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薬学教室のキューピッド

「フィルマール侯爵家の娘、メイヴィスと申します。突然ですが、私と結婚してください!」

 言った。

 本当に言ってしまった、心臓がバクバク鳴っている。

 なんだかすごい達成感。

 私が告白した相手はテルスリング公爵家の嫡男サイラス様。

 貴族が多く通う学園の中で一番人気と言っても過言ではないスーパーセレブのイケメンだ。

 長く伸ばした銀色の髪と深い海を思わせる濃紺の瞳。貴族の中には銀髪も多くいるが、サイラス様ほどの美男子はなかなかいない。

 見た感じ細身ですらりとしているのに、剣の腕は学園一。入学した年から八年連続で剣術大会で優勝している。

 十歳の時に十八歳の上級生に勝ち、そのままトップの座を譲ることなく卒業を迎えようとしていた。

 剣術だけでなく魔術、座学とあらゆる講義で常にトップ。礼儀作法では厳しいことで有名な教授が『教えられることはない』と感嘆のため息をこぼし、歴史学や地理学では『このまま学園に残って研究者を目指しいほしい』と熱心に勧誘された。

 私が最も得意とする薬学の教授も『まさに神童。薬学にまで詳しいとは驚きだ。まぁ、彼は君と異なり実務が圧倒的に足りないけど』と言っていた。

 薬学の実務とは調剤である。薬師は薬を作って、作って、作りまくってレベルを上げる。これには魔力と知識はあまり関係がない。何度も繰り返し作ることで、微妙な加減を習得できるのだ。

 幼い頃から薬師を目指し、かつ調剤に費やす時間がなければ上達しない。

 サイラス様にそんな暇があるとは思えないし、他の生徒から見れば十分、驚異的な知識量と成果を残している。

 そんなすごい人にプロポーズ。

 私、頑張った!すごく頑張ったよ、えらいぞ、私!

 ということで。

「突然、申し訳ございません。ありがとうございました。学園を卒業されてからのテルスリング卿のご活躍を影ながらお祈り申し上げます」

 と、くるりと背を向けて貴族令嬢とは思えぬ逃げ足を発揮したのであった。




「まぁ、本当にテルスリング公爵令息様にお声をかけたのですか?」

 王都内にある屋敷に帰って、ドキドキしている胸を抑えながら深呼吸。

 メイドのケイトに聞かれて、頷いた。

「タイミング良く薬学の教室で二人きりになれたの」

 教室の片付けを頼まれてしていたところ、忘れ物があったのかサイラス様が教室に戻ってきたのだ。

 絶好のチャンス。

 なんせ学園一のモテ男である。常に誰かが側に居る。いなくても様子をうかがっている。

 薬学の教室は薬草畑の近く…学園の外れにあり、学舎から離れている。そして薬学教室に嬉々として通う変人は、教授が言うには私一人だけ。

 探査魔法で周囲に人がいないことを確認し、勢いのまま言って、逃げた。教室の片付けはほぼ終わっていたので問題ない。

「アルロに婚約解消されてからずっと落ち込んでいたけど、サイラス様に告白しよう。と、決めてからはびっくりするほどアルロのことなんかどうでもよくなって、今は清々しい気持ちでいっぱいよ」

 サイラス様のことが好きだからではない。

 これは…、婚約解消された事実を『別の衝撃的な事件』で上書きするための儀式。

 アルロとは幼馴染で、そこに深い愛情があったわけではない。恋愛というよりも姉弟のような関係だった。実際、幼い頃は私の弟、レックスと私を取り合って喧嘩していたし。

 でも、いつかは結婚するのだし、結婚をすれば穏やかであたたかな家庭を築いていけるものだと思っていた。

 だがアルロが望んだものは濃密な男女の恋愛で、ベタベタと引っ付いて人目も憚らずキスをして…。

 いや、無理でしょう?

 そんな場所を見られたら貴族令嬢としての名誉が地に落ちる。趣味の調剤のせいですでに『変わり者』と思われているのに、品行下劣となったら親に顔向けできない。

 いずれ結婚するのだからいいじゃないかと言うけれど、何らかの理由で結婚しなかった時はどうなるの?

