。


 生きている自然は、人間の支配から逃れて、生い茂り揚々としている。……鳥籠の中の私とは、真逆の様に。


 ため息一つこぼしかけた時、小さな音が耳を打つ。

 アイが、小さな浮遊物体が見回りに来た。


 数分もすれば、アイはいつものように病室へと入ってくる。


『被検体一号……山内花梨。寝ないのか』

「……寝付けない」

『そうでしたか』


 アイは、普段なら質問、聞き取りをしたらすぐさま違う場所に行くのに、今日は違った。

 居座っている浮遊物体は、私を見てきているようで、何をしたいのか分からない。


 なすが見たら、一体この子はどうなっちゃうのかな?


 私は、アイに感情を悟られないように、ただ真顔でじっと見ておく。


『山内花梨。長年の病気の結果が出た。前と変わらず、同じ病気。命は、少なく見積もっても一ヶ月』


 アイは、恐怖、という感情の鎌をかけてきている。

 私は知っているの……何度もその罠にはめて、アイに感情があると察せられた、同じ被検体と呼ばれた子達が居たことを。


 今の病室には私一人しかいないけど、前までは三人だったこの病室で起きた、悲劇だから。


 アイの見積もりは、他とは類を見ない程の信憑性が高い話だから、私は頷くしかない。感情を悟られないように、真顔で、ただ人形のように頷くだけ。


 アイは気付いていないみたいで、話を続けた。


『山内花梨、昨日も話したが、病院内にネズミが一匹侵入しているので、注意してください』


 ネズミ……きっと、なすの事。

 私は、彼を、なすをネズミ呼ばわりするアイを許したくない。でも、今感情を露わにしてしまえば、アイの思う壺になってしまうの。


 気持ちを、感情を殺して、私はアイをただじっと見る。


「……ネズミ、アイなら、駆除できるよね」

『すばしっこいネズミ、突然変異は適応外』

「……そうなんだ」

『感情に変化なし』


 やっぱり、アイは話しながらも感情を調査している。

 でも私は生憎、何年もこの生活をしているから、アイの思い通りにはならないの。


 感情以外でアイに見逃されている理由は、本人である私が一番理解しているけど、口にはしない。

 知らないフリをして、感情の無い私を演じきるために。もう一度、なすに会うために。


 気づけば私は、なすの事を思うようになっている。

 私は私を騙すように、アイに我がまま一つ口にした。


「……アイ、病院の外を見たい」

『……その体でどうやってですか。計算しても、山内花梨、被検体一号が外に出て無事の確率は少ない』

「病院の外を、見たい」


 アイを困らせるために、私はわざと同じ言葉を繰り返す。

 これは、なすに言った『夢』を近づけさせるために、私なりの行動に過ぎない。

 なすが良い人であるのなら、きっと夢を叶えようとしてしまうかもしれない。だから、私も私にできることをしておくの。


 今の私は、自分の足で歩くのは不可能に近い。それでも、叶えたい夢までたどり着けるなら、我がままを演技に見せかけて言うの。


『……これだから、被検体一号は』


 呆れたような様子を見せるアイは、私が無自覚だと思っているのかもしれない。


 感情が無い……つまりは言葉を差し押さえる抑制すら存在していないから。

 他者に悪気もなく言った言葉が、相手は悪いように捉えてしまうように、感情の違いで無慈悲なようなもの。


『案には入れておく。期待はしないように』

「……眠るね」

『睡眠欲求を認知しました。部屋を後にします』


 アイと話す気はないから、私はいつもの誤魔化し言葉を口にして、布団にもぐった。

 アイと話すよりも、私はなすと話していたいから。


 アイが部屋を去ったのを確認してから、私は覗き込むように窓の外を見た。


 ――なすを思うこと、明日にでも聞いてみよ。


 なすと話した今日が、なすに触れられた今日の出来事が、今も胸の奥底で光っているようで、温かい。

 私は小さく「なすぅ」と呟いてから、温かな気持ちのままに目を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