最終話 旅立ち
皇帝陛下との謁見が何事もなく無事に終わったあと、俺は皇帝陛下本人からもっと話がしたいと言われた。
俺が了承した使職のこととは別に、皇帝陛下は俺の〈宝貝〉のことや武術について詳しく聞きたいと言ってきたのだ。
皇帝陛下は大層な武術好きらしく、しかも皇帝陛下は〈宝貝〉こそ現出できていないが〈精気練武〉のいくつかをすでに修めているという。
このことを聞いて俺も少なからず皇帝陛下に興味が出てきた。
それに天上人との会話を無下に断るわけにはいかない。
俺はそのまま皇帝陛下と烈膳さんと色々な話をし、その過程でアリシアや春花のことなども話題に上がった。
皇帝陛下は特に西方の国で勇者という称号を得ていた、金毛剣女のアリシアに対して興味を引かれたらしい。
そこで俺はふと思いたち、皇帝陛下にあることをお願いしたのだ。
皇帝陛下はそのあることを条件付きで了承してくれた。
その条件とはアリシアと春花に会ってみたいということだった。
俺が虫の知らせのようなものを感じ取ったのはそのときである。
〈聴勁〉を使ったときとは別に、本能的に何か嫌な予感を感じ取ったのだ。
俺自身にではない。
そこで俺は皇帝陛下と烈膳さんに許可を取り、〈七星剣〉を返して貰って宮廷をあとにした。
表向き皇帝陛下の元にアリシアと春花を連れて来るという名目だったが、実のところ紅花茶館にいるアリシアのことが非常に気になったのだ。
まさか、ここへきて容体が急変したのだろうか。
十分にあり得ることだった。
数日前に〈宝貝〉使いとして覚醒したアリシアの〈宝貝〉は、俺の〈七星剣〉と同じ一握りの才能の持ち主しか現出できない〈真・宝貝〉だったのだ。
当然のことながら使用する際の精気の消費量は凄まじく、俺のような神仙界で長年において〈精気練武〉を鍛錬した半仙ですら使いどころを間違うと命を落とす危険もある。
ここ最近に〈精気練武〉を鍛錬するようになったアリシアならばなおさらだ。
肉体の回復期に無理をしようとして容体が急変することも十分に考えられる。
なので俺は持ち前の俊足に加えて、〈箭疾歩〉も使いながら急ぎ紅花茶館へと向かった。
そうして紅花茶館に戻った瞬間、俺は裏口のほうから漂ってきた異様な雰囲気にもしやと思った。
直後、俺は〈気殺〉を使って屋根瓦に移動した。
大通りに面した表の入り口の前でその気配を感じ取ったため、店の中を通っていくよりも筑地塀伝いに裏口へ向かったほうが手っ取り早かったからだ。
すると案の定、裏口には深刻な顔をしたアリシアと春花の2人がいた。
その中でも特に異様な気配を放っていたのは、誰よりも俺が1番よく知っているアリシアだった。
そして容体が急変したのではないことに胸を撫で下ろしたのも束の間、俺は2人の会話を聞いて目を丸くさせた。
「なあ、アリシア……ホンマにこのまま1人で出て行くんか?」
「うん、もう私がこの国にいる理由はなくなったしね」
どうやらアリシアは俺たちの元から立ち去ろうとしているらしい。
2人の会話は続く。
「せめて龍信が宮廷から帰ってくるのを待ってからにしたらどうや? 龍信にはまだ何にも言うてへんのやろ? 挨拶の1つもなしに急にいなくなったらきっと悲しむで」
「……もう決めたことだから」
暗い表情を浮かべたアリシアに対して、春花は一拍の間を置いたあとに「アカン!」と大声を上げる。
「いくら何でもこんな別れ方はやっぱりアカンわ。大体、何で龍信がおらん間に出て行こうとすんねん。本当は龍信と別れたくないんやろ?」
ビクッとアリシアの身体が小さく震えた。
「うちかて親父がおったときから色々なお客はん相手に商売してきたから分かるんや。アリシア、お前の顔には龍信と別れたくないとはっきり書いてあるわ。それに、そんな身体のままでどこへ行こうと言うねん」
「どこって……もちろん、国に帰るのよ。あ、当たり前じゃない。目的の魔王も倒せたし、もうこの国にいる理由はないからね。それに、これでも私は祖国へ帰れば英雄として扱われていたのよ。祖国へ帰れば人並以上の生活が送れるわ」
アリシア……。
祖国へ帰ると聞いたとき、俺は心の底から悲しくなった。
確かに目的の魔王がこの世からいなくなった今、アリシアはこの華秦国にいる理由はないのだろう。
だが、それは本心なのだろうか。
俺がそう思ったのは、アリシアの表情や何気ない仕草から祖国へ帰りたいと思っていない節が見受けられたからだ。
そこで俺は〈聴勁〉を使った。
感度を最大限まで上げてアリシアの心情を読み取っていく。
次の瞬間、アリシアの本心が俺の頭の中へ怒涛の如く流れ込んでくる。
やはり、アリシアが春花に言ったのは嘘だった。
アリシアは実のところ俺たちと離れたくないと思っている。
しかもアリシアが祖国で英雄として扱われているというのも事実ではない。
それどころか、アリシアは祖国へ帰れば英雄どころか罪人として扱われる可能性もあるという。