 女だけがふしだらで身持ちが悪いと言われる世界だ。

 そんなリスクを負わなくとも十八歳で学園を卒業すれば結婚できる。なんなら結婚を早めても良い。結婚したらいくらでも付き合うから…と言っていたのに、そこまでは待てないとばかりに浮気され、婚約を解消された。

 両親には事前に話ていたため理解を示してくれたが、学園内では『地味でつまらない変人女だから捨てられた』と、そこそこの悪意で噂が広まっている。アルロが侯爵家の嫡男でそこそこイケメンなせいで、もともと一部の女子には嫉妬されていたからなぁ。

 浮気する男は魅力的だからで許され、浮気された女は魅力がないと落とされる。アルロよりも成績が良いことまで『可愛げがない』と言われるのだから、本当に理不尽だ。

 浮気が始まったのが昨年の今頃で、婚約の正式解消が今年の五月、で、七月に入ってすぐに卒業。

 卒業を控えた今、アルロに捨てられた女としてこのまま卒業していいのか?

 たぶん、良ろしくない。世間的には変えられない事実でも、私の気持ちにもやもやとしたものが残る。

 ケイトと一緒に考えた結果、噂話はどうにもならないし、アルロと関わるのもやめたほうが良いだろう…と、なった。

 悪意をもった噂は新しい噂で上書きしない限り消えない。そして新しい噂は、無理に作ったところですぐにボロが出る。

 アルロとは正直、もうどうでもいい。生きていようと死んでしようと関係ない。婚約解消をする前に浮気されているので、その時点でスッパリと幼馴染としての情もなくなった。

 弟のレックスも『世代交代したら、今までのようにダンケルク侯爵と付き合う気はない』と言っている。

 両親はそこまでは思っていないようだが、しかし娘を蔑ろにされたのだ。これが格上の家の息子ならばメリット、デメリットを考えて多少は我慢…となるかもしれないが、アルロの家は同じ侯爵家。経済状態だけをみればうちのほうが上。

 ダンケルク侯爵領は国の北に位置し食糧事情があまりよろしくない。そこで南に領地を持つ我がフィルマール侯爵領が『婚約者の家だから』と麦や他の食糧を安価で融通していた。

 今後は食料品を徐々に適正価格に戻し、特別扱いはやめることになるだろう。

 貴族同士の婚約はそういった意味も含めている。

 ダンケルク侯爵側は理解しているのかよくわからないけれど。

 せめて婚約を円満解消してから新しい婚約者…ならば良かったのだが、浮気相手であるルーモント伯爵のベリンダ様と学園内のいたるところでイチャイチャしていたため、アルロとベリンダ様にも黒い噂話が広まっていた。

 結果、渋っていたダンケルク侯爵も婚約の維持は難しいと判断した。

 二人とも結婚すれば問題ないと思っているようだが、貴族社会ってそういったものではないの、本当に、大変なの。

 最終的には友人達も巻き込んであれこれ話し合った結果、私の気持ちがスッキリ爽やかになることが一番だろう…と。

 やるならパーッと派手に。

 これまで、普通、平凡、平均的に生きてきたが、一度くらいはとんでもないことをしてみたい。

 悪い噂が広がらず、でも、普段の私からは考えられないような…。

 アルロのことなんか、好きではない…と、告白イベントを起こすことにした。

 しかし、好きでもない男性に告白して『喜んで』と言われたらシャレにならない。

 現時点で婚約者が公表されておらず、侯爵家と同等もしくは格上、そこそこイケメンのアルロも霞む美男子…等の条件に一致したのがテルスリング公爵家のサイラス様だった。

 サイラス様のもとにくる縁談は下は生まれる前から、上は…四十の未亡人まで、身分も平民から近隣国の王族までと幅広い。妥当な縁談から無謀な縁談まで選り取り見取り。

 噂話に興味のない私の耳にまで届くほどだから、話半分だとしても相当な数だろう。

 実際、いくつかの重なっている講義でお見かけしたサイラス様は、妖精王だと言われても納得してしまいそうな麗しさだった。

 貴族令嬢としては可もなく不可もない私が選ばれるわけがない。

 家柄は一応、良いほうだが、見た目が普通。髪は明るい茶色で瞳もこげ茶。ふわふわのくせ毛は調剤の邪魔になるのでいつも背中で束ねていた。

 調剤が趣味の域を超えるレベルで好きだから、庭に出て薬草畑の世話もしている。

 そんな私に両親も『良い縁談が見つからなかったら領地で働けばいい』と言ってくれた。

 薬師はどこの領地でも不足しがちだ。レックスのお嫁さんに嫌われない程度に、頑張って一緒に領地を盛り立てようと思っている。

 ともかく、サイラス様に狙いを定めてから告白するまで、本当に楽しかった。

 告白した後の達成感も半端ない。

 これで卒業パーティでアルロとベリンダ様を見ても今まで以上に『どうでもいい』と思えそうだ。

 だって、私、あのサイラス様にプロポーズしたんだもん!




