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傷痕姫の契約結婚  作者: 染井由乃
序章 精霊の使いと傷痕姫
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第1話 傷痕姫の結婚式

「ソル・グロリア。あなたはエステル・エル・レヴァインを妻とし、生涯をかけて守り慈しむことを精霊エルヴィーナの名の下に誓いますか」


 分厚い純白の布で仕立てられた神官服に身を包んだ、最高位の神官長が低く地を這うような声で尋ねた。私に聞いているのではない。私の隣に立った青年に聞いているのだ。


 青年は月の光を溶かし込んだような銀髪と、神秘的な紫の瞳を持つ、彫像のように美しいひとだった。


「はい、誓います」


 銀髪の青年は迷いなく答えた。白と銀を基調とした礼服に身を包んだ彼は、こうしてみると聖典に出てくる清らかな精霊のようだ。


 ……私とは、何もかもが違う。


 ソル・グロリア子爵令息。人々に愛され、求められ、祝福される美しいひと。舞踏会の広間の片隅から、彼の姿を何度目に焼き付けたことだろう。色とりどりのドレスを纏った令嬢たちに囲まれてもなお、彼は輝くような美しさで、わざわざ探さずとも自然と目に飛び込んできた。


 ――このまま夜風にあたっていてはお体に障ります。よろしければ、僕に馬車まであなたをお送りするお許しをいただきたい。


 誰からも愛される彼は、誰からも蔑まれる私のような者にも、平等に心を配ってくれた。彼にとってはとりとめもない出来事だろうけれど、あの日のことは一日だって忘れたことはない。


 それくらい、私にとって彼は特別なひとだった。何に代えても手に入れたいひとだった。


 ……だから、私は卑怯で品のない手段をとることにしたの。


「エステル・エル・レヴァイン。あなたはソル・グロリアを夫とし、生涯をかけて慈しむことを精霊エルヴィーナに誓いますか」


 神官長に尋ねられ、そっと唇を開く。


 あとは心の中で用意していた言葉を紡ぐだけなのに、どうしてか、ぐ、と息が詰まってしまった。


 ……いけないわ。こんな大切な場で沈黙を作るなんて。


 けれど、焦れば焦るほど声が出てこなくなる。大神殿中の人間が私の言葉を待って静まり返っていると言うのに、私はばくばくと鳴り響く自分の心臓の音に支配されて、追い詰められるばかりだった。


「……エステル?」


 ささやくように、ソルが気にかけてくれる。私が宝物に思っている、あの夜と同じように。


 ……そうよ、ここまできて、何を怖気付いているの。


 背筋を伸ばし、自らを奮い立たせる。いちどだけ深呼吸をすれば、自分でも驚くほど冷たく鋭い声が出た。


「――ええ、誓います」


『傷痕姫』の異名にふさわしい、可愛げのない声が響き渡る。


「それでは、誓いのくちづけを」


 おずおずとソルのほうへ体を向ける。私が被る薄いレースのベールに、彼の長い指が伸びるのを怯えるような気持ちで見ていた。


 ベールがゆっくりと頭の後ろへよけられ、顔を隠すものが何もない状態で彼と向かい合う。それだけで、どっと冷や汗が出るほどに緊張した。


 だって、私の顔は醜いのだ。幼いころの火事で負った火傷の痕が、左目のすぐそばに今もくっきりと残っているのだから。


 身をこわばらせている私の様子に気がついたのか、彼は慈しむようにわずかに眉を下げて、ゆっくりと身をかがめた。


 そうして、参列者たちには見えないような角度で、頬にくちづけを落とす。これが、私たちの誓いのくちづけだ。唇にはしないでほしいと、あらかじめ伝えてあった。彼は約束を守ってくれたのだ。


「精霊エルヴィーナの名のもとに、ふたりを夫婦として認めます」


 神官長の声が終わるや否や、大神殿の鐘が建物中の空気を震わせるような大きな音で鳴り始めた。


 聖なる鐘の音の中、ソルは私の肩に手を置いたまま、いつまでも私の顔を見ていた。思わず、後ろに流したベールを手繰り寄せ、再び顔を隠そうとする。


 再び薄いレースで顔を隠す直前、厳かな鐘の音の合間に、彼はふっと口もとを緩めてつぶやいた。


「――のようだ、エステル」


 囁くようなその言葉のすべてを聞き取ることはできなかったが、それでよかった。呪いの言葉ならばいいが、偽りの愛の言葉だったら心が苦しくなるだけだ。


 くしゃりと表情を崩しながら、薄手のベールで顔を隠す。いつも通りの「傷痕姫」の姿に戻れば、たちまち世界がくすんで見えた。


 ソルが差し出した手に自らの手を重ね、参列者たちの間に伸びる通路をゆっくりと歩き始める。探るようなまなざしや、好奇心を隠そうともしない表情ばかりがやけに目についた。


 ……それはそうよ。私は、祝福されるべき花嫁ではないもの。


 きっと、皆不思議でたまらないに違いない。社交界で蔑まれる「傷痕姫」と、誰からも愛されるソル・グロリアが婚姻を結ぶことになったことが。社交界では、私の生家であるレヴァイン侯爵家が圧力をかけたとか、お金にものを言わせたとか、はたまた美しい令息と醜い令嬢が運命的な恋に落ちたのだとか、さまざまな憶測が飛び交っている。


 私に言わせれば、それらはすべて真実だ。


 私は、初恋のひとをお金で買い、実家の権力に物を言わせて婚姻までこぎつけたのだ。――二年間の、期限付きで。

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