ファイル3:気づけば花梨を思っている
家に帰宅してから、部屋にポツリと置かれた机と見合っていた。
見合っているというよりも、机の上に置いたシンプルな服とか、何枚もの真っ白な紙を前にしているからだ。
「さて、どうするか……」
口から出た言葉をよそに、僕は裁縫道具を手に取る。
今では、針に糸なんかを通して服を縫う人などいないだろう。
オレンジ色の火を灯したロウソクの明かりを頼りに、影すらも調和させ、針の穴に糸を通す。
紙に文字を書く予定でいるが、考えがまとまらないのもあり、とりあえず服を縫うことにしたのだ。
アイが世界を支配している以上、一人でも生きていける術は恩人から嫌というほど身に付けさせてもらった。だから、女の子の服の一つや二つを縫うのくらい、考えながらでもできるだろう。
この服たちは以前、廃業したお店からかき集めた盗品のようなものだ。それでも、命あるものに感謝をし、もう一度命の芽吹きを紡いでもらうために、タンスの中にしまい込んでいたものを昨日のうちに引っ張り出しておいた。
洗濯は朝のうちに済ませているので、手入れさえしっかりすれば日持ちはするだろう。
――どうしたら花梨を……アイからバレずに病室から連れ出せる。
服を縫っているにもかかわらず、気づけば花梨のことを、彼女の事が頭から離れないでいる。
実際の所、文字を書き込むよりも先に服を縫っているのは、もしもの時に備えて花梨の着られる服を用意しておくためだ。
物事を考える合間に、という嘘をついてまで縫っている僕は、花梨の事をどれほど信頼しているのだろうか?
信頼や信用、多分、その言葉は似合わない。
花梨の感情ある夢を聞いたから、僕は自分のやる事と、彼女の夢を重ね合わせて、今を具現化しているようなものだから。
花梨を思えば、胸が苦しくなるようで、何処か温かくて、分からない。
初めてだったんだ、こんな感情。
今の世は、アイに反抗するのなら、まずは自分を保つように生きるので精一杯。だから、他者を、花梨を心配する理由は僕には無い筈だ。
――僕は、僕を信じきれていないのか?
花梨なら、アイの場所に居れば、充実とまでは言わなくとも、生きる権利は最低限与えられているはずだ。食や、睡眠も、住も。
それなのに、なんでアイの場所から連れ出してまで、花梨に外の世界を見させてあげたいと思うようになっているのだろうか。
黙々と服を縫い続ける手は、今の僕には輝かしく見えた。
例えば、花梨がこのシンプルながらも可愛らしい服を着たらどうなのか、とか、カーディガンをベースにした服を着たらどうなのか、といった姿を想像するだけでも、行動力は後押しされるかのように服を縫わせていく。
服を用意するといっても、花梨の体つきを考えても、僕が持っているのだけでは三着ほどが限度だ。
「……いちっ」
なに馬鹿なことをしたのか、縫っている場所に手を置けば危ないと理解しておきながら、僕は軽く指を針で刺してしまった。
かすり傷にもならなそうだが、ちょっと血が出たら嫌なので、針の刺さった指をしゃぶっておく。
――花梨、心配してくれるのかな。……そんな事の為に怪我をしたのか、僕は?
彼女が心配するはずないだろう。
花梨は、感情を持っていないのだから。
もし花梨が隣に居たら、何て考える僕は大バカ者だ。
「ばんそうこう、貼ってもらいたいな……」
ふと思えば、好き、ってなんなんだろうか?
僕は人に恋をしたこともなければ、他者から恋愛の話を聞いたこともない。だから、恋愛感情が花梨に湧いているとは考えにくい。
生まれた頃からアイの支配が広まっていたのを考えれば、そんな感情を沸かす余裕は無かった。
花梨に甘えたい、と気づけば思いかける僕は、本当にどうしてしまったのだろう。
口の中にそっと染みる鉄の味が、空想から現実へと戻してくるようだ。
くわえた指を離してみると、針の刺さった箇所が赤く滲みかけているだけなので、特に問題は無いだろう。
「……縫うのは休憩して、文字を書くか。ペン持った。紙の用意よし! 書く、書いてる!」
言葉にして、行動に移す。意外ではあるが、何気ない確認によって、やらないことを未然的に防げるので効果的ではある。
過去で言えばあれだろう……文字を打っている際に、口からその言葉をそのまま喋っちゃう適な、そんな感じのあるあるといった行動だ。
書き込んでいく文字は、先ほど考えていたものをまとめるだけになる。
下手な文字でも、まとめる事として使えばいずれは咲き誇る武器となるはずだ。
とりあえず感覚で、でかでかと『花梨を病室から連れだしちゃおう大作戦』と書いた。だが、相変わらずのネーミングセンスを考えると、花梨から名付けてもらった「なす」は一番マシな気がする。
僕が知っている限りでは、花梨の体力はさほどないと考えてもいいだろう。それは、彼女が話している際に何度か咳をしていたり、疲れたりした様子を少なからずは見せていたのだから。
病院生活を余儀なくされている、と言っていたので体力が衰えてしまうのだろう。
そして問題は、アイにバレずに連れ出せるか、という事だ。
正直、十中八九無理だろう。
いくら窓から侵入して、花梨を抱きかかえて外に出たところで、アイの巡回時間で絶対にバレてしまうのだから。
出来る事なら、花梨の迷惑にならず、お互いに安心した時間は欲しい。
小型ロボくらいなら素手で壊せるが、壊して解決するとアイの怒りを買いそうだ。
アイは人間の敵というより、人間の生み出してしまった、負の遺産と言える存在だと僕は思っているのだから。
服は準備中であるが、実質準備出来ているので無問題だ。