けれども、俺がそれ以上に心を動かされたのは別のことだ。
アリシアは俺の今後のためを思って別れを決意したのである。
俺はぐっと右拳を握り込む。
同時に俺は自分自身に問うた。
自分のことよりも俺のことをここまで思ってくれているアリシアを、このまま黙って祖国へ帰らせるのかと。
もちろん、俺の答えは――。
「だから安心して。私はこれからも元気に祖国で道士……ううん、冒険者として頑張って」
「お前は嘘をつくのが下手だな、アリシア」
俺は我慢ができず声を発した。
直後、アリシアと春花の視線が俺へと向けられる。
俺は屋根瓦の上から飛び降り、呆気に取られている2人の前に降り立つ。
「アリシア……ここまできて自分を騙すような嘘をつくのはよせ。本当は祖国へ帰りたくないんだろう?」
ぎくり、と聞こえたほどアリシアの顔色が変わった。
「だったら、無理して祖国へなんて帰るな。俺たちとずっと一緒にいろ」
アリシアは「でも」と下唇を噛み締める。
「あなたが魔王を倒してくれたおかげで、私はもうこの国にいる必要がなくなったのよ」
いや、と俺はアリシアの言葉を否定した。
「アリシア、お前に祖国へ帰られたら俺が困る。何せ、俺はもう皇帝陛下に頼んでしまったからな」
「……頼んだって何を?」
「仙道使となった俺の補佐官をアリシアにして貰いたいことをさ」
これにはアリシアも頭上に疑問符を浮かべた。
そこで俺は皇帝陛下と謁見した内容をすべて包み隠さず話した。
俺が地方の妖魔絡みの怪事件を調査する、皇帝陛下直轄の〝仙道使〟という使職を与えられたこと。
その仙道使になる条件として、俺は皇帝陛下にあること――アリシアと春花を俺の補佐官として一緒に仕事に当たらせて欲しいと頼んだことすべてである。
「へえ……って、うちもかい!」
春花は自分自身を指さしながら驚きの声を上げた。
一方のアリシアも大きく目を見開き「春花はともかく私は異国人よ」と言った。
「異国人だからこそだ」
俺は皇帝陛下との会話の一部もアリシアに話した。
皇帝陛下曰く地方で仙道使としての任務に当たる場合、状況によっては華秦人よりも西方の人間のほうが情報を得られることもあるという。
たとえば西方の国に近い場所ならばアリシアのような異国人も多くおり、北方の国との国境にも西方から流れてきた金毛の異民族などが多く住んでいるらしい。
そういうところで極秘の仕事をする場合、俺や春花よりも異国人であるアリシアのほうが情報などを入手しやすいのではないかと言っていた。
これがアリシアを俺の補佐官として認めてくれた理由である。
「ちょい待ち。うちもその補佐官とやらになってもええんか?」
「もちろんだ」
俺は大きく頷いた。
「春花の薬士としての腕前は誰よりも俺が買っている。魔王と闘ったときもそうだ。間違いなくアリシアが〈宝貝〉使いとして覚醒したのは、春花の真種子のおかげだろうからな」
これは春花本人から聞いたことだった。
俺が魔王と闘っているとき、意識を取り戻したアリシアは春花の真種子を服用して再び意識を無くしたと。
それがきっかけでアリシアの魂は神仙界に導かれ、太上老君さまに見守られながら〈宝貝〉の実を食べて覚醒したのだろう。
それほどの薬を作れる薬士が補佐官として同行してくれるのなら、これからどんな困難な任務をするか分からない仙道使になる俺としても心強い。
などと本気で考えていると、春花は両頬を赤くしてそっぽを向く。
「ま、まあ……龍信がどうしてもうちに頼むっちゅうんなら、その補佐官とやらになってもええで」
〈聴勁〉を使っているので春花がまんざらでもないことは分かっていたが、それでも今はアリシアのことだ。
「龍信……本当に私がそんな役目を貰っていいの?」
「ああ、俺はアリシアにも俺の補佐官になって貰いたいと本気で思っている」
だから、と俺は真剣な表情でアリシアを見つめた。
「祖国になんて帰らなくていい。これからも俺と一緒にいてくれ」
そんな俺の言葉を聞いて、アリシアは両目に薄っすらと涙を浮かべて頷く。
俺はにこりと笑うと、アリシアからふと空を仰いだ。
人気のない裏通りとはいえ、透き通る晴天からは気持ちの良い風が吹いてくる。
まるで、これからの俺たちの行く末を祝福してくれるように。
時刻は昼過ぎ。
このあと、俺たち3人は皇帝陛下が待つ宮廷へと向かった。
やがてこの3人――特に孫龍信の名前は、数百年も続く華秦国の歴史に長く残ることになる。
その人柄と圧倒的な強さ、そして仙道使として多くの民を救ったゆえに。
だが、今はまだ孫龍信のことは誰も知らない。
それは、これからの長い長い歴史だけが知っている――。
〈完〉
最後までお読みいただき、本当に感謝の極みです。
この三人の物語はまだ始まったばかりですが、この作品はここでひとまず幕締めとさせていただきます。
本当にありがとうございました!!
もしもよろしければ、最後に★★★★★などの評価を頂ければ嬉しいです。