 ぐっすりと眠った翌朝、屋敷内がさわさわと落ち着きがないように感じた。

 朝の支度のためにケイトが来たが、何故か母の専属メイド達を伴っている。夜会に出る時、準備を任されているメイド達だ。

「どうしたの、みんな揃って…」

 ケイトが蒼白な顔で言う。

「本日、テルスリング公爵様とご子息サイラス様の訪問がございます」

「………は?」

「来訪は午後ですが、それでも間に合うかどうか…。お嬢様、覚悟を決めて頑張りましょう」

 いや、昨日、すでに一生分の『頑張り』を使ったから、もう、何も残ってないんだけど?

 今日からしばらくお休みだから、のんびり薬草園の世話をする予定なんだけど?

 何を頑張れと言うの、やめて、服をはぎ取らないで~、あ~れ~。


 抵抗むなしく朝からお風呂に放り込まれ、マッサージとあちこちのお手入れ。

 爪のお手入れでは『土が…』と小さく呟かれた、ごめん。普段から土を触っているせいで汚れは残っていなくとも変色はしているよね。

 日焼けで真っ黒…とまではいかないが、他の貴族令嬢のように白い肌ではない。そして畑仕事でそこそこ筋肉もついている。

 髪は何もしていないと爆発するくせ毛だし。

「ご、ごめんね、みんな。普段からあんまり気を使っていないから…、ほどほどでいいよ?ほら、庭の置石を磨いても置石のままでしょう?」

「だとしても、いらっしゃるのは公爵様ですよ?努力のあとをみせなくてはっ」

「そうですよ、お嬢様。頑張った上で駄目なら諦めもつきます」

「庭の置石だって、苔や泥は払うものです」

 お、おう…、庭の置石であることは否定しないんだ。

「それにしても…、何しに来るのかな。まさか…」

 ケイトを見ると静かに頷かれた。

「え、まさか糾弾しにくるの!?だって、サイラス様に告白したの、私だけじゃないよ?」

 噂では今年に入ってからだけでも数十人…、もしかしたら百人を超えているかもしれない。いちいち全員に抗議しているとしたら、大変な労力だ。

「お嬢様…、糾弾ではございません」

「いきなりの断罪!」

「違います」

 わけがわからない。

「じゃあ、何しに来るの?」

 ケイトがため息をつきながら教えてくれた。

「昨日のプロポーズのお返事です。そして、わざわざ公爵様とご子息がいらっしゃるのですから恐らく…」

 絶対にないと思われていた『喜んで』?

 いや、それはないか、となれば政治的なメリット?

 そう考えたら少し気楽になったが、しかし、お父様は大変だろうなと申し訳ない気持ちになった。


 準備が整い、両親に事前打ち合わせのために会うと、二人とも今までに見たことがないような緊張感漂う表情をしていた。

 わかる。うちは侯爵家で上位貴族のひとつだけど、公爵家は別格だものね。

「ケイトから事情は聞いた。メイヴィスから告白した以上、こちらから断るという道はない。たとえお前がどれほど嫌だと泣こうとも」

 その通りだ。

 頷いた。

「第二夫人、第三夫人としての結婚もあるかもしれないが、そうなれば少しは気楽に過ごせるだろう。問題は正妻となる場合だ」

 サイラス様は公爵家の嫡男だから、結婚した場合、公爵夫人となる。

「が…、頑張るしかないと思います」

「そうね。幸いメイヴィスは読み書きが好きで、計算も得意。調剤を趣味にしているせいか覚えも良く、根気強くひとつの事を続ける根性もあるわ。令嬢としてはどうかと思っていたけど、社交界で揉まれる可能性を考えたら、これくらい太い神経のほうが良いかもしれないわね」

 お母様、それ、褒めてないですよね?

