第五十七話 半死半生
さすがの魔王でもあの爆発は堪えただろうな。
俺は黒焦げの状態でぴくりとも動かない魔王を見つめながら、これまでの肉体の緊張感を解くように長く呼吸する。
正直なところ、俺に残された精気の量もどんどん危うくなっていた。
体感的にもう残り半分は越えているだろう。
俺は破山剣を手に取った。
7つの武器に変化する俺の〈七星剣〉は、使用する形状武器によって1日に使える回数と精気の消費量が違ってくる。
たとえば、
壱番目・破山剣――1日の使用回数は特になし。
弐番目・旋天戟――1日の使用回数は6回。
参番目・羅刹弓――1日の使用回数は5回。
肆番目・降魔斧――1日の使用回数は4回。
伍番目・月牙鉤――1日の使用回数は3回。
陸番目・遁龍錘――1日の使用回数は2回。
漆番目・神火砲――1日の使用回数は1回。
このような具合にである。
要するに遁龍錘を一例として挙げるのなら、遁龍錘は今日であと1回は形状変化して使えるということだ。
しかし、悪く言えば遁龍錘はあと1回しか使えないことを意味する。
直後、俺はくらりと軽い眩暈を覚えた。
〈七星剣〉は伍番目の形状武器を境に、上の数字の形状武器に変化させるときと、使用した際の精気の消費量が半端ではない。
なので上の数字の形状武器を使えば使うほど、他の形状武器に変化させることができないほどの精気を使い切ってしまう場合もある。
ましてや、精気練武の技も多用しているのだ。
そのため、いくら俺でも1日に頻度を重ねれば体調に異変をきたす。
今がそうだった。
これ以上は精気を使いすぎると、いつ俺は気を失うか分かったものではない。
そうなれば非常に危険だ。
もしも魔王がこれから息を吹き返した場合、俺は確実に殺されることになる。
一方、見方を変えればこの状況は逆に好機とも言えた。
どう見ても今の魔王は半死半生の状態だ。
死んでもいないが、生きているとも言い難い。
とどめを刺すなら今か。
そう俺が魔王を見て思ったとき――。
ザワッと俺の全身の産毛が総毛立った。
俺は破山剣から魔王へと視線を移す。
まったく動かない魔王だったが、その身体の奥から身の毛がよだつほどの負の圧力を感じた。
このとき、俺は自分の考えが間違いだったことに気づく。
今の魔王は半死半生ではない。
おそらくは、何らかの手段によって爆発から身を守ったのだ。
つまり、魔王はまだ十分な余力を残している。
ひしひしと漂ってくる邪悪な力が、そのことを如実に物語っていた。
迂闊に近づくと危険だ。
と、俺は身体の力を振り絞って立ち上がろうとしたときである。
「ありがとう、龍信」
いつの間にか、俺のすぐ近くにアリシアが立っていた。
「あなたのおかげで魔王を瀕死の状態にすることができた。あとは私の出番よ」
そう言うとアリシアは、下丹田で精気を練り上げて〈周天〉の状態となった。
加えてアリシアは、自分の剣を顔の右横に立てるようにして構える。
確か八相と呼ばれる、師匠から習ったという剣術の構えだった。
コオオオオオオオオオオオ――――…………
続いてアリシアは、猛獣の唸り声に似た独特な呼吸――息吹を上げる。
「待て、アリシア！ 魔王はまだ――」
俺の静止の声も聞かず、アリシアは腹の底から発した気合とともに魔王へと猛進していく。
そしてアリシアが魔王の間合いに入り、精気を込めた刀身で魔王の心臓を串刺しにしようと刺突を放った瞬間だった。
彫刻のように動かなかった蝙蝠の翼が疾風のような速さで動き、幌のような分厚い皮膜の部分でアリシアの身体を大広間の端にまで吹き飛ばしたのだ。
「アリシア！」
俺が叫んだのも束の間、アリシアは大広間を支えていた柱の1つに激突して床に落ちた。
しかもアリシアは咄嗟に長剣で蝙蝠の翼を防御したため、その長剣は手元から離れて大広間の端へと飛んでいく。
俺は床にうつ伏せに倒れたアリシアを見つめた。
激しく身体を柱に叩きつけられたことで気を失ってしまったのだろう。
まったく動かなかったアリシアを心配していると、黒焦げだった魔王の表面部分がピキピキという亀裂音とともに剥がれ落ちる。