花梨の体力、帰る時間、連れ出せる瞬間、それらを全て考えないといけないのは辛いが、彼女の感情を見られるのなら全力で遂行したい。
気づけば、書き込んでいた紙はぎっしりと文字で埋まっており、自分でも書いたという自覚が無い程だ。
僕は一枚だけ書ききった紙を手に持ち、壁に貼っていく。そしてまた文字を書いては、それを繰り返して貼っていく。
一時間にも満たない間で、数え切れないほど紙は文字に埋め尽くされ、壁に貼られていった。
そこから繋げて導き出される計算があるとは思えないが、とりあえず考えを繋げる。
――前の世代なら、確実にアイの餌食だったんだろうな。
文章を紙でまとめず、ネットを酷使していた時代は、アイの絶好の的だっただろう。
個人情報、国家機密、情報漏洩しないよう厳重に保護されていたそれらは、アイの持つ情報技術の前では全て無意味となったのだから。
しみじみとなりかけた自分に首を振り、僕はもう一度、服や紙と向かいあう。
隙間風に揺れるロウソクの火は、心の隙間をくすぐるかのようで落ち着かない。
遅い時間であるのに、眠気とかよりも先に、やる気の方が今や今やと満ち溢れている。
一昨日の僕が聞けば、確実にありえないと言って首を振っているだろう。しかも、自分の事ではなく、ほとんどは花梨の事を優先した考えばかりだから。
文字を書いたり、続きの服を縫って整えたり、とせわしく時間を浪費しているのに、時の流れは今までよりも遅く感じている。
僕は、自分を大事にしていないわけではない。どちらかと言えば、自分のやりたい事を貫き通す方だ。
それでも花梨を思うと熱くなる胸に押されて、今はただ、彼女を思ってやり通したいと思っている。
ふと思えば、最初の時もだが、花梨の事ばかり考えている僕は本当に何なのだろうか?
言ってしまえば、ただ偶然出会ってしまった存在だ。彼女の為に動く動機は無い筈なのに、分からない。
不思議に思っても、自分がそうするべきだと思っているから、僕は手を動かしている。
「……今を生きるために、アイの脅威から解放されるために動いているんだ、僕は」
と言ってみたものの、自分の心は花梨に揺らいでいるのか、花梨の姿が離れようとしない。
服を予定数縫い終わらせ、ふわりと畳んでいく。
花梨が着ることも考慮し、シワにならないようにしつつ、いつでも着られるような折り方をして。
病院服以外の花梨の姿を夢見る僕は、一体彼女に何を求めているのだろうか。
服を畳み終え、テーブルの端に避けつつ、もう一度文字を書いていく。
アイに邪魔されても、花梨の夢を、僕のやりたいことをやりきって、悔いのない物語を送れるように。
誰かに言われたからではなく、最後に決めたのは自分だ、とちゃんと言い張れるように。
他者のせいにして、自分の非を認めないのは簡単だ。でも、自分が成長するために、僕は僕らしく、今を生きる。
――同じ志を持った皆、元気かな。
世界……アイから反逆者と呼ばれる僕の同志は、日本だけでも残りわずかだ。
海外に関しては、自分勝手な者が多かったからか、何故か全滅したらしい。だから、残った日本人は奇跡と言える。
日本というこの国は、エーアイの搬入が他国より遅かったのもあり、アイの支配が遅れ、アイの寝床となってしまったのだろう。
アイの情報は無いに等しいが、少なくとも、道具として見てくる人間を許す気はないらしい。
考えつつも、文字を書いた紙を貼るために、僕は立ち上がって壁際へと向かう。
壁には、先ほどから書き続けていたのもあって、これでもかと計画の書かれた紙が張り詰められている。
隙間が無くなりそうなので空白を探していれば、一つの紙が目に映った。
一つの古びた紙を見た僕は、思わず視界が歪むようだ。
「帝国の皆、会いたいよ」
僕は、アイの居るこの町で生まれ育ったわけではない。
分け合ってこの町に越してきたのであり、僕の意思とは無縁である。
帝国と呼ばれたあの県は、幼い頃の僕にとって、かけがえのないほど思い出の場所だ。
皆がアイの被害にあってないか、と心配する想いをしまい込むように、僕は胸に手を当てて、首をそっと横に振る。
帝国に居る生き残りを細々しくも恋しく思うのは、それほど大事にされたからだ。
その紙に触れないようにしながら、書き終えた紙を壁へと貼り付けた。
「ふぅ……書き終えた。あっ、服をケースに入れるか」
つけていたロウソクが半分以上溶けた頃、僕はぐっと背伸びをした。
何時間集中して作業していたのか分からないが、夜は更けていると理解できる。
僕は鞄をタンスから取り出し、縫い終えた花梨に着てもらう予定の服をしまっていく。
縫ったものだけでは足りない服もあるので、また後で収集する必要があるだろう。
花梨の為と思いながらも、ここまで頑張った僕はよくやった。
「……なす、偉いぞ」
僕は、自分で自分の事を褒めたのもあって、恥ずかしくなって鼻で笑った。
褒めてもらうのなら、感情のある花梨に褒めてほしいな。例えどんな表情でもいい、『なす』、その一言が聞きたいだけだから。
妄想ばかりの今は、楽しめているのかもしれない。外に出てアイに追われていた日々を考えれば、必死に生きる気持ちはあれ、寂しい気持ちを花梨で埋められるようになったのだから。
花梨の前で言う気はないが、本当に、彼女の事ばかり僕は考えて、弱さを、感情を隠して生きている。
服を鞄にまとめ終えてから、僕は窓を開けて、カーテンを風になびかせた。
ちょっと離れれば、カーテンの揺らぎは差し込む月明かりも相まって、昨日の出会いを昔の事の様に思わせてくるようだ。