「ともかく、まずは今日の訪問を無事に乗り切ることだ」

「そうですね。無理難題をふっかけてくるような方ではないと思いますが…」

 心配そうな両親に先程思いついたことを言ってみる。

「政治的な意図で前向きに検討する…ための訪問ではないでしょうか?」

「おぉ、そうだな、そうかもしれない」

「そうね、それなら断られることもあるわね」

「そうですよ、だって、色恋とは最も縁遠いと言われている私ですよ。政治的な理由以外、あり得ません」

 言い切る私に両親は『そんなことはない、メイヴィスは世界で一番可愛い娘だ』と言ってくれた。


 午後、公爵様とサイラス様がいらっしゃった。美形親子すごい、いるだけですごい、拝みたくなる。

 こんなに美しい人達を我が家の応接間に通すのか。

 ソファに良い香りが移りそう。

 まずは『突然の訪問をお詫びします』『いえいえ、歓迎いたします』と世間話に入り、それから頃合いをみてサイラス様に庭を案内することになった。

 王都の屋敷はそこまで広くはないが、一応は庭園が造られているし休憩するためのベンチもある。

 今日は良い天気ですね…なんて話しながら、並んでベンチに座り。

「申し訳ございませんが、事情を説明していただけますでしょうか」

 落ち着かないので、さっさと答えを聞いてしまおうと切り出した。

 サイラス様は微笑んで。

「私服姿も可愛らしいですね」

 はぁ!?

 カーッと顔が熱くなる、何、この破壊力、イケメンずるい。

「あ、あの、そういった貴族的なお世辞は不要ですので、すみません、先に教えてください。どういった政治的な意図があるのでしょうか?」

「政治的な?」

「はい、我が家との婚姻に政治的な意図、ございますよね?」

 ほほ笑んだまま言われた。

「ありませんよ。昨日、メイヴィス嬢から告白されて、それをそのまま父に伝え、私もメイヴィス嬢と結婚したいから話を進めてほしいと頼みました」

 いや…、いやいやいや、ないから。

 そんな話には騙されませんから。

 疑いの目を向けた私に『理由はなくもない』と苦笑しながら教えてくれる。

 毎日のように持ち込まれる縁談、隙あらば…で誘惑してくる女性達。

 幼い頃からあまりにも多すぎたせいで、嫌悪感が増して『絶対に結婚しない』とまで言うようになっていた。

 しかし立場上、結婚しないわけにもいかない。公爵家のお子はサイラス様ただ一人。

 どうしても結婚しなくてはいけない。

 しかし、相手を選ぶとなると…、家柄や年齢である程度は絞れても、好きな相手となるといない。

 婚約者や伴侶がいる女性からも色目を使われていたというのだから驚きで、油断すれば襲われそうな環境では落ち着いて話もできない。そもそも相手が落ち着きなく、ギラギラとした欲望が隠しきれていない。

 そんな相談を同じ年の侍従にしているうちに。

『では、プロポーズしてきたご令嬢の百人目で検討するのはどうでしょう?』

 釣書は毎日のように届き『百通目』を割り出すことは難しい。だが、直接、言いに来る相手ならば数えられる。延べ人数はわからないが、今年のはじめから…ならば可能だ。

 好きです、愛しています、結婚してください…と、言い寄って来る女性を淡々と処理しつつ迎えた記念すべき百人目。

 見事、私が突撃してしまった。

「なんという運のなさ!」

「運がない…のですか?」

「あ、いえ、私が…ではなく、サイラス様の運がないなって」

 よりにもよって私である。

 パッとしない外見で婚約者にも捨てられたばかり。社交はあまり好きではないためデビュタントの夜会以外に出席したことはない。お茶会も本当に仲の良い四、五人とたまに会うだけ。その仲の良いご令嬢達も私に負けず劣らずの変人ぶり。

 貴族令嬢だと言うのに騎士を目指しているとか、商魂たくましく事業を興したとか。世界を見たいと放浪の旅に出ている者もいる。

「家柄と年齢は釣り合うかもしれませんが…、なんかすみません」

「謝る必要はありません。正直に…、いささか正直すぎる気もしますが、本音を隠されるよりはましです。私も正直に言いますが…」

 世間一般的な美人には興味がない。

 自分の外見が『絶世の美男子』だからか、単純に好ましいか、好ましくないかしか感じないという。世間一般的に見て美女でも、表情から透けて見える性格で『好ましくない』に入る人も多い。

「先ほども言いましたがメイヴィス嬢は可愛らしいと思いますよ。素直な性格は公爵夫人としてはマイナスかもしれませんが、足りないところは他の者にフォローしてもらえば良いのです」