やがてすべての黒焦げだった表皮が落ちると、そこに現れたのは無数の血管と筋肉が丸見えの肉体だった。
「素晴らしい……この男、人間の身でありながらよくぞこんな肉体を作り上げたものよ。まさか、全身の毛穴から毒の体液を出してそれを硬質化させることができたとはな」
そんな異質な姿となった魔王は、アリシアと俺を交互に見た。
「まあ、それよりも今はお前たちのことだな。小賢しくも私を追ってきた女勇者はさておき、この場でもっとも危険な存在はお前だ……小僧」
魔王は血走った目で俺をぎらりと睨む。
「それに、どうやらこの身体の持ち主もお前のことを恨んでいるようだ。お前に敵愾心を持つだけで腹の底から力が溢れてくるぞ」
絶望とはまさにこのことだった。
一体、この魔王の底力はどれほどあるのだろう。
こうなると、もう生半可な攻撃では絶対に魔王は倒せない。
倒せるとしたら……。
俺は〈七星剣〉の漆番目の形状武器――〈神火砲〉を頭の中に思い浮かべた。
もはや魔王を倒せるのは〈神火砲〉以外にない。
ただし〈神火砲〉を形状変化させるには、遁龍錘よりも長い時間を掛けて精気を破山剣に込めなければならなかった。
しかも最強の威力を誇る〈神火砲〉に限っては無事に変化させたとしても、そこからさらに弾丸の代わりとなる精気の塊――精気弾を作る必要があったのだ。
要するに、すべてのことにおいて時間が掛かるのである。
だが、こうなった以上は〈神火砲〉に形状変化させるしかない。
けれども、その時間をどうやって捻出するか。
俺が今の状況を踏まえて舌打ちしたとき、魔王は再び俺に対して猛然と襲い掛かってきた。
床に転がっていた大量の死体が無くなったからだろう。
魔王の下半身の黒狼による、突進の勢いは先ほどよりも一段と速い。
俺はすぐさま破山剣を中段に構えると、下丹田で精気を練って〈周天〉の状態となる。
右に避けるか左に避けるか。
瞬きをするかしないかの間に逡巡した俺だったが、ここは下手に動くのは得策ではないと判断した。
俺が先に動き回ったところで、機動力は俺よりも魔王のほうが圧倒的に上だ。
それこそ俺のほうから先に動いてしまえば、魔王は俺が動いた方向に瞬時に方向転換して襲い掛かってくるだろう。
とはいえ、案山子のように突っ立っているだけで勝てる相手ではなかった。
だが、やらなければやられる。
などと考えている間に、距離を縮めてきた魔王は攻撃を仕掛けてきた。
2枚の蝙蝠の翼による連続攻撃だ。
俺は全神経を研ぎ澄ませてその攻撃に対処する。
〈周天〉により数倍にも高めた精気を、破山剣の刀身に一点集中させる〈発勁〉に変え、その破山剣を蝙蝠の翼に向かって「×」の字に振るった。
電光のように閃いた破山剣が、空気を切り裂いて襲ってきた2枚の蝙蝠の翼と接触する。
ガギンッガギンッ！
案の定、金属を打ち叩いたような感触が返ってきた。
続いて間髪を入れずに黒狼の口撃が迫ってくる。
その口撃に対しても、俺は嚙みつかれる寸前に〈発勁〉による攻撃によって何とか口撃を口元ごと弾き飛ばした。
その後、俺は至近距離で魔王の怒涛の攻撃をときには弾き、ときには逸らし、ときには払い、ときには捌いて致命傷を受けることだけは回避していく。
けれども、このままではマズい。
魔王はほとんど損傷がない一方、俺のほうは着実に体力と精気を消費している。
俺も損傷こそ受けてはいないものの、わずかな隙を見せた瞬間に致命傷を受ける可能性は十分に考えられた。
だったら早く破山剣を神火砲に変化させるんだ！
もう1人の俺がそう強い言葉で言ってくる
俺もそうしたいのは山々だったが、紅蓮水晶の爆発を受けた魔王にはもう一分の隙もなかった。
余計な時間を与えたら何をされるか分からない、と魔王は悟ったに違いない。
魔王は俺が防戦一方になるほどの攻撃を立て続けに放ってくる。
せめて神火砲に変化させるまで、こいつの意識と身体を少しでも留める何かがあれば……。
俺は歯噛みしつつ、ひたすらに魔王の攻撃を防ぐために破山剣を振るった。
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