 にっこりと優しく微笑んで言われる。

「一緒に年を重ね、いつか…若い時は苦労したねと笑いあえるような、そんな穏やかな関係になれれば良いなと思います」

「わ、私も…、そう思っていました」

 婚約していればいつか結婚をする。

 結婚をしてからの人生のほうがずっと長く果てしない。

 熱病のような激しい恋愛がいつまでも続くとは思えない。中には続けられる人もいるが、私には無理だ。

 今、この絶世の美男子を前にしてもわりと冷静な自分がいるのだから。

 サイラス様はベンチに座った私の前に跪くと、そっと私の手をとった。

「メイヴィス嬢、私と結婚してください。後悔はさせません。幸せにすると誓います」

 誠実な人なのだ。だから遊びで付き合うこともできず、今も…きちんと誠意を見せてくれている。

 相手が私というのが、本当に申し訳ないけど…、断る理由がない。

 小さく頷いた。

「お受けいたします。私も…、サイラス様が後悔することがないよう努めさせていただきます」

 お互いふふ…と笑って、ベンチに並んで座った。先程より距離が近い。

「ちなみにメイヴィス嬢が絶対に嫌なことってなんですか?」

「そう…ですね。公爵家では難しいかもしれませんが…、調剤が趣味なので、結婚しても続けたいです。あとは浮気する時は教えてください」

 何も言わずに他の女といちゃつかれても困る。愛人を持ちたいのか、正式に第二夫人として結婚したいのか、離縁したいのか。はっきりさせてくれたら、こちらも割り切って過ごせる。

 愛人の家にいると聞けば、夫を待たずに趣味に没頭するだけだ。

「調剤のことは両親にも話してあります。薬師はどこの領地でも不足しがちですからね。さすがに薬草の栽培は人に任せることになりますが、研究は是非、続けてください」

「よろしいのですか?」

「それはもちろん。才能ではなく経験がものをいう世界ですから、続けたほうが良いと思います」

 アルロは否定的だった。女が知識をひけらかすなと嫌味を言われることさえあった。

 そんなことを言われても、刺繍は苦手でお菓子作りも壊滅的。繊細な調合はできるのに、お菓子を作ろうと思うと失敗していた。詩を詠む情緒は欠落し、歌を歌えば笑いを誘う。思えば子供の頃から可愛いもの、キラキラしたものにも興味がなかった。

 リボンなんて何色でもいいし、アクセサリーも邪魔。

 花は愛でるものではなく、刻んで調べて効能を確かめるためのものだ。必要ならば昆虫だって乾燥させて刻む。

「薬師を目指していたので、続けられるのは嬉しいです」

「噂話にはあまり興味がないようですが、一部では薬学の才女として有名ですよ」

「え、なんですか、それ、初耳です」

「メイヴィス嬢には婚約者がいたので、良識ある子息は皆、直接、声をかけることを遠慮していたのです」

 な、なるほ…ど?

「それから浮気に関しては絶対にありえません」

 子供の頃からの積み重ねで、誘惑してくるような女性には嫌悪しか抱かない。むしろ私のように色気ゼロのほうが安心できるっぽい。

「結婚したいと思えるような日がくるとは思っていなかったのですが…」

 結婚したくないと思う理由は、女性達の度重なる蛮行のせい。

 ごく普通に出会い、話し、気が合えば前向きに結婚を考えていたかもしれない。

「早く婚約を調えて、一緒に卒業パーティに出席しましょうね」

「卒業パーティ…」

「婚約のお披露目にもなるので、衣装をあわせましょう。楽しみですね」

 そっか、サイラス様と一緒に卒業パーティに参加するのか。

 楽しみなような怖いような。

「今からでも間に合うでしょうか?」

 サイラス様はにっこり笑って。

「間に合わせます」

 と、言い切った。


 翌日には人気サロンの店主が呼ばれ、私も母と一緒に公爵家にお邪魔してドレスを選んだ。さらに公爵家のメイドを一人、お借りすることになった。

 フィーネという名の可愛らしいメイドは美容のエキスパートらしく、肌と髪のお手入れを専門にしてくれるとのこと。

「今まで通りの生活で問題ございませんよ。ただ、化粧品や石鹸は私の指示に従ってください。お肌や髪質に合わせて調整します。それと、お風呂上りに三十分だけマッサージを受けていただきます」

 化粧っけがない私でも一応は化粧水や乳液を使っている。眠る前のマッサージも短時間だし、気持ちいいだけで断る理由がない。

 卒業パーティまでは一カ月ちょっと。間に合うかわからないけど、サイラス様のためにも頑張らなくてはいけない。

 というのも、今まで誰ともお付き合いをしたことがないというサイラス様、予想に反してめちゃくちゃマメで気遣いできる人なのだ。

 卒業を控えているため後期の試験も終わっている今、授業はほとんどなく自宅にいる日が多い。そのため、二、三日に一度は家に会いに来てくれた。お土産は珍しい植物の種や薬学に関する本で、薬草園にも足を運んでくださった。

 さらに私の友達にも挨拶がしたいとお茶会にも参加し、皆に『結婚後もメイヴィス嬢と仲良くしてくださいね』と。幸い私の友人達は男性の顔立ちには興味がないため、良かったねと祝福してもらえた。

 ちょっと完璧すぎて意味がわからない。

 そして迎えた卒業式の当日。

 ケイトとフィーネに前日から入念に準備されて、サイラス様のエスコートで会場へ向かった。




 学園の敷地内にある一番広いホールの中、集まったのは卒業生と関係者達。

 午前中に式典があり、軽食を挟んで午後はパーティとなる。

 式典用に椅子が並べられており、運良く会えた友人達と目立たない位置に座った。

 サイラス様は卒業生代表として挨拶をするため別席だ。

 学園長の式辞、何人かいる来賓の祝辞、それから下級生代表の送辞と卒業生代表の答辞。

 サイラス様は本日も見惚れるほど麗しかった。

 濃紺の礼服に銀の刺繍。本人は私の色をもっと取り入れたいと話していたが、茶色は華やかさに欠けるため飾りボタンや髪留めに琥珀を使っていた。

 長く伸ばした銀髪が本当に美しい。

 普段は背中でひとつにまとめているだけだが、今日はサイドを編んで後ろに流している。

 髪留めはお揃いで作ったもので、銀細工にパールの組み合わせ。

 私のドレスも濃紺に同じ模様の銀刺繍で、誰が見ても『揃えた』と気づくだろう。

 ちょっと恥ずかしい気もするが、たまにはこういったことも悪くないと思っている。

 式典が終わると椅子の配置換えが行われパーティへと移る。パーティは父兄や下級生も参加していた。

 サイラス様は軽食前に戻ってきた。

「メイヴィス嬢、お待たせしました」

「いいえ、ご挨拶、とても素敵でした」

「そうですか?」

 嬉しそうに顔を綻ばせる。

「ダンスが始まる前に少し飲み物でもいただきましょうか」

「はい」

 周囲がさわさわと落ち着きなく囁きあっている気配はしていたが、誰も話しかけてこようとはしなかった。

 それもそうだろう。ついに…、サイラス様が婚約したのだ。しかも隣にいるのは冴えない侯爵令嬢。白百合と野菊の組み合わせである。いや、菊は種類によっては食べられるし、虫除けにもなる。

 そう、今の私は虫除け、今も立派に役目を果たしている。

 飲み物を取りに向かう途中で話しかけられた。

「サイラス、婚約おめでとう」

 サイラス様とはまた傾向の異なるワイルドなイケメンだ。

「ありがとう。紹介するよ。婚約者のフィルマール侯爵家のメイヴィス嬢だ。メイヴィス嬢、フェルディン公爵家のブラントだ。家同士の付き合いもあるから結婚した後も顔を合わせることになるだろう」

「よろしくお願いいたします」

「ははは、あんまりよろしくしちゃうとサイラスに睨まれそうだな。オレの婚約者はまだ十二歳でここには呼べなかったんだ。今度、紹介するから、仲良くしてね」

「はい、喜んで」

 フェルディン卿に話しかけられた後はサイラス様のご友人達が次々と挨拶に来て、形式的な挨拶を繰り返した。皆様、好意的な気がする。

 私のほうはすでに友人達との顔合わせは終わっている。あとは…、友人というか顔見知りというか。

 探りを入れようとする者、信じられないと繰り返す者、それから黙って睨みつける者。

 そんな中…、アルロとベリンダ様は二人揃ってポカンとした顔をしていた。

 うっかり視線があってしまうと、アルロがツカツカとやってきて。

「婚約解消後、こんなに早く新しい相手を見つけたのか?」

 は?

 である。いや、本当に『は?』って素で答えそうになってしまった。

「問題はないと思うけど?婚約解消をした後だもの」

「メイヴィスがこんな短期間で男を捕まえられるわけないだろ。婚約中から浮気をしていたのか?」

 呆れてものが言えない…とはこのことだ。

「揃いの衣装なんてすぐに用意できるものじゃない。浮気していたんだろ?だったら、お互い様だ、うちから騙し取った慰謝料を返せよ」

 とんでもない言いがかりに、言い返そうとしたがサイラス様に止められた。

「今の発言はテルスリング公爵家を侮辱したものとして、正式に抗議させてもらう」

「な、何を…、これはメイヴィスとオレとの問題で…」

「私は婚約を解消したことを確認してから、メルヴィス嬢に結婚の申込をした。衣装は母が懇意にしているサロンに頼み、急いで作らせた。納得できないのであれば、司法の場で決着をつけよう。受けて立つ」

 アルロは悔しそうに下を向いた。そしてアルロよりも悔しそうに、ベリンダ様がギリギリと私を睨みつけてくる。

「謝罪もできないようだな。情けない。今後、ダンケルク侯爵家との付き合いは許可できない。テルスリング公爵家はもちろんのことフィルマール侯爵家にも関わらないように」

「なっ…」

 顔をあげたアルロに冷たく言い放つ。

「メイヴィス嬢を手放したのは君だ。そして今は、私のものだ。私は心があまり広くないので、君のような男とは関わらせたくない」

 アルロはただ悔しそうに顔を歪ませ、謝罪することもなく背を向けて逃げ出した。

 それが…、今後、どういった影響を与えることになるのかわからずに。


 社交に疎い私でも、公爵家の婚約者を侮辱し、次期当主に喧嘩を売って、謝罪せずに逆ギレ逃亡…は今後のダンケルク侯爵家に影響が出るのでは…と予想がつく。

 ついでにルーモント伯爵家にも飛び火しそうだが、その点、ベリンダ様は動きが早かった。

 卒業パーティが終わる前に家に帰り、そのまま自領地の修道院でしばらく謹慎…と噂が出回った。『アルロに強引に誘われて断れなかった』『断ろうとしたけど殴られそうで…』とのおまけつきで、事実ではなくとも先に噂が回ったほうが有利だ。

 出遅れたダンケルク侯爵家はアルロを自領地に謹慎の上、廃嫡を決めた。家は二男が継ぐとのことで、フィルマール侯爵家にも当主と二男がお詫びにやってきた。

 公爵家にもお詫びを…とお手紙が届いたようだが、悪いのは勘違いして暴走したアルロである。気にしなくてもいいですよと、顔を合わせる機会のあった夜会で、公爵様がダンケルク侯爵に声をかけた。

 声をかけられたことで、そこまで険悪な関係ではないと判断してもらえる。

 私自身もダンケルク侯爵様に恨みはない。息子の教育を間違ったのでは?とは思っているが、私自身、変人令嬢なのであまり他人のことを言えない。

 ただ…、私は自覚していたが、アルロは自覚していなかった。

 残念なことに何もかも…、人の気持ちも、貴族としての立ち位置もわかっていなかった。




 学園を卒業をした後も学園の薬学教室に通い、教授に助言をもらいつつ、授業のお手伝いもしている。

 サイラスは王城で税務に関する部署に配置され、日々、数字と戦っている。同時進行で領地経営に関しても勉強する日々。これは私もお手伝いしている。

 二人の関係は良好で、燃え上がるような恋ではないと思うが、なんとなく、こう…、ちょっとドキドキするようなことも増えてきた。

「教授、メイヴィス、いますか?」

 薬学の資料室にいるとサイラスが紙袋を手に現れた。

「サイラス、迎えに来てくれたの?」

「あぁ、今夜は母と結婚式の打ち合わせだろう?」

 軽くハグをしてから教授に紙袋を渡した。

「東国の珍しい薬草の種です。探していると聞いて…、たまたま手に入ったので」

「おぉ、素晴らしい、ありがとう」

「教授にはメイヴィスがお世話になっていますから」

「まぁ、そうだな。しかも君達を引き合わせた愛の天使だ」

 引き合わせた?

「教授は私を便利に使っていただけでは?」

「そうとも言うが、それだけではないのだよ」

「はい、教授には本当に感謝しています。あの日、メイヴィスが一人になることを教えていただいて」

 あの日?

「え、あの日って、もしかして私が勢いだけでプロポーズした日?」

「そうだよ」

 サイラスは百人目のプロポーズを前向きに検討する気ではいた。が、やはり好きでもない女性とは…、とんでもない女性が来てしまったらまた振り出しに…と、真面目に悩んでいた。

 百人目のプロポーズなんてなかったことにすればいいのに、数え始めた結果、誓いに縛られていた。

 悶々としている中、『薬学の才女』が婚約解消したとの噂が届き、ものすごく慌てた。

 見た目がクールな妖精王なので『慌てた』と言われても想像がつかないが、本人的にはとても慌てて、どうにか仲良くなれないかとそわそわしていた。

 かっこよく誘えたら良いのだが、圧倒的に経験が足りない。そうこうしているうちに告白も九十九人目を終えてしまった。

 なんとかしなければ…と焦っている時、教授に声をかけられた。

『私が片づけをお願いしたから、薬学教室に一人でいるよ』

 誰が、とは言われなかったが、すぐにわかった。

 女性に囲まれた事は多いが、自分から女性へのアプローチなどしたことはない。

 それでも、九十九人目の告白を受けた今、動かなければ…、百人目は自分の意思で、自分から交際を申し込んでも良いのではないか?そう思い、急いで薬学教室へと向かった。

 そして、会った。

 絶対に告白すると決意した私と。

 告白の後、速攻で逃げられて、おそらくそこまで本気ではなかったのだろうと察しはついたが、運良く『百人目』であったことで勢いがついた。

 百人目に向こうからプロポーズしてきたのだから、全力でのって押し切ればよい。

「教授は私がメイヴィスに好意をもっていると気づいていたのですか?」

「もちろん。私は薬師であり、医師でもある。目の動き、呼吸、ちょっとした仕草で察しが付く。メイヴィス女史は打算や媚というものをまったく感じさせない、成績優秀な努力型だ。テルスリング卿にとっては貴重な尊敬できる女性だろう。女史も手放しでテルスリング卿を称賛していたしね」

 二人とも真面目な性格で色恋よりも研究や仕事を優先するタイプ。同族嫌悪でうまくいかないこともあるが、まずはきっかけを作って話す機会を増やさなければ、良いも悪いもわからない。

「ちなみに生徒のすべてに目を向けて観察しているから、君達だけを特別に見ていたわけではないよ」

「なるほど。しかし表情を読まれるとは…貴族として精進が必要ですね」

 表情から気持ちを悟られるのは取引の場では致命的だ。私も気をつけないと。

「ははは、本当に真面目だな。ともかく、二人を取り持ったおかげで私は貴重な種を入手し、真の勝者となったわけだ」

「何、言ってるんですか。可愛らしくて頭も良い嫁を手に入れた私が真の勝者です」

 ね?と同意を求められても困る。いえ、サイラスのほうが可愛いし、頭も良いし、他にもできることがたくさんあって…。

「顔が真っ赤だね。そろそろ帰ろうか?」

 ちょんちょん…と頬を突かれて頷いた。




 その後、薬学教室には『真面目に通うと恋愛成就する』と真偽不明の噂が出回り、人気の講義のひとつとなった。

 前年、難攻不落のテルスリング卿が婚約を決めたお相手が薬学の才女(いまだにそう呼ばれることに納得してはいない)だったこともあり、翌年以降も受講者は増えている。理由はどうあれ、学ぶ人が増えたのは喜ばしいことだ。

 喜ばしいが、高笑いしている教授が目に浮かんでちょっとイラッともしている。

「出産があったせいで教授にはしばらく会いに行ってないね。スティーブが外に出られるようになったら家族でご挨拶に伺おうか」

「忙しくない?」

「忙しくても行くよ。教授のおかげで、こうして幸せな日々を手に入れたのだから」

 結婚して三年、長男スティーブが生まれたばかりだ。顔立ちはサイラスに似ている気がするが、髪が私と同じ茶髪でちょっと将来が心配だ。

 相変わらず妖精王のように美しい旦那様で、朝、起きると寝起きの差…、さらさらの銀糸の髪を持つ妖精王の横に髪が爆発している私がいるわけで、ちょっと涙目にはなるが。

『メイヴィスの寝起きは可愛いね。髪がふわっふわだ』

 と、楽しそうで、今も私の髪を指に絡めながら、微笑んでいた。

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